窓の外、蝉が半狂乱になって鳴いている。
開け放した窓から吹き込んでくる風も熱い。
「終業式の日にエアコン壊れるとか、ないわ〜」
ぶちぶち言いながらロッカーを開け閉めする紅の横で、暁史は苦笑いした。
「終業式の日でよかったよ。授業あるのにエアコン壊れてたらさすがに事件だ」
「そうだけど! 荷物めっちゃあるんだもん。まとめるだけで汗かくのに、エアコンないとかまさに地獄」
いや、それは君が計画的に荷物を持ち帰らないからそういうことになるんじゃ……と思ったが、言わずに暁史は荷造りを手伝う。
一学期も今日で終わる。明日からは夏休みだ。休みはうれしいが例年の夏休みとは違う感情が今年はある。
毎日顔を見ていた彼と会えなくなるのはやはり、寂しい。
「夏休み、遊び行こ」
その声が聞こえたみたいに紅が言った。ロッカーのドアをぱたん、と閉めた直後だった。
「え、俺、声に出てた?」
ぎょっとして彼の顔を見下ろすが、なんも? と彼は首を振り、額の汗をくいっと拳で拭うばかりだ。
「じゃあ、なんで……」
「なんでっていうその質問になんでって返したい」
ぐいぐいと荷物を鞄に詰めつつ、彼がくすっと笑う。
「多賀は俺がずっと見てた相手だし。考えてることくらいわかるよ。ってか」
じいいっと鞄のファスナーを締め、よいしょ、と持ち上げた彼がこちらを振り仰いで言った。
「恋人だしね」
相変わらず直球だ。そ、そだね、と照れて足元を見る暁史に、行くよ、と彼が声をかけてくる。頷いて彼の後に続いて教室を出ようとして、ふっと気づいた。
「時任くん、忘れてるよ」
ロッカーの前にキャンバスが立てかけられている。美術の時間に描いた絵のようだ。なんの気なしに引っ繰り返してみて暁史ははっとした。
自分がいた。
淡い色彩で色付けされた絵の中で、自分は本を広げていた。目線はページに落としながら、文字を指先で辿っているその顔は、柔らかく綻んでいる。
本を読むことが幸せでたまらぬ、と言うように。
「え、あ、ちょっと!」
声と共に絵が奪われる。体で絵を隠しながらそっぽを向く彼を見下ろしながら、暁史は首筋を掻いた。
友達の顔を描く、というあの課題の間中、彼は決して自分の絵を暁史に見せてくれなかった。だからどんなふうに自分が描かれていたのか、結局知らぬままだった。
でも、今見て思った。あのとき、彼がこの絵を隠したいと思った理由が。
「俺のこと……ずっとこんなふうに見てくれてた、んだね」
上手下手でいえばそこまで上手くはないかもしれない。それでも絵には感情が滲むと聞いたことがある。
彼の絵には……大好き、が確かに滲んでいた。
「あの……ねえ、時任くん」
「なに」
キャンバスを体で隠したまま、彼は教室を出て行こうとする。その彼に暁史は必死に追いすがる。
好きと自分はちゃんと彼に言えていない。会いたい、は言ったけれど、好きはまだだ。
それがなんだか……悔しくてたまらなかった。
だって彼は、ずっと好きだと伝えてくれていたのだから。
態度で、言葉で。そして……絵にさえも好きを込めてくれていた。
だったら自分だって彼に伝えたい。伝えねば。
「その、俺、さ、あの、ちゃんと、まだ、言えてなくて」
ふっと紅が足を止める。怪訝そうに振り向いた彼を見下ろし、暁史は呼吸を整える。
大丈夫だ。言えるはずだ。あのときは聞こえていなかったようだが、一度は言えたのだ。
一度できたなら二度目もできるはず。
「あの」
「あ、多賀くーん」
言ってやる! 言ってやるぞ! と意気込んでいた心を薙ぎ払うような見事なタイミングで声が飛び込んできた。がくり、と首を落としながらそちらを見ると、窓の向こう、向かいの校舎から高階が手を振っていた。
