和成の引っ越し先は、朔の暮らす町のすぐ隣の市だった。家を買ったのが引越しの理由だと朔は和成から聞いていた。
 距離はそれほど遠くなく、けれど中学の部活では地区が別であったため、大会などで顔を合わせるためにはお互い県大会まで駒を進めなければならなかった。朔のかよっていた中学の野球部は地区予選でせいぜい二回戦を突破できるだけの実力しかなく、県大会までたどり着いたことは一度もなかった。和成のかよった中学校の名を県大会の対戦表で見かけたこともなかった。

 それはさておき、二人の帰る方向はほぼ同じで、和成のほうが少し遠い。だけどそれもたった四駅と気にならない程度で、放課後、朔は約束どおり和成とクレープを食べに行った。

 安売りの日ということもあり、鉄道の駅構内にあったその店の前には十人ほどの客がすでに列を作っていた。順番を待ちながらオーダーを考えておいてくれと、店側が列を為す客にメニュー表を手渡すことまでやっている。

「なに食う?」

 和成は若い女性店員から受け取ったメニューを手に朔に尋ねる。ざっと目を通したけれど、フルーツとホイップクリームが主役のよくあるラインナップで、心が躍るような特別感はなかった。和成は早々に食べたいものが決まったようだった。

「おれはやっぱチョコバナナだな。朔は?」

 すぐには答えられなかった。どれもおいしそうだけれど、これといって食べたいものが見つからない。

「じゃあ、これ」

 朔はメニュー表の一番上に載っている、イチゴとホイップクリームのもっともオーソドックスなものを指差す。追加のトッピングやクリームの量が選べると書かれていたけれど、余計な注文はしないことにした。

 列が進むのを待つ間、少しだけ中学時代の話をした。朔と和成がかよった小学校からは基本的に全員が同じ公立中学校へと進学することになっていたから、和成は小学生の頃に自分と仲が良かった友達の中学時代の話を聞きたがった。朔と同じ野球部に入っていたり、新しくバレーボールやバドミントンを始めたり、多かった和成の友達の話をそれぞれしているとあっという間に朔たちの注文する順番が回ってきた。
 会計を済ませ、二人分のクレープが出来上がってくる。ボリューム満点、受け取ったクレープはずっしりとした重みがあった。一回分の食事というと大袈裟だけれど、おやつにしては量が多い。朔がそんなことを思う(かたわ)らで、和成は「これこれ!」と嬉しそうに瞳を輝かせ、大きな口でクレープ生地からはみ出しているバナナとクリームにかぶりついた。

「んー、うま!」

 和成の顔がとろける。浮かぶ笑みと、左の頬についた白いホイップクリームが多幸感をよく表していた。

「和成」
「ん?」
「ほっぺ。クリームついてる」

 いつかのお返しに、朔は和成の頬を指差してやる。和成は目をぱちくりさせながら、クリームをくっつけた頬を朔のほうへと突き出した。

「取って」
「は、なんで。自分で取れよ」
「鏡ねぇもん」

 思わず舌打ちしそうになったけれど、朔はしぶしぶ自らの人差し指の先で和成の頬を拭った。一発できれいにすくい取れたクリームをどうしようかと見つめていると、和成はクリームのついた朔の手を自らの大きな手でつかみ、立った朔の人差し指にぱくりと勢いよく食いついた。

「バカ、おまえ……!」

 朔が無理やり手を引っ込める。和成の口がちゅぱ、と朔の指先からクリームをなめ取った音を響かせたかと思うと、和成はニコッと嬉しそうに笑った。

「うんま」
「『うんま』じゃねぇよ。もー、マジで最悪」
「ちょっ、なんでおれのブレザーで拭くんだよっ」
「おまえが汚したんだろ」
「手に持ってんじゃん、紙ナプキン」
「知らん」

 ぷいと和成から視線をそらし、朔はイチゴのクレープにかぶりつく。うまい。ふわふわのクリームの食感とクレープ生地のたまご感、甘酸っぱいイチゴの香りが絶妙なバランスで口の中に広がる。特別感はないと思った自分を反省した。これは特別な日に食べたいものだ。
 朔の表情が変わるのを見逃さなかった和成が、ニヤリと笑い、朔のクレープを奪いに来た。あっ、と思った時には手遅れで、和成は一瞬の隙をつき、クリームに埋もれた大きなイチゴが頭を出している箇所をぱくりと食べた。

「おまえ、マジでさぁ……!」
「うん、こっちもうまい」

 朔は今度こそ舌打ちをして、満足そうに微笑む和成をにらむ。「食うか?」と和成がチョコバナナクレープを勧めてきたけれど、朔はムッとした顔を突きつけるだけだ。
 和成が笑う。やっぱり、いい笑顔だ。
 一緒になって笑えたらいい。そう心で思うだけで、朔の表情は動かない。
 朔はクレープを一口食べる。やっぱりうまい。
 けれど、どうしても笑えない。マイナスの感情に支配され、心が凍りついてしまった。
 和成が目の前でクレープを頬張る。うまそうに食べるな、とその食べっぷりを眺めながら、あいつも華奢なくせに食べることが好きな男だった、なんてことを思い出す。

 そうやって昔のことばかり考えては、前に進めない自分をどんどん嫌いになっていく。あいつと過ごす日々が終わってしまったことを受け入れられない、どうしようもなく弱い自分が大嫌いだ。
 和成と一緒にいるのに、頭の中はかつての相棒のことでいっぱいだった。それはとても失礼なことだとわかっていて、和成に申し訳なくて仕方がない。
 昼休み、涙がこらえられなかった朔を見て、和成はこうして朔を気分転換に連れ出してくれた。それなのに、和成との時間とうまく向き合うことができない。

 こんなんじゃダメだ。和成を傷つけたくない。
 朔はがんばって大きく開けた口でクレープにかぶりつく。その姿を見た和成は、呆れ顔で「おまえもついてんじゃん」と頬にくっついたホイップクリームを拭ってくれた。

 触れた和成の指先は、真冬の海のように冷たかった。