1時間目が終わった後の休憩時間、前の席にいた司がすぐに窓側の渚の席にやってきた。
檸檬を口に入れたような顔をしてブスくれている。
小学校の高学年の時に渚が女子から迫られて断りきれず、先に女子と一緒に帰った日の夕方に司がランドセルを背負ったまま渚の家まで来て玄関でこんな顔してたっけ。
うわぁ。今日はなんだってこんなに懐かしいことが引きも切らずに脳内で再生されるんだろう。
チーバ君と、この檸檬顔。
そうそう。司のばあちゃん家の檸檬。またもらいにいかなきゃ。母さんに頼まれてた。
「ひっつきもっつきSHRに遅れて二人で来てさ、そのあと笑っとって何なん?渚ピアノ弾いとるんやと思っとったら鳥羽と話しとったんや」
司が素直に思っていることを言ってくれるから渚は話をしやすかった。昔から司の表裏のなさには救われていた。たくさん島友だちはいるけれど、やはり長く一緒に居たいなと思うのは佐藤司という小柄で元気で檸檬の似合う、この幼馴染だ。
「それはええんよ。でも昨日はキラッキラ過ぎて話しかけられんって言っとったやろ」
また司が声を大きくしたから渚は慌てて司の頭をガシッと抱え込み、引き摺るようにして廊下に連行した。
キラッキラって言葉、恥ずかしいから耳元で小さな声で昨日話したのに。十倍大きな音量で声に出しましたね司さん。
「ごめん。司をないがしろにしたわけじゃないよ」
渚は廊下に立って10㌢下にある司の目をしっかりと見て謝った。
「朝に寮の前通った時にたまたま窓開けた鳥羽と挨拶したんだ。音楽室で話して俺と同じ関東出身だってわかって。いろいろ話したいけど休み時間じゃ足りないよ。今日は蜜柑部の活動する?そこで話せる?」
渚が一気にそこまで言うと、司の表情がみるみる柔らかくなった。
「あぁ同郷やったん?それは嬉しいよな」
司はウンウンと頷きながら機嫌を直す。
確かに渚が逆の立場でも司のように不審に思うかもしれない。
同じクラスに話しかけられない都会組がまだ一人いて何故か少し息苦しい。格好良すぎる男子と話せない自分が不甲斐なくて…と渚なりに話せる範囲で昼休みに悩みをゴニョゴニョ話していたから、翌日になって渚が当のキラッキラ男子と二人で肩を寄せるように笑いながら教室に滑り込んできたのを見たら。
は?ってなるよな。
「蜜柑部の活動やるよ。甘夏の山に行くンよ。ほいじゃ渚も来いよ」
司がそう言ったので渚は「うん」と返事して向かい合った司の右腕を取り、素早く腕十字固をして捻り上げた。
「ぎゃ〜!何すんじゃぁ渚!」
司が悲壮な声で叫んだ。
渚は司に顔を寄せて、小さな声で言う。
「司さん。教室ではお静かに」
廊下から裏山が見えて緑とオレンジ色のコントラストが今日も美しかった。
司が泣きそうな声で「はい…スンマセン」と言ったのと同じタイミングで、2時間目の始まりのチャイムが鳴った。
朝に鳥羽と会話をしてからは、離れていても視線が合うとお互い口角を上げるようになった。
だいたいお互い目の前で喋っている相手がいるけれど、それでも距離のある鳥羽とも言葉を介さずにコミュニケーションを取れている感じがする。
二ヶ月近く目で会話して下地を作っていたんだろうか。無意識に。
蜜柑部に行く前、帰り支度を皆がしている放課後の教室で渚は鳥羽に近付いて尋ねた。
「鳥羽は陸上部だよね。ゆっくり話そうと思ったら何曜日が空いてる?」
鳥羽は笑顔になって「今日!」と即座に言い放つ。
「喋りたいことがたくさんあってどこから手をつけていいか分からないんだ」
椅子から立ち上がり、リュックを背負いながら渚を見下ろす。
渚が司を見下ろす角度と全く同角度で今見上げてるってことは183㌢だろうかと渚は素早く計算した。
「部活は5時に終わる。寮に来ない?個室も客間もある。夜の7時までは来客対応してくれるんだ」
渚は鳥羽と並んで教室を出ながら頭の中で自分のスケジュールを確認した。
今日は火曜日。自分の音楽部は月水金。木曜日は東先生ん家でピアノレッスンだから。
うん、やっぱり今日がいいな。
「行く。今から蜜柑部の手伝いするから甘夏の匂い俺すっごくするかもだけど」
「えぇ?」
階段を降りていたタイミングで鳥羽が足を停めたので渚も慌てて振り向いた。三段上にいる鳥羽が眩しそうに目を細めているのが逆光の中でも分かった。
「えぇって、え?柑橘系、苦手だった?」
蜜柑部の手伝いをする時は収穫をしながら甘夏をその場で剥いて盛大に食べるので、終わった時はあたかも柑橘系のオーデコロンを身に纏っているような状態になる。
「いやそうじゃなくて…」
鳥羽が自分の髪をわしわし掴んで鳥の巣みたいにしているのを渚は呆気にとられて見上げていた。
「近付いて甘夏のかおり嗅いでしまいそうだから」
「は?」
「いや、しそうじゃなくて絶対しちゃうから今から謝っておく。ごめん!」
渚は五樹高校の階段で思いきり叫んだ。
「ごめんって?ええ〜っ!?」
何言ってるんだ、このイケメンは?
