赤。緑。イルミネーション。
世の中はクリスマスに向けて、準備を始めている。
かくいう僕も、達成しなければならないミッションがある。
「好きです、付き合ってください!」
放課後、人通りの少ない廊下の端で行う、緊張感のない告白。
それもそのはずで、僕は目の前にいる鈴元さんのことを特別好きではなかった。
クリぼっちを避けたい僕の、最低な選択。
周りが恋人持ちばかりで、僕だって、と焦ったのがよくなかったんだと思う。
でも、恋人とクリスマスを過ごすなんて、青春ど真ん中なことをしてみたいと思うのは、普通でしょ。
というわけで、脈アリっぽい鈴元さんに、声をかけたのだけど。
「えっと……ごめんなさい……私、宮瀬君より、九條君のほうが好き、で……」
彼女は困ったように言った。
本気ではなかったから、断られてもそこまで落ち込んだりしないだろうと思っていたけど、普通にショックだ。
呆然とする僕に、もう一度「ごめんね」と言うと、鈴元さんはそのまま去っていった。
「くそ……またかよ」
九條君が好き。
何度、そのセリフを聞いてきただろう。特に、この一年。告白をせずとも、よく耳にした。
僕の幼なじみ、九條朔斗。
朔斗が女子ウケのいい見た目をしているのはわかる。クールな男が人気なのもわかる。
だけど、なんでみんな朔斗を好きになるんだよ。
一人くらい、隣にいる僕のほうがいいって言ってくれてもよくないか。
高校生になったし、彼女を作って楽しい青春を送りたいって思っていたのに、なぜ。
一年経ってこれだろ、もう諦めろってことか。
何度目か知らないため息が止まらない。
「那央、帰ろ」
昇降口に行くと、朔斗がイヤホンを外しながら言った。
どうやら僕を待っていたらしい。
今、一番会いたくなかったよ。
「那央?」
朔斗は無反応の僕に対して、顔を覗き込んでくる。
少しだけ。少しだけ僕より背が高い朔斗にそうされるのは、なんだか癪だ。
ふわふわの黒髪が揺れ、真っ黒な瞳が僕を見る。
男の僕からしても、朔斗はかっこいい。
こんな柔らかい表情を向けられれば、そりゃ、女子も堕ちるか。
「はあ……」
また、ため息が出る。
そして僕は、靴を履き替えると、朔斗を置いて、校舎を出た。
「人の顔見てため息とか、失礼すぎない?」
朔斗は不満を言いながら、僕を追いかけてくる。
隣に立った朔斗は、本当になにもわかっていなさそうだ。
「あ……もしかして、また告白してた?」
「またってなんだよ。てか、そんなしてない!」
……多分だけど。
というか、なんで告白ってわかったんだよ。
朔斗には言ってないのに。
「……那央、そんなに恋人がほしいの?」
「まあ、青春といえば、恋愛だし」
放課後制服デートとか。一緒に文化祭とか体育祭を楽しんだりとかさ。
それこそ、クリスマスデートとか、初詣デートとかしたい。
僕だって、普通にそういう青春を送りたい。
今のところ、ずっと朔斗の存在に邪魔されてるけどな。
恋愛とか彼女とか興味ありませんって顔しておきながら、持ち前のイケメン度で女子の視線かっさらうとか、マンガかよ。
「じゃあ……那央は、好きでもない人と付き合えちゃうんだ」
「それは……」
心なしか、朔斗の目が僕を責めているように感じる。
そんな反応されたら、悪いことをしているって、一気に実感しちゃうじゃないか。
周りだって、別に心から好きな人と付き合ってるわけじゃないだろうに。
どうして僕だけ、こんなに責められないといけないんだか。
「……モテモテの朔斗クンには、僕の気持ちなんてわかんないだろーよ」
完全なる八つ当たり。
でも、僕に彼女ができるかもしれないチャンスを幾度となく潰してきたんだから、これくらい言っても、バチは当たらないだろう。
そう自分に言い聞かせたけど、朔斗の捨てられた子犬のような顔を見ると、そうも言っていられなかった。
「ごめん朔斗、言いすぎた」
だけど、朔斗の不貞腐れた顔は変わらない。
「……俺は?」
「ん? なにが?」
「恋人。誰でもいいなら、俺でいいじゃん」
……はい?
