空美ちゃんに海斗さんの遺品を手渡すと、彼女はまるで珍しいものを見るかのように観察していた。
いつも通り仕事をして、話し込んで、すっかり日も傾いた頃。窓から風を取り込んだリビングで、わたしは海斗さんから預かったプレゼントを渡した。
「えっと、これは……」
空美ちゃんは困惑している。
「実は、これを海斗さんから預かっていたんです」
「え」
驚いた表情をしている。当然だ。
「うん、もし空美ちゃんの卒業まで生きられなかったら渡しておいて欲しいって言われてたんです。ごめんね、ずっと黙ってて」
「ううん、それはいいんだけど……美歌ちゃんって、お兄ちゃんの知り合いだったの?」
「えっとね……」わたしは海斗さんとの出会いについては、病院で偶然知り合い、同年代だったこともあり仲良くなった、ということにした。一応わたしたちは病院で一度会っていたようなので、嘘はついていない。
「そうだったんだねえ……」
窓の外に視線を向け、その瞳を細めた。網戸から入ってきた風が、その髪を揺らした。そんな姿もよく映える。
「……美歌ちゃん」
「ん?」
「春休みが終わっても、たまには遊びに来てね。待ってるから」
「……」答えられなかった。これからわたしは、海斗さんと共に死ぬのだから。彼と共に、死後の世界へ……。
——あれ。
ふと気づいた。あの甘いにおいがしない。この一ヶ月の間、ところ構わず香っていたので気づかなかった。そういえば、瓦町駅を降りたあたりから、海斗さんの声が聞こえない。
総身が冷える思いがした。
いてもいられなくなって立ち上がる。
「ごめん、今日はもう帰るね」
そう言い残し、わたしは家を飛び出した。後ろから空美ちゃんの声が聞こえたが、構っている余裕はなかった。
「海斗さん! 海斗さん……!」
叫んだ、叫び続けた。喉が裂けるほどに、声が出せなくなるほどに。だが、海斗さんの声を聞くことは叶わなかった。
海斗さんと、あの幽霊特有のにおいの消失。そこから真っ先に考えられることは、たったひとつだ。
——海斗さんが、成仏してしまった?
♢
まるで、本物の幽霊になったような気分だった。そうだとしたら、どれだけよかったのだろうか。閑散とした端岡駅のホームで、ひとり考えた。
海斗さんの姿が見えない。あのにおいもない。どこにいるのかわからない。彼は幽霊だ。生きた友達のように連絡は取れないし、誰かに頼んで探してもらうこともできない。
わたしの知らないところで、海斗さんはもう成仏してしまったのだのだろうか。彼の未練が晴らされた今、無意識のうちに成仏してしまっていてもおかしくはないのかもしれない。あの日、学校で出会った幽霊のように。
あの時、わたしが感じたのは、間違いなく失望感だった。今回もだめだった、次こそは、という気持ち。
だが、今回はまるで違った。彼が成仏したことに失望なんてしていない。ただ、強い喪失感を覚えた。わたしの魂の一部を形成していた何かが、ごっそりと抜け落ちてしまった、そんな感覚があった。
「……ふふっ、変だなあ」
最初、海斗さんからの頼み事は、人生最後の親切のつもりだった。死後くらい楽になれますようにという下心だった。しかし、海斗さんがわたしのために泣いてくれた時、『俺は……美歌さんが何者であろうとも、あなたを受け入れます』——そう言った時、わたしは彼の意思がこもった瞳と声に、息を呑んだ。有り体に言えば、わたしはきっと、あの時海斗さんに惚れたのだ。
始まった時からすでに終わっていた恋とは、まさにこのことだ。相手に忘れえぬ人がいたとか、そういう話ではない。そもそも相手が儚くなった——死んだ人だったのだ。
——もう全て、終わらせてしまおうか。
そうだ。最初からわたしは、生き続けるつもりはなかったのだ。海斗さんが成仏しようがしまいが関係ない。むしろ、冷静な判断力が消失し、完全に崩壊した心のまま、生き続けることができるはずがない。
それに、死後の世界にはきっと、海斗さんがいる。怖いことなんて何ひとつない。
そんな決心をしたわたしに、神様は味方してくれた。快速電車の通過を告げるアナウンスが流れた。わたしの身体は、自身の意思とは関係なく椅子から腰を上げ、ふらりと線路の方へと向かってゆく。もうすぐだ、もうすぐわたしは楽になれる。
そして線路の先から電車が向かってくる。ただの移動手段でしかなかったそれが、これからわたしの救世主になる。そう考えると何か笑えてくる。
「海斗さん……」
——大好きでした。
もし、こんなわたしでも、あなたと同じところに行けたのなら、わたしを永遠の花嫁にしてください。
