カップルデスゲーム 一その愛は本物ですか?一

「小春ー! そろそろ行かないとー、出てきてー!」

 凛がドアを叩くのは、四階の空き部屋。ここは教室の半分しかない広さで、一年に一度しか使わない体育祭や文化祭の大道具を片付けている部屋らしいけど、教室とは違う仕様となっている。
 ドアは一つで内側から鍵がかけられる。つまり、閉じこもることが出来るということだ。
 俺と凛が中庭で話をする為に、出ている間。翔と二人きりだった小春は、「ちょっと風に当たってくる」と言い残し、翔から離れていたらしい。
 小春が戻ってこないと聞いて思わず内藤さんのところに行こうとしてしまったが、凛はここだと教えてくれた。
 確かに部屋の中から小さな息遣いは聞こえていて人が居るのは明らかだが、俺達の呼びかけに一切の反応がなかった。

『一時間が経ちました。今回のカップルは小田佳祐くんと、内藤南さんです。立会人となる皆さんは、教室にお集まりください』

 スマホより鳴るアナウンスの声に安堵したのは、初めてだった。
 翔と凛では、なかった。
 それはつまり、別の同級生が、小田くんが選ばれたということなのに。
 しかし、それと同時に。

「聞いたよね? 早く行かないと! また、指輪が鳴るから!」

 二回目の時。なかなか教室に行かなかったことから、爆発の警告音を鳴らされている。
 小春はそのことを身をもって知っているはずなのに、頑なにそのドアを開けようとしなかった。

「職員室から鍵持って来て!」

 凛に言われて外鍵の存在に思い出し、俺は一目散に駆けて行く。

「翔も! 途中で受け取って、戻って来て!」

 背中で声を聞きながら、途中で翔に鍵を託せば良いと分かり、ひたすらに階段を降りて行く。
 さっき警告音が鳴ったのは、アナウンスが流れてどれぐらい時間が経った後だったっけ?
 そんなことを思いながら指輪が光っていないかを確認しつつ、一階の廊下を走って職員室に辿り着く。
 鍵が掛かっていたらとずっと引っかかっていたが、幸いなことにドアは開いてくれ、普段鍵を借りている時に開く鍵箱を開く。

「……!」

 声が出なかったのは、走ってきたからだろう。
 普段は一つずつ、かけて管理されているはずの鍵は一つもなく、全てなくなっていた。
 主催者の仕業か?
 しかし、一体何の意味が?
 とにかく鍵を開けることは出来ない。あとは小春に開けてもらうしかない。
 どうしてあの部屋のドアは窓ガラスが付いていないのだと思いながら階段を登っていくと、とうとう死のカウントダウンが始まってしまった。
 時間がない。
 しかし情けないぐらいに息が切れ、足はもたつき、階段を登る足が遅くなる。
 ここは二階。一人で教室に駆け込めば、間に合うかもしれない。
 悪魔の囁きに一瞬足を止めて壁に手をつくが、また駆け出す。
 愛なのか、友情なのか、ただの偽善なのか。分からないが、ひたすらに。

「慎吾ー! 行くぞー!」

 三階に登る途中、階段を駆け降りてきた翔に腕を掴まれ、今度は一段飛ばしで降っていく。
 小春と凛は? と聞こうとするが、焼けそうな喉から声は出ず、無理矢理引っ張られる形で走って行く。
 えっ、待ってくれよ? 俺は二人とすれ違ってはいない。つまり、置いて来たってことなのか?
 指輪が赤く光る頃にようやく二年一組の教室に辿り着き、俺は膝から転げ落ちる。
 教室にはやはり誰も居なくて、まだ二人は戻って来れて居ないと見て取れる。
 嘘だろ? 嘘だって言ってくれよ?
 衝動的に教室から出ようとした時、あの身もよだつ音が廊下より聞こえてきた。
 咄嗟にドアから離れると、小春と凛がまさに飛び込むように教室に入って来て、小春はその場に倒れ込みそうになり、凛に支えられる。

