「ところで、きみは『眠り姫の毒』を知っている?」
不承不承のエリアスに預かった封筒を渡し、アルドリックは本題を切り出した。自分を厄介ごとに巻き込んだそもそもの要因である。
返事はなかったものの、構わずに説明を開始していく。聞き届けてもらわないことには、宮廷に戻ることも叶わないのだ。
「早い話が、王都で流行ってる薬なんだけど――」
その名も「眠り姫の毒」。王都の若者たちのあいだで流行する薬の俗称である。薬を飲むと深い眠りに落ち、なにをしても目を覚ますことはないのだという。ただひとつ、真に思い合う者からの口づけを除いては。
噂の火付け役を担ったのは、流しの魔術師から薬を買った商家の娘のエピソードだ。主人公は、親に縁談を勧められ、思い悩む娘。引っ込み思案で意思を伝えることが苦手だった娘は、密かに思い合う幼馴染みの存在を打ち明けることができなかったのである。その彼女が出会った相手が、怪しい流しの魔術師だ。
メルブルク王国において、煎じた薬草を販売する資格を有するのは国家魔術師が営む認定店だけ。だが、法をかいくぐるかたちで販売されるものもあった。
心身に著しい害の出る恐れがあるものは即座に取り締まりの対象になるものの、心身に害の出ない――ある一定の基準より薬草の保有量の少ないもの。つまり、気の持ちよう程度の効能しかないもの――は目こぼしをされることがある。
彼女が手を出したものは、まさにそれだった。
ムンフォート大陸において、隣国フレグラントルに次ぐ魔術国家であるメルブルクには、「流し」と呼ばれる魔術師が短期滞在をすることがある。彼らはその際に薬を売り歩くのだ。
完全なる違法とは言わないにせよ、限りなく黒に近いグレーの存在。当然、親や教師はうかつに手を出さぬよう指導を行うが、若い人間の好奇心は計り知れない。悩む心に甘い毒を注がれては、なおのことである。
とかく、彼女は「真に思い合う者からの口づけでのみ目を覚ます薬」を手に入れた。言葉にすることが難しかった彼女の精いっぱいの抵抗であったのだろう。
彼女は薬を飲み、効能を記した紙と空の小瓶を残した。驚いたのは、揺らしても叩いても目覚めぬ娘を発見した両親である。仰天した母親は近所の住民に相談し、それを聞いた件の幼馴染みが名乗りを上げた。
結果は、娘の記した効能のとおり。なにをしても目覚めなかった娘が、幼馴染みのキスで目を開けた。喜び感動した両親は、娘と幼馴染みの結婚を許したという――。
「その話が、王都のお嬢さん方の中でロマンティックだって広まっちゃってね。半月ほど前から流行はしていたんだよ」
そう、アルドリックはエリアスに説明をした。
「そのあとで話題になったケースもいくつかあるんだけど、無事に目が覚めました、ハッピーエンドというような軽い話ばかりでね。宮廷の薬草部も当初は『グレー』という判断だったんだ。ただ、ちょっと噂が大きくなりすぎただろう? 規制する流れに変わったんだけど、察したのか、例の魔術師が国外に出ちゃってね」
ずぼらな管理だと思われたら嫌だなぁという保身半分で、アルドリックはなんでもないふうに続けた。一方、エリアスは、完全に興味のない顔で頬杖をついている。
偉そうな態度であるのに、妙に似合っているせいで注意する気も起きない。注意できる立場かと問われると、悩むところではあるのだが。
「張本人が国を出た以上、さらなる模造品が出回る可能性はあれど、とりあえずは落ち着くだろうということで、一旦保留になったんだけど。とうとうと言うべきか、目を覚まさないご令嬢が現れてしまって」
「ご令嬢?」
そこでようやくエリアスは反応を見せた。
「真に思い合っている相手に口づけてもらえばいいのではないか?」
「いや、それが」
貴族と関わることはごめんだと言わんばかりの調子に、情けなく眉を垂らす。
貴族を嫌がる人間の多さは承知しているし、宮廷で働く身としても、貴族特有の面倒さ――もちろん、すべての人が面倒なわけではないけれど――は実感している。だが、断られると困るのだ。
「ええと、その、目が覚めないのはノイマン家のお嬢様なんだけど、ご当主いわく、娘がそんな怪しい薬に手を出すわけがない、とのことで」
「なるほど?」
