「佐倉」
「はい」
「佐倉〜」
「何?」
「佐倉ぁ〜」
「何なんだよ」
太陽の光を遮るもののない運動場で、気前よく初夏の陽に焼かれながら生徒たちがグラウンドの周りに団ごとに椅子を並べて座っている。
体育祭当日の快晴は三年ぶりだと聞いた。
去年は小雨が降っていたし、朔太郎が入学する前年も曇り空だったらしい。
真っ青な空の下でアオハルを感じながら、学ラン姿の応援団の一員である朔太郎は前列で大きく伸びをした。
朔太郎の右には1年生の応援団員10人の男女が朔太郎と同じく学ランに紫色の襷と鉢巻を身につけ、団対抗の綱引きが行われているグラウンドに視線を注いでいる。
「佐倉ってさ、双子なの?」
朔太郎が1年生の端にいる佐倉に問う。他の1年生の応援団員は数少ないメンバーということで結束力を発揮して仲良さそうに会話して盛り上がっているが、佐倉はそこに入っていかないので自ずと周縁にいることが多い。朔太郎は遠慮なく佐倉の左横に陣取っていた。
「違う」
「え?違うの?さっきの団別リレー見てさ、てっきりそうだと思ってた」
朔太郎は自分の隠している本名を知っているらしいサクラという1年生のことを結陽から聞いてずっと気にしていたが、体育祭の目玉の一つである団別リレーでそのサクラが判明したのだった。
それは1年生ばかりが走る2走者目になった佐倉が、最後尾から追い上げていくのを紫団員が興奮しながら大声でエールを送っていた時。
「佐倉〜ッ!」
「さくら〜!」
と、こちらの声援とは違う声が重なって、朔太郎は驚いて視線を佐倉から外した。離れた白団の応援席に目を向けるとそちらもおおいに盛り上がっている。不思議に思いながら先頭に走り出た佐倉に目を向けた瞬間、白い鉢巻を巻いた白団の1年生も佐倉の真後ろに飛び出してきた。
二人は3番目の走者に差をつけながら、横並びになってトップスピードだと思われる全速力で駆ける。怒号のようなエールが響く。佐倉という名前だけがこだまのように響くグラウンドで、朔太郎は佐倉の真横で走るもう一人のサクラも見る。
佐倉より少し背が高いサクラがコーナーを曲がった時、真横の佐倉に顔を向けて、1秒笑った。
その時に思った。
こいつら双子なんだ。
もう一人は左倉とか佐蔵という別の漢字のサクラかもしれないと思っていたけど、同じ佐倉か。
大歓声の中、白団の佐倉が先にバトンを繋いだ。
朔太郎が話しかけても佐倉は返事をしないこともあるので沈黙は気にならない。
「この双子脚速すぎってマジ感激したんだけど違ったのか」
朔太郎は予想が外れたのが意外だった。W佐倉の間に他人同士にはない何かを垣間見た気がしたのに。俺の第六感鈍くなった?
