四人が俯いたまま、ただ震えた体を抱き寄せる。顔を上げれば、目の前には惨劇が広がっている。 分かっているからこそ、このまま目を閉じて、このまま全てを終わらせてしまいたかった。
しかし、俺の右隣で密接していた体は離れていく。
何かおかしな考えが過ったのかと顔を上げると、そこには赤黒く染まった天井と床。目を伏せたくなる肉片が転がっていた。
「……っぷ」
胃より競り上がり口元より溢れそうになったものを、手の平で押さえ込む。
もう四度目だというのに、この教室には遺体が八体も転がっているのに、慣れることなどあるはずなかった。
「凛」
翔の声にまた顔を上げると凛が一人歩いていて、おそらく小田くんと内藤さんのものであろう大きな塊の前でしゃがみこんだ。
凛は内藤さんに恨みを抱いている。だからこそ何をするのかと心臓がはち切れんばかりに鼓動を鳴らすが、手にしていたシーツをそっとかけ、俯いて手を合わせていた。
『小田くんに、いつもこうやってキツく接していたんじゃないの? それじゃ、心変わりされても仕方ないよ。全て、小田くんが悪かったって言える?』
凛は小田くんだけは助けようと、内藤さんにそう説得した。
しかし人のことは傍目には分からないもので。内藤さんのキツイ性格に小田くんが心変わりしてしまったのではなく、小田くんの心変わりにより内藤さんを狂わせてしまった。
その事実を知らずに、傷付いていた内藤さんをより苦しめてしまった。
そんな後悔が、凛の背中より伝わってくる。
ただ小田くんを助けたかっただけなのに。
「冷やそう」
翔が凛の横にしゃがみ込み、共に手を合わせる。その後、手を合わせ俯いたままになっている姿にそう声をかけた。
「痛いだろ?」
翔は凛の手首をまじまじと見つめ、ボソッと呟いていた。
「いいの」
「痛いだろ?」
「いいってば!」
大きく息を切らし、はぁと息を吐いたかと思えば、小さな声が聞こえてきた。
「……次は、私達……。翔も気付いてるでしょう?」
前髪を掻き上げる右手首は明らかに赤く腫れ上がっており、痛みに顔を歪めないのが不思議なぐらいだった。
「そんなことより、早く行こう」
怪我をしていないであろう左手を握られた凛は、小さく「ごめん」と呟き、こちらに振り向くことなく二人は教室より出て行った。
翔も気付いているみたいだ。順番のことを。……俺達が、敵同士だったということを。
こうして置いて行かれた俺達は、デスゲーム会場にただ座り込んでいた。
このままでは俺達は、次のゲームで確実な死が訪れる。
凛は翔に許されない秘密があるみたいだが、あの誠実な性格から大したことではないだろうし、翔は許して指輪を外すだろう。
カップルが生存となれば、小春と俺はどうなるのだろうか? 指輪を外すチャンスをもらえるのか、それとも……。
カップル対抗戦。
アプリでルールを再確認した俺は、スマホを強く握り締めていた。
そうだよな。そんな甘くないよな。カップル生存となった時点で、俺達の指輪は……。
教室を見回すと、あちこちに飛び散る肉片と、血飛沫。
一時間後に全てが終わる。こんな疑心に溢れた狂ったゲームも、四人の友情も、俺達の命も。
全身が震え、頭がキーンと鳴り、抑えきれなかった物がまた口元より溢れてくる。
もう出てくるものなどないのに、どうして俺の体は何かを吐き出そうとするのだろうか?