誰でもいいみたいなことは言ったけど、それは、女子限定であって。
「……ダメ?」
朔斗は驚くほど純粋な目で、僕を見てきた。
「いやいやいや、お前、男じゃん」
「……那央のウソつき。誰でもいいって言ったくせに」
思わず子供かよって言いたくなるくらい、朔斗は頬を膨らませてそっぽ向いている。
冗談やめろよ、とは言わせてくれない雰囲気に、僕のほうが戸惑ってしまう。
「……俺、大事にするよ?」
……なるほど、僕より朔斗が選ばれる理由がわかった気がする。
このピュアな顔の破壊力ったら、ない。
「那央?」
僕が戸惑ってなにも言えないでいると、朔斗はまた僕の顔を覗きこんできた。
もう、その顔はやめてほしい。
「……わかった! わかったから、離れろ!」
朔斗を押しのけるように言ったのに、朔斗が心から嬉しそうな顔をした。
もしかして、付き合うのを承諾したって思われた?
いや、そんなつもりでわかったって言ったんじゃないんだけど。
だけど、僕が否定するよりも先に、朔斗が僕の手をそっと握って来た。
「恋人なら、変じゃないもんね」
……ダメだ、こんなに嬉しそうに言う朔斗に、やっぱなしで、なんて言えない。
じゃあ、僕、朔斗とクリスマスデートとかするのか?
そんなの、今までと変わらないじゃないか。昔の話だけど。
こうして手を繋ぐのだって、初めてじゃないし。まあ、これも小さいころの話だけど。
でも、朔斗の甘い表情は、知らない。
朔斗が僕を見てくると、つい視線を逸らしてしまうくらい、気まずい。
すると、おもむろに朔斗が僕に顔を近づけてきた。
さっきまでの、様子を伺うのとは違う。
まるで、僕とキスをしようとしているような距離感。
「ちょっ……と待て! なにしようとしてんだよ!」
「……だって、那央がぼーっとしてるから」
「全然理由になってない!」
「那央は、俺とキスするの、イヤ?」
付き合うことになったのすら、まだ受け入れられてないのに、キスなんてできるかよ。
でも、はっきりと「嫌だ」と言って突き放すことはできそうにない。
言えば、朔斗がまた捨てられた子犬みたいな顔をするに決まっている。
「……クリスマス! そういう、記念のときがいい!」
突発的にそう言うと、朔斗はにんまりと笑った。
「那央ってば、ロマンチストだね」
……これ、間違いなく墓穴掘ったな?
だけど、満足げな朔斗を見ていると、訂正もできそうになかった。
◇
「おはよう、那央」
翌朝、朔斗はいつものようにうちの前にいた。
僕はなにか変わるのかと身構えていたけど、案外そうでもないらしい。
そう思うと、少し気が楽になった。
「おはよ……って、冷たっ」
朔斗に近付くと、朔斗に右手で頬を触られた。
冬だから当然だろうけど、外で待っていた朔斗の手は恐ろしく冷たかった。
「な、なんの嫌がらせだよ!」
「違うよ。寒いから、手を繋ごって意味」
「だったら、そう言え!」
僕はそう言いつつ、両手をコートのポケットに突っ込んだ。
僕のポケットにはカイロが入っているから、非常に温い。
「那央?」
朔斗は不満そうに僕の名前を呼んだ。
「……繋いでいいとは言ってない」
朔斗に振り回されてばかりなのがなんだか気に入らなくて、僕こそ子供みたいなことをしてしまった。
そして一歩踏み出したのはいいが、朔斗に腕を掴まれ、引き留められてしまった。
少々乱暴すぎないかと言おうとしたのに、それよりも先に朔斗の右手が僕のポケットに侵入してきた。
朔斗の冷たい手が、僕の熱を奪っていく。
「おい、勝手に入れんな」
「手を繋ぐのを拒否った那央が悪い」
朔斗はそう言いながら、僕の左手ごと、自分のポケットに手を突っ込んだ。
これは僕が悪いのか?