「大丈夫か?」

 凛だけでは支えられないだろうと俺も肩を貸すが、顔を上げた小春は「ひっ!」と声を上げたかと思えば、その場に膝から崩れ落ちてしまった。
 顔色は真っ青で、息遣いは荒く、全身は小刻みに震えていて。
 ただ走って来たからではないと、容易に想像出来るほどだった。

「……ごめんな……さい」

 息が整う頃、そう声を出した小春はまた黙ってしまい、どうしてあの部屋に閉じ篭ってしまったのか一切口にしない。
 職員室に保管されている鍵がなくなっていると話さないといけないが、その必要は無くなったようだ。
 二人が駆け込んで来た時に、ジャラジャラと金属同士が擦れるような音がしたから。

『早く着席してください。全くムダな時間でしたよ』

 スマホより聞こえる音声は苛立ちも混ざっているようで、機械を通していても声に尖りが見えてくる。
 これ以上の遅延は危険だと感じ取った俺達は、後方席の右と左に別れて着席する。

「密告してないだろな?」

 主催者の指示により教室前方より入室して来た内藤さんは、こっちに向かってズンズンと向かってくる。
 いつも以上の殺気に満ちているその姿に、俺も身じろいてしまうほどだった。

「もう、そうゆうのやめろって!」

 初めて聞く怒鳴り声に、小春だけでなく、内藤さんまでもが体を震わせた。
 一気に変わる、この空気。
 あれほど荒れ狂っていた内藤さんが目を見開き、伏せ、言葉に詰まっていく。

「……佐伯さん、ごめんなさい。大丈夫?」

 小田くんの声色がいつもの穏やかなものになるが、小春は一切の返答をしない。
 ただ俯き、ガタガタと体を震わせていた。

「本当にごめんなさい」

 囁くように声を出し、俯いたままの内藤さんの手を引き、小春の元より離れていく。
 あれほど怒鳴り散らしていた内藤さんが、小田くんの一言で黙り、落ち着いてしまったこと。
 あれだけ穏やかで優しい小田くんが、気性の荒い内藤さんと付き合っている理由。
 そして先程見せた、小春を見つめる眼差し。
 まさか、あの嫌がらせの理由は。
 その答えを知っているかのように、凛はただあの二人の背中をただ眺めていた。細めた目からは、憐れみや、同情はなく、悲しみに満ちているようだった。
 何か思うことでも、あるのだろうか。
 初めて目にする、凛の表情だった。


 教室前方に立つ、小田くんと内藤さん。二人には一定の距離があり、とてもカップルだと思えない立ち位置。
 それを傍観させられる、俺達。とうとう四人となり、もう何も発する言葉はなかった。

『人数が減ると、ゲームは盛り上がるものですが、このメンバーはダメですねー。これだから陰キャは。……おっと、失礼しました』

 コホンとわざとらしく咳払いをした主催者は、話を戻していく。
 そう、暴露の話へと。

『今回は一件、受けています。なかなか強烈なものを』

 クックックと笑いを堪えられないような、張り上げた声。
 まさか「あれ」が、証拠品として提出されたのか。
 ……いや、そんなはずはない。だってあれは、内藤さんか俺しか持っていない物。自分の不利になる証拠品を自分で出すわけないし、それじゃあ小田くんの秘密か?
 でも、一体誰が?
 残っている立会人は俺達四人だけ。
 この中に、そんな卑劣なことをする人間なんているはずないだろ?
 そう自分に言い聞かせてつつ、ムダに溜める主催者の言葉を待つことしか出来ない。
 何度聞いても、人の裏話なんて気分が良いものではないなと、心で溜息を吐くと、その暴露は無機質な機械音によって行われた。

『内藤南は佐伯小春に、陰湿ないじめを行っていた』

 ゾワっと立つ、鳥肌。一気に上昇する心拍数。
 改めて言葉にされると沸き立つのは、怒りと嫌悪感。しかし今は、その感情だけではいられない。
 ……一体、誰だ? 誰が、密告したんだ?
 