こんな苦しい思いをするなら、いっそのこと。
指輪に手をかけようとすると、背中より確かな温もりを感じる。
顔を上げると、ずっと傍で泣いていた小春が背中を摩ってくれていた。
「……ありがとう」
「あっ」
俺と視線が合った途端に、すっと引っ込められた手。その真っ赤な目は左右に動き、唇をキュッと噛み締めていた。
このままでは、俺達に生きる道がない。
何も知らない小春を、このまま死なせてしまっていいのか。
情報弱者が搾取される世界。デスゲームではなおさらの、世の中における不条理。
だからこそ、俺は。
「小春、話がある」
そう告げた。
もう話が出来るのは最後だろうと、俺達は重い足を動かして階段を登っていく。
いつもは鍵がかかっていて絶対に入れない空間が、今日は解放されていた。
屋上。硬いドアを力ずくで開ければ眩しい光りが差し、強い紫外線が降り注いでいた。
日は傾いているというのに、変わらずの熱気が広がる屋上。
普段なら速攻で引き返すが、今日は広がる青空と、流れていく入道雲をただ眺めていた。
「……また、外の空気が吸えるなんて思ってなかったな……」
鼻を啜り、声を枯らせた小春は、赤い目をこっちに向けてきた。作った笑顔は引き攣り、どんどんと口角が下がっていく。
「……ごめん。あの音声を録音したのは、俺だったんだ」
そう告げた途端に完全に消えた、偽物の笑顔。眉を下げ、唇を震わせ、目に力が入っていきこちらを凝視してくる。
明らかな嫌悪を表した表情とは、このことをいうのだと思い知った。
「スマホに、盗聴アプリを仕込んだ」
俺は淡々と、己の罪を懺悔していった。誰にも知られたくなかった弱みを。
小春がいじめに遭っていたと分かった時、凛は真っ当に戦ってくれたが証拠がなかった。だからこそ、それ以上追求出来なかった。 だけどもし次があれば、小春はどうなるか分からない。
元々繊細な性格に加え、いじめにより自己肯定感が低くなっていた。
次があれば最悪、自分で自分を……。
だから俺は証拠を掴み、二度と小春に近付かないようにと考えた。その方法が、盗聴だった。
それは一つのアプリだった。子供の所在地を確認出来て、いざという時は音声が聞けて、録音も出来る。
子供安全防犯アプリ。
俺は、そんな健全なものを悪用した。
高校一年生の二学期始まり、小春が学校に通い始めた頃だった。面白いゲームアプリがあるから一緒にやろうと誘い、インストールするからスマホを貸してくれ。そんな誘い文句でスマホを手に取った。
小春が好きそうなパズルゲームと共にインストールした、防犯アプリ。いや、盗聴アプリ。
インストールに手間が掛かるフリをして、俺のと連携させた。
スマホを渡してくれ、スマホのID番号まで教えてくれていた、そんな信頼を踏み躙って。
盗聴をする中で聞かされた、「お願いだから、画像を消して」と言う震え声。
会話の内容から分かる。近所の公園に立地してある多目的トイレに呼び出され、無理矢理撮られてしまった写真。
「あんなの誰かに見られたら、生きていけない」
その言葉から、何を撮られたのかなんて嫌でも分かった。
しかし、俺はどこまでも甘かった。流石に夜は聞いてはいけないと、盗聴は八時以降は控えていた。
まさかそんな非常識な時間に電話をかけてきて、呼び出しまでしてくるなんて、想像力が欠落していた。
だから、止められなかった。
次の失敗はないと、盗聴を続けた。昼も、夜も。
最悪の気分だったが、仕方がない。このアプリには自動録音機能なんてない。だから俺は、人のプライバシーを聞き続けた。どっちが犯罪者か分からない行為を。
一週間後の夜十時、ようやく動きがあった。今すぐ来ないと、画像をばら撒くという最悪な動きが。
普通の人間だったら、小春に電話をして「行くな」と叫んだだろう。警察に行こう、学校に相談しよう、大丈夫だから。そう言い、手を握り締めるだろう。
だけど、俺はしなかった。
「どうして呼び出されたことを知っているの?」
そう返されるのが、何よりも怖かったからだ。
結果、小春は俺の想像を遥かに越えるいじめを受け、それを止めることも、助けることもせず、その音声を録音し続けた。
一人放置され、「死にたい」と呟いているのにも関わらず。
