二人目の逢生に会ったこと。
これは陽歩にとって2回目の転回点だった。
生き急いでいるような大学生活の日々の中で、立ち止まることができる。
呼吸が深まり、逢生と言葉を交わすことで豊かな泉を見つけたような安らぎが身体の中に注ぎ込まれてきた春。
逢生が「住まいはヒトの“なわばり”って言うよ」と言ったとき、陽歩は驚愕しつつ過去に一瞬で引き戻されてしまった。
幼い自分が希求していた憧れ。
「自分だけの家。敵から身を守って休息する場所。そこで大切な人とご飯を食べる。それが大切。僕もそう思ってる」
逢生が続けて言った時、陽歩は魂が揺さぶれられるような激情を77㌢先に座る相手に感じた。
そのあとその感情を抑えることに必死になった。あのテーブルを作るときにボランティアとして手伝った。だから相手との距離だってすぐに分かる。
この77㌢でさえ遠いと思ってしまう自分がすでに怖かった。この時もすごく触れたいと思った。
保育園児だった自分が七夕の短冊に書いた言葉が 『おうちがほしい』だった。
そう言いかけて今回は言葉を飲んだ。
今は自分の過去を語るより先に逢生のことをもっと知りたいと思ったから。
そんな逢生に出会ってしまった陽歩にとって、この四月は時を遡って昔のことを久しぶりに反芻する春になった。
前を向いていこうと必死で生きてきたから、あまり後ろを振り返らずに来た。過去のことを思い出して怒りや悲しみを感じて消耗するより、未来に向けて進んでいる感覚に浸されているほうが精神衛生上も好ましいに決まっている。
会いたいと思う家族もいないし、親族のことも知らない。保育園のときの優しかった先生とか仲良かった近所の友だちのことをときどき思い出したりするくらい。
そういう追憶の中で、思い出すのは中学2年生の時のこと。14歳になってすぐの連休明けの教室。
その日を境に、その教室に戻ることがなかったから。
一人目の逢生の顔は正直よく覚えていない。
孤独と葛藤を抱えて上っ面だけ平和なふりをして生きていた陽歩が、中学生活の中で一度だけ声を交わしただけ。
誰とも話さないクラスメイトが声を掛けてきた。その時に相手を認識した。
陽歩も一言だけ返事をして、相手をしっかり見たのは一日だけ。その時に相手が手渡してきた言葉が、すぐにじわじわと魂を温めて陽歩の深層を暴れさせた。
名簿を見て相手が“ 水野逢生 ”という名前だということだけ頭に入れて、休み時間に職員室で担任に話をした。
隠していた身体の怪我を大人に見せたのは初めてことだった。
抑圧してきた辛さに向き合って、平気なフリをしないことに決めた。
それだけ。
それだけのことで陽歩は自分をがんじがらめにしていた地獄の番犬みたいな野郎からの鎖を断ち切れた。
大げさにいえば陽歩の革命。
陽歩は職員室に行ったその夜に一時保護所に保護され、その限られた陸の孤島のような空間で2カ月近く家族と離れて過ごした。
保護されていた間、逢生という名前の同級生の顔をよく思い出した。
一時保護所、いわゆるイチホでは学校に通えず外出もできなかったから自由な時間はたっぷりあった。
自分が窓側に座っていて、水野は右隣。
初めて聴く声に驚いて相手の顔を見つめた時、(あ、オリオン)と心で呟いたのを覚えている。
白い頬にオリオン座のベルトのような三つのほくろが見えたのが印象的だった。
同じ中学生なのに落ち着いた佇まいがかっこいい奴だったなとイチホで反芻しているうちに、泥沼の家庭環境から救い出してもらう経緯になる言葉をもらったという恩と相手への好意が絡まりだした。
恩人だから好きなのか、好きだから恩人に思えるのかどっちなんだろうと哲学的で根源的な問いを自分にぶつけていた。
思春期そのもの。俺のアオハル。
イチホに居る間に、担任が2回面会に来てくれた。
2回目に担任に手紙を託した。水野逢生というクラスメイトへの手紙。
家庭に戻されることはないと児童福祉司に言ってもらえた日だった。児童養護施設に入所になることが決まって中学も転校になると分かったから一言だけでも御礼を言いたくて。
書く言葉に少し迷った挙句、結局14歳のその夏に心を癒してもらった音楽の歌詞を書くことにした。
イチホの自由時間に職員から貸し出してもらったCDアルバムの中にあった洋楽。その曲の歌詞が気に入って2カ月の間に何度も繰り返し聴いていたから。
歌詞に励まされながら聴き続けているときに気付いたのは“ I say love ”というフレーズのところに逢生という名前が重なるということ。
恥ずかしさに煩悶しながらも「好きだという気持ちが少しでも届いたらいいのに」と思って14歳の青い勢いで鉛筆で書いた。
