カップルデスゲーム 一その愛は本物ですか?一

『まもなく九時になります。皆さん、教室にお集まりください』

 先程と同様に赤い三日月が勝手に映し出され、スマホを恐る恐る操作してみるがその映像は変わらず、電源すら切ることが出来なかった。
 その異常さに呼びかけに抵抗する者は居らず、皆カップルと隣同士で座る。
 すると聞こえてきたのは、テンションが高めの声だった。
 教室前方より入室してきた女子は、グーにした手を頭にコツン当て、高い声を出しながらこちらに両手を振ってくる。それに合わせるように同じく手を振る男子。
 教室内に放たれる甘い香りに、いつものように鼻を突かれる。
 この二人は、小春と俺と同じ二年一組の生徒であり、学校一の人気者、神宮寺 翼くんと、西条寺愛莉さん。
 カップルミーチューバを設立して、十代に人気の「あいりんandつばさ」として活動している。登録者数二十万人超えの人気者らしい。
 爽やかイケメンの神宮寺くんは髪がふわふわで、眉も、目も、唇も、肌も、全てが整っている。
 当然女子にモテるが、彼女が美人だからと羨むこともなく、目の保養にするぐらいだと女子同士が会話しているのを何度となく聞いてきた。
 その彼女である西条寺さん。モデルのように顔が小さく美形であり、背中までの美しい茶髪の巻き髪を指でクルクルとさせている。
 俺はあまり好きなタイプではないが、そんなの勝手な価値観であり、男子の中では可愛い、彼氏が神宮寺くんじゃなければという会話も当然聞いていた。
 そんな二人が並ぶと絵になり、日常トーク、料理を作ってみた、踊ってみた、などの動画がバズる。西条寺さんは雑誌のモデルとして起用されるぐらいに、人気も知名度もある存在らしい。

 あれ……?

 前方を立つ二人に、どこか違和感を覚える。
 いや、別に変わりなんかしない。
 いつもみたいに華やかで、綺麗で、学年一目立つ存在。
 だけど、何だろう。何かが違う、さっきと。

「じゃあまず、あいりんが外しまぁーす!」

 俺の考えなんか当然置いていったまま、世界が回っていく。
 上部に仕掛けられてあるカメラに向かって両手を振り、甘い声を出した西条寺さんは神宮寺くんの指に手をかけた時、その声は聞こえた。

『お待ちください。その前に暴露のお時間です』
「はぁ?」

 主催者に水を差された西条寺さんの、不機嫌な舌打ちが漏れていた。

「……え?」

 どこからか聞こえてくる声に不快感を覚えつつ、その心情には同意してしまう。
 何でみんな、無反応なんだ? 小春も。
 感情の乖離に、どこか俺だけ置いていかれた感覚が湧き出てくる。

「あー、何だろう? あいりん、ドジっ子だからなぁ~」

 頭をコツンと小突き、首を傾げる。
 いつもの西条寺さんの様子に、どこか救われてしまっている自分がいた。

『ふふふ、では発表します。西条寺愛莉は、彼氏をただの踏み台だと思っている』

 あまりにも唐突な暴露に、教室中はざわめく。

「そんなわけないじゃん!」
「誰、いい加減なこと言ってー」

 立ち上がって俺達を睨むのは、西条寺さんの友達である女子二人。
 おそらく小田くんや内藤さん、俺達四人に言っているんだろうが、そんなこと知っているはずもなく。俺達四人はずっと一緒にいたんだから、密告なんて出来るわけないだろ?
 いつもなら翔が俺達の代表で言い返してくれそうだが今日は黙って聞いていて、女子二人はよりヒートアップしていく。

「……あっ」

 口元を抑えて俯いている小春の姿に、俺は立ちあがろうとした時。その声は聞こえた。

「え~。何、それ~? またいつもの僻み? 怖いんですけどぉ」

 西条寺さんは口は笑っているけど、目は笑ってない。
 本当にそのような表情があるのだと、唖然としてしまった。

「あ、大丈夫だよ! 私達は信じてるしぃ!」
「そうそう! 愛莉が言ってる通り、ただの僻みだから!」
「私も西条寺さんを信じてるからぁー!」

 いつもと声の数が違うと思いつつ、矛先が逸れてくれて、俺は椅子に深く座り直す。

『それでは、暴露開始といきましょうか? これは私の元に送られてきた、メッセージアプリのスクショです』

 その音声と共に、スマホの画面は切り替わる。主催者が言う通り、表示されたのはメッセージアプリのやり取りだった。


『前にも、翼くんが他の女と歩いてたみたいな書き込みあったし。一応、確認したら?』
『えー、別にどうでもいいしー。あいつはただの踏み台。ただの顔だけ男。まあ、アクセサリーってやつw』
『マジ! まあ、愛莉がいいなら、いーんだけどね』


 おそらく個人のやり取りだろうけど、そんなプライベートなもの、一体どうやって!

