二人で収録した音源を投稿用の動画として編集した志は、その日の夜、YouTube上の自身のチャンネルに投稿した。
ギター一本の弾き語りであることはこれまでと変わらないが、カバーソングではなく完全なオリジナル曲を投稿するのははじめてで、多くのファンが応援してくれている志でも、今回はどういった評価を受けるかまったくわからないと言っていた。酷評される覚悟をしておいたほうがいい、とも。
結果として、それは志の杞憂に終わった。二人の共同制作楽曲『The light fall』は、投稿から一時間も立たないうちに一万回再生を突破し、ツイッターなどのSNSで多くの人が「いい!」と絶賛のコメントを添えて共有してくれたおかげでさらに再生回数が伸びた。
動画の概要欄には絢斗の名前も載った。『作詞:Ayato』。当初、やっぱり恥ずかしいから名前は出さないでほしいと絢斗は志に頼み込んでいたのだが、志は聞く耳を持たず、絢斗の名前を載せて『二人の共同制作』という面を押し出した。
しかし、いざ名前が載ってみると案外心が弾んでいることに気がついた。自ら日陰を選んで歩いてきた絢斗の存在を、世間が認知してくれた。自主的な行動ではないけれど、嬉しい気持ちに変わりはなかった。
「楽しいな」
翌日もまた八王子まで足を運んでくれた志は、絢斗を連れ出してカフェに入り、窓に面したカウンター席を二つ陣取った。
絢斗と並んで座り、ホワイトモカなるホットドリンクの入った紙のカップを、中身をかき混ぜるように傾けている。エスプレッソにホワイトチョコレートのシロップとホイップクリームをミックスしたものらしい。そっと口に運んだ彼の表情は晴れやかだった。
「はじめてオリジナル曲をアップしたけど、これだけたくさん聴いてもらえるとやっぱ嬉しいよな。なんていうか、自分という存在を認めてもらえたみたいでさ」
絢斗は大きくうなずいた。志が自分と同じ気持ちでいることが嬉しくて、自然と笑みがこぼれる。
「なぁ、次はどんな曲にする?」
昨日新曲をお披露目したばかりだというのに、志はすでに次のことを考えていた。「ノート見せてよ」と手のひらを上向きにした右手を出される。絢斗がコツコツ書き溜めてきた詩の中から、次に作る曲を決めるつもりらしい。
絢斗は素直に赤いノートを渡した。「さんきゅ」と受け取った志は、楽しそうにページをめくった。
「これは?」
彼の琴線に触れた詩は『紫陽花』と名づけたものだった。一年前、大学受験を控える中、気分転換がてら書いたものだ。
七月の中旬に入ってもなお梅雨が明けず、勉強の気合いも入らず、当時の絢斗はとにかく憂鬱な日々を過ごしていた。そんな、何日もかかえ続けた晴れない気持ちを失恋に置き換え、季節を代表する紫陽花の色彩をモチーフに据えて、一つの歌にまとめ上げた。
きみと並んで見た景色
僕ははっきりと覚えている
きみは紫陽花が好きだと言った
傘を差し 手をつなぎ 花の咲く場所を探したね
水が変われば 小さな花は色を変える
あふれる愛を映した赤 悲しみのブルー
きみの心はいつから移り変わったの
置き去られた愛情は
僕の中で息づいている
きみを想うことで 世界は色づくのに
今はどこまでも無色だね 透明だね
「切ない系だな。好きだよ、俺。こういうテイストの曲」
志はすっかりその気になっていた。鼻歌まで歌い出して、放っておいたらこの場で一曲完成させてしまいそうな勢いだ。
絢斗はクスっと笑い、筆談用の青いノートを取り出した。真っ白なページの上で手を動かすと、気づいた志が手もとを覗き込んできた。
〈志さんは本当に音楽が好きなんですね〉
