二日目の夜は、函館山だ。
函館山と言えば、百万ドルの夜景。夕食も食べ終え、夜の世界にテンションが上がる。
同時に、百万ドルの夜景を見た後は、昨日とは違うホテルで一泊。明日は空港でお土産を買って帰るだけ。終わりが近付くにつれ、何だか線香花火をしている時のような気分になる——。
「わぁ、綺麗!」
「晴れて良かったよね」
「こういうのって、恋人と見に来たいよね」
「分かるー」
女子らが騒ぐ隣で、俺は蓮と並んで静かに夜景を眺めている。
「俺、今一番幸せかも」
「僕も」
「あのさ、蓮はいつから好きだったんだ? お、俺のこと」
「それ聞いちゃう? えっとね……内緒」
「何だよ、それ」
昨日、告白された時、蓮は前から俺の事を好きだったみたいな口振りだった。しかし、俺の予想は、付き合うフリをし始めてからだと踏んでいる。過剰にスキンシップをしてしまったから……だから、俺を意識してくれたのだと。
それに、健全な男子高校生なら、性欲も強くなってくる頃だ。蓮もそれは同様で、修学旅行中だから出来ないものの、キスの続きをしたがっている。俺は、そういう対象に選ばれた。
俺からしたら、今の状況は、いわゆる『棚ぼた』というやつだろう。
俺としては万々歳だが、もしも蓮の本命の相手が振り向いてしまったら……俺は用済み? いつぞやの五十嵐ではないが、満足させてあげられなかったら、俺は捨てられるのだろうか。
「晴翔はさ、本当に僕で良いの?」
「何でそんなこと……」
蓮の質問に応えようとしていたら、後ろの方から複数人の関西弁で喋る声が聞こえてきた。
「うわぁ、ここが百万ドルかぁ」
「ネットで見るより百倍キレイやん」
「それより見てやコレ。昨日のオッちゃんから値切ったやつ。可愛いやろ」
「ホンマや」
「お前ら、百万ドルは、もうええんか? 飽きんの早過ぎやろ」
チラリと顔だけ振り返れば、そこに海斗の姿は無かったが、ついつい目で探してしまう。
「晴翔」
「ん?」
「僕だけを見てよ」
ポケッとして蓮の話を聞いていなかった。後ろを向いたまま聞き返す。
「ごめん、蓮。何て?」
「……」
前に向き直り、横にいる蓮に顔を向けた。
「蓮?」
暗くて良く分からないが、蓮の顔が曇っているように見える。
「蓮、大丈夫?」
首を傾げて顔を覗き込めば、蓮はハッと我に返ったように笑って言った。
「あ、何? ごめん」
「何って、蓮が何か言ってたじゃん」
「そうだっけ? ははは、忘れちゃったな」
「何だよ、それ」
いつもの蓮だ。いつもの……何かを我慢した時のような蓮。
こういう些細な感情の変化は見抜けるのに、蓮の気持ちは良く分からない。
蓮は一体何を我慢しているのだろうか。やはり、本命の代わりに、俺を選んだことを後悔しているのだろうか。
「へっくしゅッ」
「ほら、晴翔。せっかくマフラー貸したのに」
「ごめん……」
十月末の北海道の夜を甘くみていた俺は、全くもって防寒対策をしていなかった。
それを予測していた蓮が、ここに来る前にマフラーを貸してくれたのだが、ついうっかり、俺はマフラーをバスの中に置いてきてしまったのだ。反省の二文字しかない。
「へっくしゅッ」
「修学旅行で風邪引いたら洒落になんないよ」
蓮は、着ているコートを脱ぎ始めた。
「いや、今のは誰かが噂してただけだって。俺は平気だから」
「僕が平気じゃないよ。てか、僕の知らないところで、晴翔の噂されてる方が嫌なんだけど」
「何でだよ」
「何でも」
そう言って、拒む俺の肩にコートをかけてきた。
「夜は寒くなるんだから、制服だけじゃ風邪引くよ」
「これじゃ、蓮が風邪引くじゃん」
「僕は大丈夫。それより、どう? あったかい?」
「……あったかい」
蓮の温もりが伝わり、まるで蓮に包まれているような気分にさせられる。