「何これ! ……紗栄子(さえこ)! あんた、裏切ったの!」
「ち、違う! 確かに相手は私だけど、こんなのバレバレじゃない! 私がそんなことするわけ……」

 そう言い返すのは、音霧(おときり)紗栄子さん。いつも西条寺さんと一緒に居る女子の一人だ。

「嘘吐くなぁー! 私が気に入らねぇーんだろ! まあ、そうだよね? 私がバズるまでは、あんたが頂点だったもんねぇ~? でもさ、ちょっと子綺麗なだけで、あんたつまんないんだわー! 絶対、私にはなれないしね! あーあ、惨め……。あ……」

 突き刺さるような視線は、後方に居た俺でも感じ取れるぐらいだった。
 それを浴びた西条寺さん本人は、時が止まったかのように硬直していた。

「あっ、あ~、違うのぉ! 驚かせようと思ってさ~」

 またいつもの戯けた表情に戻したが、それに笑いかける生徒は誰もいない。
 ただ周囲を見渡し、目配せで会話をしているようだった。
 そうは言っても、傍観者の俺達より気にかける人がいるのでは?
 そう思ったが彼氏の神宮寺くんのみ、いつもの柔らかな表情を浮かべていた。

「分かってるよー。アンチの捏造だって」
「そう! そうなの! もう嫌になっちゃうよねぇ? じゃあ指輪を……」

 ははっと笑った西条寺さんが、手を伸ばした途端。

『待ってください。誰が暴露は一つだと言いました?』
「え?」
『そう、次は神宮寺くん。あなたの暴露です』
「俺ぇ? えー、何だろうなぁ?」

 そうは言うがやたら目が泳いでいて、心当たりがあるのだと、鈍い俺ですら察せられる。

『神宮寺翼は、複数のファンに手を出し遊んでいる』

 その言葉と共に映し出されたのは、マスクはしているが神宮寺くんだと分かる人物で、西条寺さんとは違う女性と写真に写っていた。
 都会の街中を手を繋いで歩いている場面や、買い物をしている様子、物陰に隠れてキスをしている写真まであった。
 その途端、教室中は悲鳴に包まれる。
 それは女子のもので、「嘘っ!」「絶対違うし!」「ありえないし!」が大半を占めていた。

「あっ、あんなものどこからぁー!」

 神宮寺くんは、いつもの柔らかな表情はなくなり、その目はギラギラと血走っていた。

『うわあ、節操ありませんね! ファンに手を出すなんて! こちらでも調査していましたが、五十人は超えてるんじゃないですかぁー?』
「こ、これは合成だ!」

 そう言い、西条寺さんにでも、俺達にでもなく、カメラに向かって声を荒らげていた。

『その他にもありますよ? 「めいみん」さんって、ご存知ですよね?』
「は? あ、いや……」
『駆け出しのミーチューバだそうですね?』

 その言葉と共に映し出されたのは、ミーチューバチャンネル。
 題名は「カップルミーチューバ、翼と付き合ってみた」だった。

『俺だって、あんな頭カラッポなワガママ姫と好きで付き合ってるわけじゃねーし。まー、ぶっちゃけ収益は良いし、仕方がなくってやつー? 俺はね、君のような頭が良い子が好きなんだー。どお、これからも会わない? もちろん、秘密で。君となら、良い関係を築けると思うんだー』

 それは隠し撮りしたかのように神宮寺くんの無防備な音声が録音されており、その後も続く生々しいやり取りに、男の俺でも耳を塞ぎたくなるほどだった。

『つまらん男、三十一点。まあこれで、あのあいりんに勝てたからいっか!』

 その締め括りの文章が出てきて、動画は終わっていた。

『この動画は音声のみだったことから信憑性がなく、また削除申請からすぐに消された為に、闇に葬られたようですね。しかし、暴露者は動画をダウンロードしていた。どれだけ嫌われているのですか、神宮寺くん? いや、その彼女である西条寺さんを傷付けるのが狙いだったのかもしれませんね? まあいずれにしても相手の女性はあなたを好きになったのではなく、女として西条寺さんに勝ちたかっただけ。残念でしたねぇー』

 主催者のどこまでも煽るような言い草に、関係ないこちらまで怒りが湧き立ってくる。
 なんだ? なんなんだよ、こいつ? 確かに神宮寺くんがしてたことは最低だけど、ここまでこき下ろさなくても!