いや、絶対に違うだろ。
「てか、今まで手を繋いだりしなかったろ」
「今までは幼馴染だったから。今は恋人同士だし、いいでしょ」
いいわけあるか。
朔斗と手を繋ぐのは初めてじゃないはずなのに、僕は変に緊張してきた。
冷たいと思っていた朔斗の手は、いつの間にか温かくなっている。
「那央、今日の放課後、暇?」
「え……暇だけど、なんで?」
「映画、見に行こ。那央が見たいって言ってた映画、公開されたみたいだから」
朔斗はそう言いながら、器用に左手だけでスマホを操作している。
そして、僕に画面を見せて来た。
僕の好きなSF映画の続編は、たしかに数日前に公開されたらしい。
「……なんで、そんなの把握してんの」
「それはもちろん、那央の彼氏だからね」
朔斗は得意げに言う。
……カレシ。
そのワードが、妙に耳に馴染まない。
幼馴染だから、と言われたほうがどれだけよかっただろう。
「……嫌だった? 那央はこういうことがしたいんだと思ってたんだけど」
正解だよ。
僕はそういうことを、恋人としたかった。
でもそれは、何度も言うけれど、女子と、なんだ。
幼馴染の朔斗とじゃない。
だけど、これを言えば朔斗が落ち込むことを知っている。
「……わかった。映画、行こう」
だから僕は、本音を隠すしかなかった。
朔斗には作り笑いだって気付かれているんだろうけど、思いっきり悲しませるよりもマシだった。
そうして学校に近付いていくうちに、周りから視線を向けられていることに気付いた。
なぜ、こんなに見られているのか。
いくら朔斗が女子に人気とはいえ、今までの比にならないくらい、女子にも男子にも見られている。
「お前ら、やっと付き合ったのか」
すると、ちょうど出くわした同じクラスの柴田がにやにやしながら言ってきた。
どうして知っているのかと思ったけど、そう言えば、まだ僕の手は朔斗のポケットに入っているんだった。
注目を集めるのも納得だ。
僕は朔斗のポケットから逃げる。
……いや、ちょっと待て。やっとってどういうことだ?
「よかったな、九條」
僕が困惑しているというのに、柴田は朔斗に声をかけると、先に校門をくぐった。
そして今の会話が聞こえていたのか、女子たちの悲鳴が聞こえる。
これは一瞬で噂が広まりそうだ。
つまり、僕の望む青春は終わりを告げたということ。
「……那央は、俺と付き合うこと、秘密にしてたかった?」
僕の表情を見て察したのか、朔斗がこっそりと聞いてきた。
まだ女子と付き合うことに憧れを抱いているから、なんて言えるわけがない。
というか、外堀が埋められたような気がするんだけど。
「……もう遅いし、いいよ」
さよなら、僕の青春。
もう、大人しく朔斗と過ごすよ。
「ごめん那央、俺、浮かれてて、那央の気持ち考えてなかった」
「はいはい、もういいって」
そう言いながら校門をくぐって昇降口に行くと、鈴元さんとばったり出会った。
もう校内に噂が届いたのか、僕を軽蔑するような目を向けてくる。
……まあ、無理もないか。
鈴元さんに告白した翌日に、こんなことになっているわけだし。
そして鈴元さんはなにも言わずに、踵を返した。
「那央、あの子に告白したの?」
背後から現れた朔斗は、僕の肩に顎を置いて、鈴元さんが歩いていったほうを見つめている。
睨んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
「あー……まあな」
お前を理由にフラれたけど。
「ふうん……」
「さ、朔斗?」
その声の低さに驚き、声を詰まらせてしまった。
だけど、僕のほうを向いた朔斗は柔らかく微笑んでいる。
「なに?」
「……いや、なんでもない」
