苑里が転校してから一ヶ月、私のスマホには匠真からのメッセージが表示されていた。
『苑里と二人で出かけて』
それは命令という名の脅しだった。3人グループで2人だけで出かける。それはあまりに難易度が高い。だから、私はわざと用事があることにして苑里と同じ方向で帰ることにした。
「ちょっと寄りたい所あるんだった。苑里、付き合ってくれない?」
響ちゃんは帰る方向が別。あまりに自然で完璧な作戦だった。
「いいよ。どこに行きたいの?」
「ちょっと赤のボールペンが欲しくて」
近くの本屋に向かって、文具コーナーに向かう。適当に一番安いボールペンを買ってさっさと店を出ると、丁度晴れている。私はスマホを取り出して、綺麗な空の写真をスマホに収めた。わざと苑里に見えるように。そして、ここからはよくある女子のノリ。私はそのままカメラを内カメに変える。
「苑里」
私に名前を呼ばれれば、苑里はすぐに察してカメラの画角に入ってくれる。パシャっという音と共にすぐに撮影は終わる。簡単に手に入れた苑里とのツーショットを匠真に送る。証拠写真だった。すぐに既読がつく。
『へー、出かけるの早いじゃん。お疲れ様』
匠真のメッセージを確認して、ホッと胸を撫で下ろす。
「苑里、付き合ってくれてありがと」
「全然。未織と寄り道出来て嬉しいよ」
ハッキリとものを言う苑里の言葉にきっと嘘はない。苦痛だけれど、ここでもっと仲良くなっておかないと「苑里と親友になる」という課題をクリア出来ない。帰り道をゆっくりと進みながら、私は会話を広げた。
「苑里って甘いもの好き?」
「好きだよ」
「良かった。今度おすすめのお菓子を持っていこうと思って」
「えー、嬉しい。じゃあ、私も今度何か持っていこ! 響ちゃんにも言って、三人で持ち寄ろうよ」
「いいね!」と声をワントーン上げる。つい癖で苑里にまで「共感」してしまう自分が嫌になる。
「ていうか、未織と響ちゃんっていつから知り合ったの? 今年のクラス替え?」
転校生の苑里ならではの質問。答えることすら面倒臭いが、苑里と親友になるにはこの苦痛に慣れなければいけない。
「響ちゃんは……奇跡なの」
「え?」
「響ちゃんとは高校一年も二年も同じクラスなの。奇跡じゃない?」
つい言ってしまった言葉を誤魔化すようにそう言うと、苑里は「このクラスの数だったら確かに奇跡かも」と笑っている。
響ちゃんは奇跡。本当にそのままの意味。響ちゃんは私にとって奇跡と言えるくらい友達になれて嬉しかった人だった。
昔から私の歳の離れた姉は「共感を求めている人」だった。「このメイク可愛くない?」「この服、良いよね?」そんな言葉に共感しないと、歳の離れた姉の機嫌は悪くなる。しかし、逆に言えば「共感」さえすれば姉の機嫌は良かった。幼いながらに「共感」とはなんと便利なものかと思った。しかし、小学校でも中学校でも「共感」の大切さに気づいている者はいなかった。馬鹿ばかりだった。
「未織ちゃんって誰にでも良い顔してない?」
「未織って自分の意見あるの?」
そんな世界で、響ちゃんだけは笑ってくれた。
「未織と私って気が合うよね。好きなものも似ているし!」
そうでしょ? 気が合うでしょ?
