空き教室のカーテンは閉め切られていて、空気の通りすら悪そうだった。目の前の響ちゃんはぼーっと何も書かれていない黒板を見つめていて、私と目を合わせてくれない。
「響ちゃん……あの……!」
私が何とか口を開くと、響ちゃんがいつもの優しそうな顔で微笑んだ。
「いいよ、言わなくて。ちゃんと話すから」
「ずっと知ったいたよ。未織の本心。匠真くんから送られてきた録音を聞いても驚かないくらいには」
「なんでそんなこと……」
私から漏れ出して言葉はありきたりなドラマの登場人物みたいな呟きだった。
「中学の時から有名だったし、未織。『可哀想』って」
「っ!」
しかしその可哀想は「哀れみ」じゃなかった。それは分かるのに、それ以上の響ちゃんの感情が読めない。
「ねぇ教えて。未織の本心。どうして私が好きなの?」
それは響ちゃんから投げかけられた純粋な疑問。
「そんなの……」
「私が未織の『共感』を否定しなかったから?」
「え……?」
「そうでしょ? それ以外の理由なんてないでしょ?」
響ちゃんは怒っている様子もなく、ただただ淡々とそう話していく。
「私も未織が好きだよ。理由は……」
その瞬間、ガラッと空き教室の扉が開いた。扉の前には苑里が立っている。
「二人で放課後にどこか行くから気になったら……これってどういうこと?」
苑里は私たちの会話の一部始終を聞いていたらしい。私の動揺をよそに響ちゃんは驚いてもいない。むしろ好都合とでもいうように話を続けていく。
「ねぇ、じゃあ3人で言いたいこと言おうよ」
響ちゃんが教壇の近くに腰掛ける。そして、私と苑里も隣に座るように手招いた。しかし、この状況が怖くて動けない。そんな私をよそに苑里は覚悟を決めたように響ちゃんの隣に座った。空き教室の淀んだ空気。その中で苑里の芯の通った性格は、どこか輝いて見えるほどだった。
「私は未織が間違っていると思う。共感すれば良いってものじゃない。それを響ちゃんが知っていたのに、気づかないふりを貫いていたのも意味が分からない」
固まった私に響ちゃんが「未織は言い返さなくて良いの?」を問いかける。
「私は……」
「いいよ。好きなこと言えば。もうどうせこのままじゃ元の形には戻れないでしょ」
「元の形には戻れない」、その言葉が胸に棘となって突き刺さる。涙が溢れ始める。ずっと元の形のままの生活を望んでいた。それ以上の幸せも不幸も願っていなかったのに。
「なんで……こんなことになったの? 意味が分からない……! 苑里と匠真のせいじゃん。私はずっと響ちゃんと二人でいられれば良かったのに!」
止まらない。止まれるわけない。
「なんなの。なんで邪魔するの。共感は悪いことじゃないじゃん。誰にも迷惑かけてないでしょ。勝手に正義感振りかざして……! 良い加減にしてよ!」
私の言葉に苑里は腹が立ったようだった。
「未織の気持ちなんて知るわけないでしょ! 勝手に響ちゃんを神聖化して馬鹿みたい。どっちもただの人間じゃない」
「違う! 響ちゃんは……!」
「何が違うの。何でも共感すれば良いってものじゃないでしょ!」
「一つも共感が出来ない苑里に言われたくない!」
「っ……!」
言葉に詰まる苑里は自分が共感出来ないことをどこか気にしていたのかもしれない。苑里の弱さを見つけて、私はさらにヒートアップしてしまう。