僕は、そう言うしかできなかった。
◇
放課後、僕たちは約束通りに映画デートをすることになった。
朔斗と映画に行くのは初めてじゃないし、今まで通りだろうと思っていたけれど。
「那央は真ん中より少し後ろの席が好きだったよね」
朔斗は積極的に席を取り。
「コーラでよかったっけ? あ、ポップコーン、食べる?」
買い物も完璧で。
「那央、パンフレットあるって。見てみよ」
映画が終わったら、売店のほうに導かれて。
こんなにエスコートしてくる朔斗は、知らない。
今までは、僕に振り回されてたくせに。
『俺、大事にするよ?』
もしかして、あの言葉は本当だったのかもしれない。
そうか。恋人になると、朔斗はここまで甘やかしてくるのか。
幼馴染なのに、全然知らなかった。
「那央?」
僕の戸惑いを感じ取ったのか、売店に向かう途中の朔斗は不思議そうに僕を見ている。
「どうしたの?」
「いや……」
お前を意識してました、なんて恥ずかしくて、とても言えそうにない。
かといって、いい言い訳も思い浮かばない。
「……ねえ、那央。やっぱり、やめよっか」
すると、朔斗が先に言った。
「やめるって……なにを?」
「……恋人」
それは予想外の言葉だった。
僕の沈黙を、悪い意味で捉えたんだと、すぐにわかった。
だけど、僕の頭は朔斗が言っている意味を処理するのが精一杯で、自分の言葉を考える余裕がなかった。
だって、僕と恋人になることを提案してきたのは、朔斗だ。
その朔斗がそんなことを言うなんて。
本心じゃないことは、朔斗の顔を見れば容易にわかった。
きっと、僕のことを思ってそう言ったんだと思う。
「でもこれで、ちゃんと好きじゃない人と付き合うのは難しいってわかったでしょ? 次からは心から好きな人と付き合いなよ」
そう言って、僕に背を向けるまで、朔斗は笑顔を保っていたけれど、背を向ける直前、朔斗の笑顔が崩れた。
朔斗の暗い表情を見逃すような男じゃないからな、僕は。
でも、去っていく朔斗を引き留めることはできなかった。
引き留めてどうする。なにを言う?
今の幼馴染でも恋人でもないような関係を続けましょうって?
そんなの、きっと、朔斗をますます傷付ける。
それがわからないほど、僕はバカじゃない。
朔斗を傷付けた自覚があるのに、僕はなにもできなかった。
◇
翌日、朔斗は僕の家の前にいなかった。
寝坊でもしているのかと思ってメッセージを送ったら、『先に行ってて』と冷たく返ってきた。
なんだよ、それ。さんざん僕を振り回しておいて。
朔斗が付き合う?って言ってきたくせに。
僕は心の中で朔斗に対して文句を言いながら、登校した。
「あれ、那央一人? 彼氏はどうした」
学校に着く直前、また柴田と会った。
タイミングがいいんだか、悪いんだか。
「……彼氏じゃない」
なんとも覇気のない声だ。
自分でそれを聞いて、僕はそれなりに落ち込んでいることを自覚した。
「そんなこと言ってやんなよ。九條が可哀そうだろ」
明らかに冷やかそうとしている柴田を置いて、僕は校舎に向かう。
「ちょ、ちょっと待て、まさかもう別れたとか言わないよな? 昨日の今日だぞ?」
慌てて僕を追いかけてきて、柴田は小声で確認してきた。
「さあ……どうなんだろ」
朔斗はやめる?って言ってきたけど、それに僕は応えていない。
でも、僕はもともと朔斗が恋人になることは認めていなかったわけで。
だから、付き合っていたとか、別れたとか、実感がなかった。
「那央が嫌って言ったわけじゃないのか?」
僕の反応を見て、柴田はさらに驚いている。
そういえば、昨日は朔斗によかったなって言ってたな。
柴田は、僕が知らない朔斗のことを知っているのか?
