***
「感情増幅体質? なんですか、それは」
二年前の秋。
中学校近くのメンタルクリニックにかかった俺は、医者からとんでもない話を聞かされた。
「症例は世界にも数例だけで、私たちもほとんど詳しいことは分かっていないのですが……どうやら光希くんは、『光希くんのことを好きになった相手の感情を何倍にも増幅させてしまう』体質みたいです」
「どういうこと……?」
そう呟いたのは、俺じゃなかった。
隣で一緒に診察を受けていた、当時の俺の恋人——朱音だ。
「光希くんを好きになった人が、光希くんのことを好きだという気持ちをどんどん増長させてしまうというものです」
医者の言葉に、俺と朱音は思わず顔を見合わせた。
聞いたことのないその体質のことを聞いて、互いの頭の上に「?」が見えた気がする。
「それ……それって、何か、悪い影響があるんでしょうか? 身体に異常をきたすようなことは?」
「光希くんの方には、特に何も異常は起こりません。問題は、光希くんのことを好きになった方のほうです」
「わ、わたし……?」
びっくりして身を乗り出す朱音。俺も咄嗟に朱音の顔を見ていた。
「はい。光希くんの感情増幅体質により、恋人のあなたは彼への気持ちが抑えられなくなります。苦しみで胸がいっぱいになる可能性があるんです」
「苦しみ……」
医者の言うことが、左耳から右耳へと抜けていく。
好きな気持ちが増幅されたとして、どうして苦しい気持ちになるんだろうか。
朱音も同じ疑問を抱いているようで、医者の話にはあまりピンと来ていない様子だった。
「今は分からないかもしれませんが、その時が来れば分かります。何かあったら、いつでも相談に来てください」
「はあ」
結局、医者の話を半分も飲み込むことができず、俺は朱音とクリニックを後にした。
「ねえ、さっきの話、どう思う?」
「感情増幅体質、か」
「聞いたことないよねー。てか、こういうのってファンタジーじゃない? 現実にそんなことあるはずないって」
「そうだな。そう、だよな」
けらけらと笑っている朱音を見ていると、本当になんでもないことのような気がしてきた。
「だからさ、きっと大丈夫だよ。心配することなんて何もない。わたし、光希のこと好きだよ」
「……分かってるって」
照れもせずに腕を組んでくる朱音に対し、道端で恥ずかしいと思ってしまった俺だったけれど、好きだと言われてやっぱり嬉しくて、彼女の頭を撫でた。
大丈夫だよ。
笑ってそう言った朱音の言葉を、俺は本気で信じていた。
感情増幅体質なんて、聞いたこともないし、そんなやつと出会ったこともない。
だから大丈夫。医者の勘違いだ。俺と朱音には、何も悪いことなんて起こらない。
そう思っていた。だけど。
半年後、朱音はマンションの屋上から飛び降りた。
遺書はしっかりとあって「光希くん、ごめんね」とだけ書かれていたらしい。
彼女の訃報を聞かされた時、まるで自分という存在が宙に浮いているかのようにふわふわと揺れているように感じた。
おかしい。
こんなのおかしい。
つい昨日まで、朱音は一度も俺に苦しそうな表情を見せなかった。しんどいも、辛いも、何も言わずに笑顔でいた。感情増幅体質だと診断されて一時心配していたけれど、そんな診断はなかったかのように、朱音は俺といる時、あまりにも普通だった。
だから、彼女が飛び降り自殺をしたなんて、そんなはず、ない。
叫び出したい衝動に駆られながら、それでも声も、涙も、何一つ出せなかった。
ただ茫然と、自分が犯した罪の重さを思い知って、立ち尽くした。
それから俺は、人との関わりを一切避けて生きている。
高校生になった今も、教室の隅っこで、誰にも声をかけられないようにひっそりと息を止めて。
俺という存在に、誰も興味を持ちませんように。
ずっと、祈りながら、怯えながら、無為の一日を過ごしている。
