わたしは、自分で言うのもなんだが、小学生の時から模範少女だったと思う。
 成績は上から数えたほうが早かったし、運動も平均以上にはできた。本を読むのも好きで、生徒会にも入っていた。
 そんなわたしは、誰が見ても優等生だった。
 でも、ある日を境に、その優等生という肩書きを背負うことがしんどくなった。 
 きっかけは一年前。祖母が亡くなる前日に渡してきたノートだった。
 わたしはずっと、祖母を避けて生きていた。嫌い、とはっきりと言われてしまうのが怖かったからだ。
 むかしから祖母には冷たい態度をとられていて、父がそれを窘めるのが、恒例となっていた。そんな中、祖父はわたしにめっぽう甘かった。典型的な孫バカで、家に行くといつも新品の児童書と甘い飲み物が用意されていた。祖母のことは好きにはなれなかったけれど、祖父がいてくれたから、なんと心の平穏を保つことができた。そんな祖父も、母が亡くなる半年前に病気で亡くなったのだった。時が経つにつれ、わたしは祖母の態度を、よくある嫁姑問題だと解釈するようになった。わたしは彼女の孫だが、顔立ちは母似だったから、わたしのことも嫌っているのだろうと。
 でも、今思えば、そっちの方が何倍もマシだった。
 ある日、わたしはひとりで祖母のお見舞いに行った。普段は父に誘われてしぶしぶついて行っていたのだが、もう彼女が長くないと知り、なけなしの勇気を振り絞ったのだ。

「……お、お祖母ちゃんは、わたしのこと、嫌い……なんだよね?」

 たどたどしく尋ねると、祖母はしばらく黙った後、サイドテーブルの引き出しの奥から一冊のノートを取り出した。
 驚いた。それは、わたしが宝物のように手元に置いていたお母さんの日記の続きだった。おそらく、わたしが生まれた時のことなどが書かれているであろう、幻の五冊目。

「遺品整理の時に、これだけ抜き取っておいたんだよ。見られたら都合が悪いからねえ……それを見るかはアンタ次第だ。アタシはもう知らんよ」

 それが、わたしが聞いた祖母の最後の言葉だった。次の日の早朝、彼女は帰らぬ人となった。
 お葬式が終わり、一段落着いた頃、わたしは意を決してその中身を読むことにした。見られたら都合が悪いこと、その真実を知りたかったのだ。
 最初の一ページ。それを見た瞬間、わたしの時が止まった。

『二〇〇六年 八月十三日 お義父さんに体を触られた。そして、襲われた。秀太さんはいなかった。怖くて何も言えなかった。これからお盆の間、ずっとここにいなくちゃいけないの? 明日はお義母さんと寝よう、そうしよう』

「……は」

 体を触られた、襲われた、それらの言葉が分からないほど、わたしは鈍感でも、純粋でもなかった。
 怖くなって、数ページ飛ばしながら読んだ。楽しい話題もないわけではないが、暗く悲痛な内容が圧倒的に多かった。
 そして、

『二〇〇六年 十二月一日 病院に行った。生理が来なかったからだ。きっと何かの間違いだと思った。ストレスか、大きな病気だと思った。そうであってほしかった。でも、現実は残酷だった。わたしのお腹には、赤ちゃんがいるらしい。妊娠四か月弱らしい。わたしは病室で卒倒してしまった。駆けつけて来た秀太さんは、わたしを抱きしめて、「心配したよ」と言ってくれた。そして、「子供ができてうれしいよ」と言った。わたしは泣いた。秀太さんは大丈夫だって言ってくれたけど……違う、違うんだよ。もういっそのこと、みんながわたしを最低だと罵ってくれればどれだけいいことか。秀太さん、この子はきっと……あなたの子供じゃないんだよ』

 その瞬間、わたしの心が真っ黒な何に満たされて、そしてひび割れ、じわじわとしたたり落ちてゆく。絶望とはこんな感覚なのかと、初めて感じた。
 わたしは、不義の子だった? わたしの存在が、お母さんを追い詰めていた?
 それ以上に、大好きだった祖父が、母に乱暴していたという事実に、激しい絶望感を感じた。
 震える手でページをめくっていく。怖くてしっかりと読むことはできなかった。ただ、お母さんはわたしがお腹の中で育っていくたびに、胸が張り裂けそうになっていた、ということだけは、ひしひしと伝わってきた。
 そして、最後のページを見て、わたしは絶叫した。

『二〇一八年 六月二十日 もう無理です。ごめんなさい。大好きな人たちを愛せないわたしが嫌になったんです。さようなら。あなたたちを愛していました』

 書かれている日付けは、お母さんの命日だった。
 この日記を書いた後、お母さんは赤信号の道路に飛び込んで亡くなった。警察は事故として処理したし、わたし自身もそう思っていた。でも、本当は違った。
 お母さんが死んだのはわたしのせい。わたしが生まれたせいで、お母さんは精神を病んで、自ら命を絶ったのだ。
 その日から、わたしは自分の存在が気持ち悪くてしょうがなかった。お母さんを苦しめた人の血が流れている事実に、強烈な吐き気を催した。
 こんな気持ち悪い存在が、優等生として生きられるだろうか? 無理だった。少なくともわたしは、そんなに強くはなかった。
 お母さんを殺し、汚れた血が流れるわたしが、優等生らしく生きて、賞賛されるなんて、あってはならないことだと思った。
 それと同時に、わたしはこれまで以上に、幽霊に声をかけるようになった。幽霊は、人の魂を掠め取れる。わたしはそれを知っていた。
 だからこそ、幽霊を頼った。源氏物語の夕顔が、怨霊に魂を掠め取られたように、わたしの魂を奪ってこの世から消してもらうために。
 わたしを殺してもらうために……。