一番下に自分の名前を書き込んでいたけれど、担任に手渡す直前に思い直して咄嗟に名前の部分だけを破り取ってしまった。
担任にも手紙の差出人の名前を伏せたいから先生から手渡すこともせずに相手の家のポストにこっそり投函してもらうように頼んだ。
当時のイチホには規則があって、家族でも友だちでも誰かに手紙を書くときは職員に見せないといけなかった。だからきっと、あのとき自分で破った不格好な一枚の便せんを見て多くの大人が首を傾げたかもしれない。
こんな手紙でいいのかって。
ただ、その後一度も会うことはなかったから数年経つうちに水野逢生の造形も脳裏から消えてしまった。
三ツ星の残像と逢生という名前だけが、いつまでも残っていた。
消えたのは右腕の火傷の痕。
この傷を治療するための手術の同意を親権者である継父が頑なに拒んだことで、陽歩はしばらく傷を抱えたまま生きていた。
火傷させた当本人である継父が親権を振りかざすことに呆れ、陽歩は一時保護後は継父との面会を拒否した。実母に会いたいとも思わなかった。
結局は児童相談所長が親権代行をしてくれたことで癒された陽歩は、自分の身を守るために法律を学びたいと強く思うようになった。
そんな思春期を経て、今がある。
見た目が法学部の学生っぽくないとからかわれながら意外と真面目に大学生活を送っている日々だった。
二人目の逢生を初めて見かけた時の第一印象は、平和なヤツだな、というもの。
初々しい若者がスーツを着ていたら新入生だと分かる入学式の朝。
陽歩が週に三日は6時に起きて自転車で行くアルバイト先でいつも通り2時間厨房に入った後、大学に向かうためにバスに乗った。
毎日乗るわけではないのでバスの定期は持っていない。電子交通カードの残高が足りなかったことを思い出し、大学前に着く前に札を硬貨に変えようと運転席の後ろまで歩いている時に逢生が目に飛び込んできた。
入学式の日だったからスーツ姿の学生は珍しくない。
珍しいのは入学式の当日なのに緊張感もなく窓辺に頭を預けて寝ている姿、だった。
たぶん安全な国、日本を象徴する一コマなんだろうな。
俺は昔、自分の家でも安心して寝ることができなかったよなぁ。
でも今は違う。
あんなふうに脱力して眠ることができてる。
それはとても、幸福なことなんだ。
大学2年生の陽歩には取り組みたいことや学びたいことが多くて、普段は前ばかり向いて生きている。
やりたいことが自由にできる環境になってからはエネルギーを最大限に使って学業やソーシャルアクションに取り組んでいる。
かつての自分ができなかったことを取り戻すかのような勢いで毎日を過ごしていたから、二人目の逢生に会ったことで普段思い出さない過去を振り返るのが久しぶりだった。
そんな記憶のなかに手付かずに残していた自分のアオハルを思い出して。
懐かしがる気持ちと同時に、新しく生まれる湧きたつような想いを感じて。
言葉を交わすたびに笑って、心がふるえて。
それくらい自分に影響を与える相手に対しての気持ちには、もうとっくに気付いていた。
バスの中で会った時に互いに新しいことも一つ一つ教えあっていた。
逢生から専攻を尋ねられて陽歩は法学部法学科に在籍していることを伝えた。
その時は逢生の誕生日が7月6日だと教えてもらって、逢生が二十歳を迎える日も夕食まで一緒に過ごす約束をした。
次に会った時は互いの好きな時間の過ごし方について。
逢生は図書館に行くこと、歩くこと、空の見える部屋で本を読むこと。
陽歩は自転車に乗ること、アコースティックギターを弾くこと、旅。
こうやってゆっくり互いを知っていけばいいと最初は思っていた。
でも、これだけじゃ足りないとすぐに気付いた。
足りないから、もっと会いたい。
この気持ちは今までの陽歩の生き方を揺さぶるものでもあった。
なぜなら今まで大切にしてきたことと違うことを、逢生に対してだけは望むようになっているから。
相手との境界線を守ること。
必要以上に相手の中に踏み込むことはしない。その気にならないうちは誰だって自分に踏み込ませない。
陽歩はかつて日常会話に戸惑う自分を持て余していたから、大切にすることの優先順位を決めたらこうなった。
たぶん戸惑っていることに周りは気付いてなかったと思う。
それくらいの何気ない会話だから。
昔みたいにうわべだけ取り繕うのを止めて真実を伝えようとすると、さり気なく尋ねられることにすぐに答えられない自分に気付いた。
安心して生活できる施設での生活から中学、高校へ通うことで自分自身もかなり強くなったし生きやすくなったと思う。
それでも大学生になってからも相手からのささやかな質問が自分を痛めつけるように感じることがあった。
―自宅から通ってる?それとも下宿?
―兄弟いるの?
―出身地はどこ?