「って、俺は良いんだよ。俺は蓮が……」
「良いから良いから」
肩をポンポンと叩かれ、子供のように宥められる。
ややムスッとしていると、担任の先生がやってきた。
「すまん。葉山。今日のホテルの部屋、変わってくれないか?」
「どうしたんですか?」
「相部屋の佐竹が、熱出したんだ」
ホテルの部屋は、昨日とは違い、三人一組。くじ引きで決まったので、俺はさして仲の良くないクラスメイト二人と一緒だ。蓮は……誰とでも仲が良いので、どの組み合わせでも問題ないと思う。
蓮は、心配そうに……けれど、どこか期待がこもったような表情で聞いた。
「僕は良いですけど、佐竹君大丈夫ですか?」
「ああ。今は、ひと足先にホテルで寝てる。佐竹だけ別の部屋に……って思ったんだが、あいにく部屋がなくてな。他の部屋に、一人ずつ簡易でベッドを置くことになった」
「そうなんですね。じゃあ、僕は晴翔の部屋で」
だろうな……とは、思った。
俺はウェルカムだ。
蓮と一緒の部屋になれると思うと、ニヤついてしまう。けれど、佐竹君に申し訳ない。俺は顔の筋肉を引き締め、ぐっと無表情を貫いた。
ちなみに、昨日は二人で盛り上がっていたこともあり、隣同士誰にもバレないように手を繋いで眠った。今日はベッドなので、それは無理だろう。
しかし、俺は同じ空間にいられるだけで幸せなのだ。
勝手に同室になるものだとばかり思って、気分だけが先走っていたら、先生が資料を見ながら渋っている。
「あー、佐倉の部屋は……」
「先生、何か問題でも?」
「いや、そこは元々部屋が少し狭くて、簡易のベッドが置けないんだ」
なんだ。残念。
「それなら仕方な……」
「ベッドなくても大丈夫です!」
蓮が珍しく食い下がらない。
俺もだが、先生も驚きだ。
「いや、ベッド無しって訳にはいかんだろ」
「晴翔と寝るんで、大丈夫です」
「それは流石に……シングルだし、皆同じ修学旅行費払ってるしな。二人だけ窮屈な思いはさせられん」
「窮屈なくらいが丁度良いです! 寒いんで!」
「いや、寒いかもしれんが……」
蓮に圧倒される先生。
このまま許可が下りそうな気もするが、俺と蓮の関係は、生徒の中では有名になっている。そんな二人が同じベッドで寝れば、翌日は妄想の対象になりかねない。
それに、ここまで引き下がらないのも蓮らしくない。もしかしたら、俺の部屋にこだわる理由があるのかもしれない。ここは、譲らないと、俺が嫌われる。
「蓮。そんなに俺の部屋が良いなら、俺が違う部屋で簡易のベッド使うから」
「え、晴翔。そうじゃなくて」
「先生、それでも良いですか? 蓮は、普通のベッドじゃないと眠れないみたいなんで」
「そうなのか。佐倉が良いなら、そうしてくれると助かる」
「ちょ、晴翔」
蓮は何かまだ物申したそうだが、先生は話を進めた。
「佐倉は、山田と仲良かったよな? そこでも良いか?」
「はい。俺は、どこでも……」
これで話がまとまるはずだったのに、蓮は焦ったように言った。
「いや、山田はダメです! 三崎ならまだしも、山田はダメです!」
「ちょ、蓮。落ち着いて。先生、俺はどこでも良いんで、采配宜しくお願いします」
俺は蓮の腕を思い切り引っ張り、呆気に取られる先生から遠ざけた——。
「もう。蓮ってば、どうしたんだよ」
「晴翔、僕は晴翔と一緒が良かったのに……」
「仕方ないだろ。ベッドが置けないんだから」
「そうだけど……」
「ほら、百万ドル見ないと勿体無いから」
俺は蓮にコートをかけ直し、夜景に目をやった。蓮も俺に倣って夜景を眺めた。
再び落ち着いた雰囲気になり安堵していると、蓮が静かに名前を呼んだ。
「晴翔」
「ん?」
「山田にだけは、気を付けて」
蓮は、山田に警戒心を抱かずにはいられないようだ。
——そして、修学旅行は、もう少し続く。