「おい、ふざけんなっ! ほら見ろ! この女はこうやって被害者ぶるんだよぉー!」

 内藤さんは握り締めていたスマホを小春に向けて投げつけ、教室中にバシンと乾いた音が響く。
 幸いなことにそれは俺と小春の間をすり抜け、誰にも当たることもなく転がっていった。
 これがもし、顔にでも直撃していたら。
 そんなことも想定出来ないぐらい、内藤さんの心は壊れていた。

「わた……、わたしは……。して……ない」

 首を横に振り、ガタガタと震える小春は、今にも泣き出しそうで、ただ強く目を閉じていた。
 その姿が余計に癇に障ったのかズンズンとこっちに向かってきて、迫力はどんどんと増してゆく。
 俺も、正直怖かった。命の危機に遭っている人間は、何をするか分からない。自暴自棄になって道連れにしてくるなんて、あるだろう。
 だけど俺は。いや、だからこそ俺は。小春と内藤さんの前に入った。

「こんな女に騙されて、お前らバカじゃねーの! 演技だって分かんないのかよ!」

 胸ぐらを掴まれた俺は、体を前後に揺らされる。それを止めようと間に入ってくれる、翔に凛。
 しかし翔は火傷を負っており、軽く振り払われただけで悲痛な声を出して、倒れ込み。凛は内藤さんの手を掴むが、振り払われてしまい、翔の隣に倒れ込む。
 人間は死に直面すると、なりふり構わず暴挙に出るようで。こちらは相手を傷付けないようにと力加減をする理性が残っているが、内藤さんには残っていない。
 ただ感情のまま叫び、静止する人間がどうなろうと構わないと言わんばかりに牙を向け、対象となる小春に詰め寄る。
 このまま首でも締めてしまうのではないかという勢いで、目が血走っていて、全てを目の当たりにした小春は、「やめて」と言い、声を出して泣き出してしまう。
 もう、全てがめちゃくちゃだった。

「もう、やめてくれ。頼むから……」

 内藤さんの肩に手を置き、消えそうな声で呟く小田くん。揺すぶられた手が止まり、静止を促してくれた方に目をやると、その目には涙が光っていた。

「ごめんな……。本当に」

 鼻をすすり、内藤さんの手を引いて、二人は教室の前方へと戻っていく。
 まるで、俺達を巻き込まないように。

『さて。盛り上がってきたところで、聞いてもらいましょうか。これがいじめの、実際の音声です』

 この場を狂わせた元凶のくせに、一切悪ぶれることもない声は、淡々とゲームを進行していく。死のゲームを。


『ゆるしてぇ……』

 許しを蒙い、咽こむ声。その息遣いは荒く、嗚咽へと変わっていく。

『うわあ、きったねー。私なら生きていけないわー』
『近寄るな! 汚物が!』

 パンっパンっと手を叩き、キャハハハハと甲高い声で笑う声。
 ……ある意味、この主催者より残虐な声がスマホより放たれる。

『ごめんなさい。ごめんなさい。……死ぬから。自殺するから。もう……、許してくださっ……』

 声に詰まり、しゃくり上げている音声を拾い上げているのに。それを聞いている二人は「今、死ねよ」と煽る言葉を返す。

 その後にも続く、人格を否定する暴言の数々。「うるせー声を上げたら、また沈めてやる」と脅された小春の声は消え、耳を塞ぎたくなるほどの言葉のみが録音されている。
 音声と、会話の内容から。小春はトイレの便座に顔を突っ込まれ、許しを蒙っている場面だと、嫌でも察せられた。

 いじめの中でも明らかな一線を越える行為に、浴びせられる人格否定の数々。
 この残虐な仕打ちを受けた人間は、明日を生きていくことが出来るのだろうか?
 自分がこれほどのいじめに遭っていたと身近な人達に知られてしまった人間は、これから先を生きていけるのだろうか?
 俺には、分からなかった。