「テメェー! 出てこい、この野郎ぉー!」

 スマホを頭上より叩きつけ、それでも飽き足らず、感情のまま何度となく踏みつける。
 その姿に前方に座っていた女子達は怯えて身をたじろぎさせ、小春は俯き両耳を塞いで震えていた。

 ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。
 神宮寺くんの動作を打ち消すかのように鳴る、機械音。神宮寺くんと西条寺さんの指輪が、黄色信号みたいにチカチカと光り出した。

「えっ、何なの! 指輪が光って!」
『さあ、暴露は以上です。これより死の指輪を外してもらいましょうか?』

 取り乱す二人など見えていないかのように、主催者を名乗る声は冷淡だった。

「外せるかぁー! よりにもよって、あんな底辺に手を出すなんて! あいりんの名前に傷付けやがってぇ!」
「お前こそ、俺を踏み台にしていた? そうだよなぁ? お前だけで、ここまでバズれるわけねーもんな! お前のバカ発言、編集してなかったら、とっくに炎上していたんだからよぉ!」
「はぁ~? あんた、本気で言ってんのぉ? 結局あんたは愛莉のおまけ! 一人でやっても、『やっぱり愛莉がいないとつまんなぁーい』のコメントに溢れてたじゃーん!」
「うるせぇぇー!」

 機械音と怒声に混じって、パシンと乾いた音が響く。
 ……本当に、最低だ。

「ちょっと、手を出すのはなしでしょう!」

 椅子をひっくり返す勢いで立ち上がった凛は、ドタドタと走り西条寺さんの前に立つ。

「危ないだろ!」

 続いて翔が走り出し、「俺が仲裁するから!」と凛を西条寺さんの前から引き剥がしていた。

「外に出よう」

 耳を塞いでいる小春には聞こえていないだろうと肩を軽く叩き、目を合わせて廊下を指差す。
 開きっぱなしだった後ろのドアより教室から出て息を吐いて吸うと、汚い空気まで吐き出せたような気がする。
 もう、たくさんだ。検証かドッキリか知らないが、いい加減にしてくれよ。
 もう……。

 ピー、ピー、ピー。
 俺と小春が付けていた指輪は、廊下中に響くほどの音を出し、ドクロの目元が赤く点滅し始めた。

「……えっ?」

 状況的に結構ヤバいかもしれないと頭では分かっているが、どうにも体が動いてくれない。
 爆発? いや、冗談だよな?
 大体、俺達の順番じゃないし、意味分かんないし。
 そんな言い訳しても指輪の光は止まるはじもなく、どんどんと感覚が短くなっていく。
 そんな情けない俺の腕を掴み、教室に連れて行ってくれたのは小春で、開きっぱなしだったドアをガンっと音を鳴らして閉める。
 指輪の光は……、止まっていた。
「はぁ、はぁ」と息を切らせていた小春の視線先には、まだ鳴り止まない二つの指輪。
 そこには神宮寺くんを叩く西条寺さんに、それを止めようとする凛の姿。
 ……あれ? 翔は?

 ピー、ピー、ピー。
 指輪は先程の俺達のと同様に赤く点滅し、段々と間隔が短くなっていく。

「ねえ。この指輪、大丈夫ー? まずは外した方が……!」

 凛が臆することなく音に負けないような大声をかけていると、とうとうこの時がきてしまった。

 パァーン。
 耳の鼓膜が破れるのではないかと思うほどの、破裂音。
 その瞬間。聞いたことのない断末魔と共に、水風船が弾け飛ぶかのような勢いで血飛沫が散乱し、肉片が飛び散っていく。
 その血液と肉片は床へと落ちてきて、教室中はこの世のものとは思えないほどの、阿鼻叫喚に包まれた。
 断末魔と同様に聞いたことのない悲痛な叫び声、指輪を外そうとする者を取り押さえる怒声、跪きゼイゼイと呼吸がままならなくなった過呼吸音。
 そして俺は喉が切れるぐらいに叫び、空っぽのはずの胃からは吐瀉物が溢れ、今までしていた呼吸の仕方を忘れたのかと思うぐらい酸素を上手く取り入れられなかった。
 それは俺だけではなかったようで、小春も口元を抑えハァハァと呼吸を荒くしていた。

「……り、凛が……。凛がぁ……」

 小春の、声にならない息遣いに気付く。
 そうだ。衝撃の光景が広がる前、凛が二人の側にいたんだ!
 まさか、巻き込まれて……!