たぶん普通の人たちはこんなささやかなコミュニケーションをきっかけにして親交を深めていくんだろう。
「自立援助ホームで暮らしてる。一人部屋ないから一人になりたいときはリビングのテントにもぐり込んでる」とか「弟と妹がいるけど顔知らないな」と冗談めかして陽気に言える性格だったら、きっと苦労はしなかったんだろう。
交際した相手からの問いにもすぐ答えることができなかった。
陽歩自身のことをすぐに知りたいと思う相手だと結局うまくいかなくなる。こちらが大切だと思っている境界線が相手にはバリアのように感じるのだろう。
そんなことを二回ほど繰り返して、付き合うという行為を避けるようになった。
自分が傷付きたくないというよりは相手を傷付けたくなかった。
ずっと線を引きたいわけではない。
ゆっくりとその狭間を溶かしていきたかっただけだった。
それなのに今は逢生に対して境界線を越えて踏み込もうとする自分がいる。
相手の気持ちを確認する前に「キスしたくなる」だなんて言葉を手渡してしまっている。
そもそもこんな一方的で軟派な言葉をかけるような自分ではなかったのに。
でも逢生だったら。
どんな自分でも受け止めてくれるという感じがしてしまって。
「なぁ三宅。今日の刑法の小テストの答え、ちょっと教えて?」
午前中の講義が終わった直後、同じ法学科2回生の緒方に声を掛けられた。
大学の合気道部に所属する緒方は体育会系の実直な男で、陽歩はこの男の裏表の無さにとても救われていた。
緒方から自分の自己紹介をしてきた初日も特に陽歩には何も尋ねてくることもなかった。
語り出すのを待ってくれたこともあって陽歩はだいたいのことは今では伝えられている。
昼ご飯を学食で取ることにした。
緒形が丼物をスタッフにオーダーしている横で、陽歩は牛蒡サラダの小鉢、チキンカツ、豚汁とご飯、大学芋、出汁巻き卵をトレイに乗せていく。
これだけで千円出してもお釣りがきた。
「暴力事案に見られる主な刑法犯の分類さ、分かった?」
「うん。だいたい」
「“肩を突き飛ばされた”ってのが傷害に当たる?」
「それは暴行。“腕を強く引っ張られた”とかの事例があっただろう。あれと同じ」
緒形のトレイに丼が一つ乗っているのとは対照的に陽歩のトレイには細々とたくさんの皿が溢れている。
「俺、傷害と暴行の違いがよく分かんない」
丼をいったんトレイに置いて、緒形が溜息をついた。
周りには別の学部の学生もいるから、話題が物騒すぎて笑いそうになる。陽歩は左手にお椀を持ったまま、小さな声で答えた。
「ほら“棒で殴られて骨折した”とか“蹴られて打撲傷を負った”とかが傷害だよ。怪我してる」
「あ、そうか」
話題は暴力的なのに、学食のメニューはいたって平和そのものだ。
「あと!ベランダに潜んでたっていうストーカーの事例さ、“住居侵入”ってのは分かるんだよ。玄関ドアの鍵穴に接着剤を流し込んで使えなくするってヤバイ行為が何になるのか書けなかった…」
「“器物損壊”だよ」
「あ〜それか。これヤバいやつじゃんと思っているうちに時間切れになったわ」
緒形の言葉に大学芋の甘さを堪能していた陽歩は笑った。
頭を使わないで過ごすことができる気の置けない同期とのランチはかなり気分転換になる。
「でさ…」
珍しく言い淀んだ緒形がテーブル越しに距離を縮めて来てさらに小声になって続けた。
「ヤバいやつ連想でちょっと相談なんだけど」
「うん」
「ほらストーカー事案の中に彼女の画像云々の話あったよね。別に個人で楽しむ分には同意取らなくても寝てる姿を写真に撮っていいと思う?」
「それ、緒形の彼女の話?彼女は服着てる?」
「そのぎりぎり具合を知りたい…」
「ダメだろ」
「三宅〜」
真面目な男が真剣に悩んでいるのが可笑しかった。
「バイザーの秋津弁護士に聴いたら?」
「俺、今回の成績では無理かな。三宅…秋津先生に聴いてくれない?」
「珍しいな。そんな俗っぽいこと緒方が頼んでくるなんて。どれだけマジなんだよ」
陽歩がからかうように向かいにいる緒方の肩を小突くと「マジなんだよ」と気弱に笑った。
「俺も寝顔を写真に撮ってみたいコがいるからなぁ。人肌脱ぐかな」
陽歩が箸をいったんトレイに置き、座ったまま伸びをすると緒方が目を見開いた。
「え!三宅好きな子できた?よかったな。応援する。あ、今俺が応援されてるのか」
緒方が誠実な声で質問してきたあと、途中から独り言に切り替えたのが可笑しかった。
「でも秋津先生にはこのぎりぎり具合の答えを聴かないよ。他の応援の仕方を探す。俺は寝顔の写真撮る前には相手に同意取るからさ」
「三宅~。裏切者!」
緒方が泣きそうな声で言った後、笑顔になった。
一年以上恋愛から遠ざかっている陽歩の新しい姿を親友として喜んでくれているのが分かって、その心の優しさに明るい気持ちになることができた。
寝顔を写真に撮って自分だけが慈しみたい。そして、写真に撮らなくてもいいくらい一緒にいたい。
そんな自分の深層にあらためて触れた昼下がりだった。



