一日の講義が終わり、僕は琥珀先輩と並んで学内を歩いていた。
左隣にいる先輩に、意識が引っ張られてしまう。
きっと、誰かと並んで歩くのが久しぶりなせいだ。うん、そうに決まってる。
「琥珀! どこ行くのー?」
「ヒミツー」
先輩は行き交う女子に声をかけられ、軽く返した。
その横顔を盗み見ると、先輩はたしかに笑っているのに、笑顔を貼り付けているように見えた。
でも、先輩に声をかけてきたり、見惚れたりしている人は、全然違和感を抱いていなさそうだ。
このニセモノ感満載な笑顔の、どこがいいんだか。胡散臭いだけじゃないか?
まあ、あの憎たらしい笑顔も気に入らないけど。
「チアキくん?」
先輩に呼ばれて、僕は自分の世界から引き戻された。
いつの間にか校門まで来ていたみたいで、僕は無意識に自分の家に帰る方向に足を向けていたけど、目的地は真逆だったらしい。
「ぼーっとして、なにかあった?」
琥珀先輩は少し心配そうにこちらを見てくる。
先輩のことを考えてました、なんて言ったら、からかわれるに決まってる。
だから僕は、曖昧に笑って誤魔化し、先輩について行く。
僕の知らない道を、先輩はどんどん進んだ。僕はその背中を追いかけるので精一杯だった。
「ここだよ」
そして琥珀先輩が足を止めたのは、人通りの少ない道にある喫茶店の前。
おしゃれではあるけれど、もの静かな空間。
賑やかな空間が似合う先輩にしては、珍しい場所だな、なんて考えているうちに、先輩がドアを開けた。
小さなドアベルの音に導かれ、僕は店内に足を踏み入れる。
「いらっしゃい。って、琥珀か。今日は友達連れか? 珍しい」
店にいた男性は、琥珀先輩、そして僕を見ると、からかうように笑いながら言った。
今日はってことは、先輩はよくここに来るのかな。
――チアキくんだけ、特別。
ふと、先輩の言葉を思い出した。
僕だけが知っている、先輩の秘密の場所、的な……
って、気持ち悪いな、僕。本当、とんでもない勘違い野郎だよ。
「後輩だよ。バイト探してるんだって。亮太さんも、そろそろ新しい人がほしいって言ってたでしょ」
先輩は少し不貞腐れながら返す。
「ああ、琥珀のせいでバイトが雇えないからな」
「え、俺のせいなの?」
「お前が手当たり次第に女子を落とすから」
「ちょっ……そんなことしてない! してないからね、チアキくん!」
慌てて否定する琥珀先輩の姿が、あまりにも子供っぽくて、なんだか微笑ましくなる。
「もう、笑わないでよ」
先輩は少し不貞腐れている。
こんな琥珀先輩が見れるなんて、思っていなかった。これが特別だと言った理由なら、優越感に浸ってしまうくらいだ。
それにしても、こうして先輩がからかわれてしまうくらい、先輩はここに通っているのかな。
でもさっき、男性のことを亮太さんって呼んでいたような……
「ここ、俺の叔父の店なんだ。だから、安心だよ」
まるで僕の心の声を読んだのかと思ってしまうようなタイミングで、先輩は教えくれた。
先輩がここを知っていた理由は今ので納得だけど、どうして僕をここに連れて来たのかがわからない。
まさか、この癒しの空間でも僕で遊ぶつもりか?
だとしたら、ここでのバイトの提案はこっちから願い下げだ。
もう、遊ばれるのはごめんだ。
「じゃあ俺、準備してくるね」
先輩はそう言いながら、スタッフルームに入っていった。
……まさか、琥珀先輩もここで働いているのか?