「ただ、ちょっと、こちらの調査で向こうの使用人の方にお聞きしたところ、お嬢様が飲んだ薬は王都で噂の『眠り姫の毒』だという証言が出て」
「なるほど?」
嫌味ったらしい相槌に負けじと、アルドリックは人当たりが良いと評判の笑みを返した。
「ただ、その、お嬢様が飲んだという小瓶が、いろいろあってなくなったらしくて。つまり、お嬢様がなにを飲んだのかは……。いや、なにも飲まれていない可能性もあるのだけれど、とにかく不明ということで」
「なるほど」
「それで、その、うちの人間と薬草部の魔術師でお嬢様の状態の確認に伺ったんだけど、『なにかの薬で眠っているのだろう』ということしかわからなくて」
「ほお」
「それで、……その、きみならわかると思うんだけど、その状態で解毒薬をつくるのって大変なんだよね」
薬草部の友人いわく。成分が判明し、材料さえ揃っていれば、ほぼリスクなく解毒薬をつくることは可能だが、成分が不明の場合は、解析に時間がかかり、リスクも上がるとのこと。
それは、まぁ、そうだろうなぁ、と。容易に想像することはできる。
「だから、……その、ノイマン家のご当主が、ぜひ、稀代の天才と噂の一級魔術師殿に、お嬢様の命運を託したいと仰られていて」
その勢いに薬草部が押されたというか、ちょうどいいと押しつけようとしているというか。曖昧な笑みを保持するアルドリックを一瞥し、エリアスは長い足を組み変えた。
「ノイマン家か」
「ああ、知って?」
「家の名前くらいはな。個人的に知っているという間柄ではない」
だろうねぇ、とも、そのほうがいい気がするよ、とも言えず、アルドリックは頷いた。
「とにかく。ご当主から直々に宮廷に要請があってね。なんでも、ご令嬢の縁談が進んでいるさなかのことだったそうで、街で噂の『眠り姫の毒』が原因とはまかり間違っても誤解されたくないということなんだ」
伝え聞いた当主の口ぶりは、一人娘の容態より家の醜聞を気にしたものだったが、一介の文官が口を挟む話ではない。
「なるほど?」
アルドリックを見つめ、エリアスは意地悪く笑った。
「起死回生の頼みの綱である婚約者殿には知られたくないだろうな。口づけで眠りが覚めなければ、大ごとだ」
「ちょっと」
人の目がない場所と言えど、言葉がすぎる。昔馴染みのよしみとして、アルドリックは窘めた。
子爵であるノイマン家と一級魔術師のエリアスのどちらの格が上かとなると後者であろうが、そういう問題ではない。
「いくらきみの家だからって、そういうことは」
「だが、事実だろう。ノイマン家が資金繰りに困っているという話も、爵位欲しさにここぞと飛びついた豪商の話も、どちらも聞いた覚えがあるが」
「……そもそもの話なんだけど、魔術師殿の見解を伺ってもいいかな」
「いくらでも?」
「『眠り姫の毒』という名前は、流しの魔術師が若い女の子が飛びつきやすいものをつけただけだろうし、王都に出回っていた『眠り姫の毒』のいくつかは薬草部が回収済みで、軽い眠り薬だったと実証してるんだ」
あくまでも軽い眠り薬。一定時間が経てば自然と目が覚めるはずのもので、「真に思い合う者からの口づけで目を覚ます」という原理は無理がある。
たまたまタイミングが良かったか、はたまた眠った者の演技か。どちらにせよ、噂はかなりの尾ひれがついたものだろう。
それが薬草部の見解だった。
「その上で、きみは、ノイマン家のご令嬢は『眠り姫の毒』を飲んだのだと思う?」
「見てもいないのに答えることはできない」
「あぁ、まぁ、……それはそうだよね。ごめん」
道理である。アルドリックは素直に謝罪を示した。次いで、薬草部の魔術師も似たようなことを言っていたと思い出す。
エミール・クラウゼ。所属は違うものの、宮廷に勤め始めた時期は同じ。大きな括りで言えば、アルドリックの同期である。年は向こうがひとつ上であるし、自分と違い、見た目も中身も華やかな男なのだが、不思議と馬が合うのだ。
今回もアルドリックが貧乏くじを引いたと知るやいなや、当たり障りのない範囲で薬草部の見解を明かしてくれたくらいだ。
実際に見たわけではないから、断言できることは少ないが、と前置いて。
