「芽依ちゃんがさー、芽依ちゃんがねー、芽依ちゃんが……」
あるときから妹の話すときの主語が変わった。
なにをするにしても芽依ちゃんという友だちの話題を出す。
最近仲良くなったらしいけど、凪優がこんなにも一人の人に執着してるのははじめてだった。
だから、すごく気になった。
最初はただそれだけだったはずなのに。
凪優がよく言っている芽依ちゃんと呼ばれる子を探してようやく見つけた。
自慢じゃないけど、俺はモテるから。
だれの情報でもまわりの女子に聞けば大抵わかる人は数人いるし、見つけるのはそんなに困難じゃなかった。
「いつもうちの妹がどーも」
自販機の前に立って、飲み物を選んでいる彼女に声をかける。
そして、爽やかにオレンジジュースを差し出した。
凪優からオレンジジュースが好きだと調査済みだ。
きっと、学校一の人気者から直々にプレゼントされて感激で声も出ないところだろう。
「えっと、あの、だれですか?」
ダレデスカ。
だれですか。
聞こえた言葉に耳を疑った。
俺は、モテるし、この学校では目立ってて有名人だと思ってたから知らないやつがいるなんてびっくりだった。
さらに凪優の双子の兄なのに。
その存在すら知らないなんて。
もしかして妹とあんまり仲良くないのかもしれない。
そんな疑いまで出てきた。
「あ、俺は凪優の双子の兄で……」
頭にはてなを思い浮かべている目の前の彼女に自己紹介をしようと一歩近づく。
名前を言おうとすると、黄色い歓声が聞こえてくる。
「あ、なおだ! なおー!」
「やば、目が合った!」
「まじかっこい!」
いつものように声をかけてくれる女子たちが窓からこちらを見ているところだった。
サラッと手をふってから目の前の彼女に視線を戻す。
すると、なぜかため息をつかれた。
「あなたみたいな人苦手なので……」
失礼します、そう言って目の前から一瞬で消え去った。
そこからどうやって家に帰ったか覚えていない。
そんくらい衝撃な出来事だった。
「なぁ、凪優。
芽依ちゃんって子俺のこと苦手とか言うんだけど……」
ソファーに座っている妹に今日の話をしてみると、すごい興味ありそうにこっちを見た。
「え! 話したの?」
「話したけどさ。あの態度ありえなくね? まじかー」
結局一人で話して、勝手に頭を抱える。
俺でもこんな瞬間がくるなんて、びっくりだ。
「芽依ちゃん、イケメンにもなびかないなんて素敵」
妹はうっとりした顔でなにかを想像していた。
はじめてだった。
俺のことあんなふうに冷たくあしらう人。
苦手だって言う人。
顔だって中身だって完璧を目指していまの俺があるのに。
あれから何回か妹に用事があるふりして、教室に行って彼女の様子を見にいったり、すれ違ったときも目で追ってしまったりと。
まるで好きなんじゃないかって思うくらい彼女のことが頭から離れなくなった。
「なお、チョコ食べるー?」
「わたしはクッキーつくったの!」
「なおはいまわたしと話してんの!」
いつものようにまわりの女子がガヤガヤと騒ぐ。
話すのは好きだからいいんだけど、いっぺんに話されると少し、いや、かなりうるさい。
どうにかこのグループを抜け出せないか考えていたら廊下に芽依が通っていくのがみえた。
「芽依」
「……なおくん」
急いで廊下に駆け寄って声をかける。
だいぶ慣れて名前を呼んでくれるような関係にはなったけど、やっぱりぎこちない。
「用がないならもういくけど」
「あ、まって!」
歩き出そうとする彼女を慌てて止める。
いつも女子は自分から寄ってくるのに、むしろ芽依は離れていこうとする。
なんでだよ。俺、完璧じゃなかったのかよ。
彼女をみていると、自分に自信がなくなる。
「あのさ、なんで俺にだけ冷たいん?」
「んー、苦手だから」
「ド直球!」
はっきりとした言葉に雷が落ちたみたいな衝撃だった。
「ほら、女の子たちまってるよ。じゃあ」
早足で歩いていった。
