「初めまして、サヤちゃん。今日は会ってくれて本当にありがとう……うぅっ……!」
目の前の男が声を上げて泣いた。出会って三秒後のことだ。
プロフィール画面で見た「蓮也」というイケメン風のニックネームと、メッセージが記憶にぽわわんと蘇る。
確か、そう。
『心がつながる出会いがしたいです。一緒に成長できる人、募集中』
こんな文章だった気がする。
“一緒に成長できる人”というところに、恋愛至上主義ではなさそうな魅力を感じた。だから私から「いいね」を送ったんだけど……。
マッチングアプリを始めて三ヶ月。私、桐本彩綾は「サヤ」というニックネームで登録をしていた。二十代半ばでそろそろ結婚相手の候補を見つけたい、という思いで始めたのだ。が、いまいちいい人に出会えず、そろそろやめようかなと思っていたところに、今回の男、蓮也とマッチングを果たした。
年齢は二つ上の二十八歳らしい。
プロフィール画面の写真は山登りをしている時の写真なのか、景色の良い山の頂上でさわやかな笑顔を浮かべているものだ。趣味は登山、映画鑑賞、カフェ巡り。アウトドアとインドア、両方好きだというところが特に魅力的に映ったから、思い切ってメッセージを送ってみた。
「初めまして、サヤと申します。プロフィールを拝見して気が合いそうだなと思い、『いいね』させていただきました。ぜひよろしくお願いします」
初めましての挨拶のメッセージは決まってこんなふうに丁寧な挨拶を心がけている。私が求める男性は決して遊び相手ではなく、誠実なお付き合いをしてくれる人だからだ。丁寧な文章を送ることで、相手も私と同じ目的でアプリをしているか、精査できる。
つまるところ、同じようなテンションで返信をくれる人を求めていた。
「初めまして。蓮也と申します。『いいね』、ありがとうございます! 僕の方も、サヤさんの誠実そうな雰囲気に惹かれて『いいね』をお返しさせていただきました。こちらこそ、ぜひよろしくお願いします」
蓮也からは優しく丁寧な返事が返ってきて、好感が持てた。そうそう、求めてたのはこういう男よ。軽いノリでいきなり「今夜会える?」とか「何目的?」とか聞いてこない、普通の人。今までマッチングアプリで出会った軽い男からのメッセージを思い出し、記憶から無理やり飛ばした。
蓮也とは何度かやり取りをするうちに打ち解けて、今日カフェでこうして始めて会うことになった。
しかし、初対面早々、彼は泣いた。
大の大人の男性が泣くところを久しぶりに……というか、初めて見た私は思わずぎょっと身体を反らせる。
いやいやどうした!? 何か悲しいことでもあった?
「あの、大丈夫ですか」
心配になって彼の顔を覗き込む。彼——蓮也は目元をゴシゴシと拭きながら「え、ええ。すみません」となぜか謝った。
「実は僕ね、この間すごく大切なことに気づいたんだ……」
「はい?」
突然なにを言い出すのかと思いきや、再び潤んだ瞳で私の目をじーっと食い入るように見つめて語り出す。
「人と人は支え合って生きていくべきだってね。サヤさんも、結婚相手を探しにきたんでしょう? なんで結婚したいって思うの?」
就職活動の面接かよ、と言わんばかりの奥深い質問に私はぐぬぬ、と唸る。なんで結婚したいかって? そりゃ、決まってる。
「一人じゃ寂しいからです。それに私、子供もほしいし」
「なるほど、そうだよね。みんな、一人は寂しいって思う。だから結婚して法律で相手と離れないように魂を縛りつける。結婚なんてしなくても娯楽はたくさんあるって主張する人間もいるけど、僕はそう思わない。人と人は本来支え合って生きるからこそ、新しい命だって生まれる」
「は、はあ……」
ものすごい勢いと集中力に、彼から“氣”のようなものを感じて、思わず身体を反らせる。見えない力に押されている感覚に、不思議と緊張感が増していく。
一体何者なの……?
というか私、マッチングアプリで出会った男に、何を聞かされてるんだろう。
「こんなに大切なことを、知らずに生きてる人がたくさんいるんだ……」
そこまで話すと、彼はまた涙する。
いやいやちょっと待って。
出会って十五分でまた泣かれてるんだけど……!
この人、私という人間を知ろうとする気、ある?
「僕はね、出会った人には本当に幸せになってほしいんだ」
この時点で、嫌な予感がむくむくと湧き上がる。
なんかこの展開……ドラマで見たことあるぞ。いや、友達から聞いた話だったかな? とにかく危機感しかない。頭の中でウーウーとけたたましい警報音が鳴り響く。
蓮也は突然鞄をゴソゴソと漁り出し、分厚いパンフレットを取り出した。
『幸せになるための自己啓発セミナー〜魂の質を高める5つのステップ〜』
怪しげなタイトルが銘打たれたそのパンフレットに、私の視線は釘付けになった。
「サヤちゃんにも、ぜひ知ってほしいんだ!」
何よこれ、やっぱり勧誘じゃない!!!!