なにげなく紡いだ一言は、志を一瞬真顔にさせた。その表情に絢斗が驚くひまは与えてもらえず、志はすぐに微笑んで「そうだな」と言った。
「好きだね、音楽。音楽なしに、俺の人生は語れないかな」
良くも悪くも、と志は声のトーンをやや落として付け加えた。『音楽=人生』と位置づけた彼だが、絢斗にはその発言が彼自身の意思で為されたものでないように感じられた。どことなく、見えない誰かに言わされているような雰囲気がある。気のせいかもしれないけれど。
話題を変えたほうがいいかもしれないと、絢斗は新たな一文をノートに綴った。
〈他には、どんなものが好きですか?〉
「好きなもの? 音楽以外で?」
絢斗はうなずき、ホワイトモカの入ったカップを指でさした。
「あぁ、うん。コーヒーは好きだな。甘いものも好き。キャラメルとか」
キャラメル。男らしい面立ちの志がおいしそうに食べているところを想像したら胸がキュンとなった。かわいい。絶対にかわいい。
「カレーも好き。割と辛めのやつ」
絢斗は親指を立ててみせる。絢斗もカレーライスは辛いほうが好きだった。
「辛いのは平気だけど、すっぱいものは苦手かな。酢とか、梅干しとか」
うんうんとうなずきながら、絢斗は〈食べ物以外には?〉と尋ねる。
「食べ物以外かぁ……。あ、一つ思いついた。二度寝」
絢斗は笑い、拍手をした。いい回答だ。二度寝ほど幸せな時間はないかもしれない。
「あとは、買い物。散歩がてら、ふらっとウィンドウショッピングをするだけでもいい。あぁ、実家の縁側でじーちゃんとひなたぼっこしながら昼寝するのも好きだったなぁ。スノーボードは歳の離れた従兄が教えてくれて好きになった。地元が岐阜だからさ、雪山には事欠かないんだよ」
少し照れ臭そうにしながら、志は好きなものをたくさん教えてくれた。少しずつ、渡久地志という人の輪郭がはっきりしてくる。
胸の奥に、あたたかいものを感じた。志のことを一つずつ知っていくこの時間が楽しくてたまらない。もっと知りたくなって、あれこれ尋ねたくてウズウズした。
心が動いているのがわかる。志のおかげで、これまで鳴りをひそめていたあらゆる感情がむくむくと首をもたげてくる。
ぱぁっと、心の中でなにかがほとばしるのを感じた。言葉が次々とあふれ出し、頭の中で一つの形になっていく。
絢斗は志の手もとにあった赤いノートを指さし、手のひらを上向けて「返してほしい」とジェスチャーだけで伝えた。志はすぐにわかってくれて、絢斗の手の上にノートを載せた。
シャープペンを握り、脳裏に描かれた情景を短い文章にしてまとめる。今回は単語を書き出す作業をすっ飛ばし、いきなり文章にしていった。
きみの好きなもの 教えて
コーヒー キャラメル カレーライス
すっぱいものは少し苦手
二度寝 買い物 ひなたぼっこ
スノーボード 雪国生まれのきみらしいね
手と手つないで 話をしよう
きみのこと もっと知りたいよ
今日はここへ行こう
明日はあれを食べよう
心躍る日々を送ろうよ
きみの好きなもの 教えて
「なんだよこれ」
でき上がった短い詩を見て、志は声を立てて笑った。
「俺のことじゃん」
そのとおりだ。『きみの好きなもの』というタイトルに決めて、ノートの余白に書き添えた。
「ちょっと恥ずかしいけど」
志は本当に恥ずかしそうに頬をかいた。
「でも、嬉しい」
シャープペンを握る絢斗の右手を、志は左手でそっと包んだ。
ペンを抜き取り、絢斗の手を取る。指を絡め、静かに握った。
「この詩は、絢斗の気持ちってことだよな?」
絢斗も恥ずかしかったけれど、ちゃんと伝わるようにうなずいた。
志のことを、もっと知りたい。