「いやでも、あり得るか? あの九條が、那央と別れようとか絶対言わないだろ……」
柴田はぶつぶつとそんなことを言っている。
「なんでそんなこと言い切れるんだよ」
僕たちのこと、なにも知らないくせに。
そう思って言ったけど、柴田は目を見開いて僕を見た。
「お前、マジか……」
「なにが?」
「本気で気付いてないわけ? 九條がどれだけ重いか」
柴田は、改めて信じられないと言わんばかりの表情を向けてくる。
朔斗が重い。
それはつまり、僕のことが好きとか、そういうことか?
……いやいや。
「朔斗が僕を好きってことのほうが、ありえないだろ」
すると、柴田は大きなため息をついた。
「……鈴元さん。もともと那央のことが好きだったって、知ってた?」
「……はあ!?」
昇降口が目の前というところで叫んだせいで、周りから不快そうな視線を向けられてしまった。
申しわけなく思いつつ、靴を履き替えて校舎の中に入る。
「今の、本当かよ」
僕は周りの目を気にしつつ、柴田に尋ねる。
だって、信じられるわけがない。
僕は、鈴元さんにフラれたんだ。朔斗のほうがいいって理由で。
「女子同士で那央のほうが好みだって言ってたし、マジだよ」
それでも信じられないのは、数日前のあのやり取りのせいだ。
「九條もそれ聞いててさ。それから九條は、鈴元さんの意識を自分に向けるように、わざと優しくしたりしてたんだよ」
……なんだよ、それ。
じゃあ、僕がフラれたのは、朔斗のせいだったのか。
そうまでして僕の青春の邪魔がしたかったなんて、知らなかったよ。
「那央、これでわかったろ?」
「朔斗が嫌がらせをしたかったってことなら、今わかったけど」
「そうじゃねえよ、バカ」
こんなどストレートな悪口を言われるとは、心外だ。
「だから、九條が、那央が誰とも付き合わないように仕向けてたのは」
「……柴田」
柴田が呆れた様子で教えてくれていたのを、朔斗の低い声が遮った。
朔斗は僕たちの真後ろにいて、僕たちは必要以上に驚いた。
「九條……えっと……うん、余計なお世話だったな、ごめん!」
柴田は身の危険でも感じ取ったのか、慌てた様子で僕たちから離れていった。
昨日の気まずさをお互いに引きずっているせいで、居心地が悪い。
「……那央」
朔斗は、得意の捨てられた子犬のような顔をしているんだろう。
僕はそれにめっぽう弱い。
きっと、本人はそれをわかっているんじゃないかと思う。
「……ごめん、今は話したくない」
僕がそう言ったことで、朔斗は僕を引き留めなかった。
それでも僕は、朔斗から逃げるように廊下を突き進んでいく。
柴田のさっきの話。
本当に、僕のことを恋愛的な意味で好きなのか?
でも朔斗は、一度たりともそんなことを言わなかった。
朔斗は、誰でもいいなら、俺でいいじゃんって言ったんだ。
それで、誰でもよくないでしょって、僕から離れていった。
真剣かもしれないって思った瞬間もあったけど。
朔斗は僕から離れる選択をしたんだ。
そんな自分勝手な奴、知るもんか。
……知るもんか。
◇
朔斗が僕といないことで、僕たちが別れたという噂は、瞬く間に学校中に広まった。
そのせいか、朔斗は女子に囲まれるようになっていた。
そして、とうとう今日は告白現場に遭遇してしまった。
鈴元さんが、朔斗に。
なんとも複雑で最悪な状況。
聞き耳を立てるなんてよくないってわかってるけど、気になって仕方なかった。
校舎の影に隠れつつ、二人の様子を見守る。
「急に呼び出してごめんね。私……あの、九條君のことが……」
鈴元さんの声は、とてつもなく震えていた。
僕の緊張感のない告白とは違う。僕に軽く「九條君のほうが好き」と言ったのとも違う。
人を好きになって、その気持ちを伝える勇気がどれだけ必要なのか。
それがひしひしと伝わってきて。
高校生は心から好きな人と付き合ったりしない、なんて勘違いをしていたことに気付かされてしまった。