次の日、あんな目に遭っても、小春は学校に来ていた。それほど、あの画像をばら撒かれるのが怖かったのだろう。だから、これで終わりにすると決めた。
放課後の教室。内藤さん達しかいないのを見計らってAirDropであの音声と、「いじめを公にされたくなければ、画像全てを削除しろ。学校を一ヶ月休み、佐伯小春に二度と関わるな」とメッセージを送った。
全て受信設定だったみたいだから無事に届いてくれたようで、次の日からあの二人は学校を休むようになった。
あの二人が居なくなれば驚くほどクラスの雰囲気は変わったようで、小春を除け者にすることはなくなっていった。
一ヶ月後、復学した二人は小春を避けるようになり、関与は一切なくなった。
正直、画像削除までしたかは分からないが、そればかりは信じるしかない。一度撮られたものは、いくらでも複製出来てしまうから。
……俺は卑怯な人間だ。本当に小春を好きなら、守りたいなら、いじめられている時に身を挺するだろう。
しかし、それをしなかった。
その矛先が、自分に向かってくるのではないかと怖かったから。
卑怯で、臆病で、醜い。それが、俺の知られたくなかった本性。剥き出しの俺の姿。
「……っ、ごめん。一人に、なりたい。今、頭の中、混乱してて。酷いこと言ってしまうかも、しれなくて……」
両手で顔を覆い、小刻みに息を切らす。
それは、そうだ。自分のプライバシーが筒抜けだったんだから。しかも、男子に。
いじめに遭っていた理由が恋愛絡みの逆恨みで、付き合う前のこととは言え彼氏には守ってもらえなかった。それに加えスマホに盗聴アプリを仕掛けられていた現実に、小春がこうなるのは無理なかった。
「待って、くれないか? 話はもう一つあって……。聞いてくれないか?」
「……もう、聞きたくない……」
「ゲームについてなんだ」
俺の声すら聞きたくないと両耳に抑えていた手をそっと離した小春は、俺に背を向けたまま黙り込んでいた。
「ルールに、カップル対抗戦だと書いてあったよな? その意味を、どう取るか教えて欲しくて」
小春は凛ほど勘が鋭くないが、頭はかなり良い。だからその意味を直接伝えず、考えを教えてもらうように問いかけてた。
現に小春の体はピクっと動き、その意味を瞬時に察したようだった。
「……四人で生き残るのは、無理ってことかぁ……」
髪をクシャとさせて漏れた声は、ヘリコプターの音により掻き消される。
やはり小春は、すぐにその答えを返してきた。
決して返してほしくなかった、推察を。
「あとさ、カップル指定の順番なんだけど、意見を聞かせて欲しくて……」
ここまで追い詰められている人に、俺はまた問いかける。小春の心はとっくに限界を迎えていると分かっているくせに。
今回、主催者に選ばれたカップルの順はこうだ。
一回目は、学校中が知っているカップルミーチューバ。いわゆる頂点と呼ばれる二人。
二回目は、次期生徒会長候補と秘書。学年をまとめる力があった二人。
三回目は、そんな二人と仲が良い友人。
四回目は、クラスに程よく馴染んでいる、いわゆる二軍と呼ばれる人達。確かにあの二組から順番を決めろと言われても、パッと思いつかない。それが主催者が言っていた独断と偏見というやつなのか?
そして小春と俺は、その中には入っていない。つまりそれは。
「……スクールカースト順だったんだ……」
小春は力無く、ははっと笑った。
主催者は、この映像を収益に変えるエンターテイナー。今回のゲームの鍵になるのは「暴露」。視聴者が見たいのは、一軍と呼ばれる高校生達が秘密を暴露されて醜く罵り合い、死にゆく姿。
いじめられっ子と、冴えない俺。三軍と呼ばれる俺達では視聴者を引っ張ることは出来ない。
だから最後、確定だったんだ。
そんな三軍にも見せ場があると主催者は分かっていたから、俺達はここに連れてこられた。
生き残れるのはおそらく一組。順番はスクールカースト順。つまり次に行き着く展開は。
「……私が、凛の弱みを密告すればいいってこと?」
小春の目が、より濁っていった。
俺は、どれほど最低な人間になれば気が済むのだろう? そんなこと言わせるなんて。
でも俺達が生き残る為には、そうするしか……!