だとしたら、もっとお断りしたい。ここだと、僕の目的が一切達成されないじゃないか。
「琥珀、相当君に気を許してるんだね」
先輩がいなくなると、亮太さんはそう言った。
視線で誘われ、僕はカウンター席に座る。
「……遊ばれてるだけですけど」
僕が不満そうに言ったからか、亮太さんは笑った。
その優しい表情が琥珀先輩に重なって見えて、僕はどきっとしてしまった。
「琥珀はずっと他人に合わせる生き方をしててさ。定期的に疲れては、ここで回復してきたんだけど……」
亮太さんは琥珀先輩を心配するような表情でスタッフルームのドアを見つめている。
だから先輩は、偽物みたいな笑顔を張り付けていたのか。
でも、どうしてそんな生き方をしているんだろう。琥珀先輩なら、素を見せても受け入れてもらえるだろうに。
「久しぶりにアイツが楽しそうに入ってきたのは、君のおかげかな?」
再び僕を見たその瞳には、ほんのりと喜びが滲んでいるように見えた。
「いえ、僕は……」
思い返しても、なにもしていないというか、迷惑しかかけていないというか。
そんなこと、かっこ悪くて言いたくないけど。
「なんの話?」
すると、ちょうどスタッフルームから先輩が出て来た。
さっきまでのクールな感じの私服とは違った、オシャレな制服に着替えている。
チャラそうな大学生から、読モでもやっていそうなイケメンに変身って感じか。
これなら、琥珀先輩が意図しないうちに、女子を落とすのも納得だ。
「後輩くんに、琥珀にいじめられてないかって聞いてただけだよ」
「俺はそんなことしないよ。ね? チアキくん」
先輩の、有無を言わさない笑顔。加えて、琥珀先輩の親族がいるここで、肯定なんてできるわけがない。
かといって、否定するのもなんだか癪で、僕は曖昧に笑って誤魔化した。
そのとき、ドアベルが鳴った。
先輩は「いらっしゃいませ」と声をかけながら、新たな客の元へ向かう。
働くスイッチが入ったみたいに、またいつもと違う表情だ。
僕は、あんなふうになれるのかな。新たな出会いを求めているだけの僕が。
「チアキくん、なにも頼まないの?」
僕のところに戻ってきた先輩が、途端に大人に見えた。
なんだか、好きにはなるもんかって意地になってる僕が、バカらしくなってくる。
……こんなの、好きになるなってほうが、無理なんだけど。
「チアキくんにはスイーツ系より、ご飯系がおすすめかな。サンドイッチとか美味しいよ」
僕の戸惑いには一切気付く様子を見せず、琥珀先輩は楽しそうにいろいろな提案をしてくる。
「えっと……じゃあ、それとコーヒーをお願いします」
「かしこまりました」
後輩の僕相手でも、先輩は柔らかい敬語を使った。
……ダメだ、変に認めてしまったせいで、先輩の顔が直視できない。
琥珀先輩の笑顔って、こんなにかっこよかったっけ。
いや、待って、なんかもう、これ……絶対好きになってない? 今まで大した恋をしてきてないけど、そんな予感しかしない。
琥珀先輩のほうに少しだけ視線をやると、相変わらず「ん?」って優しい眼を向けてくれるし。
その顔の威力を知らないで見せてくるの、ズルくないか。
もう、落としにきているとしか……
――お前が手当たり次第に女子を落とすから。
――そんなことしてない!
思い出したのは、ここに来たときの、亮太さんと琥珀先輩のやり取り。
つまり、先輩はそんなつもり一切なくて。僕が勝手に勘違いしてるだけ。
そもそも、僕は先輩の恋愛対象ですらない。女じゃないし。
だから、これ以上思いを募らせても、虚しいだけ。
そう、わかっているのに。
「お待たせしました。ゆっくりしてってね」
カフェ店員の先輩と、いつもの先輩が入り交じった表情に、やっぱり僕はときめいてしまう。
先輩が働いている姿にときどき視線をやりながら、サンドイッチを頬張った。
けれど、味なんてもう、わからなかった。わかるのは、ほんのりと香ってくるコーヒーの匂いだけ。それを飲みながら、僕は心を落ち着かせた。
「どう? チアキくん。ここで働く気になった?」
手持ち無沙汰になったのか、先輩は僕の隣に座る。
その距離感に、息が止まりそうになる。
「俺はチアキくんと働きたいけどね」
……もう、そうやって僕をからかうのはやめてほしい。
でも、それすら嬉しく思ってしまう僕がいた。
ここで働けば、僕だけが先輩の隣にいれることになる……なんて、都合のいい妄想がすぎるか。
もし僕が頷かなかったら、琥珀先輩は僕以外の誰かをここに呼ぶのかな。
そして、僕にしたみたいに、バイトに誘って……
「……働いてみたいです」
僕が知った琥珀先輩は、誰にも教えたくない。
そんな、自分勝手な独占欲に負け、僕はそう答えた。
すると、先輩が嬉しそうに笑うから、僕は思わず、目を逸らした。
なに、今の顔。嬉しくてたまらない、みたい……なんて、僕の気のせいか。
でも僕は、勘違いしておくことにした。
これくらいの幸せなら、許してくれるでしょ?