「薬草部の友達も言ってたよ。『眠り姫の毒』とされるサンプルは手に入ったけど、流通しているものすべてが同じ流しの魔術師が売ったとも限らないし、仮にそうだったとしても、すべてが同一成分である保証はないって」
つまり、ノイマン家のご令嬢が飲んだ「眠り姫の毒」がサンプルより遥かにきつい成分である可能性もあるということだ。
もっとも、まったく別の薬を飲んだ可能性もあるわけだが。つくづく瓶の紛失が惜しかったと考えていると、エリアスがぽつりと呟いた。
「友達」
「ああ、まぁ、友達というか、同僚なんだけど。いや、やっぱり友達かな。なんだか馬が合うんだよね」
へへ、と照れ笑いを浮かべたアルドリックに、エリアスはゴミを見るような視線を向けた。なにが職場で友達と呆れたのかもしれない。
アルドリックは慌てて話題を切り替えた。こんなことで、へそを曲げられてはたまらない。
「見ないとわからないということは、一緒にノイマン家に向かってくれるということでいいのかな。ご当主はできるだけ早いうちにと仰っていて――まぁ、それはあたりまえだと思うんだけど」
「……こちらもそもそもの話だが」
「うん? なに?」
「なぜ、俺にわざわざ話を持ってきた。おまえたちのところの――おまえの言うお友達が在籍する薬草部の魔術師で対処できるだろう」
「それは、まぁ、そうなんだけど」
痛いところを突かれ、アルドリックはもう一度曖昧にほほえんだ。
「ぜひともきみを指名したいというお話だったんだよ。それに、ほら、きみも国の一級魔術師なわけだし、国の依頼はこなさないといけない立場じゃないか」
「一級魔術師がすることでもないと思うが」
そのとおりでもあったので、説得を取ってつける。
「でも、きみも、引き受けないわけにもいかないと思ったから、僕を指名してくれたんだろう?」
指名に関しては、半ばやけくそだった気もするが。さておいておくことにする。
――なんていうか、適当に知ってる名前を出しただけで、僕が来なかったら「なら引き受けない」で逃げるつもりだった気がするんだよなぁ。
幼かった時分の彼であればやりかねないという想像は簡単だった。今は違うかもしれないが、そういった偏屈というべきか、頑固な部分が強い子どもだったので。
とは言え、だ。指名された以上はプライベートの悶々に目を瞑り、精いっぱいやるつもりでいる。ただ。
――あいかわらず、よくわからない子だよなぁ。
話すこと自体がひさしぶりなのだ。わからないことも当然であるのかもしれないけれど。
何年ぶりになるんだっけ。記憶を辿ったアルドリックは、時の流れに内心で驚いた。もう、六年だ。
六年前。高等学院を卒業し、宮廷で働き始めたばかりだったころ。祖母の訃報を聞いて村に戻ったアルドリックを迎えたのは、魔術学院の寮に入ったはずの彼だった。祖母の葬儀のために、わざわざ帰省してくれていたのだ。
けれど、自分はろくなことを言わなかったのではないだろうか。
「それに」
感慨を押し込め、不服そうなエリアスを持ち上げるべく笑顔を向ける。繰り返すが、ここでへそを曲げられると困るのだ。
「ぜひともきみに、というご当主の要望はわかる気がするよ。ほら、なにせ、きみは十年に一人の天才で」
「それならば、なぜビルモスに頼まない」
おべっかを切り捨てられ、はは、と乾いた笑みを刻む。
いくらきみが最年少の一級魔術師と言えど、我が国の誇る大魔術師を引き合いに出されても、というところが正直な感想だったが、アルドリックは本音を呑み込んだ。
宮廷に所属する常勤の魔術師は、薬草学に関する研究を行う薬草部と、騎士団同様に国防を担う魔術兵団にわかれており、王国唯一の大魔術師である彼は魔術兵団の特別職に就いている。
ちなみに、フリーの魔術師であるエリアスは、宮廷の依頼を断らずに引き受ける立場だ。あくまで基本的には、だが。
「それは、ほら、ビルモスさまは国防に専念されていらっしゃるから。……あと、きみ、いくらなんでも『さま』くらいつけなよ。ビルモスさまはこの国唯一の大魔術師さまで」
「あの戦闘狂にか。物は言いようだな」
くっくと呆れたふうに喉を鳴らすエリアスを眺め、アルドリックは尋ねた。
