高校生になったらメイク?

放課後は遊びに行く?

お洒落な服を買う?


出来ないよ、お金がないから。


でも、それでも人間として腐らずに生きていきたいと思っていた。

お金がなくても、真っ当に生きることこそ正義だと思っていた。



あの先生に出会うまでは。



広奈(ひろな)、今日の放課後ひまー?」

 あ、嫌な予感がする。だから、時間があるかは答えずに私はニコッと笑顔を作った。

実里(みのり)、何かあった?」
「昨日めっちゃ可愛いカフェを見つけてね! 一緒に行かないかなって」
「ごめん! 実は今日はバイトで……!」
「まじかー、残念。じゃあ、また今度行こ!」
「うん!」

 今日のバイトは夜の7時からだから、本当はカフェに行く時間くらいある。ないのは、お金だけ。
 でも、それは言えない。言えば、また距離を置かれる。

『広奈、今日もノリ悪くない?』
『お金ないらしいよ』
『ちょっと帰りに遊ぶ金すらないって、どんだけ(笑)』

 嫌な記憶を思い出しそうになり、私は慌てて実里に適当な話をふる。

「そういえば、今日の数学の課題やってきた?」
「まだー、難しすぎるもん。広奈は?」
「一応やってきたけど、不安って感じ」
「えー、教えて! というか、ノート見せて!」

 実里がわざとらしく下手(したて)に出て、可愛く手を合わせている。

「絶対写すだけじゃん」
「いいじゃんかー、広奈様!」
「もー、しょうがないなぁ」
「さすが優等生」

 この当たり障りのない会話を手放すことなんて出来ない。嘘を重ねてでも、守らなければいけない。

 その時、教室の扉がガラッと開いて担任の先生が入ってくる……はずだった。その日、教室に入ってきたのはいつもの担任ではなく、スラッとした細身の男性。
 黒髪で清潔そうな男性だった。
 すると、数人の女子生徒が騒ぎ始める。

「ちょ……! あれ、立花(たちばな)先生じゃん!」
「立花先生って理系の中で話題になってる人でしょ?」
「そう! 理系の化学を受け持ってる先生! イケメンって話題だったんだよ」
「なんで文系のクラスにいるわけ?」
「私が知るか!」

 騒いでいる女子生徒の話を聞いて、私はもう一度教室に入ってきた先生に視線を向けた。

(あれをイケメンっていうんだ。清潔そうとしか思わなかった)

 そんな自分の思考に気づき、私は慌てて首を振った。危ない、もっと周りの感覚に合わせないと。人を清潔そうとかでしか見れないのは、お風呂の水を節約してる人だけ。
 私は一応、毎日お風呂に入れているけれど、シャンプーだって激安の大容量だし、お湯だって出来るだけ使わないように入っている。
 私は頭の中で「立花先生はイケメン……人気がある……」と唱えた。覚えておかないと。
 その時、立花先生のよく通る声が教室に響き渡った。

「はーい、静かにー」

 教室はざわついたままだったが、立花先生は気にせずに話を続ける。

「一年二組の担任の(さかき)先生が、体調を崩したので、榊先生が復帰するまでは僕が担任代打をします」

 立花先生の言葉に一部の女子生徒が「やったー」と呟いた。

「そこ、私語は慎む。あと、その言葉は榊先生が悲しむからやめなさい」

 さらっと注意をして、立花先生は普通にホームルームを始める。そんな少し塩対応だけど、優しさのある対応に女子がまた湧いている。
 ホームルームが終わると、すぐに立花先生は囲まれていた。

「先生ー! いっぱい話そー!」
「先生も暇じゃないので」
「えー、生徒の相談だよー?」

 教壇の前の席に座っていた私は少し煩く感じたが、元気なのも大事かとすぐに気を取り直して、一限目の準備を始めた。



「……もちさん、倉持(くらもち)さん」



 名前を呼ばれて、初めて自分が眠っていたことに気づいた。どうやら一限が始まってすぐに眠ってしまっていたようだった。顔を上げると、一限目の古文の先生が「一番前の席で居眠りは駄目よ、すぐにバレちゃうわ」と優しく叱ってくれる。
 私が小さく「すみません」と謝ると、古文の先生は微笑んで、授業を進めていく。