「苑里なんて空気も読めないじゃん。共感出来ないってことは空気が読めないのと一緒でしょ! ばっかみたい」
「馬鹿は未織の方でしょ!」
そんな私と苑里の言い合いは響ちゃんは止めもせずに見ていた。そのことに気づいて視線を移した私たちに響ちゃんは初めて口を開いた。
「私ね、可哀想って言葉が嫌いなの」
それは響ちゃんの本心が始まる合図だった。その時、初めて響ちゃんと目が合った気がした。
「私ね、小さい頃は病気だったの。結構重い病気でみんなに『可哀想』って言われ続けてた。可哀想って酷い言葉だよね」
それでも響ちゃんの瞳に光がないようで、初めて見た表情をしていた。
「可哀想なんて相手に決められることじゃないし。まず自分が幸せかどうかは自分で決めることじゃない? だから……」
「可哀想って言われていること話してみたかった。本当に可哀想なのか。本当に幸せじゃないのか。だって、相手のことなんて話してみないと判断出来ないから」
「前に彼氏に可哀想な子が好きだと明かしたら、ヤバいやつだと思われたし、『頭おかしいの?』とまで言われた。……可哀想な子が好きなんじゃない。勝手に相手を可哀想だと判断する奴が嫌いなの。だから、未織とも苑里とも直接話した」
本心など言わなければ伝わらないのかもしれない。
「未織は共感を大事にしすぎているけれど、よく笑うし、本当に楽しい時は共感したいだけの時より嬉しそうに笑う。ずっと一緒にいれば、未織が無理に共感しているか本心からそう言っているか分かる。それに体育が嫌いで、それだけは共感してくれない」
響ちゃんはやっぱり響ちゃんだった。
「苑里はハッキリ何でも言うけれど、自分の意見を言えることは大事だし、何より空気を読めないわけじゃない。ちゃんと同調してくれる時だってある。それに二つ結びが良く似合っている」
響ちゃんが顔を上げた。
「貴方たち二人のどこが『可哀想』なの? ちゃんと良いところもあるじゃない」
響ちゃんは淡々と話していく。
「だから別に未織が共感を大切にしていようとどうでも良かったから、放っておいていたの」
「元の形に戻れない? 当たり前じゃない。本心を明かすんだから。でも、今までのことが全てなくなるわけじゃないでしょ。所詮、未織は未織で、苑里は苑里なんだから」
「私は相手をしっかりと見て、『可哀想』かどうか判断したい。それだけ。引いた?」
響ちゃんは私と苑里と順番にちゃんと目を合わせた。逸らすつもりもないと伝えるように。
「引いても良いよ。嫌いになっても良い。でも、ちゃんと私と向き合ってから判断して」
きっと響ちゃんは今まで最低だと罵れられてきたこともあったのだろう。
「未織、さっきの言葉の続き。私も未織が好きだよ。理由は嫌いな所もあるけど、好きな所の方が多いから。いや、そんな深い話じゃないかも。普通に未織が好きなだけ」
この世にはさまざまな考え方がある。色んな考え方の人がいる。
ねぇ、どの考え方が正しいですか?
「響ちゃん」
震えた声で名前を呼ぶ。やっと私の一番の本心が漏れる。震えている上に小さすぎる声量の本心。
「響ちゃんは私が共感しなくなっても嫌いにならない……?」
「知らない。未織が変わった後の姿を見て判断する」
もう一度聞かせて。
一体この世界でどの考え方が正しいの?