そう言って欲しかったの。「共感」を受け入れて欲しかったの。私にとって「共感」は正義だったから。
「未織?」
私を思い出から引き戻すように苑里が私の顔を覗き込んでいる。
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた。響ちゃんとは気が合って、すぐに仲良くなったんだよね」
「あー、確かに。響ちゃんと未織の好きなものは似ているよね」
「でしょ?」
苑里にしては良いこと言うじゃん、とか一瞬でも頭によぎった自分を私は次の瞬間に殴りたくなる。
「でも、未織……我慢してない?」
苑里の表情は心配で埋まっていた。
「未織って何でも受け入れてくれるけれど、言いたいことを我慢している瞬間もある気がして……無理してないかなって」
きっと苑里の表情に哀れみとか見下しが入っていたら、私はこの言葉を流せた。でも、苑里の表情には心配しかなくて……私は壊れたのだと思う。
「無理しているはずないでしょ」
「え?」
「『共感』の何が悪いの?」
止まれない。止まることは出来ない。そんな私に無理やりブレーキをかけたのは、匠真の声だった。
「はい、ストップ。やっぱりこうなったか」
匠真が私の手を掴む。驚いた顔の苑里に「ちょっとこいつ借りるわ」と言うと、恋愛脳の苑里は簡単に勘違いしてくれる。匠真はそのまま私を苑里から引き剥がすように引っ張っていく。苑里の姿すら見えなくなった所で、匠真の足は止まった。
「やっぱり見に来て正解だったな。言いたいこと言って良いよ」
「は?」
「さっき苑里に言おうとしたこと……いや、それ以上の未織の本心」
イライラする心は、どこか吐き出し口を求めていたのかもしれない。大嫌いなやつですら、聞いてくれるなら言ってしまいたい。いや、もう私の本性がバレているからこそ、これ以上私の印象が下がることはない。
印象が下がることはない?
私の本性がバレたら印象が下がるの?
下がるよ。だから、響ちゃんに本性がバレたくなかったんだしょ?
え、でも共感が大事なことも事実で、共感出来ない苑里が悪いのも事実で……
あれ?
じゃあ、なんで私はこんなに自分の本心を隠しているの? 隠さないといけないと思っているの?
「『共感』ってこの世で一番大事だよね」
今まさに私が「共感」を求めている。匠真に私は正しいと言って欲しいと思っている。しかし、匠真は静かに聞いているだけだった。
「共感する私を響ちゃんは好いてくれて、共感出来る私を認めてくれた。響ちゃんだって共感が一番大切だと思っているはずなのに……なんで共感出来ない苑里と仲良くなるの?」
「まず苑里が悪くない? 共感もできず、空気も読めず、好き勝手言って、浮いて当たり前じゃん。ひとりぼっちが合っているでしょ」
「ねぇ、『共感』してよ」
しかし匠真から聞こえたのは同調ではなく、ピコンという電子音だった。
「え?」
「今の録音した。苑里に送るわ」
「なんで……」
もう言葉も出なかった。
「今の言葉こそ未織の本心だから。でも、俺は共感しない」
意味が分からないまま地面にへたり込んだ私と視線を合わせるように、匠真は屈んだ。
「俺さ、苑里を見下したかったんだよね。でも、今の状況でも何故かスッキリしなくて。今の未織の本心を聞いて分かったわ。俺だって、共感して欲しかったのかもな。ていうか憐んで欲しかった。でも、共感って要らないわ。それを未織も分かっているんじゃねぇの?」
匠真は止まらない。
「共感って自分の意見に同調してもらって、安心が欲しいだけだろ? 違うの?」
俯く私の顔を匠真が手で無理やり目を合わせさせる。
「未織って共感『したい』の? それとも、共感『してほしい』の? 私も共感するから、私にも共感して下さいって思っているんだろ?」
