亮太さんの喫茶店で働くようになって一週間が経った。
「もうあがっていいよ、千瑛くん」
僕が最後のお皿をさげて洗おうとしたとき、亮太さんに声をかけられた。
「え、でも……」
僕の目の前には、使用済みの皿がある。これを洗わないと、僕の仕事は終わらないわけで。新人で大して役に立っていない僕が、放置して帰るなんて、気が引ける。
「いいよ、もう迎えが来たみたいだし」
亮太さんが言うと同時に、ドアベルが鳴った。
入ってきたのは新しい客ではなく、琥珀先輩。
「おつかれ、チアキくん」
「また来たんですか?」
僕は少し呆れながら言った。
僕の仕事が終わるタイミングを見計らって、何度も迎えに来られたら、喜びを通り越して若干うっとうしい。
「チアキくんひとりだと、危ないからね」
「……僕、男ですけど」
僕が不満全開で言うと、先輩は相変わらず楽しそうに笑う。
それで許してしまう僕は、相当チョロいらしい。
でも、動揺してることに気付かれたくなくて、僕はスタッフルームに逃げた。
「じゃあ亮太さん、お先に失礼します」
「はーい、お疲れ様」
亮太さんの暖かい目に見送られながら、僕たちは店を後にした。
外はもう日が傾き始めているが、まだ明るい。すっかり一日が長くなったな。
左に先輩がいる違和感はなくなった。けど、この緊張感に慣れる日は来なさそうだ。
どう考えたって、無理でしょ。好きな人が隣にいるんだよ? 変なことしたらどうしようとか、考えるって……
「チアキくん、聞いてる?」
唐突に、琥珀先輩は僕の顔を覗き込んだ。
かっこいい顔面がいきなり目の前に現れて、僕はビクッとしてしまった。
「な、なんですか」
「俺の家来ない?って聞いたんだけど」
「ああ……え?」
一度受け入れそうになったけど、今、なんて言った?
家? って、誰の? いや、琥珀先輩か。
まあ、何度か行ったことはあるけど、それは、酔っぱらった僕を介抱するためで、仕方なく入れたんだろうし。
今回は、違う。普通に、遊びに来ない?みたいなテンション感だ。
いや、なんで僕? 完全プライベート空間に、僕を本気で呼ぼうとしてる?
……落ち着け、きっと、また僕をからかおうとして言ってるんだ。
だからきっと、喜んじゃダメで……
「ふっ……」
僕が脳内会話を繰り広げていると、琥珀先輩の笑い声が聞こえてきた。
横を見ると、先輩は口元に手を当てて、笑いをこらえている。
それならいっそ、思いっきり笑ってくれたほうがいいんだけど。
「チアキくんって、本当にかわいいよね」
僕のほうを向いた先輩は、まだ笑いが収まっていないみたいだった。
ああもう、かっこいい……じゃなくて。
「……かわいいって、なんですか」
僕が不機嫌さ全開で言うと、先輩はますます笑う。
……まあ、いいか。先輩、本当に楽しそうだし。
これが惚れた弱みなのかもしれない。
「かわいいよ、チアキくんは」
琥珀先輩は柔らかく笑うと、また歩き始める。
もう一度聞いても褒められた気がしない。
やっぱり、面白くないな。
僕は口を曲げながら、先輩の後ろを歩く。
その途中、コンビニに飲み物やちょっとした食べ物を買いに、立ち寄った。
「チアキくん、今日はお酒飲んだらダメだからね?」
そうして笑う琥珀先輩は、ものすごく楽しそうに見えた。
「飲みませんよ」
琥珀先輩に初めて会ったときも、琥珀先輩に連行されたときも、僕は飲もうと思って飲んだわけじゃない。
だから、今日だって間違わなければ飲むことはないはず。
……先輩がお酒を買うところを見ていると、少し不安になってくるけど。
そしてレジに向かい、先輩は電子マネーで支払った。
「あの、僕も少し出します」
「いいよ。後輩はおごられるのも役割だからね」
でも、と続けそうになったけど、僕はそれをぐっと飲みこんだ。
ここは大人しく、お言葉に甘えていたほうがよさそうだ。
「……ありがとうございます」
それでもまだ、おごられることに抵抗があるせいで、ふてくされたみたいな言い方になってしまった。
だけど、琥珀先輩は満足そうに口角を上げ、店を出る。
「先輩、僕が持ちます」
「本当? じゃあ、お願いしようかな」
先輩から袋を受け取り、再び先輩の家への道を進んでいく。
だんだんと見たことがある景色になってきて、変に緊張してくる。
意識がある状態で家を尋ねることが初めてなのと、好きな人のお宅訪問のダブルパンチは、結構な威力だ。
緊張で吐きそう。
「はい、どうぞ」
先輩がドアを開けて恐る恐る足を踏み入れると、先輩の匂いがした。
なんだか先輩に包まれているみたいな感覚。
……なんて、さすがに気持ち悪いな、僕。
そういえば、先輩の家に来るのって、あれ以来な気がする。
――……先輩の家、行っちゃダメですか。
そう、あれを言った日。
余計なことを思い出したせいで、ドアの閉まる音がやけに大きく聞こえた。