仕方なくさっきの女子たちの群れに戻る。
くっそ。なんなんだよ。
芽依の前だけでは上手くいかない。
グサグサと刺さるような言葉を言われる。
あいつが、俺のこと好きになればいいのに。
俺の双子の妹、凪優はかわいくて優しくていつもニコニコしてるからそういう性格なんだと思ってた。
裏表がなくて、純粋な子。
俺のことは兄として慕ってくれてると思ってた。
それなのに。
「お兄ちゃんと双子じゃ、どこにいても比べられる。
そんなんもう耐えられないよ!」
彼女の氷のような冷たい視線が忘れられない。
あんな顔させるつもりじゃなかったのに__
「凪優はなおくんに対して劣等感もってるからだよ」
妹のことを相談するために呼び出した芽依の言葉にバッと顔をあげる。
最近本人から聞いたことだ。
俺は気づかなかったのに、目の前の彼女は俺なんかよりずっと凪優の性格や考えを理解してたに違いない。
あんなにずっと一緒にいた俺よりきっと一瞬で。
「芽依は俺より凪優のことわかってるよな」
妹の悩みや葛藤にすら気づけなかった。
妹のことすら理解できないのに、なにが完璧だよ。
「……は? なにそれ」
「俺、なんも知らなかった。
いつも凪優がなにを考えて、なにを思ってたのか」
目線が下がる。
それと同時にまた自信が消えていく。
すると、頭に強い衝撃が走る。
なにかと思って顔を上げると、芽依がデコピンをしたように指をの形を見せていた。
「ばっかじゃないの。
人がなにを思ってるとかなにを考えてるとかほんとの意味では本人しかわかんないじゃん。
双子だからってなんでも意思疎通できるわけないでしょ」
「……」
「わたしだって凪優のことまだ全然わかんない。
だから一緒に知っていけばいいじゃん。
遅くないよ。凪優はいま生きているんだから」
芽依の言葉がストンと心に落ちた。
彼女はいつも正しくて、俺のほしい言葉を的確にくれる。
芽依は、やっぱり他の女子とはちがう。
凪優が遺した新たな遺書。
【わたしのことわかろうとしてくれてありがとう】
芽依のおかげで俺は後悔をひとつ消すことができた。
この子といれば、俺は正しい道を選べる気がする。
「なんでいるの?」
晴れた日曜日の朝。
俺は隣町の水族館に来ていた。
待ち合わせ場所にすでに来ている彼女に声をかけてみると、案の定数秒で嫌な顔をされた。
「凪優が熱出してさ……代理みたいな?」
「はぁ?」
ありえない、と言いながら駅のほうに歩き出そうとする。
「凪優が心配だから帰る」
「ちょ、ちょ、まって」
慌てて腕を掴んで止めると、キッと睨まれた。
「なに」
「えっと、凪優が芽依にお土産買ってきてほしいんだって」
「じゃあいく」
芽依の足が水族館のほうへ一瞬で向く。
むしろはやく! と急かしてくる。
ほんと、好きな人に対してばかみたいにまっすぐで、見ていてすごく羨ましい。
俺もこんなふうにだれかを愛せるだろうか。
水族館は土日の割には人が少なくて、家族と来ている人や恋人と来ている人がちらほらと見えるだけだった。
俺たちもカップルとして見られているかもしれない。
そう思ったら、なんだか気分が上がった。
「なおくん、凪優の好きなクラゲだよ。写真撮ろう」
さっそく凪優の好きなものに駆けていく芽依を慌てて追いかける。
何回も角度を変えて写真を撮って、光のあたり方も気にして、よっぽど凪優に見せてあげたいのだろう。
「芽依ってほんと凪優のこと好きだよな?」
「そりゃね」
あたりまえでしょ、と自慢げに言う。
凪優の話題を出すといつもよりうれしそうな、たのしそうな表情を見せる。
「どこが好きなの?」
「わたしがいないとだめなところ」
「ふーん」
「……引かないの?」
彼女が目を開いてこちらを見る。
まるで深海の中にきらりと光る宝石を見つけたかのように。
「なんで?」
「なんでって……」
「べつにいーんじゃねぇの? 理由なんてなんでも」