チーバ君の蝶ネクタイ地域出身のこの男子は、どうしてこんなことを俺に言うんだろう。
今朝やっと動きはじめたばかりの、この俺に。
檸檬を口に入れたような顔をしてブスくれている。
小学校の高学年の時に渚が女子から迫られて断りきれず、先に女子と一緒に帰った日の夕方に司がランドセルを背負ったまま渚の家まで来て玄関でこんな顔してたっけ。
うわぁ。今日はなんだってこんなに懐かしいことが引きも切らずに脳内で再生されるんだろう。
チーバ君と、この檸檬顔。
そうそう。司のばあちゃん家の檸檬。またもらいにいかなきゃ。母さんに頼まれてた。
「ひっつきもっつきSHRに遅れて二人で来てさ、そのあと笑っとって何なん?渚ピアノ弾いとるんやと思っとったら鳥羽と話しとったんや」
司が素直に思っていることを言ってくれるから渚は話をしやすかった。昔から司の表裏のなさには救われていた。たくさん島友だちはいるけれど、やはり長く一緒に居たいなと思うのは佐藤司という小柄で元気で檸檬の似合う、この幼馴染だ。
「それはええんよ。でも昨日はキラッキラ過ぎて話しかけられんって言っとったやろ」
また司が声を大きくしたから渚は慌てて司の頭をガシッと抱え込み、引き摺るようにして廊下に連行した。
キラッキラって言葉、恥ずかしいから耳元で小さな声で昨日話したのに。十倍大きな音量で声に出しましたね司さん。
「ごめん。司をないがしろにしたわけじゃないよ」
渚は廊下に立って10㌢下にある司の目をしっかりと見て謝った。
「朝に寮の前通った時にたまたま窓開けた鳥羽と挨拶したんだ。音楽室で話して俺と同じ関東出身だってわかって。いろいろ話したいけど休み時間じゃ足りないよ。今日は蜜柑部の活動する?そこで話せる?」
渚が一気にそこまで言うと、司の表情がみるみる柔らかくなった。
「あぁ同郷やったん?それは嬉しいよな」
司はウンウンと頷きながら機嫌を直す。
確かに渚が逆の立場でも司のように不審に思うかもしれない。
同じクラスに話しかけられない都会組がまだ一人いて何故か少し息苦しい。格好良すぎる男子と話せない自分が不甲斐なくて…と渚なりに話せる範囲で昼休みに悩みをゴニョゴニョ話していたから、翌日になって渚が当のキラッキラ男子と二人で肩を寄せるように笑いながら教室に滑り込んできたのを見たら。
は?ってなるよな。
「蜜柑部の活動やるよ。甘夏の山に行くンよ。ほいじゃ渚も来いよ」
司がそう言ったので渚は「うん」と返事して向かい合った司の右腕を取り、素早く腕十字固をして捻り上げた。
「ぎゃ〜!何すんじゃぁ渚!」
司が悲壮な声で叫んだ。
渚は司に顔を寄せて、小さな声で言う。
「司さん。教室ではお静かに」
廊下から裏山が見えて緑とオレンジ色のコントラストが今日も美しかった。
司が泣きそうな声で「はい…スンマセン」と言ったのと同じタイミングで、2時間目の始まりのチャイムが鳴った。
朝に鳥羽と会話をしてからは、離れていても視線が合うとお互い口角を上げるようになった。
だいたいお互い目の前で喋っている相手がいるけれど、それでも距離のある鳥羽とも言葉を介さずにコミュニケーションを取れている感じがする。
二ヶ月近く目で会話して下地を作っていたんだろうか。無意識に。
蜜柑部に行く前、帰り支度を皆がしている放課後の教室で渚は鳥羽に近付いて尋ねた。
「鳥羽は陸上部だよね。ゆっくり話そうと思ったら何曜日が空いてる?」
鳥羽は笑顔になって「今日!」と即座に言い放つ。
「喋りたいことがたくさんあってどこから手をつけていいか分からないんだ」
椅子から立ち上がり、リュックを背負いながら渚を見下ろす。
渚が司を見下ろす角度と全く同角度で今見上げてるってことは183㌢だろうかと渚は素早く計算した。
「部活は5時に終わる。寮に来ない?個室も客間もある。夜の7時までは来客対応してくれるんだ」
渚は鳥羽と並んで教室を出ながら頭の中で自分のスケジュールを確認した。
今日は火曜日。自分の音楽部は月水金。木曜日は東先生ん家でピアノレッスンだから。
うん、やっぱり今日がいいな。
「行く。今から蜜柑部の手伝いするから甘夏の匂い俺すっごくするかもだけど」
「えぇ?」
階段を降りていたタイミングで鳥羽が足を停めたので渚も慌てて振り向いた。三段上にいる鳥羽が眩しそうに目を細めているのが逆光の中でも分かった。
「えぇって、え?柑橘系、苦手だった?」
蜜柑部の手伝いをする時は収穫をしながら甘夏をその場で剥いて盛大に食べるので、終わった時はあたかも柑橘系のオーデコロンを身に纏っているような状態になる。
「いやそうじゃなくて…」
鳥羽が自分の髪をわしわし掴んで鳥の巣みたいにしているのを渚は呆気にとられて見上げていた。
「近付いて甘夏のかおり嗅いでしまいそうだから」
「は?」
「いや、しそうじゃなくて絶対しちゃうから今から謝っておく。ごめん!」
渚は五樹高校の階段で思いきり叫んだ。
「ごめんって?ええ〜っ!?」
何言ってるんだ、このイケメンは?
チーバ君の蝶ネクタイ地域出身のこの男子は、どうしてこんなことを俺に言うんだろう。
今朝やっと動きはじめたばかりの、この俺に。