「……もう、やめよう。私ね、疲れたの……。秘密を知って、人がおかしくなっていくのを見るのが。だからね、もう良いじゃない? 二人に生きてもらおうよ」
小春は不気味に笑うドクロの指輪を眺め、手を強く握り締めた。
「私は、凛の秘密を知らない。だから、私達の負けだよ。慎吾だって、翔の秘密を知らないよね? だから、私達の負けなんだって。……人間的にも」
その言葉に、一瞬息が出来なくなった俺の胸に熱いものが込み上げてくる。そうだ、俺なんか。俺……なんか。
「……あ、今のは慎吾のことじゃなくてっ! とにかく、違うから……」
言葉を詰まらせた小春は、俺を置いて屋上出口に向かって歩いて行く。
本当に優しい性格だな。決定的な言葉を言わないなんて。
ごめん。
俺も傍観していた生徒達と同じだった。
喉元まで出ていた言葉は声に発することが出来ず、俺はその背中を、ただ見送ることしか出来なかった。
しかし、俺の右隣で密接していた体は離れていく。
何かおかしな考えが過ったのかと顔を上げると、そこには赤黒く染まった天井と床。目を伏せたくなる肉片が転がっていた。
「……っぷ」
胃より競り上がり口元より溢れそうになったものを、手の平で押さえ込む。
もう四度目だというのに、この教室には遺体が八体も転がっているのに、慣れることなどあるはずなかった。
「凛」
翔の声にまた顔を上げると凛が一人歩いていて、おそらく小田くんと内藤さんのものであろう大きな塊の前でしゃがみこんだ。
凛は内藤さんに恨みを抱いている。だからこそ何をするのかと心臓がはち切れんばかりに鼓動を鳴らすが、手にしていたシーツをそっとかけ、俯いて手を合わせていた。
『小田くんに、いつもこうやってキツく接していたんじゃないの? それじゃ、心変わりされても仕方ないよ。全て、小田くんが悪かったって言える?』
凛は小田くんだけは助けようと、内藤さんにそう説得した。
しかし人のことは傍目には分からないもので。内藤さんのキツイ性格に小田くんが心変わりしてしまったのではなく、小田くんの心変わりにより内藤さんを狂わせてしまった。
その事実を知らずに、傷付いていた内藤さんをより苦しめてしまった。
そんな後悔が、凛の背中より伝わってくる。
ただ小田くんを助けたかっただけなのに。
「冷やそう」
翔が凛の横にしゃがみ込み、共に手を合わせる。その後、手を合わせ俯いたままになっている姿にそう声をかけた。
「痛いだろ?」
翔は凛の手首をまじまじと見つめ、ボソッと呟いていた。
「いいの」
「痛いだろ?」
「いいってば!」
大きく息を切らし、はぁと息を吐いたかと思えば、小さな声が聞こえてきた。
「……次は、私達……。翔も気付いてるでしょう?」
前髪を掻き上げる右手首は明らかに赤く腫れ上がっており、痛みに顔を歪めないのが不思議なぐらいだった。
「そんなことより、早く行こう」
怪我をしていないであろう左手を握られた凛は、小さく「ごめん」と呟き、こちらに振り向くことなく二人は教室より出て行った。
翔も気付いているみたいだ。順番のことを。……俺達が、敵同士だったということを。
こうして置いて行かれた俺達は、デスゲーム会場にただ座り込んでいた。
このままでは俺達は、次のゲームで確実な死が訪れる。
凛は翔に許されない秘密があるみたいだが、あの誠実な性格から大したことではないだろうし、翔は許して指輪を外すだろう。
カップルが生存となれば、小春と俺はどうなるのだろうか? 指輪を外すチャンスをもらえるのか、それとも……。
カップル対抗戦。
アプリでルールを再確認した俺は、スマホを強く握り締めていた。
そうだよな。そんな甘くないよな。カップル生存となった時点で、俺達の指輪は……。
教室を見回すと、あちこちに飛び散る肉片と、血飛沫。
一時間後に全てが終わる。こんな疑心に溢れた狂ったゲームも、四人の友情も、俺達の命も。
全身が震え、頭がキーンと鳴り、抑えきれなかった物がまた口元より溢れてくる。
もう出てくるものなどないのに、どうして俺の体は何かを吐き出そうとするのだろうか?