「……ごめん、俺、好きな人がいるから」
だけど、その勇気を打ち砕くかのように、朔斗はそう言い切った。
「……あの噂、本当だったんだね。九條君は、私たちを好きにさせておいて、決してそれには応えてくれないって……」
なぜ、朔斗がそんなことをしているのか。
なぜ、応えないのか。
僕はその理由を知っているようで、気付きたくなかった。
「……最低」
鈴元さんはそう言い捨てると、僕に気付かず、走り去っていった。
『九條君って、もっとカッコイイのかと思った』
中学のころ、女子が朔斗にそう言ったことを、ふと思い出した。
勝手に期待値を上げていって、勝手に理想の朔斗を作り上げて。
それと違う姿を見れば、勝手に失望する。
その極めつけが、あれだった。
たしかそれを聞いたとき、僕はブチ切れたんだっけ。
『どんな朔斗だってカッコイイだろ! お前らどこに目をつけてんだよ!』って。
でも、今のは少し違う。
朔斗が期待させるだけ期待させて、それを裏切っている。
それはたしかに、最低な行為だ。
「……盗み聞きなんて、いい趣味してるね、那央」
背後から声がして、僕は肩をビクつかせた。
振り向くと、少し呆れた様子の朔斗がそこにいる。
「……気付いてたのかよ」
「まあね」
朔斗はそれだけを言うと、そのまま歩き進めた。
僕が話したくないって言ったのを、律儀に守っているんだろうけど……
僕は、その背中をただ見送っていいのか?
朔斗を止められるのは、僕だけじゃないか?
「……朔斗!」
思ったよりも大きな声で引き止めてしまって、朔斗は少し驚いた様子で振り返った。
朔斗の表情からは、なにも読み取れない。
こんな笑顔を見せない朔斗なんて、初めて見たかもしれない。
そのせいで、変に緊張してしまうけど、僕が言うしかないんだって、自分を奮い立たせる。
「……どうして、相手に気を持たせるようなことしてるんだよ」
すると、朔斗はゆっくり口角を上げた。
そのすべてを諦めたような笑い方ができるなんて、僕は知らない。
「失望した?」
首を横に振るけれど、ロボットみたいに動きが硬かった。
「……そうじゃなくて、理由を聞いてるんだよ、僕は」
朔斗と話すのに、こんなに緊張するのは初めてだ。
沈黙なんて今までもあったはずなのに、僕はそれに耐えられそうにない。
僕たちはもっと、気軽に触れ合っていたのに。
……でもそれは、朔斗が幼馴染のラインを超えなかったからだろう。それで保たれていた関係なんだ。
「……那央に、誰とも付き合ってほしくなかったからだよ」
「じゃ、じゃあ、僕にそう言えばよかっただろ。あんな最低なことしなくても」
「言ったら、俺の告白、聞いてくれた? 俺と付き合ってくれた?」
なにも言い返せなかった。
それが、僕の答えだった。
もちろん朔斗には伝わってしまったようで、朔斗の切ない表情に胸が締め付けられた。
なんだよこれ、めちゃくちゃ苦しいんだけど。
「……那央が女子と付き合いたいって言ってるのを知ってて告白する勇気が、俺にはなかった。かといって、那央が誰かと付き合うのを大人しく見てることもできなくて。だから、那央が誰のものにもならないように邪魔するしかなかったんだ」
それを聞けば、僕は朔斗を責められなかった。
むしろ、気付けなくてごめんっていう気持ちでいっぱいだった。
「……困らせて……好きになって、ごめんね」
改めて朔斗の泣きそうな笑顔を見ると、去っていく背中を、もう一度引き止めることは、僕にはできなかった。
◆
那央に本音を話して数日が経った。
ずっと気持ちを隠して、幼馴染で隣にいたのに、もうそれすら叶わなくて。
目が合っても、那央は気まずそうに、俺から目を逸らす。
こうなるってわかってたから、言わないように気をつけていたのに。
那央が、大して好きでもない人と付き合おうとしてるのがどうしても許せなくて。だったら俺と、恋してよって。
つい、告白まがいなことをしてしまった。
戸惑う那央を押し切って、俺の欲を優先させた。