函館山と言えば、百万ドルの夜景。夕食も食べ終え、夜の世界にテンションが上がる。
同時に、百万ドルの夜景を見た後は、昨日とは違うホテルで一泊。明日は空港でお土産を買って帰るだけ。終わりが近付くにつれ、何だか線香花火をしている時のような気分になる——。
「わぁ、綺麗!」
「晴れて良かったよね」
「こういうのって、恋人と見に来たいよね」
「分かるー」
女子らが騒ぐ隣で、俺は蓮と並んで静かに夜景を眺めている。
「俺、今一番幸せかも」
「僕も」
「あのさ、蓮はいつから好きだったんだ? お、俺のこと」
「それ聞いちゃう? えっとね……内緒」
「何だよ、それ」
昨日、告白された時、蓮は前から俺の事を好きだったみたいな口振りだった。しかし、俺の予想は、付き合うフリをし始めてからだと踏んでいる。過剰にスキンシップをしてしまったから……だから、俺を意識してくれたのだと。
それに、健全な男子高校生なら、性欲も強くなってくる頃だ。蓮もそれは同様で、修学旅行中だから出来ないものの、キスの続きをしたがっている。俺は、そういう対象に選ばれた。
俺からしたら、今の状況は、いわゆる『棚ぼた』というやつだろう。
俺としては万々歳だが、もしも蓮の本命の相手が振り向いてしまったら……俺は用済み? いつぞやの五十嵐ではないが、満足させてあげられなかったら、俺は捨てられるのだろうか。
「晴翔はさ、本当に僕で良いの?」
「何でそんなこと……」
蓮の質問に応えようとしていたら、後ろの方から複数人の関西弁で喋る声が聞こえてきた。
「うわぁ、ここが百万ドルかぁ」
「ネットで見るより百倍キレイやん」
「それより見てやコレ。昨日のオッちゃんから値切ったやつ。可愛いやろ」
「ホンマや」
「お前ら、百万ドルは、もうええんか? 飽きんの早過ぎやろ」
チラリと顔だけ振り返れば、そこに海斗の姿は無かったが、ついつい目で探してしまう。
「晴翔」
「ん?」
「僕だけを見てよ」
ポケッとして蓮の話を聞いていなかった。後ろを向いたまま聞き返す。
「ごめん、蓮。何て?」
「……」
前に向き直り、横にいる蓮に顔を向けた。
「蓮?」
暗くて良く分からないが、蓮の顔が曇っているように見える。
「蓮、大丈夫?」
首を傾げて顔を覗き込めば、蓮はハッと我に返ったように笑って言った。
「あ、何? ごめん」
「何って、蓮が何か言ってたじゃん」
「そうだっけ? ははは、忘れちゃったな」
「何だよ、それ」
いつもの蓮だ。いつもの……何かを我慢した時のような蓮。
こういう些細な感情の変化は見抜けるのに、蓮の気持ちは良く分からない。
蓮は一体何を我慢しているのだろうか。やはり、本命の代わりに、俺を選んだことを後悔しているのだろうか。
「へっくしゅッ」
「ほら、晴翔。せっかくマフラー貸したのに」
「ごめん……」
十月末の北海道の夜を甘くみていた俺は、全くもって防寒対策をしていなかった。
それを予測していた蓮が、ここに来る前にマフラーを貸してくれたのだが、ついうっかり、俺はマフラーをバスの中に置いてきてしまったのだ。反省の二文字しかない。
「へっくしゅッ」
「修学旅行で風邪引いたら洒落になんないよ」
蓮は、着ているコートを脱ぎ始めた。
「いや、今のは誰かが噂してただけだって。俺は平気だから」
「僕が平気じゃないよ。てか、僕の知らないところで、晴翔の噂されてる方が嫌なんだけど」
「何でだよ」
「何でも」
そう言って、拒む俺の肩にコートをかけてきた。
「夜は寒くなるんだから、制服だけじゃ風邪引くよ」
「これじゃ、蓮が風邪引くじゃん」
「僕は大丈夫。それより、どう? あったかい?」
「……あったかい」
蓮の温もりが伝わり、まるで蓮に包まれているような気分にさせられる。