「あのさあ、今日図書室の鍵閉めるの、私、当番なんだけどー! ちょっと先生に呼び出し食らっててさあ! 代わりに閉めといてくれるー?」
「は、はあ……」
今、頼まなくてもよくない?! と怒鳴りたい。が、できない。
仕方なく頷くと、ありがとう! と夏休みを前に浮かれ切った笑顔が返ってきた。ぼやきたいのをこらえ、それじゃあ、と会話を締めにかかった刹那。
「ってか、猫鍋復活してるー! よかったねえ! 多賀くん、時任くん、仲直りおめでとー!」
高らかに高階が叫んだ。え、ちょっと、と慌てている間に、じゃあねえ! と高階は窓から姿を消してしまい、後には高階の大声だけが残った。
「猫鍋ってなんだ?」
「時任と多賀が猫鍋?」
馬鹿声でなんて恥ずかしいことを言ってくれているのだろう、あの人は。
暁史たちがいる廊下には人影はないが、校舎の外にはまだそこそこ人がいる。彼等の間で猫鍋、猫鍋と言葉が交わされているのが聞こえ、暁史はたまらず廊下にしゃがみこんだ。
高階はいい先輩だがこういうデリカシーがないところが玉に瑕だ。勘弁してくれ、と頭を抱えていると、きゅっと上履きを鳴らしながら、紅が暁史の前に膝を突いた。
「ねえ、猫鍋ってなに?」
不思議そうな顔をしているが、少しだけ眉が寄せられている。また高階にジェラシーを燃やしているのかもしれない。
「あ、いや、高階先輩は誰にでもああいう軽口叩く人だから。時任くんがそんな気にすることでは……」
「猫鍋って?」
「いや、だから……俺と時任くんがちょっと距離置いてたとき、高階先輩に言われただけ。いつもその……猫鍋みたいなのに、最近そうなってないけど喧嘩したのーって。で、今、一緒にいるの見て、その」
「猫鍋」
呟きながら彼は顎に手を当てている。そうしてからなにを思ったのか、壁際まで歩いていき、すとん、と腰を下ろした。次いで、肩に背負っていた鞄をひょいと投げだしてスマホを引っ張り出す。
数秒後に聞こえてきたのは、納得したような、ああ、という声だった。
「これが猫鍋」
そろそろと彼のそばまで行き、スマホを横から見る。土鍋の中で猫と猫が餅のように寄り添って眠っている画像が表示されていた。
「夏場は……暑そう、だよね」
おそらく、そうだね、という返事があると思っていた。が、彼は画面を凝視したままだ。おや、と顔を覗き込むと、多賀、と名前が呼ばれた。
「多賀も俺みたいに壁に背中くっつけて座ってみて」
「……廊下だよ?」
「どうせみんなもう帰っちゃったし」
言いながら腕を引っ張ってくる。やれやれと彼に倣って壁に背中を預けて腰かけると、ぐいっと彼が距離を詰めてきた。
「ちょ、時任くん?」
呼びかけるがぐいぐいと空間が押し潰され、あっという間に自分の右半身と彼の左半身がぴたっとくっついてしまった。
正直……暑い。
「うーん。確かにこれは、暑い」
そのままの姿勢で彼が言う。今朝から教室のエアコンが壊れていたせいで、半袖のシャツから伸びた腕も汗ばんでいて、密着した肌と肌がじっとりとぬめる。本来なら不快でたまらない感触だ。
けれど……なぜだろう、全然嫌ではなかった。相手が彼だからだろうか。そう思い至るや否や、気温以上に体が熱くなってきた。暁史は頬を染めながら、そりゃそうだよ、と言い返した。
「猫だって夏は猫鍋しないよ……」
「でもさ」
ぽつん、と声が落ちる。
「これ、ほっとするね」
彼は暁史の肩に頭をこてんと乗せながら、幸せそうに目を閉じていた。
本当に猫みたいだ。
先ほど目にした猫鍋の画像が瞼の裏に蘇ってきて、思わず笑みが漏れる。その気配に気づいたように、彼がこちらに目を向けてきた。
「猫みたいって思った?」
「あ、まあ、ちょっと」