きっと誰にも正解は分からない。ならば……
今、自分の心を否定してもきっと何も変わらない。
「苑里は共感する私が嫌い……?」
「とりあえず謝ってくれてから考える!」
そう話す苑里はきっとどこかもう吹っ切れていて。
「苑里、響ちゃん、ごめんなさい。ずっと苑里に嫉妬してた。自分の意見をはっきり言える苑里が羨ましかった。それを受け入れる響ちゃんにも腹が立っていた」
苑里が私の頭をペシっと叩いた。
「急にしおらしすぎる! 私は謝らないから。悪いことしたと思っていないし」
苑里はどこまでも苑里で。
「未織って案外素直だよね」
そう話す響ちゃんはどこまでも響ちゃんで。
本心を貴方に明かします。だから、どうか本心を見てから私を判断して下さい。
もう逃げない。私たちはどこまでも本心を隠したがりの未熟者。それでも、このまま青春を終えるにはあまりに惜しいから。
「響ちゃん……あの……!」
私が何とか口を開くと、響ちゃんがいつもの優しそうな顔で微笑んだ。
「いいよ、言わなくて。ちゃんと話すから」
「ずっと知ったいたよ。未織の本心。匠真くんから送られてきた録音を聞いても驚かないくらいには」
「なんでそんなこと……」
私から漏れ出して言葉はありきたりなドラマの登場人物みたいな呟きだった。
「中学の時から有名だったし、未織。『可哀想』って」
「っ!」
しかしその可哀想は「哀れみ」じゃなかった。それは分かるのに、それ以上の響ちゃんの感情が読めない。
「ねぇ教えて。未織の本心。どうして私が好きなの?」
それは響ちゃんから投げかけられた純粋な疑問。
「そんなの……」
「私が未織の『共感』を否定しなかったから?」
「え……?」
「そうでしょ? それ以外の理由なんてないでしょ?」
響ちゃんは怒っている様子もなく、ただただ淡々とそう話していく。
「私も未織が好きだよ。理由は……」
その瞬間、ガラッと空き教室の扉が開いた。扉の前には苑里が立っている。
「二人で放課後にどこか行くから気になったら……これってどういうこと?」
苑里は私たちの会話の一部始終を聞いていたらしい。私の動揺をよそに響ちゃんは驚いてもいない。むしろ好都合とでもいうように話を続けていく。
「ねぇ、じゃあ3人で言いたいこと言おうよ」
響ちゃんが教壇の近くに腰掛ける。そして、私と苑里も隣に座るように手招いた。しかし、この状況が怖くて動けない。そんな私をよそに苑里は覚悟を決めたように響ちゃんの隣に座った。空き教室の淀んだ空気。その中で苑里の芯の通った性格は、どこか輝いて見えるほどだった。
「私は未織が間違っていると思う。共感すれば良いってものじゃない。それを響ちゃんが知っていたのに、気づかないふりを貫いていたのも意味が分からない」
固まった私に響ちゃんが「未織は言い返さなくて良いの?」を問いかける。
「私は……」
「いいよ。好きなこと言えば。もうどうせこのままじゃ元の形には戻れないでしょ」
「元の形には戻れない」、その言葉が胸に棘となって突き刺さる。涙が溢れ始める。ずっと元の形のままの生活を望んでいた。それ以上の幸せも不幸も願っていなかったのに。
「なんで……こんなことになったの? 意味が分からない……! 苑里と匠真のせいじゃん。私はずっと響ちゃんと二人でいられれば良かったのに!」
止まらない。止まれるわけない。
「なんなの。なんで邪魔するの。共感は悪いことじゃないじゃん。誰にも迷惑かけてないでしょ。勝手に正義感振りかざして……! 良い加減にしてよ!」
私の言葉に苑里は腹が立ったようだった。
「未織の気持ちなんて知るわけないでしょ! 勝手に響ちゃんを神聖化して馬鹿みたい。どっちもただの人間じゃない」
「違う! 響ちゃんは……!」
「何が違うの。何でも共感すれば良いってものじゃないでしょ!」
「一つも共感が出来ない苑里に言われたくない!」
「っ……!」
言葉に詰まる苑里は自分が共感出来ないことをどこか気にしていたのかもしれない。苑里の弱さを見つけて、私はさらにヒートアップしてしまう。
「苑里なんて空気も読めないじゃん。共感出来ないってことは空気が読めないのと一緒でしょ! ばっかみたい」