「でも普通さ、優しいとことかかわいいとことかあるじゃん。たくさん……」
だんだんと声が小さくなっていく。
その姿を見て、俺は思ったことを正直に言おうと思った。
彼女は自分自身にうそをつくのは似合わない。
「俺は俺に一切なびかない芽依が好きなんだけどさ、これは普通じゃないからだめなわけ?」
「え、……そんな理由なの? え?」
きれいな二度見をされてこっちが苦笑いする。
正直言って、恋がどういうのかはわからない。
けれど、芽依とこの距離感で、この関係でいるのがどうしようもなく心地よくて、好きだって思う。
芽依が俺のこと好きじゃないからこそ感じられる気持ちだと思う。
「はじめて女子にこんな冷たくされんの。
だから、追いかけたくてしょうがないんだよね」
「……あはは、なんだそれ!」
大袈裟にお腹を抱えて笑い出す。
はじめてこんな笑顔をみて、なんか胸が温かくなった。
「でも、やっぱりさ、だめなんだと思う」
たくさん笑って冷静になったのか、クラゲを遠目で見ながらぽつりと呟く。
「なにが?」
「わたしね、自分より色々とできる人には妬みや嫉妬が先にきてしまうの。
逆にできない人と一緒にいると安心する。
だから、凪優のことだってきれいな感情で好きだって言えないの」
「……べつにそれでもいーじゃん」
「……」
「そうやって悩むってことはきれいな感情で好きって言おうとがんばってることだろ」
好きな形はひとつじゃない。
好きだけど、こういうところは好きじゃない。
それでも恋愛は成り立つと思う。
好きに理由はなくてもいいんだよ。
自信をもって好きって言えばいいんだよ。
「それにさ、好きは好きなんだしいいだろ。
理由だってべつに人それぞれちがうんだし。
普通に合わせることないだろ。
芽依はなんでも完璧を求めすぎなんだよ」
「……なおくんに言われるなんて、思わなかった」
彼女の目がゆらゆらと揺れる。
完璧を求めすぎるが故に悩んだり傷ついたりする辛さはわかる。
俺だって完璧主義をやめられないから。
じゃないと、だれからも愛されないと思っていた。
きっと俺たちは根本的なところが似ている。
だからこそ、同族嫌悪が湧いて好きになれないところはあると思う。
けれど、救けあうことだってできるはずだ。
「俺は凪優のこと好きな芽依が好きだから」
ひとつ溢れた涙を優しく拭う。
俺の言葉に驚きながらも何回も頷いていた。
自分でもこんなこと言う日がくるなんて思わなかった。
「てか、前から思ってたけどさ、俺の前と学校でのキャラ違うよね?」
「あー嫌いな人の前はそりゃ違くない?」
「ひど!」
思わずパンチをくらう。
口では勝てないと少し悲しくなってきた。
「でも……なんか、なんかね! わかんないけど、なおくんといると思ったこと口に出せんの。
さっきの凪優の話とか、だれかに凪優の話できるのもうれしい! だから、ありがとう!」
音が止まった。
さっきのお腹を抱えていた無邪気な笑顔とはまた違う笑みだった。
素直にきれいだと思った。
目を細めて儚く笑う彼女は海に浮かぶ月みたいだった。
照れ隠しで、芽依がもっていたスマホを奪って、ツーショットをする。
「あ、ちょ! なおくん!」
パシャッとシャッターがなる。
「もう! 勝手に撮らないでよ!」
少し怒ったように笑っていた。
それをみてつられて笑顔になれる。
あぁ、久しぶりに生きていてたのしい。
恋愛なんてつまんないと思ってた。寄ってくる女子はだれも好きにはなれなくて恋を遠ざけてた。
けど、俺は、芽依が好きなんだ。
いつも完璧を目指す彼女の姿は気高くて、美しい。
このまんま芽依が俺を好きにならなければいい。
芽依がふり向かない限り、追いかける理由がある。
そしたらこのままたのしい関係でいられる。
そんな自分でもよく意味のわからない感情を抱いている。
でも、恋愛はこんなふうに自由でいいんだ。
人それぞれ好きは違う。
芽依と過ごすこの日常が俺の生きる理由だから。