志の好きなものを好きになりたい。心を重ねて、志と同じ景色を見たい。
一緒に音楽を作りたい気持ちももちろんある。けれどそれ以上に、絢斗はただ単純に、志と同じ時間を過ごしたいと思った。あわよくば、そうすることで志が喜んでくれればいい、とも。
志が笑い、嬉しい気持ちになってくれると、絢斗も自然と嬉しくなる。幸せな気持ちになれる。
そんな時間が、今はなによりも大事だった。二人で作った楽曲が評価されたのは偶然だったかもしれない。でも、「二人で作った」という事実だけは絶対に揺らがない。
これからも、二人の時間を積み重ねていきたい。その過程の中で、いい音楽を作れればいい。
このささやかな願いを、志は受け止めてくれるだろうか。
「ねぇ、絢斗」
つながれたままの志の左手に力が入る。
「こういう気持ち、なんて言うか知ってる?」
絢斗が小首を傾げると、志はこれまでで一番男らしい笑みを浮かべて言った。
「恋だよ」
音もなく、唇が重なる。触れた部分に甘い刺激が細く走る。
絢斗は目を見開いた。志の唇が離れても、しばらくその顔はもとに戻らなかった。
「なに驚いた顔してんの」
志がクスクスと楽しげに笑う。
「これで三回目じゃん、キス」
そうだった。そして、志のキスはいつも不意打ちだ。
志の右手が、絢斗の髪をかき上げる。端正な顔で穏やかに微笑み、志は言った。
「俺のものになってよ、絢斗。俺のそばにいて、ずっと」
冗談ではない。志の、本気の告白。
「一緒になろう。音楽作りのパートナーから、一歩先へ進みたいんだ。俺は、絢斗のことが好きだから」
絢斗の綴った詩に対する、志のアンサー。おまえと同じ気持ちだよと、彼はそう伝えてくれた。
幸せだった。ほしいと強く願ったものが、心をゆっくりと満たしていく。
つながれたままの志の手を、絢斗はきゅっと握りしめた。
相手は男性。僕が恋に落ちた人は。
だけど、それがなんだ。
答えなんて、最初から決まってる――。
まっすぐ志の目を見つめた瞬間、これまで頑として動かなかったはずの口が、言葉の形になり始めた。
あ、り、が、と、う。
たったの五文字。息を止めたまま、絢斗は口をはっきりと動かして志に伝えた。
自分でも信じられなかった。どれだけ願っても叶わなかった、できなかったことが、志を前にすると、ごく自然に実現していく。願いがどんどん叶っていく。
「絢斗」
手で口もとを覆い隠す絢斗を、志も大きくした目で見つめた。
「今、『ありがとう』って……!」
声にはなっていなかったはずだ。けれど志は絢斗以上に嬉しそうに笑って「やったな」と絢斗を抱きしめてくれた。
「すごいよ、一歩前進だ!」
志の腕の中で、絢斗は涙ぐみながらうなずいた。志が景気よく背中をたたいてくれて、喜びでからだが芯からあたたまっていくのを感じた。
志といれば、なんでもできる気がした。一人では叶わなかった願いが、志とならきっと叶えられる。
人目も憚らず、二人はもう一度短いキスを交わした。額を寄せ合って笑い合い、次の楽曲制作に向けた打ち合わせを再開する。
幸せだった。
このままずっと志と一緒にいられたら、いったいどれほどの幸福を手にすることができるだろう。
これまで無数に取りこぼしてきた人生を、ようやく取り戻す時がきたのかもしれない。絢斗だって陽の当たる道を歩いてもいいのだと、志が教えてくれた気がした。
屈託なく笑う志の横顔につられ、絢斗の顔にも笑みが浮かぶ。
今この瞬間を切り取った詩が書けたら、きっと素敵な歌になる。志が歌ってくれたら、もっと。
にぎわいを増す昼日中のカフェで、二人は終始笑顔のまま打ち合わせを続けた。