「どう……して……? どうして……、こんな物が……」

 俯き、耳元を抑えていた小春は、「ああっー」と声を上げる。
 忌まわしい過去を封じ込め、今を生きていた人間にとって。それをこじ開けられ公衆の場で暴露されるなんて、何よりも残酷なことだろう。
 その音声を、聞かれるなんて。

「もう、いい! 分かったから! お願い、音声を止めて!」

 凛がスマホに向かって声を張り上げ、さすがの主催者も途中で切り上げた。しかし悪趣味な視聴者という人種は、それすらも肴の餌にするらしい。
 だから、この音声の流出は止められない。

「小春はされた側だから……。何も悪くないから……、悪く……」

 小春の両手は耳元から机へと場所が変わっており、凛がそれを握り締め声を掛け続けている。
 そこでようやく気付く。小春は衝動的に指輪を引き抜こうとしていると。
 咄嗟に手を伸ばすが、凛により跳ね除けられ、首を横に振られる。

「……慎吾に、一番知られたくなかったことだろうから……」

 引こうとしなかった俺の耳元で、凛はボソッと呟いた。

 今、俺が関われば、より小春を刺激する。
 だから、見守るしかない。自分の意思で、指輪から手を離してくれるのを。


 高校に入学して早々、小春はいじめに遭った。違うクラスで気が付かなかったなんて、言い訳にもならない。
 中学の頃より、俺達は休みの日に翔の家に集まってパーティゲームをしたり、気軽に街をブラブラと歩いていた。
 部活も、趣味も、価値観も違うけど、それがまた面白くて。翔や凛が上手くまとめてくれるから、気を使わず楽しくいられた。

 高校生になり、そんなムードメーカーの二人が付き合い始め、そんな関係も終わりかと思った。だけど二人は忙しい部活の合間に時間を作ってくれ、都会の街に出掛けようと計画してくれていた。
 しかし小春はやんわりと断り、緩いゲーム大会すらも参加しなくなった。
 付き合っている二人に気を使っているのかと思ったが、どうやら凛と二人で会うのも断っていたらしい。

 成績が普通だった俺はそのまま普通科の一組、スポーツ推薦から入学した翔と凛はスポーツ科の二組、成績が良かった小春は特進クラスとされる三組となり、別々のクラスだった。
 凛は、小春にも友達付き合いもあるのだろうと思い、少し遠慮していたらしい。しかしそうしていく間に、小春は段々と学校を休むようになった。
 凛は体調でも悪いのかと、小春にメッセージを送るが、返信がないどころか未読のままになっていった。

 夏休み前。凛が不登校になった小春の家を訪ねて、話を聞いてくると言っていた。
 そこでようやく、クラスの女子二人からいじめに遭っていると打ち明けたようだ。
 わざとぶつかってこられたことから始まり。机に卑猥な落書き。掃除当番を一人で押し付けられる。運動が苦手な小春が体育祭で足を引っ張っていると、クラスのみんなに周知させる。
 結果、人見知りな小春が頑張って溶け込んだクラスの友達は巻き込まれたくないと離れていき、クラスのグループメンバーは全員が脱退し別の場所を再結成され、小春にだけクラスの情報が入ってこない。体育祭の打ち明けも一人呼ばれず、次の日にわざとらしく話をされたらしい。
 何か気に障ったなら謝ると何度も言ったらしいが、存在自体がウザいとか返され、学校に来るなと告げられた。
 だから、小春は不登校となった。