「うるさい!」
「自分に耳障りなことを言われたらうるさく感じるだろ? それの逆だよ。共感って耳心地が良いの。『共感出来る私を認めて下さい。褒めて下さい。私ってすごいでしょ?』それ全部共感されたいだけだよ」
はぁ、はぁ、と荒い呼吸の音が聞こえる。それが自分の呼吸音だと認めたくなかった。
「耳障りの悪いことを言う苑里が嫌い? 違うだろ。妬んでいるだけだよ。俺も未織も苑里を妬んでいるだけ。羨んでいるだけ」
匠真が私にスマホの画面を見せつける。
「俺はこの安全圏から出るから、未織も巻き込むわ」
どこまでも横暴な目の前の男は、そう言って先ほどの録音の送信ボタンを押した。
『苑里と二人で出かけて』
それは命令という名の脅しだった。3人グループで2人だけで出かける。それはあまりに難易度が高い。だから、私はわざと用事があることにして苑里と同じ方向で帰ることにした。
「ちょっと寄りたい所あるんだった。苑里、付き合ってくれない?」
響ちゃんは帰る方向が別。あまりに自然で完璧な作戦だった。
「いいよ。どこに行きたいの?」
「ちょっと赤のボールペンが欲しくて」
近くの本屋に向かって、文具コーナーに向かう。適当に一番安いボールペンを買ってさっさと店を出ると、丁度晴れている。私はスマホを取り出して、綺麗な空の写真をスマホに収めた。わざと苑里に見えるように。そして、ここからはよくある女子のノリ。私はそのままカメラを内カメに変える。
「苑里」
私に名前を呼ばれれば、苑里はすぐに察してカメラの画角に入ってくれる。パシャっという音と共にすぐに撮影は終わる。簡単に手に入れた苑里とのツーショットを匠真に送る。証拠写真だった。すぐに既読がつく。
『へー、出かけるの早いじゃん。お疲れ様』
匠真のメッセージを確認して、ホッと胸を撫で下ろす。
「苑里、付き合ってくれてありがと」
「全然。未織と寄り道出来て嬉しいよ」
ハッキリとものを言う苑里の言葉にきっと嘘はない。苦痛だけれど、ここでもっと仲良くなっておかないと「苑里と親友になる」という課題をクリア出来ない。帰り道をゆっくりと進みながら、私は会話を広げた。
「苑里って甘いもの好き?」
「好きだよ」
「良かった。今度おすすめのお菓子を持っていこうと思って」
「えー、嬉しい。じゃあ、私も今度何か持っていこ! 響ちゃんにも言って、三人で持ち寄ろうよ」
「いいね!」と声をワントーン上げる。つい癖で苑里にまで「共感」してしまう自分が嫌になる。
「ていうか、未織と響ちゃんっていつから知り合ったの? 今年のクラス替え?」
転校生の苑里ならではの質問。答えることすら面倒臭いが、苑里と親友になるにはこの苦痛に慣れなければいけない。
「響ちゃんは……奇跡なの」
「え?」
「響ちゃんとは高校一年も二年も同じクラスなの。奇跡じゃない?」
つい言ってしまった言葉を誤魔化すようにそう言うと、苑里は「このクラスの数だったら確かに奇跡かも」と笑っている。
響ちゃんは奇跡。本当にそのままの意味。響ちゃんは私にとって奇跡と言えるくらい友達になれて嬉しかった人だった。
昔から私の歳の離れた姉は「共感を求めている人」だった。「このメイク可愛くない?」「この服、良いよね?」そんな言葉に共感しないと、歳の離れた姉の機嫌は悪くなる。しかし、逆に言えば「共感」さえすれば姉の機嫌は良かった。幼いながらに「共感」とはなんと便利なものかと思った。しかし、小学校でも中学校でも「共感」の大切さに気づいている者はいなかった。馬鹿ばかりだった。
「未織ちゃんって誰にでも良い顔してない?」
「未織って自分の意見あるの?」
そんな世界で、響ちゃんだけは笑ってくれた。
「未織と私って気が合うよね。好きなものも似ているし!」
そうでしょ? 気が合うでしょ?