左隣にいる先輩に、意識が引っ張られてしまう。
きっと、誰かと並んで歩くのが久しぶりなせいだ。うん、そうに決まってる。
「琥珀! どこ行くのー?」
「ヒミツー」
先輩は行き交う女子に声をかけられ、軽く返した。
その横顔を盗み見ると、先輩はたしかに笑っているのに、笑顔を貼り付けているように見えた。
でも、先輩に声をかけてきたり、見惚れたりしている人は、全然違和感を抱いていなさそうだ。
このニセモノ感満載な笑顔の、どこがいいんだか。胡散臭いだけじゃないか?
まあ、あの憎たらしい笑顔も気に入らないけど。
「チアキくん?」
先輩に呼ばれて、僕は自分の世界から引き戻された。
いつの間にか校門まで来ていたみたいで、僕は無意識に自分の家に帰る方向に足を向けていたけど、目的地は真逆だったらしい。
「ぼーっとして、なにかあった?」
琥珀先輩は少し心配そうにこちらを見てくる。
先輩のことを考えてました、なんて言ったら、からかわれるに決まってる。
だから僕は、曖昧に笑って誤魔化し、先輩について行く。
僕の知らない道を、先輩はどんどん進んだ。僕はその背中を追いかけるので精一杯だった。
「ここだよ」
そして琥珀先輩が足を止めたのは、人通りの少ない道にある喫茶店の前。
おしゃれではあるけれど、もの静かな空間。
賑やかな空間が似合う先輩にしては、珍しい場所だな、なんて考えているうちに、先輩がドアを開けた。
小さなドアベルの音に導かれ、僕は店内に足を踏み入れる。
「いらっしゃい。って、琥珀か。今日は友達連れか? 珍しい」
店にいた男性は、琥珀先輩、そして僕を見ると、からかうように笑いながら言った。
今日はってことは、先輩はよくここに来るのかな。
――チアキくんだけ、特別。
ふと、先輩の言葉を思い出した。
僕だけが知っている、先輩の秘密の場所、的な……
って、気持ち悪いな、僕。本当、とんでもない勘違い野郎だよ。
「後輩だよ。バイト探してるんだって。亮太さんも、そろそろ新しい人がほしいって言ってたでしょ」
先輩は少し不貞腐れながら返す。
「ああ、琥珀のせいでバイトが雇えないからな」
「え、俺のせいなの?」
「お前が手当たり次第に女子を落とすから」
「ちょっ……そんなことしてない! してないからね、チアキくん!」
慌てて否定する琥珀先輩の姿が、あまりにも子供っぽくて、なんだか微笑ましくなる。
「もう、笑わないでよ」
先輩は少し不貞腐れている。
こんな琥珀先輩が見れるなんて、思っていなかった。これが特別だと言った理由なら、優越感に浸ってしまうくらいだ。
それにしても、こうして先輩がからかわれてしまうくらい、先輩はここに通っているのかな。
でもさっき、男性のことを亮太さんって呼んでいたような……
「ここ、俺の叔父の店なんだ。だから、安心だよ」
まるで僕の心の声を読んだのかと思ってしまうようなタイミングで、先輩は教えくれた。
先輩がここを知っていた理由は今ので納得だけど、どうして僕をここに連れて来たのかがわからない。
まさか、この癒しの空間でも僕で遊ぶつもりか?
だとしたら、ここでのバイトの提案はこっちから願い下げだ。
もう、遊ばれるのはごめんだ。
「じゃあ俺、準備してくるね」
先輩はそう言いながら、スタッフルームに入っていった。
……まさか、琥珀先輩もここで働いているのか?