 次の日。凛は小春のクラスに乗り込み、名前に出た内藤さんとその友人に問い詰めた。
 凛は小春のことになると人一倍ムキになり、その後の人間関係や復讐されるリスクなど考えず、突き進む性格だった。
 しかし捨て身の凛に返ってきたのは、小春の自作自演ではないかという言葉だった。
 確かに、確定的ないじめの証拠はなく、クラスのグループメンバーに入らなかったのは小春の意思だと言われたら、それを証明出来ない。
 机の落書きは小春により消されているし、あっても内藤さん達が書いた証拠すらない。ぶつかられた、掃除当番の押し付けたも同様。
 そして何より、クラスの誰に聞いても、全員口を開いてくれなかった。
 皆、怖いのだろう。そこで告げ口したら、次は自分が標的になる。
 それだけではない。理不尽ないじめに加担してしまった、その罪悪感から。
 これ以上は水掛け論になると悟った凛は、もし本当にいじめているなら辞めて欲しいと頼み込んだ。
 しかし、その約束は守られなかった。

 凛に大丈夫だと宥められた小春は、二学期から学校に通い出した。出席日数が足りるからと、気持ちを奮い立たせて学校に通い、昼休みは凛が小春のクラスに遊びに行く。小春を安心させる為と、クラス内で牽制を張る為。
 次何かしたら、クラスでのいじめを公にする。クラス内には凛と同じ陸上部の部員もいて、その効果は絶大だった。

 しかし、そこまでしても内藤さん達は、隙をついて小春に嫌がらせをしてきて。凛にチクったと、今までとは比にならないほどの陰湿ないじめを始めた。
 ……人に見られたくない写真を撮られ、それを学校中にバラまくと脅されていた。
 だから、逃げられなくて。学校も休めなくて。凛にも相談出来なくて。公園の多目的トイレに呼び出されても拒否出来なくて。
 だからあの日、いじめなんて言葉では済まされないほどの侮辱を受けた。
 あの時も写真も撮られていて、おそらく次はそれをネタにまた脅されて、また写真を撮られて……。
 このままでは、小春は何をするか分からない。
 だから俺は、人に言えない秘密を抱えた。

 ……だが、この暴露は俺じゃない──。


「佐伯さん、ごめんなさい!」

 床に膝を付いて座り込み、頭を深々と下げたのは小田くんだった。

「南を、こうさせたのは俺だ! 中学から付き合ってたのに、俺が佐伯さんを……。佐伯さんを好きになったのが、悪かったんだ!」

 小田くんの全身は震え、息は途切れ、途切れになる。掠れた声から泣いているのだと分かり、それほどの想いだったと察せられる。
 突然の告白に凛は驚く様子もなく、小田くんの方に一瞬顔を向け、目を伏せる。
 翔も同様で、二人ともこのゲームが始まり、気付いたようだった。
 ……知らなかったのは、好意を抱かれていた本人だけ。そうゆうことだったらしい。
 だが、やっと打ち明けられた想いも、泣き喚く小春には届かなかったようだった。

「……だから、あんたはバカだって言ってるの! この女の本性が分からないの! この音声だってわざと学校に来て、私の神経逆撫でて、過激なことをさせて証拠を取ったんだから! 私は罠にかけられたのー!」

 怒声を飛ばし、また小春に詰め寄る内藤さんを俺は力ずくで止めるが、その力はやはり強く、振り払われて倒れてしまった。

 内藤さんが、小春の手を握っていた凛の手を捻り退ける。無抵抗の小春は俯いたまま手をダランとさせ、死の指輪に手をかけられても抵抗しなかった。
 打ち付けた腰に電気が走り、意思と反して動いてくれない体。
 小田くんが、「もう止めてくれ」と叫び内藤さんの手首を掴むが、もう聞き入れず俺同様に突き飛ばす。
 翔は、もう静止は不可能だと思ったようで、凛の手を掴み小春から離れさせようとする。このままでは確実に、凛も爆発に巻き込まれる状況だった。
 しかし翔の手を振り払った凛は、危険を顧みず近付いていき手を振り上げたかと思えば、パシンと音が響いた。
 凛が内藤さんの頬を思い切り叩き、怯んだ隙に小春の外れ掛けていた指輪を押し込んだ。

