翌日の教室の扉ほど重いものはなかった。それでも、開けた教室の扉の中はいつも通りだった。

「未織、おはよー!」

 響ちゃんが私に駆け寄ってきてくれて、後ろから苑里が「おはよう」と顔を出す。苑里はまるであの録音を聞いていないのではないかと思うほどいつも通りだった。しかし、当たり前にそんなはずはなくて。

「未織、後でちょっといい?」

 響ちゃんに聞こえないほどの声量で苑里が私にそう言った時、私は自分の青春の終わりを悟った。本当はもう響ちゃんに言いふらされていると思っていた。でも、ここでも良い子な苑里に腹が立つ。苑里は素で良い子で、素で自分の意見を持っている。
 その日授業はあまりに長く感じた。授業を聞いていると言うより、意味の分からない先生の呪文を永遠に聞かされているような感覚だった。

 放課後の空き教室、私と苑里は向き合っていた。距離を置いて、いつもとは違う雰囲気で。

「あの録音聞いたんでしょ。なんで響ちゃんに言わなかったの?」

 ああ、違う。こんなことを言いたかったんじゃない。

「未織と話したかったの」

 ほら、綺麗ごとが返ってくるだけじゃない。

「ねぇ、未織。私のこと嫌い?」

 もうどうにでもなれ。

「嫌い。大嫌い」
「それは私が『共感』しないから? それとも『響ちゃんを奪った』から?」

 昨日もそうだった。この双子に言われる言葉に私は返答出来ない。


「私は未織のこと好きだよ」


 私の中の何かがプツッと切れた音がした。

「そういう所が嫌いだって言ってんの!!!」

 つい苛立ちで髪をぐしゃっと()いてしまう。今の私のポニーテールは、文字通りぐちゃぐちゃだろう。

「なんで共感しないの。なんで共感出来ないの。なんで共感出来ないお前を『響ちゃんは認めている』の!?」

 そう言葉にして、初めて自分が腹が立っていたのは苑里ではなく響ちゃんだと知る。

「ずっと私の共感を認めてくれるのは響ちゃんだけだったの。私には響ちゃんしかいなかったの。なのに、なんで響ちゃんは共感出来ない苑里まで認めるの!? 私の共感は無意味だったってこと!?」

 苑里がスクールバッグから二種類のお菓子を取り出す。

「未織はどっちのお菓子を食べたい? 響ちゃんは右が食べてみたいって言っていたよ」
「じゃあ、右に決まって……」
「じゃあ、取り合いになるね」
「え?」

 苑里が私の手に右のお菓子を握らせた。

「『共感』ってそんなに良いもの? 私は共感しないから良さが分からない。意見が同じ方が面倒じゃない? 意見が違う方が上手くいくことだってあるでしょ」

 苑里が私と目を合わせる。苑里の瞳に映る私はどんな顔をしているのだろう。

「右のお菓子を食べたいなら、私は響ちゃんとじゃんけんする。自分の意見だから、通そうと頑張れるの。自分の意見じゃないものを大事にする未織の気持ちなんて正直全く分からない」
「何言って……!」
「だから教えて。『共感』の何がそんなに魅力なの?」

 ほら、共感の魅力を伝えるチャンスだよ。なのに……なんですぐに口は開かないの。

「共感すれば……笑ってくれる人がいる、もん。響ちゃんだって、、嬉しそうにして……」

 なんで上手く言えないの。

「響ちゃんも共感すれば笑ってくれるし……あれ、でも、苑里にも笑ってた……」

 何故かボタボタと涙が溢れてくる。昨日、匠真と話した時から私はどこかおかしい。

「『共感』が正しいと思っている私がおかしいの……?」

 私の問いに苑里は肯定も否定もしなかった。

「知らない。共感しかしない未織と共感出来ない私のどちらが正しいかなんて分からない。でも、私は自分の意見に自信を持っているの」

 ああ、匠真が苑里を妬む理由が分かった。羨む理由が分かった。この眩しさが私たちにはない。

「未織、もう一回聞く。どっちのお菓子が食べたい?」

 その質問で確信した。苑里は私が左のお菓子を選ぼうと右のお菓子を選ぼうとどちらでも良いのだ。

 私が自分の選択に自信を持っていれば。

 答えられない私に苑里はどちらのお菓子も置いて、教室から出て行った。


「響ちゃんには言わない。でも、このままでも駄目だと思う」


 そう言葉を投げ捨てて。