そのせいで俺は、今までの努力を全部、ドブに捨てたんだ。
「イケメンが台無しだな」
終業式が終わっても、すぐに帰る気にはなれなくて、自分の席で不貞腐れていたら、柴田がニヤニヤしながら声をかけてきた。
そのまま前の席に座るけど、今すぐ帰ってほしい。
もともと那央が好きだってことを隠すつもりはなかったけど、柴田に気付かれたのは面倒だったと、今になっても思う。
「那央にフラれたわけじゃねえのに、なんでそんな落ち込んだ顔してんだよ」
「……あんなの、フラれたみたいなもんだよ」
俺が恋人を持ちかけてから、那央はずっと困っていた。
それが、見ていられなかった。
俺はただ、隣で笑う那央が見たかっただけなのに、俺がその笑顔を曇らせた。
だから、俺は那央の隣にいないほうがいいんだ。
といっても、俺以外の誰かが那央の隣にいることも、許せそうにないけど。
「イケメン枠が減ってくれるのはありがたい話だけどさ、那央のどこがそんなにいいんだよ」
女子のほうがよくね?と言わんばかりの目。
俺からしてみれば、女子のどこがいいんだかわからない。
「……女子は、俺の外見しか興味ないから」
「なんだ? 喧嘩売ってんのか? 言い値で買うか?」
「売ってないよ」
この見た目のせいで、周りから性格を決められているような気がしてて。
それがずっと窮屈だったのに、俺はなにも言い返せなかった。
言い返せばまた、キャラと違うって言われそうだったから。
それを、那央が力強く否定してくれたんだ。
『どんな朔斗だってカッコイイだろ』って。
俺は、それがずっと嬉しくて。
「……俺自身を見てくれたのは、那央が最初なんだよ。那央がいたから、俺は俺のままでいれた」
だから、ずっと那央の傍にいたいって思ったし、誰にも渡したくないって思った。
それなのに、俺は、自分の欲に負けて。那央に避けられる始末。
本当、かっこ悪い。
「お前さあ……」
柴田はグッと俺に近づいてきた。
「マジで那央のことが好きなんだな」
左手で口元を隠しながら、小声で言う。
周りに気を使ったつもりなのかもしれないけど、那央との関係を隠そうとは思っていないから、そんなことしなくてもいいのに、と思った。
すると、肩に手を置かれ、思いっきり後ろに引っ張られた。
「ビビったあ……」
柴田は目を見開いて、俺の後ろを見上げている。
俺も驚いた。
急に引っ張られたのもそうだけど、それをしたのが那央だということに。
那央の表情が嫉妬しているように見えるのは、俺の妄想がすぎるんだろうか。
「あー……じゃあ、俺先に帰るわ」
すると、柴田は席を立った。
面倒ごとには巻き込まれたくないという魂胆が見え見えだけど、特に引き留める理由もなかったから、そのまま見送った。
ついでに、教室にはもう、誰もいないことに気付いた。クラスのクリスマス会にでも行っているんだろう。
好都合だ。
「……那央、どうした?」
那央を怖がらせないように優しく尋ねると、那央は俺から手を離して、わかりやすく視線を泳がせた。
「いや、えっと……柴田と距離、近かったっていうか……その……キ、ス……してんのか、と……」
これが嫉妬じゃなかったら、なんだって言うんだ。
嬉しすぎて、にやけてしまいそう。
でも、抑えろ。確定していないのに、暴走してまた嫌がられるのは、ごめんだ。
「……嫌だったの?」
那央は視線を逸らして答えない。
でも、耳を赤くしているのが、答えだと思う。
「俺は、那央以外の奴とキスなんてしないよ」
というか、したくもない。
俺には、那央だけでいい。
「……なんで?」
「え?」
「なんで僕とキスしたいのかって聞いてんだよ」
那央がなにを言わせようとしているのか。
それがわからないほど、バカじゃない。
「那央が好き……」
だけど、俺が言い切るよりも先に、那央が俺の胸ぐらを掴んでキスをしてきた。
……いや、え?
今、なにが起きた?
俺の都合のいい妄想とかじゃないよね?