ムンフォート大陸の五大魔術師と呼ばれる存在はみなの憧れで、魔術師を夢見る幼いアルドリックにとっては神に等しい存在だった。
それなのに、同じ魔術師であるエリアスは違うのだろうか。王立魔術学院に通う生徒は、彼を目指して勉学に励んでいると思っていた。
「きみは五大魔術師に興味はないの?」
「ない。五大魔術師などと聞こえの良い呼称で崇めているが、人であることをやめたやつらの集まりだ。俺はそんなものになるつもりはない」
それに、と心底不快そうにエリアスが眉を寄せる。
「魔術学院をまともな成績で卒業した魔術師に、あの戦闘狂に好意的な感情を抱く者は少ないと思うが」
「えええ。どういうことなの、それ」
「卒業試験で問答無用に叩きのめされる。――が、教育的見地でなく、個人的な嗜好の末というのが学院生の共通見解だ。演武というレベルではない。そもそも、五大魔術師という大仰な名前を有しているくせに、隣国からほぼ出禁の扱いを食らっているやつだぞ?」
「……できれば、あまり知りたくなかったな」
又聞きの又聞きで、国を離れることができないという噂を聞いたことはあったけれど。国防に専念されていることが理由と思っていたかった。
引きつった愛想笑いを浮かべたアルドリックに、エリアスは淡々と言い募った。
「魔術師だから、五大魔術師だからと言って、盲目的に憧れないほうがいい」
「…………そうだね」
幼かった自分が嬉々として語った魔術師談義を指していると察したために、苦笑いにしかならない。
自分も努力をすれば、一流の魔術師になることができると夢を見ていたころ。魔術師も、五大魔術師も、アルドリックにとって遠い煌めきの憧れだった。
――その憧れにこの子はなったんだなぁ。
エリアス・ヴォルフ。十年に一人の天才と謳われる王国最年少の一級魔術師。ひさしぶりに会ったせいか、子どもたちの憧れを煮詰めた結晶そのものに見える。
疼いたなにかをしまい直し、アルドリックは三度話を切り替えた。冷めてしまった紅茶を飲み切り、にこりと笑いかける。
「とにかく、僕は宮廷の使者としてここに来たわけで。できれば、きみに任務を引き受けてもらいたいのだけど、構わなかったかな」
不承不承のエリアスに預かった封筒を渡し、アルドリックは本題を切り出した。自分を厄介ごとに巻き込んだそもそもの要因である。
返事はなかったものの、構わずに説明を開始していく。聞き届けてもらわないことには、宮廷に戻ることも叶わないのだ。
「早い話が、王都で流行ってる薬なんだけど――」
その名も「眠り姫の毒」。王都の若者たちのあいだで流行する薬の俗称である。薬を飲むと深い眠りに落ち、なにをしても目を覚ますことはないのだという。ただひとつ、真に思い合う者からの口づけを除いては。
噂の火付け役を担ったのは、流しの魔術師から薬を買った商家の娘のエピソードだ。主人公は、親に縁談を勧められ、思い悩む娘。引っ込み思案で意思を伝えることが苦手だった娘は、密かに思い合う幼馴染みの存在を打ち明けることができなかったのである。その彼女が出会った相手が、怪しい流しの魔術師だ。
メルブルク王国において、煎じた薬草を販売する資格を有するのは国家魔術師が営む認定店だけ。だが、法をかいくぐるかたちで販売されるものもあった。
心身に著しい害の出る恐れがあるものは即座に取り締まりの対象になるものの、心身に害の出ない――ある一定の基準より薬草の保有量の少ないもの。つまり、気の持ちよう程度の効能しかないもの――は目こぼしをされることがある。
彼女が手を出したものは、まさにそれだった。
ムンフォート大陸において、隣国フレグラントルに次ぐ魔術国家であるメルブルクには、「流し」と呼ばれる魔術師が短期滞在をすることがある。彼らはその際に薬を売り歩くのだ。
完全なる違法とは言わないにせよ、限りなく黒に近いグレーの存在。当然、親や教師はうかつに手を出さぬよう指導を行うが、若い人間の好奇心は計り知れない。悩む心に甘い毒を注がれては、なおのことである。
とかく、彼女は「真に思い合う者からの口づけでのみ目を覚ます薬」を手に入れた。言葉にすることが難しかった彼女の精いっぱいの抵抗であったのだろう。
