俺のことを好きになるな。
 完膚なきまでに私が言おうとしていた言葉の続きを切り捨てた彼の姿に、打ちのめされてしまった。
 このまま遊園地から出てしまおうと思ったけれど、結局入口の近くで力が抜けてしまってその場にへたり込む。
 こんなところで座り込んでたら、周りの人に変な目で見られるだろうな。
 でも、もう何もかもどうでもいいや。
 みっきーに拒絶されてから、頭がぼうっとして上手く回らない。
 私、なんであのタイミングで好きだなんて言おうとしたんだろう。
 おかしいじゃん。だってまだ彼と出会って一週間しか経っていない。それなのに好きだなんて。急に言われても受け入れてもらえるはずないじゃない。

「ばーか、ばーか……」

 虚空に向かって呟く。傾きかけた陽が今の私の気持ちを表してくれているみたいだ。
 みっきーのことが気になったのは、出会ってすぐのことだ。
 
『職員室なら、西棟の一階の端だけど』

 職員室の場所が分からなくて、でも誰かに声をかける勇気もなく。あたふたしていた私の前にすっと現れた。

『ありがとう』

 お礼を言うと、ちょっと照れたように「別に」と返事をした。
 自分から親切に接してくれたのに、「別に」って。面白い人だなって思った。
 でも、翌日に一年一組の教室で彼と出会って、びっくりした。  
 彼が、教室の隅っこで息を潜めるようにして存在していたから。
 部屋の中で閉じこもって出てこなくなった弟のことを思い出して、胸がずんと疼いた。

「渡会、ここにいたのか。これ、忘れ物」

 ぜえぜえ、という激しい息遣いがすぐそばに迫っていた。
 考え事をしていたせいで、彼が目の前に立っていることに気づくのに遅くなった。ひゅっと差し出されたその手には、私のスマホが握られていた。
 ぱっと顔を上げて泣きそうになる。
 どうして、突き放したのに追いかけてきたの。
 純粋な疑問は、胸の奥の奥の方では喜びに変わっていた。胸に刺さっていた小さな棘が、一つずつ抜かれていくような。
 ああ、私、やっぱり好きなんだ。

「渡会、あのさ」

 彼が何かを言いかけた。のを、私は思い切って邪魔する。

「みっきーはずるいよ」

 彼が弾かれたようにこちらを見やる。

「そんなふうに追いかけてくるなんて、私、期待しちゃうじゃん」

「えっと……」

 何かを言いたそうに口籠る。
 私は、そんな彼の思考を遮るようにしてまた言葉を被せた。

「好きなったら悪い? 確かに出会って一週間しか経ってないけど、好きになっちゃったのは、仕方ないじゃんっ。だからさ、好きになるななんて、言わないでよ」

 雲が太陽の邪魔をして、彼の右半分の顔に影をつくる。私の顔だって、同じように暗く陰っているのかもしれない。こんなふうに、感情が抑えきれなくなったのは初めてだ。

「言わねえよ、もう。好きになるななんて、言わない」

 今度は彼が邪魔をした。
 今、なんて?
 降ってきた言葉の真意が知りたくて、思わず彼の顔をまじまじと見つめる。

「ごめん、渡会。さっきは……いや、出会った時から、関わるななんてひどいこと言って。俺、何も分かってなかった」

 ゆっくりと私の方に近づいてくる。彼のつま先から頭までが、視界いっぱいに広がる。

「俺と一緒にいたら、きっときみを傷つける。だから好きになってほしくなかった。でもたぶん、もう無理だ。俺が、無理。俺だって渡会のこと、好きになっちまったから」

「……え?」

 信じられない言葉を聞いた。
 だって私たち、出会ってまだ一週間じゃん。
 そんな簡単に好きになる?
 そっくりそのまま同じ言葉を返されそうだと苦笑する。
 好きになっちゃったんだから、仕方ないって。

「なんだ、そんなに驚くことか?」

「び、びっくりした……。だってあのみっきーが、誰かを好きになるなんて、思わないんだもん」

「でもお前はそんな俺に告白してきたじゃん」

「あれはもうっ、事故みたいなもんで……! みっきーが私のことを突き放そうとするから、どうしても言わないとって、感情が溢れてきて」

「もう言わなくてもいい。分かったから」

 ふわりと、大きくて温かいものに抱きしめられる。
 彼が私の身体を覆っていることに気づいた時、カッと全身が熱くなってしまった。

「な、な、何を……!」

「ごめん、嫌だった?」

「嫌じゃない! むしろその……嬉しい」

 ああ、なんて温かくて幸せなんだろう。
 さっきまで地獄の果てに堕ちていきそうだった気持ちが、ひゅんと天に昇っていくような。

「さっきも言ったけどさ……俺、たぶん渡会と一緒にいたら、渡会のこと傷つけると思う。それでも、俺と一緒にいたいって思う?」

 傷つけると思う。
 彼が言うことは半分も理解できない。
 好き合っているのに傷つけると思うって、つまり浮気をするかもしれないってこと?
 ううん、彼はきっとそんなことをする人ではない。じゃあ、なんで——。

「きみは俺と一緒にいたら、どうしようもなく苦しくなる日が来るかもしれないんだ。それでも耐えられる?」

 何を言っているのかは分からない。けれど、今この瞬間に私がみっきーのことを好きで、みっきーが私を好きでいてくれていることだけは確かだ。

「みっきーが言う“傷つける”っていうのが、何のことなのか、よく分からないけれど——でも、うん、きっと大丈夫。信頼し合っていれば、私たちは崩れない」

「そっか」

 予想外にあっけない返事をした彼が、私の言葉に納得してくれた様子で頷いた。
 そして、もうそれ以上は何も言わずに、もう一度私を強く抱きしめる。
 そこには、これから彼が私を裏切るかもしれないなんて微塵も感じられないくらい、透明な幸福感で溢れていて。
 私は思わず、両目を瞑り、彼の胸に顔を埋めた。

「よろしくね、みっきー」