須賀渚は煩悶していた。
ロックオンされてる自覚が、ある。同じクラスの一人の男子生徒から。
なんで?
今までの人生で味わったことのない、この視線の密度の濃さは何だ?
これが一年間続くんだろうか。
初夏の陽射しが眩しく入りこむ教室で渚は机に頬杖をついて、左側の窓から見える青空をそっとみつめる。
って、この島唯一の五樹高校は全生徒が全員で99人だから、どの学年も一クラスだけなんだけど。
これ…三年間も続くの?
「じゃけぇ、渚は島から出たら良かったんよ。いつまではぶてとるん?」
幼馴染の司が言う。
「拗ねてないってば!」
昼休みにお弁当を食べながら、そう言って慌てて右人差し指を一本唇に当てて司を黙らせた。
相手に聴こえるでしょうが、という牽制。
この会話を届けたくない相手が、固まって一緒に昼御飯を食べている他の四人の身体の隙間を縫って、また渚を見た。
鳥羽太玖海。
地元から進学した生徒から都会組と呼ばれる島以外から来た生徒で、今は都会組の生徒が属する五樹寮の仲間で集まっている。
陸上部に入った体育会系の生徒で、多分関東出身。綺麗な標準語だから。
柔らかそうな栗色の髪。ウェーブは天然かも。
都会組の中でも一番背が高くて目立つ。整った容姿と洗練された身のこなし。
だけど軽い感じは全くなくて。逆に、重い。この視線が。
渚によく注がれる視線。その一瞬に凝縮された、この重み。
これはおそらく渚だけにしか分からない。あの爽やかな顔面に、文句の付けようもないくらいバランスよく収まった涼やかな目元。そこから自分にしか分からない超弩級のエネルギーが注がれているのを感じる。
え、これ俺のヤバい妄想?
渚は中学生になってから自分の性指向がマイノリティなのを自覚した。
華奢で中性的だと言われる渚は、女子顔が好みの女子生徒からアプローチされることが小学生の頃から多々あったが全く心が揺さぶられなかった。島の女子にはかなりぐいぐい迫ってくる強気なタイプもいて、中学校ではその対応で消耗した。渚が逃げまわっていたのを友だちは「渚は理想が高いんじゃなぁ」と感心して見ていたけど、全く違う。
渚が魂を揺さぶられるのは相手が男子とのやり取りの際だと気付いた時は、まずは気のせいだと思い込もうとした。
これで相手が女子だったら恋なんだけどな。
そういう風にいったん自分の気持ちをないことにする癖がついていた。
それでも二枚目で憧れている幼馴染の兄から笑顔で渚の黒髪をガシガシ掻き回されたりした日には胸が震えたし、若くて誠実な男教師の綺麗な手をみつめてしまう自分がいたりした。女教師には感じない感情。
そんな日々を重ねて、ようやく自分に正直に向き合えたのは15歳になった日。
この小さな島では生きていけないんじゃないかな俺、と生まれて初めて切ない気持ちで海を眺めた夏。
そんな渚が入学式の日に一目見て惹かれた同級生と視線を交わらせた途端、相手が渚の瞳の奥まで覗きこもうとするような優しい眼差しを向けてきたことに驚愕してしまった。
まだ名前さえ知らなかった朝。
渚は相手の顔を見て呼吸が浅くなるという体験に驚いて、心臓がある胸の中心あたりを右手で押さえて顔を逸らせてしまったくらいだ。
島の外から来た生徒はクラスの半分以上いて、今年度は一年生は30人だから顔と名前はすぐにお互い覚えられる。渚はいちばんに鳥羽の名前を覚えたけれど、意識しすぎて自分から声をかけることはしなかった。結構人懐こい性分の渚にしては珍しいことだ。
島以外から来た生徒は地方からであっても伝統的に都会組と呼ばれているのだが、鳥羽以外の都会組である富山から来た女子生徒、岐阜から来た男子生徒、その他に兵庫や鳥取から来た男子生徒たちとは四月中に会話を通して自己紹介もスムーズにできた。
遅咲きの桜が散って五月になり、高校の前に惜しみなく広がる海に初夏の陽射しが射す渚の愛する季節になっても渚は鳥羽に声を掛けられないままでいた。
鳥羽からも声を掛けられたことは今までない。
それでも鳥羽は渚によく視線を向けてくる、ような気がする。
気がする、だけなのか?