「俺、もう一人のサクラに弱み握られてるっぽい。どんなやつか知ってる?」
「弱み?」
佐倉が今日初めて身体の向きを変えて朔太郎の目を見た。
「ん〜、なんか俺の本名知ってるみたいだから」
佐倉が怪訝な顔をする。
「偽名使ってんの?」
「偽名ではないが本名でもない。俺には消したい過去がある」
「あんた何から逃げてんだよ」
佐倉が額に巻いた鉢巻を風に靡かせて呆れたような表情をしてグラウンドに目を向けた。綱引きが紫団と黃団の番になったのでにわかに紫団応援席が熱くなった。
「佐倉、ワンゲル部って普段どんなことしてんの?」
「話、急に飛びすぎ」
「前から聴きたかったんだよ、教えて?」
朔太郎はいつもだったらここで前を向いて大声援を送るところだが、今は仲間にそれを託した。
聴きたいこと、伝えたいことを先延ばしにしない。これは旭陽から学んだことのひとつだった。
「皆でジム行ってボルダリングの練習したり、軽く週末に近隣の山をトレイルしたり。学校ではランや縄跳びして基礎体力つけたり」
佐倉が今までで一番長いフレーズで返事をした。
「ふぅん、クライミングホールド掴んで登る活動もしてんのか」
指先の力が強いことは知っている。相手からつけられた左脇腹の爪跡はなかなか消えてはくれない。朔太郎の色白の肌に、朱く浮かぶ傷跡。
本人に言うつもりは全くないけど。
「でさ、このあと人前で踊るの緊張しない?」
「あんた話に脈絡なさすぎ」
紫団が黃団に1回戦で負け、どよめきが重低音で周囲に広がったが朔太郎は気にせず佐倉の左耳に囁き続ける。
「体に力が入りすぎたときに意識して自分を緩める波の呼吸法を知ってるんだけどさ。佐倉やってみる?」
「・・・それ何の話?」
「一般的で全人類的な話」
「興味ない」
朔太郎はあの日に佐倉が悪夢を見ていたのをすぐ隣で肌で感じていた際、この苦しい時間を佐倉が何度もくぐり抜けて凌いできたんだと分かった。
朔太郎が自分では気付かない中でも周りから評価されていた、天性の共感力が教えてくれたのかもしれない。
普段は悪夢を見た時にしがみついて爪跡を残すのも佐倉自身の体なのか…と考えると切なくて、なんだか可哀想で。俺がいくらでも替わりになるけどそうもいかないから、じゃあどうしたらいいんだろうと朔太郎は珍しく煩悶していた。
綱引きの2回戦に紫団が勝利したので応援席で紫団員の多くが歓声を上げながら一斉に立ち上がった。
佐倉が遅れて立ち上がったのを、座ったまま両手で椅子の前縁を掴みながら朔太郎は見上げて言う。
「あのさ」
佐倉はもう朔太郎の方を見なかった。それでも朔太郎は言葉を続ける。
「ライラックの花、俺にくれない?」
ほんとは俺が渡したいけど、演出的にもらう側のチームにいるからねだるしかないじゃん。
そう思いなから朔太郎的にはここ数年で一番勇気を出して紡いだ言葉を手渡した時、佐倉が驚いた顔をして、ゆっくりと、朔太郎を見た。
その顔を見て朔太郎は確信する。
俺はこいつの笑顔も闇も全部、欲しい。
❍ ❍ ❍
体育祭で最高潮に盛り上がる各団の応援合戦が繰り広げられる昼下がり。
今年は紫団が五団目だったので、四番目に白団が応援合戦をしている間に紫団の控室になっている1年8組の教室で朔太郎たちは着替えた。
隣の7組ではチアダンスをする女子が紫色のチアの衣装に着替えている中で、数少ない女子団員もそれぞれの衣装に着替えているはずだ。
朔太郎は不良グループを演じるチームだったので額に巻いた鉢巻を外し、学ランを脱いで洗い晒しの薄い紫色のシャツを着た。そして妹に借りたデニムを素早くはく。
不良グループ仲間で衣装あわせをした時、いくつかの候補ジーンズを朔太郎が身に付けて皆に見せた際にこのバミューダデニムが一番いいとチームリーダーの3年生仲川麻美に力説された。この膝丈のぶかっとしたデニムが朔太郎を中性的に見せて魅力的だと言う。綾大が現在「いちばん可愛い」と何度も繰り返して首ったけになっている先輩から魅力的と言われて嬉しくないわけではないが心は湧きたたずにいた時、思案する案件もあった。
中性的に見える男ってのは全然いいんだけど。
こういう俺。普通の女子が好きな男にとって恋愛対象になったりすんの?
万が一とか偶発的にとか奇跡的にとか顔の造作の好み次第でとか。
で。
あいつはどうなの?