 優しい先生で助かった……って駄目だ、ちゃんと気をつけないと。ていうか、最近どれくらい寝てるっけ?
 バイトが終わるのが22時で、その後にお母さんの朝食とお弁当の準備をして……それから自分の宿題をして寝てるから毎日4時間弱くらいだろうか。
 
 そんな生活を送っていても何故か私の身体は動いてくれるようで、日々淡々と日常が過ぎていく。

 しかし、それから二日後、私はまた古文の授業で居眠りをしてしまった。

「倉持さん、起きて」

 その日の古文の先生の声はあまり優しくなかった。

「前も寝てたわよね。疲れているの?」
「あ、いえ……すみません」

 古文の先生は「昼休みに職員室に来てくれるかしら?」と授業の最後に私を呼び出して告げた。

 それでも、怒られることを想定して向かった職員室で古文の先生は優しかった。

「倉持さん、疲れているの? 正直、他の子だったら叱っているけれど、倉持さんは普段模範のような学生だから何かあったのか気になって……」

 うちの高校はバイトが禁止されていないけれど、勉学に支障をきたすほどシフトを入れているのを知られるのは良くないだろう。

「ちょっと古文が苦手で、つい」

 わざと高校生らしく無邪気に笑って見せた。すると、古文の先生は安心したように「もう寝ちゃだめよ。それと、古文の先生に古文が苦手なんて言わないの。先生が悲しくなるでしょ!」と軽く返した。
 
 また、私は嘘を重ねた。

「倉持さん」

 突然、後ろから名前を呼ばれて私はビクッと体が震えたのが分かった。振り返ると、立花先生が立っている。

「先生、倉持さんを借りても大丈夫ですか?」

 立花先生が古文の先生に話しかけると、古文の先生は「もう話は終わったので、大丈夫ですよ」と微笑んだ。
 呼ばれた理由が分からないまま、立花先生が私を化学準備室に連れていく。立花先生は、職員室ではなく化学準備室にいつも常駐しているようだった。
 誰もいない化学準備室に着くと、立花先生が私を向かいに座らせる。

「倉持さん、修学旅行には本当に行かないのですか? 実は休暇中の榊先生が心配していて……」

 榊先生にいつも心配されていたので、もうこの手の質問には慣れている。

「少し身体が弱いのもあって、数日の旅行でも心配で」

 本当は身体が弱いのも嘘だけれど、断るしかないから。修学旅行の積立金までは流石にまかなえない。

「榊先生から体調のことも聞いていたのですが、榊先生が『一応、大切なイベントだからもう一度聞いてほしい』と言われたんです」
「私も本当は参加したかったんですが、やっぱり体調はどうしようもなくて……」






「嘘くさ」






 一瞬、何が起きたか分からなかった。




「では、今日ご家族の方に電話して、体調について確認しても良いですか?」




「だめっ!!」




 私が立ち上がったのを見て、立花先生は「仮病の嘘つくなら、家族くらい巻き込んどけよ」と吐き捨てた。

「先生……」

 私が唖然としていると、立花先生が「くだらない」と笑った。

「だって……!」
「ないのはお金ですか?」
「っ!」

 私が立ち上がって言い訳をしても、立花先生は首をコキッと軽く回してくつろいでいる。そして、衝撃的な言葉を言い放った。





「貧乏って滑稽ですね」





「え……?」





「修学旅行も行けず、バイトか何か知りませんが働きすぎで、授業中に居眠り。滑稽以外の何者でもない」





 イライラした。ありえないと思った。




「貧乏は私のせいじゃない!!!!」




「そうですか? 若いんだから、稼ぎ方なんていくらでもあると思いますけど」




 この人は何を言っているんだろう。教師とも普通の人間とも思えない。もはや法律すら分かっているのか怪しく感じる。

「先生は頭がおかしいんじゃないですか……!?」
「好きに言って下さい。貧乏人に何を言われても何も響かないので。だって、『この世はお金が全てでしょう?』」

 息が段々苦しくなっていく。

「倉持さんだって分かっているんじゃないですか? この世はお金が全てだって。お金があれば修学旅行にだって行けますし、授業中に寝ることもない。まぁ、僕は倉持さんを心から軽蔑しますけど」
「は?」
「だって、お金がないのに良い子ぶって、バイトして忙しい自分に酔ってる。そんなにお金がないことが恥ずかしいなら、人と関わらなければいいのに」
「ふざけないで!!!」

