中庭に先客はいなかった。色とりどりの花に囲まれた花壇の端っこの椅子に、二人して座る。

「俺、ずっと渡会に話せていなかったことがある。というか、もうこの体質は治ったと思って、話さなくても大丈夫だろうって思い込んでた。でも違ったんだ。渡会の話を聞いて、分かった」

「体質……? なんのこと?」

「信じてもらえないかもしれないけど……俺さ、前に医者に“感情増幅体質”だって言われたことがあるんだ」

「感情増幅体質……?」

 渡会の顔にいくつもの「?」が浮かぶ。そりゃそうだ。そんな体質、俺だって自分がそうだと言われるまで聞いたことがなかった。

「ああ。医者が言うには、“俺のことを好きになった相手が、俺への気持ちをどんどん増幅させて、苦しみに襲われる”という体質らしい」

「気持ちがどんどん大きくなって、苦しくなる——」

 渡会の顔に戸惑いの色が浮かぶ。
 心当たりがある、と言わんばかりの表情だ。彼女の顔つきを見て、ごくりと生唾をのみこんだ。

「それで中学の時に……付き合っていた当時の彼女——朱音っていうんだけど、彼女が、自ら命を絶った」

 さわさわと肌を覆っていたはずの秋風が、すっと身体から引いていくように、彼女の顔から表情が消えた。

「命を……うそ」

「本当なんだ。あの時朱音は、俺に苦しみの一つも教えてくれなかった。ある日突然、マンションの屋上から飛び降りた。後悔してもしきれなくて、あの日からずっと、周りの人間と関わるのを避けるようになったんだ。中学を卒業してから、高校生になっても、恋人はおろか友達もつくらないでおこうって思った。だから俺、渡会と出会った時も自分から渡会を遠ざけようとしたんだ」

 彼女にとって、俺の告白は身に迫るものがあったんだろう。
 驚愕に両方の目を見開き、わなわなと震え始める。

「きっと渡会が今感じてる気持ちは、俺のこの特異体質によるものなんだ。渡会はこれから俺を好きになるごとに、どんどん大きな苦しみに襲われると思う。だからさ、渡会……俺たちもう、別れよう」

 花々が風に揺れる微かな音も、校庭から響いてくる生徒たちの声も、吹奏楽部が自主練をしている音も、すべて聞こえなくなった。
 渡会の瞳に映る俺の顔は、ひどく険しくて。じわじわと目の端に溜まっていく涙をこぼさないようにブレザーの袖でぐっと拭った。
 
 突然「別れよう」だなんてどうかしている。俺はまだ渡会のことが好きだし、渡会だって俺のことを好きでいてくれるのに。だけど、その「好き」の気持ちが互いを破滅させると分かっていた。
 だから別れたい。
 これ以上きみを、苦しみの渦の中に放置しておかなくて済むように。

 縋られると、思った。
 彼女の顔にどんどん滲んでいく悲しみと痛みの感情が、分かりやすいくらいに溢れて、涙がほろりとこぼれ落ちる。いくつも、いくつも、「止めどなく」というのは今みたいな時に使うのだと頭の端っこで考えた。
 だけど彼女は「別れたくない」とは言わなかった。
 ずずっと鼻を啜りながら、両目を擦りながら、ただか細い声で「うん」と頷いた。
 それが、彼女が抱えてきた痛みの大きさを反映していると分かって。
 別れたばかりの元恋人の泣き顔が、俺の胸をナイフで切り刻むようにして痛みつけた。
 自分はどれだけ傷ついても構わない。
 だからどうか、神様。
 彼女のことはこれ以上、傷つけないでください。