「馬鹿は未織の方でしょ!」
そんな私と苑里の言い合いは響ちゃんは止めもせずに見ていた。そのことに気づいて視線を移した私たちに響ちゃんは初めて口を開いた。
「私ね、可哀想って言葉が嫌いなの」
それは響ちゃんの本心が始まる合図だった。その時、初めて響ちゃんと目が合った気がした。
「私ね、小さい頃は病気だったの。結構重い病気でみんなに『可哀想』って言われ続けてた。可哀想って酷い言葉だよね」
それでも響ちゃんの瞳に光がないようで、初めて見た表情をしていた。
「可哀想なんて相手に決められることじゃないし。まず自分が幸せかどうかは自分で決めることじゃない? だから……」
「可哀想って言われていること話してみたかった。本当に可哀想なのか。本当に幸せじゃないのか。だって、相手のことなんて話してみないと判断出来ないから」
「前に彼氏に可哀想な子が好きだと明かしたら、ヤバいやつだと思われたし、『頭おかしいの?』とまで言われた。……可哀想な子が好きなんじゃない。勝手に相手を可哀想だと判断する奴が嫌いなの。だから、未織とも苑里とも直接話した」
本心など言わなければ伝わらないのかもしれない。
「未織は共感を大事にしすぎているけれど、よく笑うし、本当に楽しい時は共感したいだけの時より嬉しそうに笑う。ずっと一緒にいれば、未織が無理に共感しているか本心からそう言っているか分かる。それに体育が嫌いで、それだけは共感してくれない」
響ちゃんはやっぱり響ちゃんだった。
「苑里はハッキリ何でも言うけれど、自分の意見を言えることは大事だし、何より空気を読めないわけじゃない。ちゃんと同調してくれる時だってある。それに二つ結びが良く似合っている」
響ちゃんが顔を上げた。
「貴方たち二人のどこが『可哀想』なの? ちゃんと良いところもあるじゃない」
響ちゃんは淡々と話していく。
「だから別に未織が共感を大切にしていようとどうでも良かったから、放っておいていたの」
「元の形に戻れない? 当たり前じゃない。本心を明かすんだから。でも、今までのことが全てなくなるわけじゃないでしょ。所詮、未織は未織で、苑里は苑里なんだから」
「私は相手をしっかりと見て、『可哀想』かどうか判断したい。それだけ。引いた?」
響ちゃんは私と苑里と順番にちゃんと目を合わせた。逸らすつもりもないと伝えるように。
「引いても良いよ。嫌いになっても良い。でも、ちゃんと私と向き合ってから判断して」
きっと響ちゃんは今まで最低だと罵れられてきたこともあったのだろう。
「未織、さっきの言葉の続き。私も未織が好きだよ。理由は嫌いな所もあるけど、好きな所の方が多いから。いや、そんな深い話じゃないかも。普通に未織が好きなだけ」
この世にはさまざまな考え方がある。色んな考え方の人がいる。
ねぇ、どの考え方が正しいですか?
「響ちゃん」
震えた声で名前を呼ぶ。やっと私の一番の本心が漏れる。震えている上に小さすぎる声量の本心。
「響ちゃんは私が共感しなくなっても嫌いにならない……?」
「知らない。未織が変わった後の姿を見て判断する」
もう一度聞かせて。
一体この世界でどの考え方が正しいの?
きっと誰にも正解は分からない。ならば……
今、自分の心を否定してもきっと何も変わらない。
「苑里は共感する私が嫌い……?」
「とりあえず謝ってくれてから考える!」
そう話す苑里はきっとどこかもう吹っ切れていて。
「苑里、響ちゃん、ごめんなさい。ずっと苑里に嫉妬してた。自分の意見をはっきり言える苑里が羨ましかった。それを受け入れる響ちゃんにも腹が立っていた」
苑里が私の頭をペシっと叩いた。
「急にしおらしすぎる! 私は謝らないから。悪いことしたと思っていないし」
苑里はどこまでも苑里で。
「未織って案外素直だよね」
そう話す響ちゃんはどこまでも響ちゃんで。
本心を貴方に明かします。だから、どうか本心を見てから私を判断して下さい。
もう逃げない。私たちはどこまでも本心を隠したがりの未熟者。それでも、このまま青春を終えるにはあまりに惜しいから。