彼女は薬を飲み、効能を記した紙と空の小瓶を残した。驚いたのは、揺らしても叩いても目覚めぬ娘を発見した両親である。仰天した母親は近所の住民に相談し、それを聞いた件の幼馴染みが名乗りを上げた。
結果は、娘の記した効能のとおり。なにをしても目覚めなかった娘が、幼馴染みのキスで目を開けた。喜び感動した両親は、娘と幼馴染みの結婚を許したという――。
「その話が、王都のお嬢さん方の中でロマンティックだって広まっちゃってね。半月ほど前から流行はしていたんだよ」
そう、アルドリックはエリアスに説明をした。
「そのあとで話題になったケースもいくつかあるんだけど、無事に目が覚めました、ハッピーエンドというような軽い話ばかりでね。宮廷の薬草部も当初は『グレー』という判断だったんだ。ただ、ちょっと噂が大きくなりすぎただろう? 規制する流れに変わったんだけど、察したのか、例の魔術師が国外に出ちゃってね」
ずぼらな管理だと思われたら嫌だなぁという保身半分で、アルドリックはなんでもないふうに続けた。一方、エリアスは、完全に興味のない顔で頬杖をついている。
偉そうな態度であるのに、妙に似合っているせいで注意する気も起きない。注意できる立場かと問われると、悩むところではあるのだが。
「張本人が国を出た以上、さらなる模造品が出回る可能性はあれど、とりあえずは落ち着くだろうということで、一旦保留になったんだけど。とうとうと言うべきか、目を覚まさないご令嬢が現れてしまって」
「ご令嬢?」
そこでようやくエリアスは反応を見せた。
「真に思い合っている相手に口づけてもらえばいいのではないか?」
「いや、それが」
貴族と関わることはごめんだと言わんばかりの調子に、情けなく眉を垂らす。
貴族を嫌がる人間の多さは承知しているし、宮廷で働く身としても、貴族特有の面倒さ――もちろん、すべての人が面倒なわけではないけれど――は実感している。だが、断られると困るのだ。
「ええと、その、目が覚めないのはノイマン家のお嬢様なんだけど、ご当主いわく、娘がそんな怪しい薬に手を出すわけがない、とのことで」
「なるほど?」
「ただ、ちょっと、こちらの調査で向こうの使用人の方にお聞きしたところ、お嬢様が飲んだ薬は王都で噂の『眠り姫の毒』だという証言が出て」
「なるほど?」
嫌味ったらしい相槌に負けじと、アルドリックは人当たりが良いと評判の笑みを返した。
「ただ、その、お嬢様が飲んだという小瓶が、いろいろあってなくなったらしくて。つまり、お嬢様がなにを飲んだのかは……。いや、なにも飲まれていない可能性もあるのだけれど、とにかく不明ということで」
「なるほど」
「それで、その、うちの人間と薬草部の魔術師でお嬢様の状態の確認に伺ったんだけど、『なにかの薬で眠っているのだろう』ということしかわからなくて」
「ほお」
「それで、……その、きみならわかると思うんだけど、その状態で解毒薬をつくるのって大変なんだよね」
薬草部の友人いわく。成分が判明し、材料さえ揃っていれば、ほぼリスクなく解毒薬をつくることは可能だが、成分が不明の場合は、解析に時間がかかり、リスクも上がるとのこと。
それは、まぁ、そうだろうなぁ、と。容易に想像することはできる。
「だから、……その、ノイマン家のご当主が、ぜひ、稀代の天才と噂の一級魔術師殿に、お嬢様の命運を託したいと仰られていて」
その勢いに薬草部が押されたというか、ちょうどいいと押しつけようとしているというか。曖昧な笑みを保持するアルドリックを一瞥し、エリアスは長い足を組み変えた。
「ノイマン家か」
「ああ、知って?」
「家の名前くらいはな。個人的に知っているという間柄ではない」
だろうねぇ、とも、そのほうがいい気がするよ、とも言えず、アルドリックは頷いた。
「とにかく。ご当主から直々に宮廷に要請があってね。なんでも、ご令嬢の縁談が進んでいるさなかのことだったそうで、街で噂の『眠り姫の毒』が原因とはまかり間違っても誤解されたくないということなんだ」
伝え聞いた当主の口ぶりは、一人娘の容態より家の醜聞を気にしたものだったが、一介の文官が口を挟む話ではない。
「なるほど?」
アルドリックを見つめ、エリアスは意地悪く笑った。
