お父さんの口癖よ。
あんた覚えてない?
渚と同じ歳の頃、高校の部活で入ったんだって。アマチュア無線部に。
JA3KD…だったかな。全部で六文字。
これがコールサインだって。
最初の四文字は確実に覚えてるんだけど。最後の二文字があやふや。
お母さん知ってるかなぁ。
あ!
お父さんロミオとジュリエットの話してたから、コールサインのどこかにRは入ってる!
えっと。
フォネティックコードだってお父さん教えてくれたよ。
私よく覚えてるでしょ?
自分のコールサインをコードに換えて相手に伝えるんだって。
「こちら ジュリエット アルファ スリー キング…。千葉県市川市在住です。どうぞ」って言う声が浮かんできたわ今。色気ある声なのよ、これがまた。お父さんが生きててくれた最後の夏が小4だったのよね。
渚と違って記憶は結構残ってるよ。
お父さんなんか英語喋ってる、格好イイ!って思ってたな。
いや実際かなりイケてたよお父さん。
お母さんがすれ違ったお父さんの綺麗な顔に惹かれてまた電車乗って三駅分追いかけた話、知ってる?
ヤバいよね。
改札出たところで吾に返ったって。家まで付いていってたらさ、ストーカーじゃん?
私たち生まれてないよね?
お父さんの背中遠ざかるの見ながらお母さんが立ち止まってくれたから、私たち令和に生きてんのよ。
すごくない?
渚。
あんたますますお父さんに似てきてる。
私、20年後の渚見るの楽しみにしてんの。お父さんを36歳から更新できてないのよ。
ハグさせてよね。
きっと泣いちゃうね私。
あんたも三駅分の距離、誰かから追いかけられたりするんじゃない?
あのね渚。それが運命の相手なんだからね!
そのコ、掴まえておきな。
なんか涙出そうだから切るわ。
渚、愛してる。
お母さんにも言っておいて!
マスカラ落ちちゃう〜。
姉の汐織里が大学進学のために大阪に住んで二年。渚の誕生日に合わせ、下宿先に届いた檸檬の御礼を兼ねて久しぶりに電話を掛けてきた。夜の九時。
相変わらずのマシンガントーク。
20歳になっているのに電話の向こうで時々女子高生みたいな話し方をするもんだから、渚が「ったくJKじゃないんだからさ」と呆れて言い放つと、汐織里が30秒ほど黙り込んで言ったのだ。
「こちらJK3」と声のトーンを変えて。
その後、この語りが流れるように、ひいては返す波のようにとどまることなく続いたのだった。
三駅分のエピソードは、実は夕食の時間に母から聴いたばかり。
誕生日の夜、父にまつわる話をしてくれるのが例年の母からの贈り物になっている。
渚は母の姿が目に浮かぶようだった。
前から歩いてくる父を見て歩みを止める。
改札口に小走りで駆け込む若い父を目で追って、体の向きを変えてしまう。
自分の通勤定期を使ってまた電車に乗り込む。
通勤先の区間内を引き返す、初めての夜。
その話をした時の母はとても陽気で、それがとても渚の心を明るくしてくれた。
母の流したかった涙を汐織里が代わりに流してくれたのかもしれない。
お姉ちゃん。追いかけられてるのは三駅分どころじゃないよ。
いつかこのことを伝えられたらいいのに。



