◆
どうしてこんなことになってしまったのか。
ぐるぐると、一週間前から考え続けている。
九月七日、日曜日。
二学期が始まってから一週間が経った。その間、俺は渡会青葉に毎日のように「おはよう」と「また明日ね」を言われ続けてきた。
それだけならまだいい。
「みっきー、今日も勉強会してくれるよね?」
「今日は親の介護が、」
「その言い訳は三回目。しかも嘘でしょー」
「本当は家にUFOが突撃して大変なことに」
「UFOがこんな真昼間に落ちてくるなんて間抜けすぎない?」
いや、ツッコミどころそこじゃないだろ。
「ごめん。実は俺、本当は重病を患ってて……」
「またまた〜」
どんな言い訳をしようとも、彼女は天然パンチで突き返してくる。
重病っていうのは確かに嘘だけど、あながち間違いでもないんだけどな。
まあ、本当のことを彼女に言えるはずもなく、押しに押された俺は、結局放課後に彼女に勉強を教えるという散々な日々を送っている。
散々だ……そう、思っていたのに。
六時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り、右隣の彼女から「今日もよろしくね!」と笑顔を向けられて、胸がきゅんと疼いているのに気がついた。
俺、なんでドキドキなんかしてんだろ。
高校では、誰とも仲良くならない。友達なんかつくらないって決めたのに。
まして、異性の友達なんて——ろくなことが起きる気がしない。
ピコン、とスマホの通知音が鳴った。
メッセージアプリを開くと、無理やり交換させられた彼女の連絡先から、【今日は楽しみにしてるね♡】とピンク色のメッセージが届いていた。
「はあ……」
本当に、なんでこんなことに。
彼女から、日曜日の今日という日に二人で出かけないかと誘われたのは、二日前の金曜日のことだ。
『勉強教えてもらったお礼がしたいの! 楽しいとこに出かけようっ』
どうしてそれが「お礼」になるのか、教えていただきたい——と思ったけれど、さすがにそんなに失礼なことは聞けなかった。
彼女との待ち合わせは高校の最寄駅だった。約束の十三時に駅前に行くと、彼女はすでにそこに立って、回りをきょろきょろと見回していた。
「あ、みっきー、こんにちは!」
朗らかに手を挙げた彼女のほっとした表情を見ると、思わずまたため息が漏れた。
そんなふうに俺を見つけて嬉しそうな顔するなよ。
それじゃまるで、俺ときみが友達みたいじゃないか。
「遅れてごめん」
「ううん、待ってないよー。私も今着いたとこ! それより早く行こっ」
薄桃色のブラウスに、ジーンズ生地のスカートを履いた彼女は、くるりと踵を返す。同時にふわりと甘い香りがして、不覚にも胸がドキリと跳ねた。
「どこに行くんだっけ」
「それは着いてからのお楽しみ」
語尾に「🎵」でも付きそうな明るいテンションで、やってきた電車へと乗り込む。時々スマホを見ながら、乗り換えのことなんかを確認しているみたいだ。思えば彼女は転校生だし、この辺の電車のことには詳しくないのだろう。
「つーいーたっ」
たどり着いた駅名を見て、俺は「あっ」と声を上げる。
「遊園地。行ってみたかったんだ」
踊り出しそうなテンションで今日の行き先を告げる彼女。
ここ……昔、朱音と来たところだ……。
瞬時に数年前のデートの思い出が頭の中をよぎる。ちらりと彼女の方を見ると「どうかした?」と俺の顔を覗き込んできた。
「なんでもない。……早く行くぞ」
「うん!」
遊園地には行きたくない、と言えば良かった。けれど、ここまで知らない土地で電車での行き方を調べて頑張ってくれていた彼女を見ると、どうしても断ることはできなかった。
それに、とふと自分の胸に湧き上がる感情について考える。
俺、彼女と遊園地に行くのが楽しそうだって思わなかったか?
