砂浜の砂の色は多様だ。素足についた砂は一粒一粒、色が違う。
 そのことを思い出しながら渚は目を閉じて、眉間の奥にそっと一年前の映像を浮かべた。

 15歳の誕生日の昼下がり。
 何度か海に潜った後、初夏の陽射しで熱くなったコンクリートの上に座って眺めた自分の素足。
 決定的に己のSOGIを思い知って、未来を少し憂いながら海を見た。それから顔を下げて素足にまばらについた砂を見た。
 白色。黒色。チャコールグレー。赤色。ベージュ。それと。これアイボリー?
 いろんな色があって美しいんだから、みんなが違ってていいはずだよな。
 気持ちがくるりと切り替わる。
 渚は砂の存在に、こんなに勇気づけられたことはかつてなかった。


 鳥羽が渚の首筋からそっと顔を上げた。
 渚がゆるゆる目を開けると、鳥羽が難しい顔をしていたので「え」と固まってしまう。

「俺は甘い顔になってんのに…その顔は何」

 これ、司の檸檬顔に準ずる、甘夏顔?

「甘夏の匂い…本当は苦手だった?」
 鳥羽がまだ至近距離から動かないので渚が囁くように尋ねると、鳥羽は子どもっぽい表情になった。
「違う。この香りも須賀のことも甘夏味の須賀も好き。話がたくさんあるのに時間切れになったことが残念すぎた。もうすぐ七時になるから寮母さんに挨拶しなきゃ」
 そう早口で言った鳥羽の頭を「甘夏味って言うな」と盛大に照れながら条件反射的に右手ではたき、同時に渚は驚いていた。
「…長い話を今聴かせてくれたじゃん」

 胸が震えて、切なく、甘くなる話を。

「まだ。これは序盤」
「え?」
 鳥羽が立ち上がって渚の腕を掴み、そっと立ち上がるのを支えてくれる。
 ヤバい。
 一時間近く同じ体勢で座っていたから身体がおかしなことになってる。
 身動き取れないくらい、陶酔していたのですが。
 
「家まで送りたいところだけど寮食の時間が始まるんだ。だから玄関まで」
 渚がリュックを背負って松の部屋を出ていきかけると鳥羽が横に並んだ。
 五樹寮の3階ぶんの階段を降りながら、周りに他の寮生がいなかったので渚は鳥羽の耳元に顔を寄せて小声で言った。

「さっきされたこと、あれ限界」

 言葉をまとめる時間がなくて極端な物言いになってしまったことに、渚自身も少し混乱する。
 限界集落と言われることに反発する祖父のおかげで限界という言葉が我が家でタブーだったことを咄嗟に思い出して、渚は頭をフル回転させた。隣を歩く鳥羽が激しく傷付いた顔をしていたのでさらに焦った。

「ちょお持って待って、訂正!えぇっと。さっきので充分あと三年は生きていけるから。卒業するまでこれ以上はしないで。ごめん!」

 渚は自分の本心をやっと適切に表現できた。
 だって三年間、同じクラスだ。
 今朝まで会話も出来なかった。視線を感じるだけで、息苦しいほどに煩悶していた。
 今日一日で、奇跡みたいに心も体も痺れる言葉を手渡してもらった。
 ゆっくりいかないと。

 少し間を置いてから鳥羽が「えぇ~ッ!?」と叫んだので渚は慌てて立ち止まり、鳥羽の口元を右手で押さえて再度小声で言った。
 「また明日。俺たちはお互い伝えないといけないことがたくさんありすぎ。だよな?」
 鳥羽が大きく頷いたので、渚は手を降ろす。
 二人で玄関まで辿り着いた時、寮内に柔らかく音楽が流れ出した。
 渚は聴いたことがない曲だったけれど、なんだか胸が締め付けられる。
「この曲、何て曲か鳥羽は知ってる?」
 尋ねながら渚は来客用のスリッパを脱ぎ、スニーカーを履いて天井を見上げた。

「シルクロード」

 鳥羽はすぐに教えてくれた。
「寮母さんに初日に教えてもらった。家に帰らなきゃって気持ちになるような曲だよね」
 鳥羽も渚の視線を追って、上を見ながら言う。
 渚はリュックをそっと揺らして、小さな声で呟いた。
「うん。帰らなきゃ…」
 シルクロード砂漠ってタクラマカン砂漠だったっけ。
 渚の左頬に一筋涙が流れた。渚を見下ろした鳥羽が「え?」とまた絶句する。
 お互い何回驚いたら気が済むんだ俺たちは。
 そう思ったら可笑しくて、渚は涙を拭って笑った。
 自分を鼓舞してくれた砂のことに想いを寄せたあと、とどめの『シルクロード』。
 

 なんだか今日の怒涛の一日を締めくくる、俺だけのドラマのエンディングみたいだ。