相変わらず紅は心を読む天才だ。度肝を抜かれながら頷くと、ふふ、と彼が小さく笑った。
「じゃあ、もうちょっと猫ごっこしよう。駄目?」
少しだけ潤んだその目に心臓がことん、と音を立てる。
「いい、よ」
そうっと囁くと、再び瞼が下ろされる。満足そうな声が耳の中へ滑り込んできた。
「この状態で聞く多賀の声、最高。もっと話して」
「は? なに、話せば……」
「なんでもいいよ。今日の天気でも、好きな食べ物の話でも、なんでも」
なんでもというのが一番困る。
弱りながら、暁史も目を閉じてみた。
真夏の風物詩である、蝉の声が窓から流れ込んでくる。けれど今、なぜか自分は恋人と猫鍋状態にある。
暑いし、べたつくし、なにやってるんだ、と我ながら呆れる。しかもなにか話してという無茶ぶりまでされている。
けれど……この状態が落ち着くのは彼だけじゃない。自分もすごく、ほっとしている。
それは多分、一緒にいる彼が自分のことをとても好きでいてくれるのがわかるからで、自分も彼がすごく……。
「好きだよ」
ふわりと想いが声になって舞った。彼は肩に頭を当てたまま動かない。もしかしてくっついたまま寝てしまったのだろうか、と彼の顔を窺った瞬間、声が耳朶に沁み込んできた。
「二回目の好き、ゲット」
――好きだよ。
あの日、初めてキスした日、囁いた声は彼に届いていないと思っていたのに。……どうやら聞かれていたらしい。
敵わないなあ、と首をかくん、と落とすと、ふふ、と彼がまた笑った。
もう詰める隙間もないのにくいっと頭が寄せられる。
「俺も好き。大好き」
好き、が降ってくる。
それはちょっと冬の雪みたいにさらさらしていて、聞けば聞くほど、胸の中に優しく降り積もる。
夏の猫鍋、悪くないな。
世の猫に教えてやりたい、などと思いながら暁史もそうっと彼の頭に頭を寄せた。
開け放した窓から吹き込んでくる風も熱い。
「終業式の日にエアコン壊れるとか、ないわ〜」
ぶちぶち言いながらロッカーを開け閉めする紅の横で、暁史は苦笑いした。
「終業式の日でよかったよ。授業あるのにエアコン壊れてたらさすがに事件だ」
「そうだけど! 荷物めっちゃあるんだもん。まとめるだけで汗かくのに、エアコンないとかまさに地獄」
いや、それは君が計画的に荷物を持ち帰らないからそういうことになるんじゃ……と思ったが、言わずに暁史は荷造りを手伝う。
一学期も今日で終わる。明日からは夏休みだ。休みはうれしいが例年の夏休みとは違う感情が今年はある。
毎日顔を見ていた彼と会えなくなるのはやはり、寂しい。
「夏休み、遊び行こ」
その声が聞こえたみたいに紅が言った。ロッカーのドアをぱたん、と閉めた直後だった。
「え、俺、声に出てた?」
ぎょっとして彼の顔を見下ろすが、なんも? と彼は首を振り、額の汗をくいっと拳で拭うばかりだ。
「じゃあ、なんで……」
「なんでっていうその質問になんでって返したい」
ぐいぐいと荷物を鞄に詰めつつ、彼がくすっと笑う。
「多賀は俺がずっと見てた相手だし。考えてることくらいわかるよ。ってか」
じいいっと鞄のファスナーを締め、よいしょ、と持ち上げた彼がこちらを振り仰いで言った。
「恋人だしね」
相変わらず直球だ。そ、そだね、と照れて足元を見る暁史に、行くよ、と彼が声をかけてくる。頷いて彼の後に続いて教室を出ようとして、ふっと気づいた。
「時任くん、忘れてるよ」
ロッカーの前にキャンバスが立てかけられている。美術の時間に描いた絵のようだ。なんの気なしに引っ繰り返してみて暁史ははっとした。
自分がいた。
淡い色彩で色付けされた絵の中で、自分は本を広げていた。目線はページに落としながら、文字を指先で辿っているその顔は、柔らかく綻んでいる。