マッチングアプリを使っていた目的が、私と蓮也では全然違うと察して、警戒心MAXになる私。じーっと目を細めて不快感をあらわにする私にお構いなく、彼は切実な瞳をこちらに向けていた。
「あの……ごめんなさい。こういうの、興味なくて」
本当は今すぐにでも立ち去りたい。けれど、せめてもの優しさで彼の提案をやんわりと断ろうとした。が。
「そんなこと言わないでええええ!!」
いや、泣くなよ!
その瞳からやっぱり涙が溢れていてぎょっとする。
「これを知るだけで人生が180度変わるんだよ!? 僕も、三ヶ月前まではただの凡人だった……! でもこのセミナーを受けてから、生まれ変わったんだ。だからサヤちゃんにも幸せになってほしくて……!」
いや、知らんがな。
「しかもこのセミナー、今ならなんと初回無料で受けられるんだよ。めちゃくちゃお得! さあ、ぜひ僕と一緒に幸せへの一歩を踏み出そう!」
涙目で私の手を握ろうとしてきて、コーヒーカップに添えていた両手を瞬時に引っ込めた。
その言い方、もうセールストーク確定でしょ……。
さすがにこれ以上彼の話に耳を傾けるのはまずいと思い、「あ、仕事の連絡が……」と席を立とうとすると、
「待って!」
腕を掴まれた。
「僕、今までこんなに心が通じ合った人、いなかったんだ。まだ帰らないで!」
通じてねえよ!!!
一体何を勘違いしているのか、蓮也はまるで「僕の気持ちを分かってくれるのはキミしかいない」といったノリで懇願している。
もう100%やばい男だ……!
まさか、マッチングアプリで涙ながらに宗教的なものに勧誘してくる男に引っかかるなんて。我ながらツイてない。ああ、せっかく彼となら上手くいきそうだって思ったのになあ。チャット上では。
「もしよかったら、次は僕の仲間たちと会ってほしくて」
こちらが何も返事をしていないのに、勝手に話を進める蓮也。
おいおい、ちょっと待ってよ。その、あたかも“僕の彼女として仲間に紹介させてほしい”的な感じで言わないでほしい。そもそも私、ぜんっぜん、あなたの言うことに賛同できないんですけど!
目の前の男は、私が黙りこくっている間も、やっぱりずっと瞳に涙を溜めていた。
ここまで図々しく言い寄ってきて、涙の演技ができるなら、恋人づくりは意外と苦労しないんじゃないだろうか。押しに弱い女の子なら落とせそう。
でもね、私はあなたのその涙には落ちませんっ。
大きく息を吐いて、再び吸う。
店内のBGMがゆったりとしたバラードからポップス調に切り替わる。ここが最後のチャンスだと思い、私は立ち上がった。
「すみません! 私、宗教とか自己啓発とかまったく興味ないんでっ。この辺でお暇しますねっ!」
鞄を引っ掴み、蓮也が私を引き止める前にそそくさと店から逃亡した。後ろから、「サヤさぁぁぁぁぁん、待ってぇぇぇぇ!」と粘着質な声が響く。お客さんが何事かと私たちの方を見てきたのが恥ずかしかった。が、今はそんなことを気にしている場合ではない。とにかく逃げなきゃ。多分、他のお客さんからは別れ話をした私が、彼が引き止めるのにも構わずに退場したようにしか見えないだろう。そいつ、勧誘男だぞ。みなさんも気をつけて! と心の中で叫びながらなんとかお店を後にした。
後ろを振り返り、蓮也がついてこないことを確認して安堵のため息を漏らす。
ふう……良かった。いや、何も良くはないんだけど、少なくとも勧誘の手から逃れることはできた。
お店から出てしばらくの間走っていたので、疲れて近くの公園の椅子に腰掛ける。
スマホでマッチングアプリを開き、「蓮也」のプロフィール画面をもう一度よく見てみた。
『心がつながる出会いがしたいです。一緒に成長できる人、募集中』
「これってよく読んだら宗教じゃん! なんで気づかなかったんだろう……私のバカ」
“心がつながる出会い”“成長”というワードを見て思わずはあ、と息を吐く。気づかなかった自分が愚かだ。でも、ねえ? いくらなんでもマッチングアプリで勧誘男に引っかかるなんて思ってもみないし……。何はともあれ、結婚への道のりは振り出しに戻る、か。
そこまで考えて、全身の力を抜いて空を見上げる。
なに、焦る必要ないじゃない。
アプリを開けば、何千人という男が登録しているのだから。一人ぐらい、自分に合う人がどこかにいるはず。そのたった一人を探して、また頑張ろう。
「ただし」
私は、自分のプロフィール欄を開き、「編集」のボタンを押した。
『宗教・マルチ・泣き虫勧誘お断り』
新しくその一文を付け加える。
「これで勧誘男は牽制できるわね」
もう二度と、勧誘男だけはお断りだ。
かくして私、桐本彩綾のマッチングアプリでのお相手探しは振り出しに戻るのだった。
あーあ。
【終わり】