だとしたら、もっとお断りしたい。ここだと、僕の目的が一切達成されないじゃないか。
「琥珀、相当君に気を許してるんだね」
先輩がいなくなると、亮太さんはそう言った。
視線で誘われ、僕はカウンター席に座る。
「……遊ばれてるだけですけど」
僕が不満そうに言ったからか、亮太さんは笑った。
その優しい表情が琥珀先輩に重なって見えて、僕はどきっとしてしまった。
「琥珀はずっと他人に合わせる生き方をしててさ。定期的に疲れては、ここで回復してきたんだけど……」
亮太さんは琥珀先輩を心配するような表情でスタッフルームのドアを見つめている。
だから先輩は、偽物みたいな笑顔を張り付けていたのか。
でも、どうしてそんな生き方をしているんだろう。琥珀先輩なら、素を見せても受け入れてもらえるだろうに。
「久しぶりにアイツが楽しそうに入ってきたのは、君のおかげかな?」
再び僕を見たその瞳には、ほんのりと喜びが滲んでいるように見えた。
「いえ、僕は……」
思い返しても、なにもしていないというか、迷惑しかかけていないというか。
そんなこと、かっこ悪くて言いたくないけど。
「なんの話?」
すると、ちょうどスタッフルームから先輩が出て来た。
さっきまでのクールな感じの私服とは違った、オシャレな制服に着替えている。
チャラそうな大学生から、読モでもやっていそうなイケメンに変身って感じか。
これなら、琥珀先輩が意図しないうちに、女子を落とすのも納得だ。
「後輩くんに、琥珀にいじめられてないかって聞いてただけだよ」
「俺はそんなことしないよ。ね? チアキくん」
先輩の、有無を言わさない笑顔。加えて、琥珀先輩の親族がいるここで、肯定なんてできるわけがない。
かといって、否定するのもなんだか癪で、僕は曖昧に笑って誤魔化した。
そのとき、ドアベルが鳴った。
先輩は「いらっしゃいませ」と声をかけながら、新たな客の元へ向かう。
働くスイッチが入ったみたいに、またいつもと違う表情だ。
僕は、あんなふうになれるのかな。新たな出会いを求めているだけの僕が。
「チアキくん、なにも頼まないの?」
僕のところに戻ってきた先輩が、途端に大人に見えた。
なんだか、好きにはなるもんかって意地になってる僕が、バカらしくなってくる。
……こんなの、好きになるなってほうが、無理なんだけど。
「チアキくんにはスイーツ系より、ご飯系がおすすめかな。サンドイッチとか美味しいよ」
僕の戸惑いには一切気付く様子を見せず、琥珀先輩は楽しそうにいろいろな提案をしてくる。
「えっと……じゃあ、それとコーヒーをお願いします」
「かしこまりました」
後輩の僕相手でも、先輩は柔らかい敬語を使った。
……ダメだ、変に認めてしまったせいで、先輩の顔が直視できない。
琥珀先輩の笑顔って、こんなにかっこよかったっけ。
いや、待って、なんかもう、これ……絶対好きになってない? 今まで大した恋をしてきてないけど、そんな予感しかしない。
琥珀先輩のほうに少しだけ視線をやると、相変わらず「ん?」って優しい眼を向けてくれるし。
その顔の威力を知らないで見せてくるの、ズルくないか。
もう、落としにきているとしか……
――お前が手当たり次第に女子を落とすから。
――そんなことしてない!
思い出したのは、ここに来たときの、亮太さんと琥珀先輩のやり取り。
つまり、先輩はそんなつもり一切なくて。僕が勝手に勘違いしてるだけ。
そもそも、僕は先輩の恋愛対象ですらない。女じゃないし。
だから、これ以上思いを募らせても、虚しいだけ。
そう、わかっているのに。
「お待たせしました。ゆっくりしてってね」
カフェ店員の先輩と、いつもの先輩が入り交じった表情に、やっぱり僕はときめいてしまう。
先輩が働いている姿にときどき視線をやりながら、サンドイッチを頬張った。
けれど、味なんてもう、わからなかった。わかるのは、ほんのりと香ってくるコーヒーの匂いだけ。それを飲みながら、僕は心を落ち着かせた。
「どう? チアキくん。ここで働く気になった?」
手持ち無沙汰になったのか、先輩は僕の隣に座る。
その距離感に、息が止まりそうになる。
「俺はチアキくんと働きたいけどね」
……もう、そうやって僕をからかうのはやめてほしい。
でも、それすら嬉しく思ってしまう僕がいた。
ここで働けば、僕だけが先輩の隣にいれることになる……なんて、都合のいい妄想がすぎるか。
もし僕が頷かなかったら、琥珀先輩は僕以外の誰かをここに呼ぶのかな。
そして、僕にしたみたいに、バイトに誘って……
「……働いてみたいです」
僕が知った琥珀先輩は、誰にも教えたくない。
そんな、自分勝手な独占欲に負け、僕はそう答えた。
すると、先輩が嬉しそうに笑うから、僕は思わず、目を逸らした。
なに、今の顔。嬉しくてたまらない、みたい……なんて、僕の気のせいか。
でも僕は、勘違いしておくことにした。
これくらいの幸せなら、許してくれるでしょ?