本を読むことが幸せでたまらぬ、と言うように。
「え、あ、ちょっと!」
声と共に絵が奪われる。体で絵を隠しながらそっぽを向く彼を見下ろしながら、暁史は首筋を掻いた。
友達の顔を描く、というあの課題の間中、彼は決して自分の絵を暁史に見せてくれなかった。だからどんなふうに自分が描かれていたのか、結局知らぬままだった。
でも、今見て思った。あのとき、彼がこの絵を隠したいと思った理由が。
「俺のこと……ずっとこんなふうに見てくれてた、んだね」
上手下手でいえばそこまで上手くはないかもしれない。それでも絵には感情が滲むと聞いたことがある。
彼の絵には……大好き、が確かに滲んでいた。
「あの……ねえ、時任くん」
「なに」
キャンバスを体で隠したまま、彼は教室を出て行こうとする。その彼に暁史は必死に追いすがる。
好きと自分はちゃんと彼に言えていない。会いたい、は言ったけれど、好きはまだだ。
それがなんだか……悔しくてたまらなかった。
だって彼は、ずっと好きだと伝えてくれていたのだから。
態度で、言葉で。そして……絵にさえも好きを込めてくれていた。
だったら自分だって彼に伝えたい。伝えねば。
「その、俺、さ、あの、ちゃんと、まだ、言えてなくて」
ふっと紅が足を止める。怪訝そうに振り向いた彼を見下ろし、暁史は呼吸を整える。
大丈夫だ。言えるはずだ。あのときは聞こえていなかったようだが、一度は言えたのだ。
一度できたなら二度目もできるはず。
「あの」
「あ、多賀くーん」
言ってやる! 言ってやるぞ! と意気込んでいた心を薙ぎ払うような見事なタイミングで声が飛び込んできた。がくり、と首を落としながらそちらを見ると、窓の向こう、向かいの校舎から高階が手を振っていた。
「あのさあ、今日図書室の鍵閉めるの、私、当番なんだけどー! ちょっと先生に呼び出し食らっててさあ! 代わりに閉めといてくれるー?」
「は、はあ……」
今、頼まなくてもよくない?! と怒鳴りたい。が、できない。
仕方なく頷くと、ありがとう! と夏休みを前に浮かれ切った笑顔が返ってきた。ぼやきたいのをこらえ、それじゃあ、と会話を締めにかかった刹那。
「ってか、猫鍋復活してるー! よかったねえ! 多賀くん、時任くん、仲直りおめでとー!」
高らかに高階が叫んだ。え、ちょっと、と慌てている間に、じゃあねえ! と高階は窓から姿を消してしまい、後には高階の大声だけが残った。
「猫鍋ってなんだ?」
「時任と多賀が猫鍋?」
馬鹿声でなんて恥ずかしいことを言ってくれているのだろう、あの人は。
暁史たちがいる廊下には人影はないが、校舎の外にはまだそこそこ人がいる。彼等の間で猫鍋、猫鍋と言葉が交わされているのが聞こえ、暁史はたまらず廊下にしゃがみこんだ。
高階はいい先輩だがこういうデリカシーがないところが玉に瑕だ。勘弁してくれ、と頭を抱えていると、きゅっと上履きを鳴らしながら、紅が暁史の前に膝を突いた。
「ねえ、猫鍋ってなに?」
不思議そうな顔をしているが、少しだけ眉が寄せられている。また高階にジェラシーを燃やしているのかもしれない。
「あ、いや、高階先輩は誰にでもああいう軽口叩く人だから。時任くんがそんな気にすることでは……」
「猫鍋って?」
「いや、だから……俺と時任くんがちょっと距離置いてたとき、高階先輩に言われただけ。いつもその……猫鍋みたいなのに、最近そうなってないけど喧嘩したのーって。で、今、一緒にいるの見て、その」
「猫鍋」
呟きながら彼は顎に手を当てている。そうしてからなにを思ったのか、壁際まで歩いていき、すとん、と腰を下ろした。次いで、肩に背負っていた鞄をひょいと投げだしてスマホを引っ張り出す。