 私はもう頭に血が登って、パンクしそうだった。涙でぐちゃぐちゃの顔で、文字通り泣き叫んでいる。

「貴方に何がわかるんですか!!」
「わかりたくもないですね。とりあえず、今日ご家庭に『倉持さんの体調について聞くために電話します』」
「お母さんの機嫌がまた悪くなるでしょ! なんなの、あんた!」
「機嫌の悪くなったお母さんに何をされるのか知りませんが、僕は僕の仕事をするだけなので。家族に確認もせずに修学旅行を休ませることは出来ません」
「ああ、もう!! じゃあ、お金を払えばいいんでしょ! バイト増やすので大丈夫ですから!」

 私がそう言った瞬間、急に立花先生がポカンとした顔をした。

「なんですか……」
「いや、物分かりがいいなと。じゃあ、払うもの払って下さい。ちゃんと普通の生徒でいてくれるなら、貴方が忙しくて倒れようと死のうとどうでもいいので」

 ただただ言葉を失った。

「なんで教師なんてやってんの……!?」
「社会勉強です。正直もう株で余裕で生きていけるくらいのお金は稼いでいるので、暇つぶしに。大学で教職課程をとっていたのと、やることがないのも辛いかなと思ったんです」
「最低っ……」
「何が最低なんですか? お金が大事だと思っていることですか? 教師をしていることですか? 僕が悪いなら、周りの人全てに嘘をついて、頑張っている自分に酔っているだけの貴方も悪いんじゃないですか?」

 立花先生がバッグから財布を取り出し、一万円札を五枚取り出して、床に落とした。
 一万円札がパラパラと床に広がって落ちていく。

「僕は教師を辞めても何も困らないから、貴方が僕の性格を言いふらしても何も問題ない。でも、貴方はお金がないのに人との関わりに依存しているから、僕が倉持さんにお金がないことを言いふらしたら困る。それが僕と倉持さんの差です」

 立花先生が床の五万円を指差した。

「たとえ僕が倉持さんに言いふらさないでほしいとこの五万円をやると言ったら、どうするんですか? 悩まずに自分の矜持(きょうじ)を守れますか?」

 五万円は私がバイトを入れまくったとしても、稼ぐのに半月かかるだろう。そんな五万円を足で踏みながら、立花先生は続けるのだ。

「修学旅行の積立金も払えますよ?」



「ふざけるな!!! ふざけるな!! 馬鹿にしないで! ふざけんなよ!!! お前に何が……!!」



 小学生のような語彙力で、獣のように……吠えるように私は叫んだ。

「ここは人がいる棟から結構離れていますが、そこまで大きな声を出すと人が来ますよ? 倉持さんは確か全額ではなかったはずですが、返済不要で成績優秀者用の奨学金も貰っていましたよね? 問題を起こせば……目立てば、困るのは貴方です。最近の居眠りで優等生の評判も下がっているでしょうし」

 呼吸の乱れが止まらない。息が「はぁ、はぁ」と上がっている。それなのに、先ほどのように叫ぶのを辞めた自分がいることに無性に腹が立った。
 立花先生が面倒くさそうに息を吐いた。

「とりあえず、この五万円要りますか?」
「要るわけないでしょ!」
「そういう所が滑稽だと言っているです。無駄に矜持だけあるなんて、最悪すぎる。反吐がでる……まぁ、とりあえず選んで下さい。お金を払うか、家庭に電話か」
「払うって言ってる!」
「そうですか、では頑張って下さい」

 立花先生が私の背中を押して、化学準備室から私を追い出した。
 その日、私の世界が大きく傾いた。