「起死回生の頼みの綱である婚約者殿には知られたくないだろうな。口づけで眠りが覚めなければ、大ごとだ」
「ちょっと」
人の目がない場所と言えど、言葉がすぎる。昔馴染みのよしみとして、アルドリックは窘めた。
子爵であるノイマン家と一級魔術師のエリアスのどちらの格が上かとなると後者であろうが、そういう問題ではない。
「いくらきみの家だからって、そういうことは」
「だが、事実だろう。ノイマン家が資金繰りに困っているという話も、爵位欲しさにここぞと飛びついた豪商の話も、どちらも聞いた覚えがあるが」
「……そもそもの話なんだけど、魔術師殿の見解を伺ってもいいかな」
「いくらでも?」
「『眠り姫の毒』という名前は、流しの魔術師が若い女の子が飛びつきやすいものをつけただけだろうし、王都に出回っていた『眠り姫の毒』のいくつかは薬草部が回収済みで、軽い眠り薬だったと実証してるんだ」
あくまでも軽い眠り薬。一定時間が経てば自然と目が覚めるはずのもので、「真に思い合う者からの口づけで目を覚ます」という原理は無理がある。
たまたまタイミングが良かったか、はたまた眠った者の演技か。どちらにせよ、噂はかなりの尾ひれがついたものだろう。
それが薬草部の見解だった。
「その上で、きみは、ノイマン家のご令嬢は『眠り姫の毒』を飲んだのだと思う?」
「見てもいないのに答えることはできない」
「あぁ、まぁ、……それはそうだよね。ごめん」
道理である。アルドリックは素直に謝罪を示した。次いで、薬草部の魔術師も似たようなことを言っていたと思い出す。
エミール・クラウゼ。所属は違うものの、宮廷に勤め始めた時期は同じ。大きな括りで言えば、アルドリックの同期である。年は向こうがひとつ上であるし、自分と違い、見た目も中身も華やかな男なのだが、不思議と馬が合うのだ。
今回もアルドリックが貧乏くじを引いたと知るやいなや、当たり障りのない範囲で薬草部の見解を明かしてくれたくらいだ。
実際に見たわけではないから、断言できることは少ないが、と前置いて。
「薬草部の友達も言ってたよ。『眠り姫の毒』とされるサンプルは手に入ったけど、流通しているものすべてが同じ流しの魔術師が売ったとも限らないし、仮にそうだったとしても、すべてが同一成分である保証はないって」
つまり、ノイマン家のご令嬢が飲んだ「眠り姫の毒」がサンプルより遥かにきつい成分である可能性もあるということだ。
もっとも、まったく別の薬を飲んだ可能性もあるわけだが。つくづく瓶の紛失が惜しかったと考えていると、エリアスがぽつりと呟いた。
「友達」
「ああ、まぁ、友達というか、同僚なんだけど。いや、やっぱり友達かな。なんだか馬が合うんだよね」
へへ、と照れ笑いを浮かべたアルドリックに、エリアスはゴミを見るような視線を向けた。なにが職場で友達と呆れたのかもしれない。
アルドリックは慌てて話題を切り替えた。こんなことで、へそを曲げられてはたまらない。
「見ないとわからないということは、一緒にノイマン家に向かってくれるということでいいのかな。ご当主はできるだけ早いうちにと仰っていて――まぁ、それはあたりまえだと思うんだけど」
「……こちらもそもそもの話だが」
「うん? なに?」
「なぜ、俺にわざわざ話を持ってきた。おまえたちのところの――おまえの言うお友達が在籍する薬草部の魔術師で対処できるだろう」
「それは、まぁ、そうなんだけど」
痛いところを突かれ、アルドリックはもう一度曖昧にほほえんだ。
「ぜひともきみを指名したいというお話だったんだよ。それに、ほら、きみも国の一級魔術師なわけだし、国の依頼はこなさないといけない立場じゃないか」
「一級魔術師がすることでもないと思うが」
そのとおりでもあったので、説得を取ってつける。
「でも、きみも、引き受けないわけにもいかないと思ったから、僕を指名してくれたんだろう?」
指名に関しては、半ばやけくそだった気もするが。さておいておくことにする。
――なんていうか、適当に知ってる名前を出しただけで、僕が来なかったら「なら引き受けない」で逃げるつもりだった気がするんだよなぁ。