こんなことを今までになく考え出すようになったから、今年の体育祭は去年よりもエネルギーを消耗した。
着替えを終えて膝丈デニムを身に着けた朔太郎は改めて自分の身体を上から眺めてみる。
なんでダンスしまくってるのに筋肉つかないんだ…。細すぎだろ。
朔太郎の華奢な脚が晒されるのはいいとして、毎朝毎晩仔猫のモカがじゃれて噛み付いたことで傷だらけになった脛とくるぶしを間近で見られて驚かれるのは避けたいところだった。青タンが消える頃にまた噛み付かれて新しい傷が出来ることを繰り返している日々だから朔太郎自身は平気でいるが、仔猫を飼ったことがない人が見ればかなり驚く代物らしい。
合宿の時にペアで踊る優等生グループの綾大から「誰からDV受けてんの?」と真顔で心配されたくらいだ。
(まぁ不良グループだから傷だらけの方がリアリティあっていいか…)
そう思いながら朔太郎が綾大と着替えている後ろで、佐倉たち1年男子五人が固まって着替えていた。
初めての応援合戦で緊張しているのか教室の隅で五人とも無言だ。三人が不良グループTシャツ、佐倉ともう一人の1年生がカッターシャツに紫ネクタイ。
普段制服が学ランだからネクタイを締め慣れていない様子の佐倉が、タイを結ぶのに苦戦していつも以上の仏頂面になっている。
それがなんだか見ていて微笑ましくて。
自分よりデカい相手を可愛いと思ってしまう、これって何なんだろう。
いやいや。
集中しなきゃ。もう次、本番。
この応援合戦のために二ヶ月切らずにいた長めの黒髪をわしわし乱雑に掻き乱して、朔太郎は明るい声で気合いを入れる。
「紫団、行くか!」
今年の紫団の応援合戦は始まりから他の団と違いが際立っていた。
だいたい毎年どの応援合戦もダンスや曲が違っても見せ方はパターンが決まっている。
去年朔太郎が指導した青団もそうだったが、まずはチアが女子力を全開にして団の色をアピールした美しい衣装でチアダンスを踊り、その後に団員が団色をアピールした衣装で格好良く動きを揃えて踊る。ぴったり重なった動きで観る者の心を掴むのが一番の見せ場だった。
今日の紫団はチアが先に踊らず、まずは団員が出てきたのでグラウンドがどよめいた。今までにない新しい演出だった。
しかも団員の衣装が右側と左側で全く違う上、両者が前を向かずに横を向き、互いに視線を絡ませて腕組みしている。
「何だ?」「何が起こるんだよ」とざわめく声が朔太郎の耳にも届いた。団員たちが並ぶ間から団長と副団長が出てきた途端、他の団から「お〜っ!」と歓声があがった。
団長の越後は優等生エリート集団のトップオブザトップを体現するいでたち。
イブ・サンローランのサングラスにディオールのシャツ。紫色の柔らかそうなスカーフを首に巻いている。
さらに他の団員と大きく違うのはベージュ色のコートを羽織ってばっちりキメているところ。
レナールのチェスターコートのポケットに両手を入れてクールな顔のまま前に出てきて立ち止まる。
越後がさらさらヘアを風になびかせながらモデルのようにポーズを決めると他団の女子たちから盛大に溜息が漏れた。
副団長の木原は不良グループお揃いのシンプルな紫色Tシャツにクラッシュジーンズ。
さらに刺繍入りのド派手なブルゾンを羽織って筋肉質の腕を組み、脚を広げて前に立った。
この姿を目にしたら、本物のヤンキーだって逃げ出すんじゃないか。
軽く音楽が流れ出すと団長と副団長がゆっくりと向き合う。
二人の睨み合うような仕草を合図にして不良グループだけが音楽のリズムに合わせて身体を揺らし始めた。