「感情増幅体質? なんですか、それは」
二年前の秋。
中学校近くのメンタルクリニックにかかった俺は、医者からとんでもない話を聞かされた。
「症例は世界にも数例だけで、私たちもほとんど詳しいことは分かっていないのですが……どうやら光希くんは、『光希くんのことを好きになった相手の感情を何倍にも増幅させてしまう』体質みたいです」
「どういうこと……?」
そう呟いたのは、俺じゃなかった。
隣で一緒に診察を受けていた、当時の俺の恋人——朱音だ。
「光希くんを好きになった人が、光希くんのことを好きだという気持ちをどんどん増長させてしまうというものです」
医者の言葉に、俺と朱音は思わず顔を見合わせた。
聞いたことのないその体質のことを聞いて、互いの頭の上に「?」が見えた気がする。
「それ……それって、何か、悪い影響があるんでしょうか? 身体に異常をきたすようなことは?」
「光希くんの方には、特に何も異常は起こりません。問題は、光希くんのことを好きになった方のほうです」
「わ、わたし……?」
びっくりして身を乗り出す朱音。俺も咄嗟に朱音の顔を見ていた。
「はい。光希くんの感情増幅体質により、恋人のあなたは彼への気持ちが抑えられなくなります。苦しみで胸がいっぱいになる可能性があるんです」
「苦しみ……」
医者の言うことが、左耳から右耳へと抜けていく。
好きな気持ちが増幅されたとして、どうして苦しい気持ちになるんだろうか。
朱音も同じ疑問を抱いているようで、医者の話にはあまりピンと来ていない様子だった。
「今は分からないかもしれませんが、その時が来れば分かります。何かあったら、いつでも相談に来てください」
「はあ」
結局、医者の話を半分も飲み込むことができず、俺は朱音とクリニックを後にした。
「ねえ、さっきの話、どう思う?」
「感情増幅体質、か」
「聞いたことないよねー。てか、こういうのってファンタジーじゃない? 現実にそんなことあるはずないって」
「そうだな。そう、だよな」
けらけらと笑っている朱音を見ていると、本当になんでもないことのような気がしてきた。
「だからさ、きっと大丈夫だよ。心配することなんて何もない。わたし、光希のこと好きだよ」
「……分かってるって」
照れもせずに腕を組んでくる朱音に対し、道端で恥ずかしいと思ってしまった俺だったけれど、好きだと言われてやっぱり嬉しくて、彼女の頭を撫でた。
大丈夫だよ。
笑ってそう言った朱音の言葉を、俺は本気で信じていた。
感情増幅体質なんて、聞いたこともないし、そんなやつと出会ったこともない。
だから大丈夫。医者の勘違いだ。俺と朱音には、何も悪いことなんて起こらない。
そう思っていた。だけど。
半年後、朱音はマンションの屋上から飛び降りた。
遺書はしっかりとあって「光希くん、ごめんね」とだけ書かれていたらしい。
彼女の訃報を聞かされた時、まるで自分という存在が宙に浮いているかのようにふわふわと揺れているように感じた。
おかしい。
こんなのおかしい。
つい昨日まで、朱音は一度も俺に苦しそうな表情を見せなかった。しんどいも、辛いも、何も言わずに笑顔でいた。感情増幅体質だと診断されて一時心配していたけれど、そんな診断はなかったかのように、朱音は俺といる時、あまりにも普通だった。
だから、彼女が飛び降り自殺をしたなんて、そんなはず、ない。
叫び出したい衝動に駆られながら、それでも声も、涙も、何一つ出せなかった。
ただ茫然と、自分が犯した罪の重さを思い知って、立ち尽くした。
それから俺は、人との関わりを一切避けて生きている。
高校生になった今も、教室の隅っこで、誰にも声をかけられないようにひっそりと息を止めて。
俺という存在に、誰も興味を持ちませんように。
ずっと、祈りながら、怯えながら、無為の一日を過ごしている。