「もうあがっていいよ、千瑛くん」
僕が最後のお皿をさげて洗おうとしたとき、亮太さんに声をかけられた。
「え、でも……」
僕の目の前には、使用済みの皿がある。これを洗わないと、僕の仕事は終わらないわけで。新人で大して役に立っていない僕が、放置して帰るなんて、気が引ける。
「いいよ、もう迎えが来たみたいだし」
亮太さんが言うと同時に、ドアベルが鳴った。
入ってきたのは新しい客ではなく、琥珀先輩。
「おつかれ、チアキくん」
「また来たんですか?」
僕は少し呆れながら言った。
僕の仕事が終わるタイミングを見計らって、何度も迎えに来られたら、喜びを通り越して若干うっとうしい。
「チアキくんひとりだと、危ないからね」
「……僕、男ですけど」
僕が不満全開で言うと、先輩は相変わらず楽しそうに笑う。
それで許してしまう僕は、相当チョロいらしい。
でも、動揺してることに気付かれたくなくて、僕はスタッフルームに逃げた。
「じゃあ亮太さん、お先に失礼します」
「はーい、お疲れ様」
亮太さんの暖かい目に見送られながら、僕たちは店を後にした。
外はもう日が傾き始めているが、まだ明るい。すっかり一日が長くなったな。
左に先輩がいる違和感はなくなった。けど、この緊張感に慣れる日は来なさそうだ。
どう考えたって、無理でしょ。好きな人が隣にいるんだよ? 変なことしたらどうしようとか、考えるって……
「チアキくん、聞いてる?」
唐突に、琥珀先輩は僕の顔を覗き込んだ。
かっこいい顔面がいきなり目の前に現れて、僕はビクッとしてしまった。
「な、なんですか」
「俺の家来ない?って聞いたんだけど」
「ああ……え?」
一度受け入れそうになったけど、今、なんて言った?
家? って、誰の? いや、琥珀先輩か。
まあ、何度か行ったことはあるけど、それは、酔っぱらった僕を介抱するためで、仕方なく入れたんだろうし。
今回は、違う。普通に、遊びに来ない?みたいなテンション感だ。
いや、なんで僕? 完全プライベート空間に、僕を本気で呼ぼうとしてる?
……落ち着け、きっと、また僕をからかおうとして言ってるんだ。
だからきっと、喜んじゃダメで……
「ふっ……」
僕が脳内会話を繰り広げていると、琥珀先輩の笑い声が聞こえてきた。
横を見ると、先輩は口元に手を当てて、笑いをこらえている。
それならいっそ、思いっきり笑ってくれたほうがいいんだけど。
「チアキくんって、本当にかわいいよね」
僕のほうを向いた先輩は、まだ笑いが収まっていないみたいだった。
ああもう、かっこいい……じゃなくて。
「……かわいいって、なんですか」
僕が不機嫌さ全開で言うと、先輩はますます笑う。
……まあ、いいか。先輩、本当に楽しそうだし。
これが惚れた弱みなのかもしれない。
「かわいいよ、チアキくんは」
琥珀先輩は柔らかく笑うと、また歩き始める。
もう一度聞いても褒められた気がしない。
やっぱり、面白くないな。
僕は口を曲げながら、先輩の後ろを歩く。
その途中、コンビニに飲み物やちょっとした食べ物を買いに、立ち寄った。
「チアキくん、今日はお酒飲んだらダメだからね?」
そうして笑う琥珀先輩は、ものすごく楽しそうに見えた。
「飲みませんよ」
琥珀先輩に初めて会ったときも、琥珀先輩に連行されたときも、僕は飲もうと思って飲んだわけじゃない。
だから、今日だって間違わなければ飲むことはないはず。
……先輩がお酒を買うところを見ていると、少し不安になってくるけど。
そしてレジに向かい、先輩は電子マネーで支払った。
「あの、僕も少し出します」
「いいよ。後輩はおごられるのも役割だからね」
でも、と続けそうになったけど、僕はそれをぐっと飲みこんだ。
ここは大人しく、お言葉に甘えていたほうがよさそうだ。
「……ありがとうございます」
それでもまだ、おごられることに抵抗があるせいで、ふてくされたみたいな言い方になってしまった。
だけど、琥珀先輩は満足そうに口角を上げ、店を出る。
「先輩、僕が持ちます」
「本当? じゃあ、お願いしようかな」
先輩から袋を受け取り、再び先輩の家への道を進んでいく。
だんだんと見たことがある景色になってきて、変に緊張してくる。
意識がある状態で家を尋ねることが初めてなのと、好きな人のお宅訪問のダブルパンチは、結構な威力だ。
緊張で吐きそう。
「はい、どうぞ」
先輩がドアを開けて恐る恐る足を踏み入れると、先輩の匂いがした。
なんだか先輩に包まれているみたいな感覚。
……なんて、さすがに気持ち悪いな、僕。
そういえば、先輩の家に来るのって、あれ以来な気がする。
――……先輩の家、行っちゃダメですか。
そう、あれを言った日。
余計なことを思い出したせいで、ドアの閉まる音がやけに大きく聞こえた。