こんな苦しい思いをするなら、いっそのこと。
指輪に手をかけようとすると、背中より確かな温もりを感じる。
顔を上げると、ずっと傍で泣いていた小春が背中を摩ってくれていた。
「……ありがとう」
「あっ」
俺と視線が合った途端に、すっと引っ込められた手。その真っ赤な目は左右に動き、唇をキュッと噛み締めていた。
このままでは、俺達に生きる道がない。
何も知らない小春を、このまま死なせてしまっていいのか。
情報弱者が搾取される世界。デスゲームではなおさらの、世の中における不条理。
だからこそ、俺は。
「小春、話がある」
そう告げた。
もう話が出来るのは最後だろうと、俺達は重い足を動かして階段を登っていく。
いつもは鍵がかかっていて絶対に入れない空間が、今日は解放されていた。
屋上。硬いドアを力ずくで開ければ眩しい光りが差し、強い紫外線が降り注いでいた。
日は傾いているというのに、変わらずの熱気が広がる屋上。
普段なら速攻で引き返すが、今日は広がる青空と、流れていく入道雲をただ眺めていた。
「……また、外の空気が吸えるなんて思ってなかったな……」
鼻を啜り、声を枯らせた小春は、赤い目をこっちに向けてきた。作った笑顔は引き攣り、どんどんと口角が下がっていく。
「……ごめん。あの音声を録音したのは、俺だったんだ」
そう告げた途端に完全に消えた、偽物の笑顔。眉を下げ、唇を震わせ、目に力が入っていきこちらを凝視してくる。
明らかな嫌悪を表した表情とは、このことをいうのだと思い知った。
「スマホに、盗聴アプリを仕込んだ」
俺は淡々と、己の罪を懺悔していった。誰にも知られたくなかった弱みを。
小春がいじめに遭っていたと分かった時、凛は真っ当に戦ってくれたが証拠がなかった。だからこそ、それ以上追求出来なかった。 だけどもし次があれば、小春はどうなるか分からない。
元々繊細な性格に加え、いじめにより自己肯定感が低くなっていた。
次があれば最悪、自分で自分を……。
だから俺は証拠を掴み、二度と小春に近付かないようにと考えた。その方法が、盗聴だった。
それは一つのアプリだった。子供の所在地を確認出来て、いざという時は音声が聞けて、録音も出来る。
子供安全防犯アプリ。
俺は、そんな健全なものを悪用した。
高校一年生の二学期始まり、小春が学校に通い始めた頃だった。面白いゲームアプリがあるから一緒にやろうと誘い、インストールするからスマホを貸してくれ。そんな誘い文句でスマホを手に取った。
小春が好きそうなパズルゲームと共にインストールした、防犯アプリ。いや、盗聴アプリ。
インストールに手間が掛かるフリをして、俺のと連携させた。
スマホを渡してくれ、スマホのID番号まで教えてくれていた、そんな信頼を踏み躙って。
盗聴をする中で聞かされた、「お願いだから、画像を消して」と言う震え声。
会話の内容から分かる。近所の公園に立地してある多目的トイレに呼び出され、無理矢理撮られてしまった写真。
「あんなの誰かに見られたら、生きていけない」
その言葉から、何を撮られたのかなんて嫌でも分かった。
しかし、俺はどこまでも甘かった。流石に夜は聞いてはいけないと、盗聴は八時以降は控えていた。
まさかそんな非常識な時間に電話をかけてきて、呼び出しまでしてくるなんて、想像力が欠落していた。
だから、止められなかった。
次の失敗はないと、盗聴を続けた。昼も、夜も。
最悪の気分だったが、仕方がない。このアプリには自動録音機能なんてない。だから俺は、人のプライバシーを聞き続けた。どっちが犯罪者か分からない行為を。
一週間後の夜十時、ようやく動きがあった。今すぐ来ないと、画像をばら撒くという最悪な動きが。
普通の人間だったら、小春に電話をして「行くな」と叫んだだろう。警察に行こう、学校に相談しよう、大丈夫だから。そう言い、手を握り締めるだろう。
だけど、俺はしなかった。
「どうして呼び出されたことを知っているの?」
そう返されるのが、何よりも怖かったからだ。
結果、小春は俺の想像を遥かに越えるいじめを受け、それを止めることも、助けることもせず、その音声を録音し続けた。
一人放置され、「死にたい」と呟いているのにも関わらず。
次の日、あんな目に遭っても、小春は学校に来ていた。それほど、あの画像をばら撒かれるのが怖かったのだろう。だから、これで終わりにすると決めた。
放課後の教室。内藤さん達しかいないのを見計らってAirDropであの音声と、「いじめを公にされたくなければ、画像全てを削除しろ。学校を一ヶ月休み、佐伯小春に二度と関わるな」とメッセージを送った。