「やっぱり、あんた達がいじめていたんじゃない! 何が自作自演よ! 最低っ!」

 そのまま凛は内藤さんに詰め寄り、容赦なく頭を叩く。
 揉み合いになりながら、バシン、バシンと嫌な音が響く中。

「爆発に巻き込まれたら、どうすんだ!」
と叫んだ翔により、凛は内藤さんより引き剥がされる。

「離して! こいつだけは、許せない! 私が……!」

 殺してやる。
 おそらく、その言葉を口にしようとしたのだろう。
 しかし、それを止めたのは翔ではない。
 腫れ上がった凛の手を掴んだのは、小春だった。
 出てきた声は言葉にならず、しゃくり上げる声と共に消えていく。だからか、力強く首を横に振る。
 お願いだから、やめて。
 そう言いたげに。

「ごめん。……私も……、だね……。ごめん、小春……」

 溜息と共に俯き、空いていた方の手の平で、自分の目をグッと抑え付けたかと思ったら、乱暴にそれを拭っていた。
 初めて見る、凛の涙だった。

「……小田くん、指輪外してもらいな。こんな奴と、心中する必要ないから!」

 小春に掴まれていた手をそっと離した凛は、小田くんの手を引き、立ち尽くす内藤さんの元へと連れて行く。
 しかし生きることを諦めた小田くんは首を横に振り、掴まれていた凛の手から自分の手を引き抜く。
 巻き込みたくない。その意思を強く感じ取った。

「内藤さん。あなたが小春にしたことは、許せない。取り返しもつかない。……だけど、最後に出来ることはあるんじゃないの?」

 凛の穏やかで、諭すような声に、二人は顔を上げる。
 ……最後に出来ること。つまり、小田くんを助けることだが。【指輪が爆発するルール】の四つ目は、「過ちを許していない相手の指輪を外す」ことだ。
 心変わりは仕方がないとはいえ、「恋人の裏切りを心から許せる人」は、どれぐらい居るのだろうか?
 ……俺には、無理だ。

「内藤さん、小田くんにいつもキツく接していたんじゃないの? それじゃ、心変わりされても仕方ないよ。全て、小田くんが悪かったって言える?」

 淡々と、冷静に、凛は内藤さんを諭していく。確かに内藤さんの関わり方は、酷かった。だから、小田くんは……。

「勝手なこと、言うなっ! 私だって。私だって、好きでこんなクズな人間になったんじゃないし!」

 はぁー、と大きく息を切らした内藤さんはその場にしゃがみ込み、俯いてしまう。小春以上に大声を出し、子供みたいに泣き喚く姿は、先程までの邪悪さは一切なかった。

「……あんたに分かる? 彼氏が。ずっと一緒に居るって信じていた彼氏が、他の女を好きになった気持ちが! ずっと、ずっと、私を可愛いと言っていたのに。話だって聞いてくれたのに。パタッとなくなっつて、顔すら見てくれなくなった気持ちがっ!」

 はぁはぁはぁ、と息を切らし、床に拳を叩きつける。
 その相手が、小春だったのか。

「こんな。地味で、メイクとかしなくて。髪も伸ばしっぱなしで、目も小さくて。存在感ゼロの女、どこがいいの! こんなの、ちょっと小さくて可愛いぐらいじゃない! 笑う時に口を隠すのが、良いとか? 出しゃばらない性格が良いとか? ……そんなの、私と正反対じゃないっ!」

「うわぁぁ」と喚く声は、あまりにも痛くて、悲しくて。小春の魅力を否定しているはずが、内藤さんは段々と自分には持ち合わせていないであろう良さを、声に出していた。

 好きの反対は無関心というが、それだけじゃないのかもしれない。
 好きの反対は、憎悪だ。相手が恨めしくて、憎くて、視界にも入れたくないのに、関わりたくないのに、それでも気になってしまう。
 自分と相手を比較し、勝ったと誇り、負けたと悔やみ、敗北を確信した時に、相手を蹴落とすことを実行する。
 人間とは、なんて弱い生き物なのだろう。