lizzoの『Good As Hell』のグルーヴに乗って、不良少年少女たちの顔が生き生きと輝き始める。小さな音から始まった曲がボリュームを最大限に切り替えたタイミングで団の左側にいたメンバーがしなやかに跳ねた。
腕組みしたままクールな顔をして立っている右側のメンバーとは対照的に、明るい表情でlizzoの陽気な歌声を楽しむように身体を揺らす。
朔太郎が皆にも踊りやすいようにシンプルなステップを基本にしながら腕の位置や身体の向きを個別に調整したダンスは演劇部女子の表情指導の成果と相まって躍動感に溢れ、グラウンドの皆の心を掴んだ。
朔太郎は停まったままの綾大の真横で最後のステップを決めて立ち止まる。副団長は団長の横。リーダーの仲川は佐倉の横。
ペア同士が挑発するように相手の目を見ながらダンスをする。これが今回紫団が新しくチャレンジしたブレイキン風の見せ場だった。
朔太郎は早くなった鼓動とこめかみに流れる汗が心地よくてゆっくり目を閉じた。
いつもは着ているシャツで汗を拭うが今日はそのまま晒して太陽の光を反射させている。朔太郎の流す涙と汗はかなりエモいと言われたことがあるのを息を整えながら思い出した。朔太郎命の中坊の戯言だが、汗は勝手に流れてくるんだから仕方がない。朔太郎は目を開けて綾大を見た。
次はこいつらの番だ。
曲が替わり、p!nkの歌声に合わせて今度は右側がリズムの波に緩やかに乗ってふわりと踊り始めた。
優等生グループのリーダーを任せただけあって綾大はダンスの飲み込みが早かった。ハンドボールで鍛えた瞬発力がダンスにも反映されるのかキレがある。そんな綾大が皆をリードしているから自ずと全体のレベルも上がる。
さらに三年生の演劇女子がエリートらしく見える顔付きと仕草をこちらのグループに叩き込んでいたので、ゆっくりとしたリズムで凜々しく踊る男女が蠱惑的だった。観客たちがまた溜息をつく。
朔太郎はダンスのステップは教えられても細やかな指先の動きなんて助言したことはなかったから、今回演劇指導を横で見ていてかなり学びになった。指を真っ直ぐに伸ばして心持ち顔を斜め上にあげ、上から目線風の涼やかな目元を作ってダンスするだけで急にハイソサエティな集団に変化するのを観てなんだか魔法を見せられているみたいだった。こういうのがほんと、面白い。
でもって仏頂面だと思っていた佐倉でも、集団の中で踊るとなぜかクールに見えるから不思議だ。
優等生グループのダンスが緩やかになり、それぞれがペアの不良グループのそばに来たタイミングで視線を交わらせ、今までストップモーションだった不良グループもカウントを取り始めて両者が一緒に踊りだす。
クラブステップ。
ジャックアップ。
ニュージャックスウィング。
短いラストはフォーメーションを前後左右に入れ替えながらダンスをして、今まで左右に分かれていたグループが融合していくような動きを表現した。
ウエストサイドストーリーで一番知られている脚を高く上げるステップ。
あの映画にリスペクトを込めて朔太郎はこの動きを最後に取り入れていたので、紫団員全員が揃ってラストにバッと片脚を高く上げた時はグラウンドから歓声が上がった。
朔太郎はその歓声を聴いてちょっと涙が出そうになってしまう。ダンスをしているときはいつも以上に感受性が豊かになる。
だからダンスは愛なんだって。飾りじゃないぞ、俺の涙。
そう自分で突っ込みながら、演劇部員が捩じ込んだ最後の締めくくりの演出を朔太郎は待った。
紫色のライラックの小さな花を優等生グループのメンバーが胸ポケットから出してペアの相手に差し出し、笑顔で友情を結ぶ。このシーンをぜひとも入れて紫団の今年のコンセプトである「対立からの愛」を体現したいと鬼の演劇部長にプレゼンされたのが合宿の時だった。