全て受信設定だったみたいだから無事に届いてくれたようで、次の日からあの二人は学校を休むようになった。
あの二人が居なくなれば驚くほどクラスの雰囲気は変わったようで、小春を除け者にすることはなくなっていった。
一ヶ月後、復学した二人は小春を避けるようになり、関与は一切なくなった。
正直、画像削除までしたかは分からないが、そればかりは信じるしかない。一度撮られたものは、いくらでも複製出来てしまうから。
……俺は卑怯な人間だ。本当に小春を好きなら、守りたいなら、いじめられている時に身を挺するだろう。
しかし、それをしなかった。
その矛先が、自分に向かってくるのではないかと怖かったから。
卑怯で、臆病で、醜い。それが、俺の知られたくなかった本性。剥き出しの俺の姿。
「……っ、ごめん。一人に、なりたい。今、頭の中、混乱してて。酷いこと言ってしまうかも、しれなくて……」
両手で顔を覆い、小刻みに息を切らす。
それは、そうだ。自分のプライバシーが筒抜けだったんだから。しかも、男子に。
いじめに遭っていた理由が恋愛絡みの逆恨みで、付き合う前のこととは言え彼氏には守ってもらえなかった。それに加えスマホに盗聴アプリを仕掛けられていた現実に、小春がこうなるのは無理なかった。
「待って、くれないか? 話はもう一つあって……。聞いてくれないか?」
「……もう、聞きたくない……」
「ゲームについてなんだ」
俺の声すら聞きたくないと両耳に抑えていた手をそっと離した小春は、俺に背を向けたまま黙り込んでいた。
「ルールに、カップル対抗戦だと書いてあったよな? その意味を、どう取るか教えて欲しくて」
小春は凛ほど勘が鋭くないが、頭はかなり良い。だからその意味を直接伝えず、考えを教えてもらうように問いかけてた。
現に小春の体はピクっと動き、その意味を瞬時に察したようだった。
「……四人で生き残るのは、無理ってことかぁ……」
髪をクシャとさせて漏れた声は、ヘリコプターの音により掻き消される。
やはり小春は、すぐにその答えを返してきた。
決して返してほしくなかった、推察を。
「あとさ、カップル指定の順番なんだけど、意見を聞かせて欲しくて……」
ここまで追い詰められている人に、俺はまた問いかける。小春の心はとっくに限界を迎えていると分かっているくせに。
今回、主催者に選ばれたカップルの順はこうだ。
一回目は、学校中が知っているカップルミーチューバ。いわゆる頂点と呼ばれる二人。
二回目は、次期生徒会長候補と秘書。学年をまとめる力があった二人。
三回目は、そんな二人と仲が良い友人。
四回目は、クラスに程よく馴染んでいる、いわゆる二軍と呼ばれる人達。確かにあの二組から順番を決めろと言われても、パッと思いつかない。それが主催者が言っていた独断と偏見というやつなのか?
そして小春と俺は、その中には入っていない。つまりそれは。
「……スクールカースト順だったんだ……」
小春は力無く、ははっと笑った。
主催者は、この映像を収益に変えるエンターテイナー。今回のゲームの鍵になるのは「暴露」。視聴者が見たいのは、一軍と呼ばれる高校生達が秘密を暴露されて醜く罵り合い、死にゆく姿。
いじめられっ子と、冴えない俺。三軍と呼ばれる俺達では視聴者を引っ張ることは出来ない。
だから最後、確定だったんだ。
そんな三軍にも見せ場があると主催者は分かっていたから、俺達はここに連れてこられた。
生き残れるのはおそらく一組。順番はスクールカースト順。つまり次に行き着く展開は。
「……私が、凛の弱みを密告すればいいってこと?」
小春の目が、より濁っていった。
俺は、どれほど最低な人間になれば気が済むのだろう? そんなこと言わせるなんて。
でも俺達が生き残る為には、そうするしか……!
「……もう、やめよう。私ね、疲れたの……。秘密を知って、人がおかしくなっていくのを見るのが。だからね、もう良いじゃない? 二人に生きてもらおうよ」
小春は不気味に笑うドクロの指輪を眺め、手を強く握り締めた。
「私は、凛の秘密を知らない。だから、私達の負けだよ。慎吾だって、翔の秘密を知らないよね? だから、私達の負けなんだって。……人間的にも」
その言葉に、一瞬息が出来なくなった俺の胸に熱いものが込み上げてくる。そうだ、俺なんか。俺……なんか。
「……あ、今のは慎吾のことじゃなくてっ! とにかく、違うから……」
言葉を詰まらせた小春は、俺を置いて屋上出口に向かって歩いて行く。
本当に優しい性格だな。決定的な言葉を言わないなんて。
ごめん。
俺も傍観していた生徒達と同じだった。
喉元まで出ていた言葉は声に発することが出来ず、俺はその背中を、ただ見送ることしか出来なかった。