店を出た頃にはすっかり陽が傾いていて、鮮やかな茜色の空が、肩を寄せ合って歩く二人を優しく見守っていた。
ギター一本の弾き語りであることはこれまでと変わらないが、カバーソングではなく完全なオリジナル曲を投稿するのははじめてで、多くのファンが応援してくれている志でも、今回はどういった評価を受けるかまったくわからないと言っていた。酷評される覚悟をしておいたほうがいい、とも。
結果として、それは志の杞憂に終わった。二人の共同制作楽曲『The light fall』は、投稿から一時間も立たないうちに一万回再生を突破し、ツイッターなどのSNSで多くの人が「いい!」と絶賛のコメントを添えて共有してくれたおかげでさらに再生回数が伸びた。
動画の概要欄には絢斗の名前も載った。『作詞:Ayato』。当初、やっぱり恥ずかしいから名前は出さないでほしいと絢斗は志に頼み込んでいたのだが、志は聞く耳を持たず、絢斗の名前を載せて『二人の共同制作』という面を押し出した。
しかし、いざ名前が載ってみると案外心が弾んでいることに気がついた。自ら日陰を選んで歩いてきた絢斗の存在を、世間が認知してくれた。自主的な行動ではないけれど、嬉しい気持ちに変わりはなかった。
「楽しいな」
翌日もまた八王子まで足を運んでくれた志は、絢斗を連れ出してカフェに入り、窓に面したカウンター席を二つ陣取った。
絢斗と並んで座り、ホワイトモカなるホットドリンクの入った紙のカップを、中身をかき混ぜるように傾けている。エスプレッソにホワイトチョコレートのシロップとホイップクリームをミックスしたものらしい。そっと口に運んだ彼の表情は晴れやかだった。
「はじめてオリジナル曲をアップしたけど、これだけたくさん聴いてもらえるとやっぱ嬉しいよな。なんていうか、自分という存在を認めてもらえたみたいでさ」
絢斗は大きくうなずいた。志が自分と同じ気持ちでいることが嬉しくて、自然と笑みがこぼれる。
「なぁ、次はどんな曲にする?」
昨日新曲をお披露目したばかりだというのに、志はすでに次のことを考えていた。「ノート見せてよ」と手のひらを上向きにした右手を出される。絢斗がコツコツ書き溜めてきた詩の中から、次に作る曲を決めるつもりらしい。
絢斗は素直に赤いノートを渡した。「さんきゅ」と受け取った志は、楽しそうにページをめくった。
「これは?」
彼の琴線に触れた詩は『紫陽花』と名づけたものだった。一年前、大学受験を控える中、気分転換がてら書いたものだ。
七月の中旬に入ってもなお梅雨が明けず、勉強の気合いも入らず、当時の絢斗はとにかく憂鬱な日々を過ごしていた。そんな、何日もかかえ続けた晴れない気持ちを失恋に置き換え、季節を代表する紫陽花の色彩をモチーフに据えて、一つの歌にまとめ上げた。
きみと並んで見た景色
僕ははっきりと覚えている
きみは紫陽花が好きだと言った
傘を差し 手をつなぎ 花の咲く場所を探したね
水が変われば 小さな花は色を変える
あふれる愛を映した赤 悲しみのブルー
きみの心はいつから移り変わったの
置き去られた愛情は
僕の中で息づいている
きみを想うことで 世界は色づくのに
今はどこまでも無色だね 透明だね
「切ない系だな。好きだよ、俺。こういうテイストの曲」
志はすっかりその気になっていた。鼻歌まで歌い出して、放っておいたらこの場で一曲完成させてしまいそうな勢いだ。
絢斗はクスっと笑い、筆談用の青いノートを取り出した。真っ白なページの上で手を動かすと、気づいた志が手もとを覗き込んできた。
〈志さんは本当に音楽が好きなんですね〉
なにげなく紡いだ一言は、志を一瞬真顔にさせた。その表情に絢斗が驚くひまは与えてもらえず、志はすぐに微笑んで「そうだな」と言った。