その想いを胸に、わたしはその汚れきった身を投げた。
いつも通り仕事をして、話し込んで、すっかり日も傾いた頃。窓から風を取り込んだリビングで、わたしは海斗さんから預かったプレゼントを渡した。
「えっと、これは……」
空美ちゃんは困惑している。
「実は、これを海斗さんから預かっていたんです」
「え」
驚いた表情をしている。当然だ。
「うん、もし空美ちゃんの卒業まで生きられなかったら渡しておいて欲しいって言われてたんです。ごめんね、ずっと黙ってて」
「ううん、それはいいんだけど……美歌ちゃんって、お兄ちゃんの知り合いだったの?」
「えっとね……」わたしは海斗さんとの出会いについては、病院で偶然知り合い、同年代だったこともあり仲良くなった、ということにした。一応わたしたちは病院で一度会っていたようなので、嘘はついていない。
「そうだったんだねえ……」
窓の外に視線を向け、その瞳を細めた。網戸から入ってきた風が、その髪を揺らした。そんな姿もよく映える。
「……美歌ちゃん」
「ん?」
「春休みが終わっても、たまには遊びに来てね。待ってるから」
「……」答えられなかった。これからわたしは、海斗さんと共に死ぬのだから。彼と共に、死後の世界へ……。
——あれ。
ふと気づいた。あの甘いにおいがしない。この一ヶ月の間、ところ構わず香っていたので気づかなかった。そういえば、瓦町駅を降りたあたりから、海斗さんの声が聞こえない。
総身が冷える思いがした。
いてもいられなくなって立ち上がる。
「ごめん、今日はもう帰るね」
そう言い残し、わたしは家を飛び出した。後ろから空美ちゃんの声が聞こえたが、構っている余裕はなかった。
「海斗さん! 海斗さん……!」
叫んだ、叫び続けた。喉が裂けるほどに、声が出せなくなるほどに。だが、海斗さんの声を聞くことは叶わなかった。
海斗さんと、あの幽霊特有のにおいの消失。そこから真っ先に考えられることは、たったひとつだ。
——海斗さんが、成仏してしまった?
♢
まるで、本物の幽霊になったような気分だった。そうだとしたら、どれだけよかったのだろうか。閑散とした端岡駅のホームで、ひとり考えた。
海斗さんの姿が見えない。あのにおいもない。どこにいるのかわからない。彼は幽霊だ。生きた友達のように連絡は取れないし、誰かに頼んで探してもらうこともできない。
わたしの知らないところで、海斗さんはもう成仏してしまったのだのだろうか。彼の未練が晴らされた今、無意識のうちに成仏してしまっていてもおかしくはないのかもしれない。あの日、学校で出会った幽霊のように。
あの時、わたしが感じたのは、間違いなく失望感だった。今回もだめだった、次こそは、という気持ち。
だが、今回はまるで違った。彼が成仏したことに失望なんてしていない。ただ、強い喪失感を覚えた。わたしの魂の一部を形成していた何かが、ごっそりと抜け落ちてしまった、そんな感覚があった。
「……ふふっ、変だなあ」
最初、海斗さんからの頼み事は、人生最後の親切のつもりだった。死後くらい楽になれますようにという下心だった。しかし、海斗さんがわたしのために泣いてくれた時、『俺は……美歌さんが何者であろうとも、あなたを受け入れます』——そう言った時、わたしは彼の意思がこもった瞳と声に、息を呑んだ。有り体に言えば、わたしはきっと、あの時海斗さんに惚れたのだ。
始まった時からすでに終わっていた恋とは、まさにこのことだ。相手に忘れえぬ人がいたとか、そういう話ではない。そもそも相手が儚くなった——死んだ人だったのだ。
——もう全て、終わらせてしまおうか。
そうだ。最初からわたしは、生き続けるつもりはなかったのだ。海斗さんが成仏しようがしまいが関係ない。むしろ、冷静な判断力が消失し、完全に崩壊した心のまま、生き続けることができるはずがない。
それに、死後の世界にはきっと、海斗さんがいる。怖いことなんて何ひとつない。
そんな決心をしたわたしに、神様は味方してくれた。快速電車の通過を告げるアナウンスが流れた。わたしの身体は、自身の意思とは関係なく椅子から腰を上げ、ふらりと線路の方へと向かってゆく。もうすぐだ、もうすぐわたしは楽になれる。
そして線路の先から電車が向かってくる。ただの移動手段でしかなかったそれが、これからわたしの救世主になる。そう考えると何か笑えてくる。
「海斗さん……」
——大好きでした。
もし、こんなわたしでも、あなたと同じところに行けたのなら、わたしを永遠の花嫁にしてください。
その想いを胸に、わたしはその汚れきった身を投げた。