数秒後に聞こえてきたのは、納得したような、ああ、という声だった。
「これが猫鍋」
そろそろと彼のそばまで行き、スマホを横から見る。土鍋の中で猫と猫が餅のように寄り添って眠っている画像が表示されていた。
「夏場は……暑そう、だよね」
おそらく、そうだね、という返事があると思っていた。が、彼は画面を凝視したままだ。おや、と顔を覗き込むと、多賀、と名前が呼ばれた。
「多賀も俺みたいに壁に背中くっつけて座ってみて」
「……廊下だよ?」
「どうせみんなもう帰っちゃったし」
言いながら腕を引っ張ってくる。やれやれと彼に倣って壁に背中を預けて腰かけると、ぐいっと彼が距離を詰めてきた。
「ちょ、時任くん?」
呼びかけるがぐいぐいと空間が押し潰され、あっという間に自分の右半身と彼の左半身がぴたっとくっついてしまった。
正直……暑い。
「うーん。確かにこれは、暑い」
そのままの姿勢で彼が言う。今朝から教室のエアコンが壊れていたせいで、半袖のシャツから伸びた腕も汗ばんでいて、密着した肌と肌がじっとりとぬめる。本来なら不快でたまらない感触だ。
けれど……なぜだろう、全然嫌ではなかった。相手が彼だからだろうか。そう思い至るや否や、気温以上に体が熱くなってきた。暁史は頬を染めながら、そりゃそうだよ、と言い返した。
「猫だって夏は猫鍋しないよ……」
「でもさ」
ぽつん、と声が落ちる。
「これ、ほっとするね」
彼は暁史の肩に頭をこてんと乗せながら、幸せそうに目を閉じていた。
本当に猫みたいだ。
先ほど目にした猫鍋の画像が瞼の裏に蘇ってきて、思わず笑みが漏れる。その気配に気づいたように、彼がこちらに目を向けてきた。
「猫みたいって思った?」
「あ、まあ、ちょっと」
相変わらず紅は心を読む天才だ。度肝を抜かれながら頷くと、ふふ、と彼が小さく笑った。
「じゃあ、もうちょっと猫ごっこしよう。駄目?」
少しだけ潤んだその目に心臓がことん、と音を立てる。
「いい、よ」
そうっと囁くと、再び瞼が下ろされる。満足そうな声が耳の中へ滑り込んできた。
「この状態で聞く多賀の声、最高。もっと話して」
「は? なに、話せば……」
「なんでもいいよ。今日の天気でも、好きな食べ物の話でも、なんでも」
なんでもというのが一番困る。
弱りながら、暁史も目を閉じてみた。
真夏の風物詩である、蝉の声が窓から流れ込んでくる。けれど今、なぜか自分は恋人と猫鍋状態にある。
暑いし、べたつくし、なにやってるんだ、と我ながら呆れる。しかもなにか話してという無茶ぶりまでされている。
けれど……この状態が落ち着くのは彼だけじゃない。自分もすごく、ほっとしている。
それは多分、一緒にいる彼が自分のことをとても好きでいてくれるのがわかるからで、自分も彼がすごく……。
「好きだよ」
ふわりと想いが声になって舞った。彼は肩に頭を当てたまま動かない。もしかしてくっついたまま寝てしまったのだろうか、と彼の顔を窺った瞬間、声が耳朶に沁み込んできた。
「二回目の好き、ゲット」
――好きだよ。
あの日、初めてキスした日、囁いた声は彼に届いていないと思っていたのに。……どうやら聞かれていたらしい。
敵わないなあ、と首をかくん、と落とすと、ふふ、と彼がまた笑った。
もう詰める隙間もないのにくいっと頭が寄せられる。
「俺も好き。大好き」
好き、が降ってくる。
それはちょっと冬の雪みたいにさらさらしていて、聞けば聞くほど、胸の中に優しく降り積もる。
夏の猫鍋、悪くないな。
世の猫に教えてやりたい、などと思いながら暁史もそうっと彼の頭に頭を寄せた。