 震える足でなんとか立ち上がるが、あまりの凄惨な光景に、またしても膝から崩れ落ちてしまう。
 他の生徒達はバタバタと廊下に向かって走って行くが、俺達は身動き一つ出来ずにただ呆けることしか出来なかった。
 無理だ、この状態から助かるなんて。
 あの肉片には、凛の体も……!

「翔! ねえ、大丈夫!」

 飛び交う悲鳴の中、僅かに聞こえるあの声。

「……り、ん?」

 立ちあがろうとする小春をしゃがませ、今度こそと足に力を入れた俺は、一歩ずつ声がする方に進んでいく。
 机と椅子が並んでいた後方を抜けると視界は完全に開け、教室の傍らで倒れている一人を見つけた。

「……っ! 翔!」

 駆け寄り肩を揺らすも反応がなく、やたら制服がボロボロで赤いシミに染まっていて、腕までもが赤く爛れていた。
 まさか、翔までも爆発に巻き込まれたのか!
 血の気が引いていく感覚に体の力が抜けていくと、翔の体の下より細い手の先が見えた。

「うわあああああああっ!」

 飛び散った肉片だと察した俺は、腰が抜けてしまって尻もちを付いてしまう。

「りんー!!」

 頭を抱えた俺の体は、ガタガタと震え出す。
 もう、嫌だ! もう、もう!

「……慎吾」

 翔の体下にあった手はパタパタと動き始めて身を怯ませるが、「力を貸して」の声でようやく、我に返る。
 恐る恐る近付くと、翔の下には凛がいて身動きが取れないようだった。

「凛! 無事だったのか!」
「……翔も。早く治療しないといけないけど、動けなくて……」

 落ち着いて翔の体に触れると、脈は触れ、息もしっかりしている。
 これがいわゆる、気絶している状態というものなのだろうか?
 ようやく状況が見えてきた俺は凛と協力して翔の体を動かそうとするが、体格が良いからかびくともせず、気を失った人間は予想外に重くて二人の力では全く動かなかった。

「……私も」

 小春が駆け寄り手伝ってくれるが、どうにも力が入らないようで、廊下にいる男子に声をかけようとした時。

「こ、はる……」

 声がする方に目を向けるとそれは翔の声で、意識が戻ったのかと思ったが呼びかけに反応はなかった。

「こはる。こはる……」
「……え?」

 繰り返されるうわ言に、俺達三人は何とも言えない空気となってしまう。
 凛、じゃないのか?
 翔の知りたくなかった一面に唖然としてしまうと、その声は止み、翔は静かに目を開けた。

「ってぇ……。あ、ごめん!」

 翔は何とか体を動かして、下敷きにしていた凛に抜けてもらう。
 翔は顔を歪めて「痛ってぇ」と声を漏らし、息は速くなっていた。
 無傷な凛に対して翔の体は明らかに火傷を負っているようで、どうやら凛を庇う為に身を挺したようだった。

『あららら? 他人を気遣える彼女に、それを命懸けで守る彼氏。美しい愛ですねー? ……それに比べて、この強欲に塗れた二人ときたら。どうやらビジネスカップルだったようです』

 冷酷な笑い声がスマホから響く中、翔と凛はその悲惨な光景を目の当たりにしていた。
 声を上げるわけでも、身を引くわけでもなく、ただ傍観しているだけだった。

「うわああああああ! いやだぁ! し、し、死にたくないよぉー!」

 廊下より響いた声は一段と大きく、次はバタバタバタバタと音を立てていく。

「はぁ! ちょっと圭祐ぇ! あんた、何考えてんの!」

 内藤さんの声がするも、反響した足音はどんどん小さくなっていった。

「ちょ、ちょっと! 外に出たらダメー!」

 小田くんを追いかけようとする凛は、バランスを崩して転けてしまう。
 翔が凛の手を強く掴んでおり、行ってはならないという意思だった。

「お、俺が行くから!」

 気付けばそう声に出し、消えてしまった足音を追いかけていた。

 見つけた!
 二階の階段下で膝を付いていた小田くんはまた立ち上がり、早々に掛けて行く。

 なんて速さなんだ。
 階段を駆け下り一階の廊下を全力で走るが、どんどんと小さくなる背中。
 いや、俺が遅いんだ。……翔だったら。
 己の愚鈍さを呪いつつ、職員室、用務員と抜けると、目の前は玄関ホール。
 透明な引き戸は何故か施錠もされていなくて、小田くんが力を入れると簡単に開いてしまった。
 ダメだ、間に合わない。
 そう悟った俺は最後の力を出し、ヒリつく喉から声を出そうとした時。