「好きだね、音楽。音楽なしに、俺の人生は語れないかな」
良くも悪くも、と志は声のトーンをやや落として付け加えた。『音楽=人生』と位置づけた彼だが、絢斗にはその発言が彼自身の意思で為されたものでないように感じられた。どことなく、見えない誰かに言わされているような雰囲気がある。気のせいかもしれないけれど。
話題を変えたほうがいいかもしれないと、絢斗は新たな一文をノートに綴った。
〈他には、どんなものが好きですか?〉
「好きなもの? 音楽以外で?」
絢斗はうなずき、ホワイトモカの入ったカップを指でさした。
「あぁ、うん。コーヒーは好きだな。甘いものも好き。キャラメルとか」
キャラメル。男らしい面立ちの志がおいしそうに食べているところを想像したら胸がキュンとなった。かわいい。絶対にかわいい。
「カレーも好き。割と辛めのやつ」
絢斗は親指を立ててみせる。絢斗もカレーライスは辛いほうが好きだった。
「辛いのは平気だけど、すっぱいものは苦手かな。酢とか、梅干しとか」
うんうんとうなずきながら、絢斗は〈食べ物以外には?〉と尋ねる。
「食べ物以外かぁ……。あ、一つ思いついた。二度寝」
絢斗は笑い、拍手をした。いい回答だ。二度寝ほど幸せな時間はないかもしれない。
「あとは、買い物。散歩がてら、ふらっとウィンドウショッピングをするだけでもいい。あぁ、実家の縁側でじーちゃんとひなたぼっこしながら昼寝するのも好きだったなぁ。スノーボードは歳の離れた従兄が教えてくれて好きになった。地元が岐阜だからさ、雪山には事欠かないんだよ」
少し照れ臭そうにしながら、志は好きなものをたくさん教えてくれた。少しずつ、渡久地志という人の輪郭がはっきりしてくる。
胸の奥に、あたたかいものを感じた。志のことを一つずつ知っていくこの時間が楽しくてたまらない。もっと知りたくなって、あれこれ尋ねたくてウズウズした。
心が動いているのがわかる。志のおかげで、これまで鳴りをひそめていたあらゆる感情がむくむくと首をもたげてくる。
ぱぁっと、心の中でなにかがほとばしるのを感じた。言葉が次々とあふれ出し、頭の中で一つの形になっていく。
絢斗は志の手もとにあった赤いノートを指さし、手のひらを上向けて「返してほしい」とジェスチャーだけで伝えた。志はすぐにわかってくれて、絢斗の手の上にノートを載せた。
シャープペンを握り、脳裏に描かれた情景を短い文章にしてまとめる。今回は単語を書き出す作業をすっ飛ばし、いきなり文章にしていった。
きみの好きなもの 教えて
コーヒー キャラメル カレーライス
すっぱいものは少し苦手
二度寝 買い物 ひなたぼっこ
スノーボード 雪国生まれのきみらしいね
手と手つないで 話をしよう
きみのこと もっと知りたいよ
今日はここへ行こう
明日はあれを食べよう
心躍る日々を送ろうよ
きみの好きなもの 教えて
「なんだよこれ」
でき上がった短い詩を見て、志は声を立てて笑った。
「俺のことじゃん」
そのとおりだ。『きみの好きなもの』というタイトルに決めて、ノートの余白に書き添えた。
「ちょっと恥ずかしいけど」
志は本当に恥ずかしそうに頬をかいた。
「でも、嬉しい」
シャープペンを握る絢斗の右手を、志は左手でそっと包んだ。
ペンを抜き取り、絢斗の手を取る。指を絡め、静かに握った。
「この詩は、絢斗の気持ちってことだよな?」
絢斗も恥ずかしかったけれど、ちゃんと伝わるようにうなずいた。
志のことを、もっと知りたい。
志の好きなものを好きになりたい。心を重ねて、志と同じ景色を見たい。