一瞬でも、そう感じていた。俺はたぶん、この時点でもう彼女と関わらずにはいられないことを、察していた。
観念しよう。
俺は彼女と、友達になりたいと思ってしまった。
いや、違う。
友達じゃない。
それ以上の、関係に——。
遊園地では、それはそれは彼女は楽しそうにはしゃぎまくっていた。
ジェットコースター、観覧車、メリーゴーランド、コーヒーカップ、お化け屋敷。
遊園地の王道ともとれるアトラクションをすべて満喫して、「楽しかったー!」と大きく伸びをする。俺はへとへとなんだけど。彼女は終始満面の笑みで、ころころと踊るようにして園内を駆けていた。
すっかり日が暮れていて、徐々に辺りが暗くなっていく。
疲れすぎてこのまま帰るのも大変だな、と考えていた矢先、彼女が「あそこで休憩しない?」と園内のカフェを指差した。
「わー、ここ素敵だね。遊園地だからもっと子供向けかと思ったのに、大人な雰囲気だ」
「そうだな。親子連れで来て、親御さんがここでゆっくりできるようにつくられてるみたいだ」
「うんうん。高校生の男女のカップル向けでもありそうだよ?」
わざとらしく舌を出して笑う彼女を、俺は思わずじっと見つめてしまう。
「俺と渡会は、そういう関係じゃないだろっ」
恥ずかしくて捨て台詞のように言い放つ。
すると、彼女はどういうわけかぽっと顔を赤めて、にっこりと笑った。
「何? 俺の顔になんかついてる?」
「ううん、今、初めてまともに名前を呼んでくれたと思って」
「……そうか?」
「うん。ずっと“あんた”呼ばわりされてたんだもん」
ぷうっと頬を膨らませて拗ねた様子を演出する彼女。言われてみれば確かにそうかもしれない。彼女と距離を縮めてはダメだという気持ちが根底にあって、無意識のうちに名前を呼ばないようにしていた。
「私、本当はずっと不安だったんだよね。新しい学校で友達できるのかなーって」
カフェの席について、俺はホットコーヒーを、彼女はメロンソーダを頼んだ。対極にあるような二つの飲み物が運ばれてくる。
渡会青葉にメロンソーダのシュワシュワは映えている。
きっと彼女が、底抜けに明るい笑顔を振り撒いているからだ。
「不安……? 渡会でもそんな感情になるのか」
「うわ、失礼な! 私だって不安になることあるよ」
「いや、そういう意味じゃなくて。渡会ってどこに行ってもそんな感じなら、すぐに友達ができるだろうなって思ったから」
素直な感想だった。
彼女の性格なら、友達づくりには困らないだろう。だって、俺みたいな根暗なキャラの人間でさえ、こうして絆されそうになっているのだから。
渡会は俺の言葉に一瞬目を丸くして、それから「ふふ」といつものように柔和な笑みを浮かべた。
「これでも結構頑張ってるんだよ? 家ではこんなに喋らないし。みっきーと、仲良くなりたかったから」
トクントクントクン。
心臓の脈動がどんどん速く激しくなる。ホットコーヒーが喉を伝う感覚に、やけに敏感になった。
「みっきー、私はさ、みっきーのこと」
「俺のことを好きになるな」
穏やかなBGMが流れているはずの店内が、静寂に包まれた。
……違う。
静寂になったと感じたのは、目の前にいる彼女が弾かれたようにはっと俺を凝視したからだ。
「……どうして」
自意識過剰とも取れる俺の発言を、彼女を笑い飛ばしたりしなかった。
彼女のことだから、「何言ってんの〜」とへらへら笑って返してくることを期待していた。でも彼女はそうしなかった。それはつまり、俺がカマをかけた言葉が彼女の真意なのだということを示していた。
「好き……なのか?」
自分で「好きになるな」と言ったくせに、こう聞き返す俺は最低な人間なのかもしれない。
彼女は声にならない吐息を漏らしながら、「あぁ」とか「うぅ」とか、何かを言い淀む。
それからすぐに、顔が蒼白になったかと思うと、ガタッと椅子から立ち上がった。
「ごめんなさい」
蚊の鳴くように呟いた彼女の瞳から、一筋の涙が溢れていることに気づいた時にはもう遅かった。彼女はカフェから飛び出して、一目散に俺のそばから離れていった。
そんなはずない。渡会青葉が俺のことを好きになって、その気持ちを否定されて泣いているなんて。
俺は、どこで間違ったんだろう。
どうして彼女に好きだなんて思わせたんだろう。
分からない。
彼女の心の揺れ動きについて、俺は何一つ理解できていない。
だけど一つだけ、分かったことがある。
「俺は、渡会のこと」