これ、かなり愛が込められてるンじゃないか?
あまりに悩ましくて、今日は仲良しの司に「ひとクラスしかない今の現状が息苦しいと思っちゃう事態が起こっててさ」と打ち明けたばかりだった。
六月になったばかりの昼休みに。
入学式の時にいろんな方言が混じるのが面白いと伝統的に言われている五樹高校だけれど、令和の今は標準語か関西弁か島の言葉くらいだ。
渚自身もこの島の祖父宅で暮らすようになったのが小学校からで言葉は方言に染まらなかったけれど、島の生活にはがっつり溶け込んでいる。
海が好きだ。
波の音を聴くと安心する。絶え間なくかたちを変える波を見ながら青色と碧色のグラデーションの美しさに胸が震える。
渚は朝に夕に、登校前や休日に、一人で立ち止まって海を飽きもせず眺めることがよくある。もう海なしでは生きられない、とも思っている。
今年の一年生で都会組は鳥羽を含めて17人。渚や司たちのような島の生徒は13人。
渚たちは初めて都会組が地元の生徒を超えた学年として島では話題になってしまった。
限界集落説。その裏付け。
あまり刺激のない穏やかな島の生活の中では、こんな自虐的なニュースがシニアたちを活気づける。
「令和じゃなぁ」
「ぐつわるいのぅ」
「そげーにいたしく考えんでもえぇ」
そう言ってアハハハと笑い合うおばあちゃんたちの表情はとても明るい。
島の外から来た都会組の生徒たちは基本的に礼儀正しく、島の住人たちも五樹寮生たちを可愛がっていると言える。日本の北から南から、家族から離れて単身でこの島まで来た10代の少年少女が可愛くないわけがない。高校生の渚たちだって島に来てくれた都会組の同級生に対しては愛を感じるものだから。
その愛について、考えなきゃだな。今は。
ロックオンされてる自覚が、ある。同じクラスの一人の男子生徒から。
なんで?
今までの人生で味わったことのない、この視線の密度の濃さは何だ?
これが一年間続くんだろうか。
初夏の陽射しが眩しく入りこむ教室で渚は机に頬杖をついて、左側の窓から見える青空をそっとみつめる。
って、この島唯一の五樹高校は全生徒が全員で99人だから、どの学年も一クラスだけなんだけど。
これ…三年間も続くの?
「じゃけぇ、渚は島から出たら良かったんよ。いつまではぶてとるん?」
幼馴染の司が言う。
「拗ねてないってば!」
昼休みにお弁当を食べながら、そう言って慌てて右人差し指を一本唇に当てて司を黙らせた。
相手に聴こえるでしょうが、という牽制。
この会話を届けたくない相手が、固まって一緒に昼御飯を食べている他の四人の身体の隙間を縫って、また渚を見た。
鳥羽太玖海。
地元から進学した生徒から都会組と呼ばれる島以外から来た生徒で、今は都会組の生徒が属する五樹寮の仲間で集まっている。
陸上部に入った体育会系の生徒で、多分関東出身。綺麗な標準語だから。
柔らかそうな栗色の髪。ウェーブは天然かも。
都会組の中でも一番背が高くて目立つ。整った容姿と洗練された身のこなし。
だけど軽い感じは全くなくて。逆に、重い。この視線が。
渚によく注がれる視線。その一瞬に凝縮された、この重み。
これはおそらく渚だけにしか分からない。あの爽やかな顔面に、文句の付けようもないくらいバランスよく収まった涼やかな目元。そこから自分にしか分からない超弩級のエネルギーが注がれているのを感じる。
え、これ俺のヤバい妄想?