 パァン!
 乾いた音が響き渡った。

 途端に倒れてしまった小田くんに後先考えずに駆け寄ってしまうと、腕を引っ張られた俺はその横に倒れ込む。

「あ……、あれ……」

 顔面蒼白で、ガタガタと震えながら外を指差す姿。その様子から、逆に俺の体は熱くなっていく。

「隠れていて」

 嗚咽を漏らす姿に自分がなんとかしないといけないと思い、生徒用靴箱を使用して身を隠し、外に続く透明なドアに視線を向ける。
 そこには学校周辺を取り囲んでいた黒い服に身を包んだ人物達が、こちらに何かを向けているように見えた。

『君! 戻りなさい!』

 体育祭とかで先生が使うような拡張機の音声が外より響き、身を隠していたつもりだったが、あまりにもあっけなく見つかってしまったようだ。
 心臓が跳ね、本能的に体が勝手に動いていた俺は、小田くんが座り込んでいる階段前まで一目散に駆けていた。

 何だよ、あれ!
 蹴躓いた俺は、その場に倒れ込んでしまった。
 上手く受け身を取れず額を打ちつけてしまったが、そんなことどうでも良い。
 ……あんな人達が来る事態、ということなのか……。
 クラクラとする頭を抱えて、その場に座り込む。
 黒い服に身を包み、何かを差し向けてくる。
 まさかと思っていたけどあの人達は特殊部隊で、あの破裂音は銃だ。
 テロ事件が起きた時などに動員されることになっているらしく、以前テレビの特集でテロ実行犯達を速やかに検挙する姿を見て、カッコいいと声を漏らすこともあった。
 弱きを助け、強きを挫く。
 そんな言葉に痺れたこともあった。

 しかしその銃口は、一般市民である俺達に向けられた。
 ……警察が、こちらに銃を向け発砲している。

 これはテレビやミーチューバの企画ではない。失敗すれば死ぬ、命をかけたデスゲーム。
 この国はそんな悪に手を貸すほど、強きにより挫かれてしまったということなのだろうか?


「大丈夫……?」

 ひんやりと冷たくて硬い床に座り込んでいた俺達に、呼びかけてくれる小さな声。
 小田くんと同時に声がする階段上に目を向けると、そこには小春が一人で立っていた。

「……あ」

 小春は小田くんと目が合うと明らかに顔を歪めて、走り去ってしまった。
 しかしそれを見ていた小田くんは、明らかに無礼なことをされているのに謝ってきた。俺に。
 二人は一年の時、特進クラスである一年三組でクラスメイトだった。
 別に小田くんが悪かったなんて責めるつもりないし、男子は関与してなかったとも聞いている。むしろ知らなかった人もいたらしいし。
 だから小田くんが謝るなんて筋違いだし、こんな顔しなくて良いのに、ずっと小春が立っていた階段上を眺めていた。

 しばらくすると段々と近付いてくる、パタパタとした降下音。それは先程と同じで、こちらに向かって駆け降りてきたのは小春だった。

「……あの、これ……」

 小春は小田くんの手の平に小さな布切れを乗せ、言葉に詰まってしまったのか小田くんの頬を指差し、そのまま階段を駆け上がって行ってしまった。
 口と目が開いたままの顔を覗き込むと、その頬には血が滲んでおり、おそらく転けた時に擦り剥いたのだろう。
 こんなに大きな傷になっていたのに俺は見た目で気付かず、小田くんも全く痛みに気付いていなかったようで、俺達の精神状態は異常なのだと突きつけられる。
 とにかく血を拭かないと。
 呆然とする小田くんの手の平にはうさぎのハンカチが握られており、先程俺に貸してくれた物だ。
 走り去ったのは、濡らしに行ったからか。
 避けてたわけじゃなかったんだな。