幼かった時分の彼であればやりかねないという想像は簡単だった。今は違うかもしれないが、そういった偏屈というべきか、頑固な部分が強い子どもだったので。
とは言え、だ。指名された以上はプライベートの悶々に目を瞑り、精いっぱいやるつもりでいる。ただ。
――あいかわらず、よくわからない子だよなぁ。
話すこと自体がひさしぶりなのだ。わからないことも当然であるのかもしれないけれど。
何年ぶりになるんだっけ。記憶を辿ったアルドリックは、時の流れに内心で驚いた。もう、六年だ。
六年前。高等学院を卒業し、宮廷で働き始めたばかりだったころ。祖母の訃報を聞いて村に戻ったアルドリックを迎えたのは、魔術学院の寮に入ったはずの彼だった。祖母の葬儀のために、わざわざ帰省してくれていたのだ。
けれど、自分はろくなことを言わなかったのではないだろうか。
「それに」
感慨を押し込め、不服そうなエリアスを持ち上げるべく笑顔を向ける。繰り返すが、ここでへそを曲げられると困るのだ。
「ぜひともきみに、というご当主の要望はわかる気がするよ。ほら、なにせ、きみは十年に一人の天才で」
「それならば、なぜビルモスに頼まない」
おべっかを切り捨てられ、はは、と乾いた笑みを刻む。
いくらきみが最年少の一級魔術師と言えど、我が国の誇る大魔術師を引き合いに出されても、というところが正直な感想だったが、アルドリックは本音を呑み込んだ。
宮廷に所属する常勤の魔術師は、薬草学に関する研究を行う薬草部と、騎士団同様に国防を担う魔術兵団にわかれており、王国唯一の大魔術師である彼は魔術兵団の特別職に就いている。
ちなみに、フリーの魔術師であるエリアスは、宮廷の依頼を断らずに引き受ける立場だ。あくまで基本的には、だが。
「それは、ほら、ビルモスさまは国防に専念されていらっしゃるから。……あと、きみ、いくらなんでも『さま』くらいつけなよ。ビルモスさまはこの国唯一の大魔術師さまで」
「あの戦闘狂にか。物は言いようだな」
くっくと呆れたふうに喉を鳴らすエリアスを眺め、アルドリックは尋ねた。
ムンフォート大陸の五大魔術師と呼ばれる存在はみなの憧れで、魔術師を夢見る幼いアルドリックにとっては神に等しい存在だった。
それなのに、同じ魔術師であるエリアスは違うのだろうか。王立魔術学院に通う生徒は、彼を目指して勉学に励んでいると思っていた。
「きみは五大魔術師に興味はないの?」
「ない。五大魔術師などと聞こえの良い呼称で崇めているが、人であることをやめたやつらの集まりだ。俺はそんなものになるつもりはない」
それに、と心底不快そうにエリアスが眉を寄せる。
「魔術学院をまともな成績で卒業した魔術師に、あの戦闘狂に好意的な感情を抱く者は少ないと思うが」
「えええ。どういうことなの、それ」
「卒業試験で問答無用に叩きのめされる。――が、教育的見地でなく、個人的な嗜好の末というのが学院生の共通見解だ。演武というレベルではない。そもそも、五大魔術師という大仰な名前を有しているくせに、隣国からほぼ出禁の扱いを食らっているやつだぞ?」
「……できれば、あまり知りたくなかったな」
又聞きの又聞きで、国を離れることができないという噂を聞いたことはあったけれど。国防に専念されていることが理由と思っていたかった。
引きつった愛想笑いを浮かべたアルドリックに、エリアスは淡々と言い募った。
「魔術師だから、五大魔術師だからと言って、盲目的に憧れないほうがいい」
「…………そうだね」
幼かった自分が嬉々として語った魔術師談義を指していると察したために、苦笑いにしかならない。
自分も努力をすれば、一流の魔術師になることができると夢を見ていたころ。魔術師も、五大魔術師も、アルドリックにとって遠い煌めきの憧れだった。
――その憧れにこの子はなったんだなぁ。
エリアス・ヴォルフ。十年に一人の天才と謳われる王国最年少の一級魔術師。ひさしぶりに会ったせいか、子どもたちの憧れを煮詰めた結晶そのものに見える。
疼いたなにかをしまい直し、アルドリックは三度話を切り替えた。冷めてしまった紅茶を飲み切り、にこりと笑いかける。
「とにかく、僕は宮廷の使者としてここに来たわけで。できれば、きみに任務を引き受けてもらいたいのだけど、構わなかったかな」