――だからチアキくん、あんまり俺の嫉妬心を煽らないでね?

 そう、言ったくせに。
 祭りの夜から数日後の学内。
 バイトに向かう途中に見かけた琥珀先輩は、相変わらず女子に囲まれている。
 あれは、僕に警告とやらをしてくれた先輩たちだ。
 ……嫉妬心を煽っているのは、どっちなんだか。
 僕が先輩を睨んでいると、気付かれてしまった。
 琥珀先輩の視線に次いで、女の先輩たちも、僕のほうを見た。
 なんて鋭い視線なんだ。
 これは耐えられそうにない。

「なんで逃げるの、チアキくん」

 せっかく気を使って距離を取ろうとしたのに、先輩はわざわざ引き留めに来た。
 その背後からの視線に、ぜひ気付いてほしい。
 僕が逃げた理由が、そこにあるから。

「……僕なんかに構ってていいんですか」

 まあ、先輩は気付かないんだろう。
 そう思うと、ため息もつかずにはいられない。

「俺は、チアキくんといたいから」

 それを、あの人たちにも言ったのかな。
 だとしたら、僕がこれだけ睨まれるのも納得だけど……

「……僕、バイトなので」

 これ以上先輩の近くにいたら、暗殺でもされてしまいそうで、僕はそう言って逃げた。

   ◇

 喫茶店のバイトが終わるころには、いつものように琥珀先輩が姿を現す。

「チアキくん、一緒に帰ろ」

 いつも通りのようで、いつもより明るい先輩。

「琥珀、なんかいいことでもあった?」

 当然、亮太さんはそれに気付いた。
 琥珀先輩は、ますます嬉しそうに笑っている。

「まあね」

 てっきり、僕とのことを話すのかと思ったけど、違ったらしい。
 といっても、僕たちはまだ、付き合ってもいないわけだから、報告のしようもないだろうけど。
 ……今日こそは、その関係を変えてやる。
 そう静かに誓って、僕は私服に着替えた。

「もう夜でも暑いね」

 先輩は、これは日常の一ページとでも思っているんだろう。
 でも、呑気でいられるのは今だけだ。

「チアキくん?」

 僕が足を止めたことで、先輩も立ち止まり、僕のほうを向く。
 僕たちの間を駆け抜けた風は、確かに生温い。

「……琥珀先輩」

 言え。
 言うなら、今なんだ。
 そう、自分を鼓舞する。

「僕でも、いいですか」
「なにが?」

 さすがに伝わらなかったらしい。

「……琥珀先輩の、恋人になりたいです」

 直接的な言葉が、こんなにも照れ臭いなんて、知らなかった。
 これを、先輩は何度も伝えてくれていたのか?
 どんなメンタルしてるんだよ……

「もちろん!」

 それを言うのと同時に、琥珀先輩は僕のもとに駆け寄り、僕を抱き締めた。
 急に触れてくるのは、心の準備が整っていないから、やめてほしい。
 だけど、心拍数が上がっているのは僕だけじゃなかった。

「ヤバいね、俺たちの心臓。壊れそう」

 ほんの少し顔を上げると、琥珀先輩は照れたように笑う。
 つられてしまうから、そんなふうに笑わないでよ。
 そして、先輩からゆっくり笑顔が消えていく。
 代わりに、僕たちの顔が近くなっていった。
 これって、もしかして……

「え……」

 キス、するのかと思ったのに。
 先輩の動きが固まり、僕をの身体を引き離した。
 ……やっぱり、男の僕じゃダメだったのかな。

「いや、違う、断じて無理とか、そういうことじゃなくて! 家じゃ、ダメ? 俺、絶対に我慢できなくなる」

 僕が戸惑っているのを見て、先輩は慌てた様子で弁明した。
 これは嘘なのか、そうじゃないのか。はっきりとはわからない。
 だけど、目の前で慌てている姿があまりかっこよくなくて、これは先輩としても本意じゃないんだろうなと思った。
 ……先輩の家、か。

「……嫌です」
「そっか……」

 僕が結構はっきりと言ったから、先輩はわかりやすく落ち込んでしまった。
 だって、先輩の家って、つまり……僕の知らない女の人とワンナイトを過ごしてきたような場所ってことでしょ。
 そこで、なんて嫌に決まっている。

「……琥珀先輩の家じゃなくて、僕の家にしませんか」
「チアキくんの? いいけど……」

 どうして僕が嫌だって言ったのか、わかっていないんだろうな。
 まあ、そのうち話そう。
 今言ったって、先輩を困らせるだけだから。
 そして、僕たちは僕の家に向かった。

「……チアキくん」

 玄関のドアが閉まると、琥珀先輩は僕の名前を口にした。
 振り向けば、さっきよりも熱い眼をした先輩がそこにいる。
 もう、逃げられない。
 そう思ったと同時に、僕たちの唇が重なった。
 お互いの唇の感触を確かめるような触れるキス。
 こんなにも心臓が爆発しそうになるものだったなんて、知らなかった。

「……千瑛」

 いつもとは違う呼び方にドキッとすると、するっと琥珀先輩の舌が口の中に侵入してきた。
 僕はそれに上手く応えられなくて、ときどき声を漏らし、とうとう咳き込んでしまった。

「チアキくん、苦しくなっちゃった? 鼻で息を吸うんだよ」

 琥珀先輩は、微笑ましそうに僕を見てくるけど。
 ……知らないよ、そんなの。

「チアキくん?」

 先輩は、初めてじゃない。
 そんなこと、わかってる。
 だって、初対面で「女の子が捕まらなかった」って言ってた人だよ?
 経験がないわけがない。
 でも、わかっているのに、慣れてる感じに、僕は見ず知らずの女の人に嫉妬してしまう。

「……先輩の初めてが、僕だったらよかったのに」
「チアキくん……」

 こんなの、琥珀先輩を困らせるだけだって、わかってる。
 でも、言わずにはいられなかった。
 先輩だって、嫉妬させるなっていったんだ。これくらい、許してほしい。

「……これからは、僕以外を探さないでくださいね」

 恥ずかしさで死にそうになるけど、先輩が僕を強く抱きしめてきたことで、僕の顔を見られずに済んだ。

「もちろん。チアキくん以上の人なんて、いないし」

 琥珀先輩はそう言うと、僕から離れる。

「チアキくんこそ、よそ見しないでね。俺の大事な宝物」

 そしてもう一度、触れるだけのキスをした。