ライラックの花はちょうど今が季節で紫色が美しく爽やかだ。多くの団員が賛同して急に決まったこのシーンを、泊まり込んだ夜に何度も練習して綾大から5回ほどライラックを受け取っていた。
朔太郎が目の縁の涙を落とさないように深く呼吸をした時に朔太郎に影が落ちた。
あれ綾大こんなに背が高かったっけ?と一瞬疑問に思った途端、横に来たのが佐倉だと気付いて朔太郎は「え…」と声を出してしまった。
あ、綾大のやつ。
麻美先輩に花渡したくて佐倉に頼んでペア交替したな。
目まぐるしく頭を働かせながら、朔太郎は佐倉が差し出したライラックを驚いた顔のまま相手を見上げて受け取った。
おい、ここ優等生がにっこり笑うシーンだろ。おまえ笑ってないじゃん。
今度は佐倉に心の中で突っ込みを入れる。
そして目の縁にあった涙がこぼれなくて良かったと心底思った。
ライラックの花をくれないかと相手に言ったのは、叶えられないと分かっていても自分の気持ちを少しでも言葉にしたかったから。花に象徴されたものを自分から相手に差し出したいし貰いもしたいという欲張りで瑞々しい、俺の渇望。
まさか本当に手渡してもらえるとは思わなかった。
Mrs.GREEN APPLEの『ライラック』が流れ出す。
チアが威勢よく入ってきて応援団員がフェイドアウトする場面だったが、朔太郎だけがその場に立ったままでいた。
右手の中にあるライラックを見つめたままで。
❍ ❍ ❍
朔太郎たち紫団の団員が衣装を着替える時間帯に、朔太郎だけが控室の1年8組に行かずに不良少年風の姿をしたまま体育館横に向かっていた。
佐倉からもらったライラックがしおれないように、朔太郎は花に水をあげたかった。
辿り着いたコンクリートの水飲み場で急いで水道水を出し、ライラックに恵みの水滴を与えられたことで朔太郎はようやくほっとした。
やばい。やばいやばい。さっきの鼓動はなんだ。
でもって花一輪もらうだけで満たされちゃう俺の心。これがチョロいって言われるやつ?
ふっと一つだけ浅く呼気を口から出して全身の力を抜き、水飲み場のコンクリートにもたれて空を仰いでいたら声を掛けられた。
「君が噂のあの朔太郎?」
朔太郎がびっくりして声のした方に素早く顔を向けると、白団の鉢巻をした応援団員姿のもう一人のサクラが立っていた。
朝のリレーを見て数時間ほどは佐倉の双子だと思い込んでいた1年生。
近くで見ると顔立ちは違うけれど、やはりどこか似ている気がする。
満面の笑みを浮かべているサクラが、甘い表情を垣間見せた時の佐倉に少し重なるのは何故だろう。
「やっぱり朔太郎だ。ほっぺた触らせて?」
おい今なんつった。
おかしすぎるだろ。
間違いが三箇所くらいあるだろ。
朔太郎は最近ポシティブシンキングを意識して毒づく自分にさよならしていたはずなのに、今だけは黒くて棘々しい自分を呼び醒まして身体を熱くする。
サクラを睨みつけて朔太郎は吠えた。
「おまえ1年だろ馴れ馴れしいんだよ噂ってなんだよ触らせろって何なんだよなんで名前知ってんだよ!」
佐倉からもらったライラックを強く握りしめてしまったことに気付き、朔太郎は慌てて手元の花を胸元に引き寄せた。
「怒らせちゃってごめんね」
白団のサクラが笑顔で言う。
いや、その笑ってる顔が軽すぎるっつの。
「どこから話そう?でもまず君の誕生日が何月何日か聞かせてくれない?」
朔太郎はこの問いかけに唖然とした。
今まで散々変わってるヤツと言われたことのある自分だけど、こいつ俺の上をかっ飛んでない?