 ピッ、ピッ、ピッ。
 二人の指輪が規則的な音を鳴らす。
 顔を上げた内藤さんは、小田くんの指輪に手を伸ばそうとするが、指を曲げ引っ込めてしまった。
 目を閉じ、深く溜息を吐き、長い髪を手でグシャグシャにしてしまう。
 相手の過ちを許さないと、死の指輪は外せない。だから、出来ないのだろう。

「っ……! あんたが悪いんでしょう! 私を好きでいてくれたら! そしたら私だって、こんな嫌な人間にならなくて良かったのに! あんたを助けられたのに!」
「うん。分かってる。俺が悪かった。南は悪くない。だから、もう、やめてくれ」

 拳を作り、床に何度も打ち付ける内藤さんの手を、小田くんは庇うようにそっと受け止めた。

「ほら。ほら、ほら! また、それっ! 私、知ってんだからね! 佐伯小春が好きなくせに、私とまだ付き合ってんのは、あの女の為なんでしょう! 別れたら、私何するか分かんないもんね? 好きな女守る為に、私と付き合ったままにして、見張っていたんでしょう!」
「ち、違うよ……」
「嘘を吐くなぁ! 分かるんだよ! 分かってたんだよ! あえて、あの女から目を逸らしてただろっ! 学年集会も、体育祭も、今この状況でも。あんたは、あの女から目を逸らしてる! ……二年から普通クラスに移ったのも、勉強に付いていけないとか言ってたけど違うんだろ! 本当は私の逆鱗に触れないため! 同じ空間にいない方が良いとか思ったからだろぉ!」

 うっ……と、言葉に詰まり、小田くんが伸ばした手を避けて、床を叩き続ける。
 
「……ごめん」

 内藤さんから目を逸らした小田くんは、力無く視線を向けてくる。
 涙を拭い、真っ直ぐにこちらをとらえた瞳には、抑えられない恋心、相手を想う愛、許されない気持ちした心情。
 それらの感情が、また涙として流れてきたようだった。
 小田くんは、そこまで小春を……。

 二年で同じクラスになって友達になり、よく話すようになった。
 クラス内で小春との関係は公認だったし、小田くんも普通に知っていただろう。
 だけどそのことに触れず、俺達の付き合いも一切聞いてこず、ただ軽く日常会話を楽しんでいた。
 きっと、俺を通して、小春を見ていたのだろう。
 今、穏やかに過ごせているのか、笑っているのか、俺に大事にされているのか。
 不意に見せる無理に作った笑顔は、そうゆうことだったのか。
 六月末、せっかく仲良くなれたと思っていた小田くんが、内藤さんと付き合っていると知った。
 なんでよりによって、あんな人と? そんな思いが溢れてきた。
 小田くんは悪くない。いじめに加担していない。
 分かっていたが、俺は小田くんと距離を取った。向こうも理由を察したようで、「ごめん」と言って離れていった。

「信じてもらえないだろうけど、片桐くんと一緒にやるゲームは楽しかったよ」

 そう言い残して。
 今まで、どんな気持ちで高校生活を送ってきたのだろう?


「南は、本当は優しい性格だもんな。中学の時に、クラスに馴染めず困っていた転校生とかにも、積極的に声かけてたもんな。……でも、本当は繊細で。相手がどう思っているとか、いつも心配してて。無理して笑って。影で泣いて。だから、そんな南だったから、俺は側に居たいって思って」
「うん……」

 引き寄せられた小田くんに、体を預けた内藤さんは、しゃくり上げて涙を流している。
 当たり前だけど、二人にも出会った時があり、小田くんが内藤さんを守りたいと思った時もあった。
 俺は冷酷な姿しか知らないが、前は優しくて、困っている子に手を差し伸べて、余計なお世話をしているかと悩んで。
 そんな、普通の女子だったんだ。いじめとか、無縁な人だったんだ。
 なのに、彼氏の心変わりによって、彼女をここまで狂わせてしまった。

