ドアが閉まっても、チアキくんは上がってこない。
 どうしたのかと振り向いてみると、身体を強ばらせて立ち尽くしている。
 なんだか、俺の家に来てなにをされるのか一気に理解して戸惑ってる女の子みたい。
 チアキくんに手を出すつもりはないんだけどな。

「チアキくん、入らないの?」
「え、あ、入ります……」

 チアキくんはおどおどしながら、靴を脱いだ。
 本当、チアキくんは可愛いな。
 こんな可愛いのが外を歩いてたら、簡単に食われそう。実際、初めて会った日も悪い大人に捕まりそうになってたし。
 やっぱり、ここに連れてきて正解だったな。
 そして俺たちはさっきコンビニで買ってきた食べ物をローテーブルの上に並べ、テーブルを囲むように座った。
 チアキくんは目の前にあるものを食べ進めるばっかりで、全然俺のほうを見てくれない。
 そんなに緊張しなくてもいいのに。
 もしかして、あの日のことを思い出したとか?
 俺が、チアキくんが甘えてくれて可愛かったって言ったから、恥ずかしくなってる、みたいな。
 それならこの空気も納得だけど、ちょっとつまんないな。

「チアキくん、緊張してるの?」

 俺の言葉に、チアキくんはビクッと肩を上げた。そして俺のほうを見た目は、綺麗に泳いでいる。
 こんな小動物みたいに可愛い反応されると、もっとなにかしたくなるんだけど。 

「琥珀先輩は、なんで僕に構うんですか」

 チアキくんは頬を膨らませている。
 ちらっと俺のほうに視線を送ったのは、睨んでいるつもりなんだろう。

「見てて危なっかしいし……あとはまあ、興味本位かな」
「興味本位……」

 チアキくんの声が、ショックを受けているみたいに聞こえた。

「チアキくんが探してる恋ってのが、どんなものか気になって」

 これは嘘じゃない。
 たしかに俺は、チアキくんが恋に憧れている理由が知りたいと思っている。
 だけど、それだけじゃないような気もしている。

「……先輩のほうが、知ってると思いますけど」

 ほんの少し、棘のある言い方。
 もしかして嫉妬?なんて言ったら、またチアキくんとの距離が開いちゃいそうだから、言わない。

「俺のなんて、大したものじゃないよ」

 チアキくんが言う、お互いを知って、なんてことをしてきた記憶はない。

「……上っ面だけのつまらないもんばっか」

 ――琥珀ってかっこいいから、みんなに自慢できるんだよね。
 ――ガチで好きな人ができたから、別れよ?

 そんなのばっか。
 だから俺も、適当でいいやって思うようになって。
 誰も俺に興味ないなら、俺も誰にも興味ない。
 そう思ってた。
 そんなときに、俺はチアキくんに出会った。
 もっと知りたいって思えるような人に。
 といっても、こんなことを伝えてもチアキくんは困るだけだろう。
 実際、今も困ったように言葉を探そうとしている。
 その姿を見ていると、微笑ましくて自然と笑みがこぼれた。
 こんなの、チアキくんといるときだけだ。だからチアキくんといるのが楽しいんだけど……これは恥ずかしいから、まだ言わない。

「だから、ビー玉みたいにキラキラした眼で『恋がしたい』なんて言われたら、気になっちゃうわけですよ」

 俺は本心を隠すように、慣れた作り笑いを浮かべる。
 最近はチアキくんの前でそんなふうに笑っていなかったから、自分の仲での違和感がえぐい。
 チアキくんも変に思ったのか、俺の顔をまっすぐ見てくる。
 今は、チアキくんのビー玉みたいな目を直視できなくて、俺はチューハイを飲むことで誤魔化そうとした。

「……つまらないんですか」

 どうやら、チアキくんが気になったのは、俺が気にしていたことではないらしい。
 それに少なからず安心したけど、チアキくんの理想、夢を壊してしまったような罪悪感が芽生える。

「俺のは、だよ」

 念を押して、改めて自分はつまらない生き方をしてきたんだと、自分にとどめを刺してしまった気がした。
 チアキくんの前では、少しでもかっこよくありたかったのにな。
 まあ、そんなの俺には似合わないんだろうけど。
 ……ああ、もう、俺の話から離れよう。

「チアキくんは、なんで恋を探してるの?」
「僕は……」

 チアキくんは静かに視線を落とした。

「どうしても、憧れてしまうんです。周りの幸せそうな顔を見てると。僕もって」

 たしかに、恋人に一途な奴らは、俺が触れたことのない幸せを手に入れている。
 俺には一生手に入らないだろうって諦めていたけど……チアキくんは、その幸せに手を伸ばそうとしているのか。

「……でも僕は、憧れることしかできない」

 顔を上げると、チアキくんは泣きそうな顔で笑って見せた。
 ……違う。違うよ、チアキくん。俺は、君のそんな顔が見たかったんじゃない。

 ――……恋。

 そうだ、初めて会ったあの日も。

 ――でも、僕には無理。

 憧れていると言ったくせに、すぐに否定していた。
 ビー玉が見せる陰。澄んだ瞳の奥に潜んだ寂しさ。
 それが気になって、俺はチアキくんから目が離せなくなったんだ。

「……どうして?」

 チアキくんの陰に触れると認識しているから、俺はそっと尋ねた。
 チアキくんは一瞬迷ったように見えた。

「……先輩、手を握ってきたり、僕に食べさせたりしてきましたよね」
「え、うん……」

 チアキくんの反応が可愛くて、たくさん構ったけど。

「あれ全部、僕は意識してしまうんです」

 それが面白かったんだけど、なんて返せる雰囲気じゃなかった。

「僕の恋愛対象が、男だから」

 一瞬、時間が止まったような気がした。
 チアキくんが好きになるのは、男の人。
 心のどこかでそうかもしれないって思っていたはずなのに、実際にチアキくんから聞くと、驚いている自分がいた。

 ――……先輩の家、行っちゃダメですか。

 チアキくんがそう言ったときの、あの表情。
 あれはやっぱり、俺の勘違いじゃなかったらしい。
 でも、あのときみたいに、俺が触れたらいけない、なんて思わなかった。
 チアキくんは、俺が見つけた宝物。もう、誰にも触れさせない。

「……じゃあ、もっと意識してよ」

 ほかの男が気にならないくらい、俺のことを見てて。
 誰かにそんなふうに思ったことがなくて、自分でも驚いた。

「え……え!?」

 だけど、それ以上にチアキくんはびっくりしてくれた。
 その純粋な反応に、また笑ってしまう。
 そのせいか、チアキくんは不貞腐れてそっぽ向いてしまった。
 いつまでもこんな時間が続けばいいのに、なんて思いながら、俺は二本目を開けた。