友達以上の関係になってみたいと思った。
友達さえ、つくらないと決めていたのに。
あまりにも滑稽な結果に嘲笑うしかない。
「渡会」
彼女と同じように椅子から立ち上がる。
ふとテーブルの上を見ると、彼女のスマホが置き忘れられていることに気づいた。
スマホを手に取り、ポケットにしまう。
これで追いかける口実ができた。
素早く代金を支払い、辺りをさっと見回した。
いない。
でも、ここで諦めて帰るわけにはいかない。
靴紐をしっかりと結び直して、遊園地の中を駆け回る。
どうか一刻も早く、彼女に追いつきますようにと深く激しく祈った。
どうしてこんなことになってしまったのか。
ぐるぐると、一週間前から考え続けている。
九月七日、日曜日。
二学期が始まってから一週間が経った。その間、俺は渡会青葉に毎日のように「おはよう」と「また明日ね」を言われ続けてきた。
それだけならまだいい。
「みっきー、今日も勉強会してくれるよね?」
「今日は親の介護が、」
「その言い訳は三回目。しかも嘘でしょー」
「本当は家にUFOが突撃して大変なことに」
「UFOがこんな真昼間に落ちてくるなんて間抜けすぎない?」
いや、ツッコミどころそこじゃないだろ。
「ごめん。実は俺、本当は重病を患ってて……」
「またまた〜」
どんな言い訳をしようとも、彼女は天然パンチで突き返してくる。
重病っていうのは確かに嘘だけど、あながち間違いでもないんだけどな。
まあ、本当のことを彼女に言えるはずもなく、押しに押された俺は、結局放課後に彼女に勉強を教えるという散々な日々を送っている。
散々だ……そう、思っていたのに。
六時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り、右隣の彼女から「今日もよろしくね!」と笑顔を向けられて、胸がきゅんと疼いているのに気がついた。
俺、なんでドキドキなんかしてんだろ。
高校では、誰とも仲良くならない。友達なんかつくらないって決めたのに。
まして、異性の友達なんて——ろくなことが起きる気がしない。
ピコン、とスマホの通知音が鳴った。
メッセージアプリを開くと、無理やり交換させられた彼女の連絡先から、【今日は楽しみにしてるね♡】とピンク色のメッセージが届いていた。
「はあ……」
本当に、なんでこんなことに。
彼女から、日曜日の今日という日に二人で出かけないかと誘われたのは、二日前の金曜日のことだ。
『勉強教えてもらったお礼がしたいの! 楽しいとこに出かけようっ』
どうしてそれが「お礼」になるのか、教えていただきたい——と思ったけれど、さすがにそんなに失礼なことは聞けなかった。
彼女との待ち合わせは高校の最寄駅だった。約束の十三時に駅前に行くと、彼女はすでにそこに立って、回りをきょろきょろと見回していた。
「あ、みっきー、こんにちは!」
朗らかに手を挙げた彼女のほっとした表情を見ると、思わずまたため息が漏れた。
そんなふうに俺を見つけて嬉しそうな顔するなよ。
それじゃまるで、俺ときみが友達みたいじゃないか。
「遅れてごめん」
「ううん、待ってないよー。私も今着いたとこ! それより早く行こっ」
薄桃色のブラウスに、ジーンズ生地のスカートを履いた彼女は、くるりと踵を返す。同時にふわりと甘い香りがして、不覚にも胸がドキリと跳ねた。
「どこに行くんだっけ」
「それは着いてからのお楽しみ」
語尾に「🎵」でも付きそうな明るいテンションで、やってきた電車へと乗り込む。時々スマホを見ながら、乗り換えのことなんかを確認しているみたいだ。思えば彼女は転校生だし、この辺の電車のことには詳しくないのだろう。
「つーいーたっ」
たどり着いた駅名を見て、俺は「あっ」と声を上げる。
「遊園地。行ってみたかったんだ」
踊り出しそうなテンションで今日の行き先を告げる彼女。
ここ……昔、朱音と来たところだ……。
瞬時に数年前のデートの思い出が頭の中をよぎる。ちらりと彼女の方を見ると「どうかした?」と俺の顔を覗き込んできた。
「なんでもない。……早く行くぞ」
「うん!」
遊園地には行きたくない、と言えば良かった。けれど、ここまで知らない土地で電車での行き方を調べて頑張ってくれていた彼女を見ると、どうしても断ることはできなかった。
それに、とふと自分の胸に湧き上がる感情について考える。
俺、彼女と遊園地に行くのが楽しそうだって思わなかったか?
