メルブルク王国の若き天才と評判の一級魔術師エリアス・ヴォルフは、王都近くの森にある小高い塔に住んでいる。
 来訪者を隔絶する空気に満ちた冷たい塔を見上げ、アルドリック・ベルガーは深い溜息を吐いた。そのアルドリックの頬を、場違いな春の風が穏やかになぶっていく。

 ――なんだか、ていよく厄介ごとを押しつけられた気がするなぁ。

 まぁ、それも、今に始まったことではないのだけれど。
 王立高等学院を十八の年に卒業し、文官として宮廷で勤めること、早七年。
 うち二年は文官見習いの立場であったものの、若手とは言い切ることのできない勤続年数になっている。そのはずが、なぜか自分には厄介ごとが寄ってくる。
 そういう星のもとに生まれたと割り切ることにしているし、厄介ごとと言っても九割は「まぁ、べつにいいかな」で諦めることのできる程度のものだ。ただ――。

 ――こんなかたちで、もう一度あの子に会うとは思わなかったな。

 こげ茶の瞳に困惑と躊躇いをにじませたまま、アルドリックは塔の扉を叩いた。
 


 ――アルドリック。おまえの出身はシュネベルクだっただろう。魔術師のエリアス・ヴォルフ殿を存じないか?

 遡ること、二日前。他部署の上司に呼び止められたアルドリックは、幼く見られがちな丸い瞳を瞬かせた。宮廷の廊下でのできごとである。
 エリアス・ヴォルフ一級魔術師。
 宮廷の役人で、十年に一人の天才と称される彼の名を知らぬ者はないだろう。天才の評価と同程度に有名な人嫌いの偏屈ぶりを含めて、ではあるけれど。
 
 ……でも、出身地の名前を出したってことは、そういう意味じゃないんだろうなぁ。

 嫌な予感を覚えたものの、アルドリックは染みついた愛想でほほえんだ。

 ――はい、同郷なので。

 向こうのほうがふたつ下だが、シュネベルクは山に囲まれた小さな村だ。実家が隣接していたこともあり、幼い時分はそれなりに親しく遊んだ覚えがある。
 だが、それも十年以上前のこと。進学の事情で十五で村を離れて以降、ほとんど交流のない間柄である。
 橋渡しを期待をされても困るとアルドリックはやんわり言い足した。

 ――ですが、もう五年は顔を合わせておりませんし。向こうが覚えているかどうか。

 そう。だから、真面目だけが取り柄の自分など、ひとつの役にも立たない、と。牽制をしたつもりだったのに。
 至極ご機嫌と上司は笑ったのだった。


 ――本当に、いったいなにが「それはよかった」なんだが。

 期待に添えないと控えめに繰り返してみたものの、あれよあれよと所属長に掛け合われ、とうとう魔術師殿のもとに赴く事態になってしまった。
 預かった案件が急ぎである理由は承知したが、それはそれ。問答無用がすぎるとアルドリックは不服だった。
 もっとも、横暴であるとの不満を抱えたところで、自分に拒否権はないのだが。

「ええと、それにしてもひさしぶりだよね」

 書物と実験に使うと思しき器具、名称不明の物体が詰まったガラス瓶。そういったものがところ狭しと並ぶ室内を見渡し、アルドリックはエリアスに笑いかけた。
 ありがたいことにもてなす意思はあったらしく、彼が無造作に本を除けた空間に、紅茶のカップがふたつ鎮座している。
 雑然としたテーブルを挟んだ向こう。ひとりがけのソファーで悠々と足を組んだ姿勢で、エリアスは口を開いた。

「俺がおまえを寄こせと言った」
「え? あぁ、きみ、人嫌……人見知りだもんね」

 だから、自分が任命されたのか。納得して、アルドリックは頷いた。この子らしいと言ってしまえば、それまでの理由である。
 なにせ、彼の人嫌いと偏屈ぶりは、小さいころからの筋金入りなのだ。隣人のよしみか、不思議と自分には懐いていたけれど。

 ――それにしても、小さいころもお人形さんみたいだったけど、随分とすごみのある美形に育ったなぁ。

 きれいな長い銀色の髪に、宝石のような青い瞳。くわえて無機物に見えるほどに整った目鼻立ち。
 しかも身長まで随分と伸びている。平々凡々で人の良さしか褒められることのない自分とは大違いだ。
 天は一物だけでなく、二物三物と惜しみなく彼に与えたに違いない。性格の難は例に漏れたようだが、ご愛敬というやつだろう。

「違う」

 いやにはっきりと否定され、アルドリックは丸い瞳を瞬かせた。

「え?」
「そういう顔をするな」
「え? あぁ、……うん、ごめん」

 もしかして、年甲斐もないと呆れたのだろうか。童顔の自覚はあったので、アルドリックは素直に謝った。
 そのアルドリックを忌々しそうに見やり――そこまでの顔をされる覚えはなかったものの、幼馴染みの気難しさを承知していたアルドリックは、黙ったまま紅茶に口をつけた――、エリアスは再びきっぱりと言葉にした。

「俺がおまえに会いたかったんだ」
「……ありがとう?」

 表情と台詞が乖離しているなぁと生ぬるい気持ちになりながら、曖昧にほほえむ。そうするほかなかったからだが、エリアスはますます苛立った顔をした。
 美形だけに迫力はあったものの、おねしょをしていた時分を知る相手だ。さすがに怖くはない。

「好きだと言っている」

 苦く言い切った顔が、本当に彼が幼かったころ。小学校に入学したばかりのアルドリックの家に上がり込み、「ここで暮らす」とごねにごね。ベッドを占拠したときとそっくり同じだったので、アルドリックはやんわりと笑みを浮かべ直した。

「ええと、そうだな。とりあえず、仕事の話をしようか。魔術師殿」

 結論。大変残念なことに、エリアス・ヴォルフの奇人さ加減は年齢を重ねるごとに増していたらしい。