「……なんか言えよ」
恥ずかしさが遅れてやってきたのか、那央は顔を真っ赤にしている。
そんな可愛い反応するなんて、知らなかった。
というか、一生知ることができないと思ってた。
「……俺、夢見てる?」
「おまっ……人がせっかく勇気出したってのに、それはないだろ!」
たしかにそうかもしれないけど、でも、そう簡単に受け入れられるわけがなかった。
「いや、だって……俺、男だよ?」
「……知ってる」
「それにほら……那央が憧れてた青春にはならないかも」
「……わかってる」
「あとは、えっと……」
俺はとにかく自分が傷つかないような言い訳を並べようとしたけど、すぐに思い浮かばなかった。
それを言えば言うほど、那央が不服そうにするのすら、妄想だと言い聞かせて。
「僕が朔斗を好きってこと、そんなに信じられないのかよ」
俺は首を横に振った。
信じたいに決まってる。
だけど……
「……朔斗と気まずくなって、朔斗が隣にいなくなって。思い出すのは、あの日の苦しそうな朔斗ばっかでさ。それが本当に苦しかった。僕の隣にいろよ、もっと笑ってろよって、思ったんだ」
それを語る那央は、全然視線を合わせてくれない。
でもそれは、間違いなく恥ずかしさからで。
嘘じゃないことは、幼馴染だからこそわかる。
「……僕も、朔斗が誰かのものになるの、嫌なんだけど」
那央はそう言いながら、少しだけ俺を見た。
……なに、それ。可愛すぎない?
「つ、つーか、朔斗が言ったんだろ。ちゃんと好きな人と付き合えって。朔斗は、僕の彼氏になりたくないのかよ」
「なりたい!」
俺は慌てて立ち上がった。
なりたくないわけがない。
ただ今は、この状況が受け止めきれないだけ。
それでも、俺が勢いよく言ったからか、那央は安心したようで、嬉しそうな笑顔を見せた。
俺が好きな笑顔だ。もう二度と見れないと思っていたのに、那央は俺に笑いかけてくれている。
それが嬉しすぎて、無意識に涙が流れた。
「泣くなよ」
那央は笑いながら、俺の涙を拭う。
「那央、大好き……」
那央に抱きつくと、那央はすっぽりと俺の腕の中に収まった。
なんだか、また怒られそうな気がしたけど、予想とは違って、那央は俺の背中に手を回した。
……待って、ダメだ。
俺が自分から那央を引き離すと、那央は少し驚いた顔をした。
残念そうに見えるのは、気のせい?
「……キスしていい?」
一度拒否されたせいで、変に臆病になっていた。
那央は視線を落とし、また俺を見る。
これは、許可されたと見ていいのか。
不安になりつつ、俺はゆっくりと那央に近付いた。
勢いでキスしたさっきとは違って、じんわりと那央の唇の柔らかさを感じる。
名残惜しく離れると、那央の瞳が熱で潤んでいることに気付いた。
「……照れるな」
ああ、こんなに可愛い那央が、誰のものにもならなくて、本当によかった。
すると、スマホのバイブが鳴った。
今、余韻に浸ってるところなのに、と不満を抱きながら確認すると、柴田からだった。
――お祝い!
そのメッセージとともに、さっきの、俺が那央にキスされた写真が送られてきた。
「うわ、アイツ写真撮ってたのかよ」
那央は俺のスマホを覗き込み、言った。
ちょっと恥ずかしそうにしているのもまた、可愛くて仕方ない。
「あとで文句言っておくか」
そう言いながら、那央はドアに向かっていく。
俺は置いていかれたみたいな形になってしまった。
だけど、那央はドア付近で立ち止まった。
「……クリスマスデート、行かねえの?」
「い、行く!」
俺は机に掛けていたカバンを取ると、那央に追いついた。
そしてそのまま帰るのかと思えば、那央が俺の右手を握ってきた。
「恋人なら、変じゃないんだろ」
いつだったか、俺が無理やり手を繋いだときに言った屁理屈。
「……うん、変じゃない」
俺は強く、握り返した。