朔太郎は猜疑心が発動したのに、なぜか正直に答えてしまう。
「3月29日」
そう答えた途端に相手がさらに笑顔を深めたので朔太郎はびびった。
「やっぱり。なぜか勘で君の生まれが3月末だと思ったんだ。生まれたのが3日ぐらいしか変わらないのに敬語使うの不自然でしょ?」
惜しみなく爽やかな笑顔を繰り出して言いつのる相手に朔太郎は久しぶりに馴染みあるネガティブ思考が刺激されて「小さくて悪かったな」と言葉にしてしまい、そんな自分に動揺する。
波の呼吸を、今こそせねば。
「誕生日、俺の弟と同じだね」
サクラが優しい顔でそう言ったので、胸に手を当てて深呼吸をしていた朔太郎は動きを止めた。
「弟?」
「玲伊。さっき一緒に踊ってたでしょ」
佐倉双子説。
本人から否定されたのになんで同じ学年で兄弟?
佐倉が俺と同じ誕生日で、こいつが俺と生まれが近いってどういうこと?
「双子じゃないって佐倉から聞いた」
「うん。年子だけど違う学年にならなかっただけ。俺が4月生まれで弟が3月生まれ」
「え?そういうことあんの?」
朔太郎が心底驚いたタイミングで佐倉兄が朔太郎の両頬を触ってきた。
「ほんとだ柔らかい」
いや柔らかいじゃねえよ。佐倉は無愛想なのがスタンダードなのに、なんでこんなに軽いんだ。
朔太郎は自分の頬に触れる相手の左右の手を叩き落とし、相手から距離を取りながら湧き上がる疑問に翻弄された。
同じ環境にいて同じ両親に育てられて。
佐倉があの暁方に冷たい場所で身を硬くして凌いでいた闇を、兄であるこいつは抱えていないんだろうか。佐倉ももしかしたらもっと楽に笑えるようになるんだろうか。
何かできることが俺にあるだろうか。
何が?
「俺は琉伊。今付き合ってる2年生の彼女が以前好きだったんだって。君のことが」
足元の砂に名前の漢字を書いてルイと名乗った佐倉兄の言葉を聞いて、佐倉の名前がレイだったと染み込んできた。普段から名字で呼んでいると、相手の名前が意識しないうちに消えてしまいそうになる。そして同時に1年生の時に朔太郎の頬を触りまくってくる女子が同じクラスにいたことを思い出した。
性格も顔立ちも朔太郎の好みだったのに、彼女に触れられても何も心は揺れなかったことで自分の性指向に気付かされた。そんなことが、確かにあった。
だって旭陽に頭を撫でられただけで一ヶ月以上その時の喜びを反芻していたのとはあまりに対照的過ぎて。
あぁあのコか。いい子だよな。
俺のこと、好きでいてくれたんだ。
最初だけ晒した名前、覚えてくれてたんだな。
朔太郎は少しだけ切ない気持ちになって、10秒ほど目を閉じた。
「朔太郎って呼んでいい?」
その言葉を聞いて朔太郎は慌てて目を開いて応答する。
「ダメに決まってるだろ」
「え?駄目なの。瀧さんって呼ぶの他人行儀でしょ」
「他人じゃん」
「ひどい。仲良くなろうよ。俺とデートしない?」
朔太郎は面喰らう。
レイとルイのこの違いは何だろう?
「しない。俺がデートしたいのはレイって名前の佐倉だから」
朔太郎がきっぱりと言い切ると、琉伊が盛大に笑った。
「あいつとデートしたいんだ。正直で素直。すごいなぁさすが朔太郎」
そう言う琉伊が一欠片も悪意やからかいの気持ちを持ち合わせていないことが分かったので、朔太郎は姿勢を正して相手に向き合った。
「一つ佐倉のことで聴かせて欲しいことがあるんだ」
朔太郎がそう言うと、琉伊は笑っていた顔を真顔に切り替えてくれた。
「センシティブな話題になりそうだから。どこかで時間を作ってくれたら嬉しい」
聴きたいことを後回しにしない。
やることリストを叶えようとしている朔太郎は、以前に増して直球勝負のやりとりをするようになっていた。
好きになった相手には全力で行く。幼馴染の結陽に言った言葉がよみがえる。
魂の底の底で、朔太郎のギアが、ファーストからセカンドに切り替わった瞬間だった。