「ごめん。俺は南を許せない……。俺のせいだと分かってるけど、あれは……ダメだ」
「分かってるよぉ。そんなの、わかって」
「そうさせた、俺が悪い。だから……一緒に……」
「……うん」

 力無く呟く声は、指輪より鳴る大きな警告音により消えていく。
 
「みんな、離れてくれ!」

 小田くんの叫び声に、ようやく爆風に巻き込まれると気付いた俺は、力無く机に俯く小春の体を全力で突き飛ばす。
 共に倒れ、それでもまだ爆風を浴びる範囲に居た俺達は、倒れたまま動かない小春の手を全力で引く。
 倒れた人間を引っ張るのは、これほどに大変なのか?
 何故か引き寄せることが出来ず、駆け寄ってきた凛と力を合わせて教室の端に寄せることが出来た。

 息を切らせ、四人で身を寄せ、避けられない時を待っていると、無情にもその音は響いた。

 ピッ、ピッ、ピーー。
 相手の過ちを許せなかった罪。
 それにより、二人の体はバラバラになってしまった。

 どうして小田くんが、小春に心変わりしたのかは、もう分からない。
 しかしそれを感じ取った内藤さんは、友達を巻き込んで小春をいじめるようになった。最終的には、あれほどのことをしてしまった。
 
 人間とは、どれほど残虐になれる生き物なのだろうか?


 四人が俯いたまま、ただ震えた体を抱き寄せる。顔を上げれば、目の前には惨劇が広がっている。
 分かっているからこそ、このまま目を閉じて、このまま全てを終わらせてしまいたかった。

 しかし、俺の右隣で密接していた体は離れていく。
 何かおかしな考えが過ったのかと顔を上げると、そこには赤黒く染まった天井と床。目を伏せたくなる肉片が転がっていた。

「……っぷ」

 胃より競り上がり口元より溢れそうになったものを、手の平で押さえ込む。
 もう四度目だというのに、この教室には遺体が八体も転がっているのに、慣れることなどあるはずなかった。

「凛」

 翔の声にまた顔を上げると凛が一人歩いていて、おそらく小田くんと内藤さんのものであろう大きな塊の前でしゃがみこんだ。
 凛は内藤さんに恨みを抱いている。だからこそ何をするのかと心臓がはち切れんばかりに鼓動を鳴らすが、手にしていたシーツをそっとかけ、俯いて手を合わせていた。

『小田くんに、いつもこうやってキツく接していたんじゃないの? それじゃ、心変わりされても仕方ないよ。全て、小田くんが悪かったって言える?』

 凛は小田くんだけは助けようと、内藤さんにそう説得した。
 しかし人のことは、傍目には分からないもので。内藤さんのキツイ性格に小田くんが心変わりしてしまったのではなく、小田くんの心変わりにより内藤さんを狂わせてしまった。
 その事実を知らずに、傷付いていた内藤さんをより苦しめてしまった。
 そんな後悔が、凛の背中より伝わってくる。
 ただ小田くんを助けたかっただけなのに。

「冷やそう」

 翔が凛の横にしゃがみ込み、共に手を合わせる。その後、手を合わせ俯いたままになっている姿にそう声をかけた。

「痛いだろ?」

 翔は凛の手首をまじまじと見つめ、ボソッと呟いていた。

「いいの」
「痛いだろ?」
「いいってば!」

 大きく息を切らし、はぁと息を吐いたかと思えば、小さな声が聞こえてきた。

「……次は、私達……。翔も気付いてるでしょう?」

 前髪を掻き上げる右手首は明らかに赤く腫れ上がっており、痛みに顔を歪めないのが不思議なぐらいだった。

「そんなことより、早く行こう」

 怪我をしていないであろう左手を握られた凛は、小さく「ごめん」と呟き、こちらに振り向くことなく二人は教室より出て行った。

 翔も気付いているみたいだ。順番のことを。……俺達が、敵同士だったということを。