「って、俺は良いんだよ。俺は蓮が……」
「良いから良いから」
肩をポンポンと叩かれ、子供のように宥められる。
ややムスッとしていると、担任の先生がやってきた。
「すまん。葉山。今日のホテルの部屋、変わってくれないか?」
「どうしたんですか?」
「相部屋の佐竹が、熱出したんだ」
ホテルの部屋は、昨日とは違い、三人一組。くじ引きで決まったので、俺はさして仲の良くないクラスメイト二人と一緒だ。蓮は……誰とでも仲が良いので、どの組み合わせでも問題ないと思う。
蓮は、心配そうに……けれど、どこか期待がこもったような表情で聞いた。
「僕は良いですけど、佐竹君大丈夫ですか?」
「ああ。今は、ひと足先にホテルで寝てる。佐竹だけ別の部屋に……って思ったんだが、あいにく部屋がなくてな。他の部屋に、一人ずつ簡易でベッドを置くことになった」
「そうなんですね。じゃあ、僕は晴翔の部屋で」
だろうな……とは、思った。
俺はウェルカムだ。
蓮と一緒の部屋になれると思うと、ニヤついてしまう。けれど、佐竹君に申し訳ない。俺は顔の筋肉を引き締め、ぐっと無表情を貫いた。
ちなみに、昨日は二人で盛り上がっていたこともあり、隣同士誰にもバレないように手を繋いで眠った。今日はベッドなので、それは無理だろう。
しかし、俺は同じ空間にいられるだけで幸せなのだ。
勝手に同室になるものだとばかり思って、気分だけが先走っていたら、先生が資料を見ながら渋っている。
「あー、佐倉の部屋は……」
「先生、何か問題でも?」
「いや、そこは元々部屋が少し狭くて、簡易のベッドが置けないんだ」
なんだ。残念。
「それなら仕方な……」
「ベッドなくても大丈夫です!」
蓮が珍しく食い下がらない。
俺もだが、先生も驚きだ。
「いや、ベッド無しって訳にはいかんだろ」
「晴翔と寝るんで、大丈夫です」
「それは流石に……シングルだし、皆同じ修学旅行費払ってるしな。二人だけ窮屈な思いはさせられん」
「窮屈なくらいが丁度良いです! 寒いんで!」
「いや、寒いかもしれんが……」
蓮に圧倒される先生。
このまま許可が下りそうな気もするが、俺と蓮の関係は、生徒の中では有名になっている。そんな二人が同じベッドで寝れば、翌日は妄想の対象になりかねない。
それに、ここまで引き下がらないのも蓮らしくない。もしかしたら、俺の部屋にこだわる理由があるのかもしれない。ここは、譲らないと、俺が嫌われる。
「蓮。そんなに俺の部屋が良いなら、俺が違う部屋で簡易のベッド使うから」
「え、晴翔。そうじゃなくて」
「先生、それでも良いですか? 蓮は、普通のベッドじゃないと眠れないみたいなんで」
「そうなのか。佐倉が良いなら、そうしてくれると助かる」
「ちょ、晴翔」
蓮は何かまだ物申したそうだが、先生は話を進めた。
「佐倉は、山田と仲良かったよな? そこでも良いか?」
「はい。俺は、どこでも……」
これで話がまとまるはずだったのに、蓮は焦ったように言った。
「いや、山田はダメです! 三崎ならまだしも、山田はダメです!」
「ちょ、蓮。落ち着いて。先生、俺はどこでも良いんで、采配宜しくお願いします」
俺は蓮の腕を思い切り引っ張り、呆気に取られる先生から遠ざけた——。
「もう。蓮ってば、どうしたんだよ」
「晴翔、僕は晴翔と一緒が良かったのに……」
「仕方ないだろ。ベッドが置けないんだから」
「そうだけど……」
「ほら、百万ドル見ないと勿体無いから」
俺は蓮にコートをかけ直し、夜景に目をやった。蓮も俺に倣って夜景を眺めた。
再び落ち着いた雰囲気になり安堵していると、蓮が静かに名前を呼んだ。
「晴翔」
「ん?」
「山田にだけは、気を付けて」
蓮は、山田に警戒心を抱かずにはいられないようだ。
——そして、修学旅行は、もう少し続く。