「貸してもらうね」

 そっとハンカチを取り小田くんの顔に近付けると、掴まれる俺の手。

「……ごめん、そんな資格ないから……」

 スッと立ち上がる顔にはもう怯えは一切なく、「不安にさせてるだろうから戻るね。本当にごめん。……ありがとう」。その言葉を残して階段を登って行った。
 不安にさせている相手は、間違いなく内藤さんだろう。
 放っておけば良いよ、あんな人。
 背中に向かって叫びたかったが、それは小田くんが決めること。
 だから俺も、戻るしかなかった。

「慎吾、無事で良かった!」

 翔の意識がハッキリした様子に安堵しつつ床一面には水溜りが出来ていて、何度も何度も翔の背中にバケツに溜めた水をぶっかけている凛の姿に、一瞬度肝を抜かれてしまった。

「翔こそ、大丈夫か?」
「……真夏とは言えども、寒いな……」

 全身びしょ濡れで震えているが、仕方がない。あの熱風を浴びてしまったのだから。
 背中はシャツに守られているが、剥き出しの腕は赤く爛れており、今すぐに医療機関での治療が必要なのは明らかだった。

「ねえ、やっぱり病院に」
「だから、その話はもういいって」
「でも……」
「命が懸かってる時に、そんなこと言ってられないだろ?」

 翔の珍しく強い物言いに一瞬身を引くが、その後のやりとりを聞くうちに経緯が分かってきた。
 凛が翔を病院に行かせる為にゲームの離脱を頼んだらしい。しかしそれをしたら、凛は指輪を外してもらうパートナーがいなくなると説明を受けたらしい。
 だからこそ翔は強く拒否していて、どこまでも納得な話だった。
 ……じゃあ、どうしてさっきは小春の名前を呼んでいたのだろう?

「圭祐が死んだら、私まで死ぬところだったんだけど! そこらへん分かってんの!」

 俺達の会話の隙間に聞こえる、耳障りな金切り声。
 カップルの片方が死ねば指輪が外せなくなり片方も死ぬ運命となるから、苛立ちが出るのは容易に想像がつく。
 だけど何度も何度も同じ言葉を浴びせられ怒鳴られていたら、聞いている方だって参ってしまうだろう。
 だからこそ気付けば俺は小田くんの腕を後ろからそっと引き、二人の間に入った。

「もういいだろ?」
「はぁー? アンタには関係ないんですけどぉ?」
「あるよ。友達なんだから」

 それを聞いた小田くんは俺に目をやり、俯いてしまった。

「って言うかさー、アンタと一緒にいるようになってから、圭祐がヘンな影響受けてメイワクなんですけどぉ? マジで消えてくんない? アンタ達、目障りなんですけどぉー!」

 ハッとしたように目を見開いた内藤さんは突如黙り込んでしまい、小田くんに目をやる。
 一瞬目を泳がせた内藤さんは、「大体さー」と論点をズラしつつ、よりヒートアップしていく。

「ごめん、俺が悪いから……」

 そう言う小田くんの声は震えていて、余計な口出しをしてしまったと悟る。
 翔に肩を叩かれて戻っていくが、どうにも納得がいかなかった。

「……もう大丈夫だからよ。下の階に行こーぜ」
「何言ってんだよ! まだ冷やさないと!」
「気遣う相手が違うだろ? ほら……」

 翔の視線先には、氷水が入った袋を足元に転がした小春が立っていて、その全身はガタガタと震えていた。どうやら一部始終を見ていたようだった。

「サンキュー、小春! こんな。熱気に満たされたところに居たら、余計に火傷が悪化するし、とっとと離れようぜ。こんだけ水で冷やしたら大丈夫だからよ?」

 床に散らばった氷袋を拾い上げ、先を歩いて行く翔に、追い掛ける凛は氷水の袋を押し付けて歩く。
 そんな二人に習って、俺達も下に降りようと小春に声をかける。

「小春。……小春?」

 目の前に立って呼びかけても反応がなく、手で注意を引こうとするも、やはりこちらを見ようとはしない。
 ただ時が止まってしまったかのように、小春は一点を見つめていた。
 廊下の端には、濃いピンクと赤のチェック柄のスマホカバーが転がっていて、小春の物だと分かる。

「ほら、スマホ」
「……あ、ごめん」

 ようやく視線が合い、意思疎通が出来るが、小春はこちらの話が一切入ってこないのか相変わらず相槌すら打たない。
 手を引いて階段を降りて行くと翔と凛が居て、小春はいつも間にか自分の意思で歩いていた。