一緒に音楽を作りたい気持ちももちろんある。けれどそれ以上に、絢斗はただ単純に、志と同じ時間を過ごしたいと思った。あわよくば、そうすることで志が喜んでくれればいい、とも。
志が笑い、嬉しい気持ちになってくれると、絢斗も自然と嬉しくなる。幸せな気持ちになれる。
そんな時間が、今はなによりも大事だった。二人で作った楽曲が評価されたのは偶然だったかもしれない。でも、「二人で作った」という事実だけは絶対に揺らがない。
これからも、二人の時間を積み重ねていきたい。その過程の中で、いい音楽を作れればいい。
このささやかな願いを、志は受け止めてくれるだろうか。
「ねぇ、絢斗」
つながれたままの志の左手に力が入る。
「こういう気持ち、なんて言うか知ってる?」
絢斗が小首を傾げると、志はこれまでで一番男らしい笑みを浮かべて言った。
「恋だよ」
音もなく、唇が重なる。触れた部分に甘い刺激が細く走る。
絢斗は目を見開いた。志の唇が離れても、しばらくその顔はもとに戻らなかった。
「なに驚いた顔してんの」
志がクスクスと楽しげに笑う。
「これで三回目じゃん、キス」
そうだった。そして、志のキスはいつも不意打ちだ。
志の右手が、絢斗の髪をかき上げる。端正な顔で穏やかに微笑み、志は言った。
「俺のものになってよ、絢斗。俺のそばにいて、ずっと」
冗談ではない。志の、本気の告白。
「一緒になろう。音楽作りのパートナーから、一歩先へ進みたいんだ。俺は、絢斗のことが好きだから」
絢斗の綴った詩に対する、志のアンサー。おまえと同じ気持ちだよと、彼はそう伝えてくれた。
幸せだった。ほしいと強く願ったものが、心をゆっくりと満たしていく。
つながれたままの志の手を、絢斗はきゅっと握りしめた。
相手は男性。僕が恋に落ちた人は。
だけど、それがなんだ。
答えなんて、最初から決まってる――。
まっすぐ志の目を見つめた瞬間、これまで頑として動かなかったはずの口が、言葉の形になり始めた。
あ、り、が、と、う。
たったの五文字。息を止めたまま、絢斗は口をはっきりと動かして志に伝えた。
自分でも信じられなかった。どれだけ願っても叶わなかった、できなかったことが、志を前にすると、ごく自然に実現していく。願いがどんどん叶っていく。
「絢斗」
手で口もとを覆い隠す絢斗を、志も大きくした目で見つめた。
「今、『ありがとう』って……!」
声にはなっていなかったはずだ。けれど志は絢斗以上に嬉しそうに笑って「やったな」と絢斗を抱きしめてくれた。
「すごいよ、一歩前進だ!」
志の腕の中で、絢斗は涙ぐみながらうなずいた。志が景気よく背中をたたいてくれて、喜びでからだが芯からあたたまっていくのを感じた。
志といれば、なんでもできる気がした。一人では叶わなかった願いが、志とならきっと叶えられる。
人目も憚らず、二人はもう一度短いキスを交わした。額を寄せ合って笑い合い、次の楽曲制作に向けた打ち合わせを再開する。
幸せだった。
このままずっと志と一緒にいられたら、いったいどれほどの幸福を手にすることができるだろう。
これまで無数に取りこぼしてきた人生を、ようやく取り戻す時がきたのかもしれない。絢斗だって陽の当たる道を歩いてもいいのだと、志が教えてくれた気がした。
屈託なく笑う志の横顔につられ、絢斗の顔にも笑みが浮かぶ。
今この瞬間を切り取った詩が書けたら、きっと素敵な歌になる。志が歌ってくれたら、もっと。
にぎわいを増す昼日中のカフェで、二人は終始笑顔のまま打ち合わせを続けた。
店を出た頃にはすっかり陽が傾いていて、鮮やかな茜色の空が、肩を寄せ合って歩く二人を優しく見守っていた。