そう言って欲しかったの。「共感」を受け入れて欲しかったの。私にとって「共感」は正義だったから。
「未織?」
私を思い出から引き戻すように苑里が私の顔を覗き込んでいる。
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた。響ちゃんとは気が合って、すぐに仲良くなったんだよね」
「あー、確かに。響ちゃんと未織の好きなものは似ているよね」
「でしょ?」
苑里にしては良いこと言うじゃん、とか一瞬でも頭によぎった自分を私は次の瞬間に殴りたくなる。
「でも、未織……我慢してない?」
苑里の表情は心配で埋まっていた。
「未織って何でも受け入れてくれるけれど、言いたいことを我慢している瞬間もある気がして……無理してないかなって」
きっと苑里の表情に哀れみとか見下しが入っていたら、私はこの言葉を流せた。でも、苑里の表情には心配しかなくて……私は壊れたのだと思う。
「無理しているはずないでしょ」
「え?」
「『共感』の何が悪いの?」
止まれない。止まることは出来ない。そんな私に無理やりブレーキをかけたのは、匠真の声だった。
「はい、ストップ。やっぱりこうなったか」
匠真が私の手を掴む。驚いた顔の苑里に「ちょっとこいつ借りるわ」と言うと、恋愛脳の苑里は簡単に勘違いしてくれる。匠真はそのまま私を苑里から引き剥がすように引っ張っていく。苑里の姿すら見えなくなった所で、匠真の足は止まった。
「やっぱり見に来て正解だったな。言いたいこと言って良いよ」
「は?」
「さっき苑里に言おうとしたこと……いや、それ以上の未織の本心」
イライラする心は、どこか吐き出し口を求めていたのかもしれない。大嫌いなやつですら、聞いてくれるなら言ってしまいたい。いや、もう私の本性がバレているからこそ、これ以上私の印象が下がることはない。
印象が下がることはない?
私の本性がバレたら印象が下がるの?
下がるよ。だから、響ちゃんに本性がバレたくなかったんだしょ?
え、でも共感が大事なことも事実で、共感出来ない苑里が悪いのも事実で……
あれ?
じゃあ、なんで私はこんなに自分の本心を隠しているの? 隠さないといけないと思っているの?
「『共感』ってこの世で一番大事だよね」
今まさに私が「共感」を求めている。匠真に私は正しいと言って欲しいと思っている。しかし、匠真は静かに聞いているだけだった。
「共感する私を響ちゃんは好いてくれて、共感出来る私を認めてくれた。響ちゃんだって共感が一番大切だと思っているはずなのに……なんで共感出来ない苑里と仲良くなるの?」
「まず苑里が悪くない? 共感もできず、空気も読めず、好き勝手言って、浮いて当たり前じゃん。ひとりぼっちが合っているでしょ」
「ねぇ、『共感』してよ」
しかし匠真から聞こえたのは同調ではなく、ピコンという電子音だった。
「え?」
「今の録音した。苑里に送るわ」
「なんで……」
もう言葉も出なかった。
「今の言葉こそ未織の本心だから。でも、俺は共感しない」
意味が分からないまま地面にへたり込んだ私と視線を合わせるように、匠真は屈んだ。
「俺さ、苑里を見下したかったんだよね。でも、今の状況でも何故かスッキリしなくて。今の未織の本心を聞いて分かったわ。俺だって、共感して欲しかったのかもな。ていうか憐んで欲しかった。でも、共感って要らないわ。それを未織も分かっているんじゃねぇの?」
匠真は止まらない。
「共感って自分の意見に同調してもらって、安心が欲しいだけだろ? 違うの?」
俯く私の顔を匠真が手で無理やり目を合わせさせる。
「未織って共感『したい』の? それとも、共感『してほしい』の? 私も共感するから、私にも共感して下さいって思っているんだろ?」
「うるさい!」
「自分に耳障りなことを言われたらうるさく感じるだろ? それの逆だよ。共感って耳心地が良いの。『共感出来る私を認めて下さい。褒めて下さい。私ってすごいでしょ?』それ全部共感されたいだけだよ」
はぁ、はぁ、と荒い呼吸の音が聞こえる。それが自分の呼吸音だと認めたくなかった。
「耳障りの悪いことを言う苑里が嫌い? 違うだろ。妬んでいるだけだよ。俺も未織も苑里を妬んでいるだけ。羨んでいるだけ」
匠真が私にスマホの画面を見せつける。
「俺はこの安全圏から出るから、未織も巻き込むわ」
どこまでも横暴な目の前の男は、そう言って先ほどの録音の送信ボタンを押した。