一瞬でも、そう感じていた。俺はたぶん、この時点でもう彼女と関わらずにはいられないことを、察していた。
観念しよう。
俺は彼女と、友達になりたいと思ってしまった。
いや、違う。
友達じゃない。
それ以上の、関係に——。
遊園地では、それはそれは彼女は楽しそうにはしゃぎまくっていた。
ジェットコースター、観覧車、メリーゴーランド、コーヒーカップ、お化け屋敷。
遊園地の王道ともとれるアトラクションをすべて満喫して、「楽しかったー!」と大きく伸びをする。俺はへとへとなんだけど。彼女は終始満面の笑みで、ころころと踊るようにして園内を駆けていた。
すっかり日が暮れていて、徐々に辺りが暗くなっていく。
疲れすぎてこのまま帰るのも大変だな、と考えていた矢先、彼女が「あそこで休憩しない?」と園内のカフェを指差した。
「わー、ここ素敵だね。遊園地だからもっと子供向けかと思ったのに、大人な雰囲気だ」
「そうだな。親子連れで来て、親御さんがここでゆっくりできるようにつくられてるみたいだ」
「うんうん。高校生の男女のカップル向けでもありそうだよ?」
わざとらしく舌を出して笑う彼女を、俺は思わずじっと見つめてしまう。
「俺と渡会は、そういう関係じゃないだろっ」
恥ずかしくて捨て台詞のように言い放つ。
すると、彼女はどういうわけかぽっと顔を赤めて、にっこりと笑った。
「何? 俺の顔になんかついてる?」
「ううん、今、初めてまともに名前を呼んでくれたと思って」
「……そうか?」
「うん。ずっと“あんた”呼ばわりされてたんだもん」
ぷうっと頬を膨らませて拗ねた様子を演出する彼女。言われてみれば確かにそうかもしれない。彼女と距離を縮めてはダメだという気持ちが根底にあって、無意識のうちに名前を呼ばないようにしていた。
「私、本当はずっと不安だったんだよね。新しい学校で友達できるのかなーって」
カフェの席について、俺はホットコーヒーを、彼女はメロンソーダを頼んだ。対極にあるような二つの飲み物が運ばれてくる。
渡会青葉にメロンソーダのシュワシュワは映えている。
きっと彼女が、底抜けに明るい笑顔を振り撒いているからだ。
「不安……? 渡会でもそんな感情になるのか」
「うわ、失礼な! 私だって不安になることあるよ」
「いや、そういう意味じゃなくて。渡会ってどこに行ってもそんな感じなら、すぐに友達ができるだろうなって思ったから」
素直な感想だった。
彼女の性格なら、友達づくりには困らないだろう。だって、俺みたいな根暗なキャラの人間でさえ、こうして絆されそうになっているのだから。
渡会は俺の言葉に一瞬目を丸くして、それから「ふふ」といつものように柔和な笑みを浮かべた。
「これでも結構頑張ってるんだよ? 家ではこんなに喋らないし。みっきーと、仲良くなりたかったから」
トクントクントクン。
心臓の脈動がどんどん速く激しくなる。ホットコーヒーが喉を伝う感覚に、やけに敏感になった。
「みっきー、私はさ、みっきーのこと」
「俺のことを好きになるな」
穏やかなBGMが流れているはずの店内が、静寂に包まれた。
……違う。
静寂になったと感じたのは、目の前にいる彼女が弾かれたようにはっと俺を凝視したからだ。
「……どうして」
自意識過剰とも取れる俺の発言を、彼女を笑い飛ばしたりしなかった。
彼女のことだから、「何言ってんの〜」とへらへら笑って返してくることを期待していた。でも彼女はそうしなかった。それはつまり、俺がカマをかけた言葉が彼女の真意なのだということを示していた。
「好き……なのか?」
自分で「好きになるな」と言ったくせに、こう聞き返す俺は最低な人間なのかもしれない。
彼女は声にならない吐息を漏らしながら、「あぁ」とか「うぅ」とか、何かを言い淀む。
それからすぐに、顔が蒼白になったかと思うと、ガタッと椅子から立ち上がった。
「ごめんなさい」
蚊の鳴くように呟いた彼女の瞳から、一筋の涙が溢れていることに気づいた時にはもう遅かった。彼女はカフェから飛び出して、一目散に俺のそばから離れていった。
そんなはずない。渡会青葉が俺のことを好きになって、その気持ちを否定されて泣いているなんて。
俺は、どこで間違ったんだろう。
どうして彼女に好きだなんて思わせたんだろう。
分からない。
彼女の心の揺れ動きについて、俺は何一つ理解できていない。
だけど一つだけ、分かったことがある。
「俺は、渡会のこと」
友達以上の関係になってみたいと思った。
友達さえ、つくらないと決めていたのに。
あまりにも滑稽な結果に嘲笑うしかない。
「渡会」
彼女と同じように椅子から立ち上がる。
ふとテーブルの上を見ると、彼女のスマホが置き忘れられていることに気づいた。
スマホを手に取り、ポケットにしまう。
これで追いかける口実ができた。
素早く代金を支払い、辺りをさっと見回した。
いない。
でも、ここで諦めて帰るわけにはいかない。
靴紐をしっかりと結び直して、遊園地の中を駆け回る。
どうか一刻も早く、彼女に追いつきますようにと深く激しく祈った。