渚は中学生になってから自分の性指向がマイノリティなのを自覚した。
華奢で中性的だと言われる渚は、女子顔が好みの女子生徒からアプローチされることが小学生の頃から多々あったが全く心が揺さぶられなかった。島の女子にはかなりぐいぐい迫ってくる強気なタイプもいて、中学校ではその対応で消耗した。渚が逃げまわっていたのを友だちは「渚は理想が高いんじゃなぁ」と感心して見ていたけど、全く違う。
渚が魂を揺さぶられるのは相手が男子とのやり取りの際だと気付いた時は、まずは気のせいだと思い込もうとした。
これで相手が女子だったら恋なんだけどな。
そういう風にいったん自分の気持ちをないことにする癖がついていた。
それでも二枚目で憧れている幼馴染の兄から笑顔で渚の黒髪をガシガシ掻き回されたりした日には胸が震えたし、若くて誠実な男教師の綺麗な手をみつめてしまう自分がいたりした。女教師には感じない感情。
そんな日々を重ねて、ようやく自分に正直に向き合えたのは15歳になった日。
この小さな島では生きていけないんじゃないかな俺、と生まれて初めて切ない気持ちで海を眺めた夏。
そんな渚が入学式の日に一目見て惹かれた同級生と視線を交わらせた途端、相手が渚の瞳の奥まで覗きこもうとするような優しい眼差しを向けてきたことに驚愕してしまった。
まだ名前さえ知らなかった朝。
渚は相手の顔を見て呼吸が浅くなるという体験に驚いて、心臓がある胸の中心あたりを右手で押さえて顔を逸らせてしまったくらいだ。
島の外から来た生徒はクラスの半分以上いて、今年度は一年生は30人だから顔と名前はすぐにお互い覚えられる。渚はいちばんに鳥羽の名前を覚えたけれど、意識しすぎて自分から声をかけることはしなかった。結構人懐こい性分の渚にしては珍しいことだ。
島以外から来た生徒は地方からであっても伝統的に都会組と呼ばれているのだが、鳥羽以外の都会組である富山から来た女子生徒、岐阜から来た男子生徒、その他に兵庫や鳥取から来た男子生徒たちとは四月中に会話を通して自己紹介もスムーズにできた。
遅咲きの桜が散って五月になり、高校の前に惜しみなく広がる海に初夏の陽射しが射す渚の愛する季節になっても渚は鳥羽に声を掛けられないままでいた。
鳥羽からも声を掛けられたことは今までない。
それでも鳥羽は渚によく視線を向けてくる、ような気がする。
気がする、だけなのか?
これ、かなり愛が込められてるンじゃないか?
あまりに悩ましくて、今日は仲良しの司に「ひとクラスしかない今の現状が息苦しいと思っちゃう事態が起こっててさ」と打ち明けたばかりだった。
六月になったばかりの昼休みに。
入学式の時にいろんな方言が混じるのが面白いと伝統的に言われている五樹高校だけれど、令和の今は標準語か関西弁か島の言葉くらいだ。
渚自身もこの島の祖父宅で暮らすようになったのが小学校からで言葉は方言に染まらなかったけれど、島の生活にはがっつり溶け込んでいる。
海が好きだ。
波の音を聴くと安心する。絶え間なくかたちを変える波を見ながら青色と碧色のグラデーションの美しさに胸が震える。
渚は朝に夕に、登校前や休日に、一人で立ち止まって海を飽きもせず眺めることがよくある。もう海なしでは生きられない、とも思っている。
今年の一年生で都会組は鳥羽を含めて17人。渚や司たちのような島の生徒は13人。
渚たちは初めて都会組が地元の生徒を超えた学年として島では話題になってしまった。
限界集落説。その裏付け。
あまり刺激のない穏やかな島の生活の中では、こんな自虐的なニュースがシニアたちを活気づける。
「令和じゃなぁ」
「ぐつわるいのぅ」
「そげーにいたしく考えんでもえぇ」
そう言ってアハハハと笑い合うおばあちゃんたちの表情はとても明るい。
島の外から来た都会組の生徒たちは基本的に礼儀正しく、島の住人たちも五樹寮生たちを可愛がっていると言える。日本の北から南から、家族から離れて単身でこの島まで来た10代の少年少女が可愛くないわけがない。高校生の渚たちだって島に来てくれた都会組の同級生に対しては愛を感じるものだから。
その愛について、考えなきゃだな。今は。



