右顔面と両腕が、圧迫したような痛みで瞼を開く。視界に入ってきたのは、見慣れたベニア色の床だった。
 硬い床で眠っていたようで体全体がジリジリと痛く、密着していた床は俺の汗が滲んでいた。冷房は効いているようだが真夏の暑さには敵わないようで、服に染みた汗が不快感を知らせてくる。
 外より聞こえてくる蝉の合唱を聞きながら、体を起こす。

 目の前に広がっていたのはまた見覚えのある細長い廊下で、上を見上げれば2年1組、2年2組、2年3組と続く教室表札があった。
 ここは俺が通う県立高校であり、二年生の俺達が毎日歩いている廊下だ。
 周囲を見渡すと床に力無く寝そべったままの生徒が複数人おり、その側で寄り添う生徒も居た。何故、全員生徒だと判断出来たのかというと、俺の通う高校と同じ制服を着ていたからだ。
 男子は半袖カッターシャツ、紺のネクタイにズボン。
 女子も同じく半袖カッターシャツ、赤のリボンにチェックのスカート。
 見たことがある顔ばかりで、おそらく全員同級生である二年生だろう。

 もしかしたら「彼女」も居るのではないかと、重い体を引きずり周囲を見渡す。他の生徒達が倒れている場所から離れた廊下の端で、くの字になるように横になっている一際小さな体があった。

「小春!」
 一目散に駆け寄って跪き、その小さな肩をひたすらに揺り続けた。
 するとその声が届いたのかゆっくりと開いた瞼には、いつもの澄んだ瞳により俺を映し出していた。

「慎吾……」
 いつも以上に繊細でか細い声を出した彼女は、肩まで伸びるさらさらな黒髪を揺らしながら体を起こす。
 いつものように制服のシャツを第一ボタンまで留めており、赤いリボンを緩めず、スカートは膝を隠している。
 小柄で、丸顔で、つぶらな目をしている彼女は、ほわんとした雰囲気を醸し出す可愛らしい女子。

 佐伯小春、付き合って三ヶ月になる俺の彼女だ。
 目を覚ました姿に大きく溜息を吐き俺が先に立ち上がり小春を立ち上がらせようと手を伸ばすと、その半袖から伸びた細くて白い腕が前に出てくる。
 しかしその先のしなやかな指先には見知らぬ物があり、俺は思わず動きを止めた。

「何……これ?」
 小春もこの異質な物に気付き、体をビクつかせる。
「え? 慎吾にもあるよ!」
「俺も!」
 指先を目の前に持ってくると、確かに左手薬指にリングみたいなものをはめられており、そこには。

「ドクロ……?」
 何とも言い表せない禍々しい金属で出来たドクロの飾りは第二関節を埋め尽くすぐらいに大きい。それがより不気味で、背筋にゾクッとしたものが通り過ぎたような気がした。
 右手を使って小春を立ち上がらせ、周囲を見渡す。
 すると全ての生徒が体を起こしていて、ふぅと溜息が漏れる。しかし皆も状況を理解出来ていないようで、険しい表情を浮かべ話し合っているようだった。

「慎吾が学校に来て欲しいと、言ったので合ってる?」
「え? ……いや、小春が学校に来て欲しいって……」
 瞬時に動いた手は、制服のズボンポケットに伸びていた。そこに感じる硬い物。手のひらサイズのカバーに包まれた木製のスマホカバーに、いささかの安堵に包まれた。
 しかし液晶パネルを覗き込んだ瞬間、それは呆気なく破られ冷水をかけられた心情になる。
 電波が一本も立っておらず、ネット回線も繋がっていなかった。

「圏外……。そんな……」
 小春のスマホもスカートのポケットに入っていたようだが、同じく圏外のようだ。俺達のスマホは別々の通信会社と契約しており、同時に通信障害を起こすなんて考えにくかった。
 この学校の所在地は一学年三クラスしかないぐらいの田舎寄りだが山付近とはではなく、電波などで不自由さを感じたことなど一度もない。だからこそ、電波や回線が遮断されるなんてありえない。
 目の当たりにした現実に、指先が冷たくなる感覚に落ちていく。

 とにかくスマホは使えない。だからこそ、前日の行動を振り返ることにした。
 昨日は夏休みに入って、初めての日曜日。小春より、学校へ五時に来て欲しいとメッセージが来た。しかも、制服を着て来るようにと指定まで。要領を得なかったが、何か困っているのかと無理矢理自分を納得させた俺は学校に向かった。
 すると裏門から入ってきて欲しいと追加で連絡がきて、不審に思いながら入って行って……。記憶は、そこで途切れていた。
 小春も同様の常套句で学校に来ていたが、一つだけ相違点がある。それは、呼び出し時間が夕方四時半だということだった。
 何者かが、計画的にこの場所に生徒を集めたかもしれない。その可能性に、ゾクリと背筋が凍りついた。

 とにかく何か手掛かりを得ようと、窓から周囲を見渡した。
 三階からの景色は、いつもと同じ校庭だった。しかし異変があるのは、校門の先。全身黒をまとったような人物が、数えきれないくらいに居た。
 パラパラパラと上空より音が響く為に空を見上げると広がる青い空と入道雲を遮るかのようにヘリコプターが何台も周辺を迂回している。

──何かあったんだ。
非日常過ぎる光景に、只事ではないのだと俺達に不穏の空気を伝えてくる。

 視線を廊下の方に戻し、周囲を見渡す。すると視界に入ったのは天井に、黒い光沢の丸くて光る物が一定の間隔で続いている。
それはスーパーなどで見る、監視カメラに見えた。
 まさかと思い直し視線を下すと、目に止まったのは小春の左手薬指にはめられている指輪。
 俺の指を視線の元に持ってくると、ドクロが不気味に笑っており思わず顔を背ける。
 俺は何とも言えない気味悪さから、右手の親指人差し指を使いそっと指輪を引き抜こうとする。

「指輪を外すなー!」
 恐怖でざわつく声から、確かな意思を感じ取れる声が俺の耳に響いてくる。声がする方向に目を向けると、それは俺と同じクラスで友人の斉藤 翔だった。
 カッターシャツの第一歩ボタンを開け適度に着崩した制服が似合う翔は、身長が百七十センチ以上ある長身で俺の頭一つぶん高くスラリとしている。野球部所属で日焼けをしており、短髪が良く似合い、キリッとした目に、整った鼻筋を持ち合わせている。まさに俺の理想を絵に描いたような存在だ。
 そんな翔の言葉に、俺は抜けかけていた指輪をグッと奥に押し込んだ。

『そうですね。外さない方が賢明だと思います』
 突然ポケットより響いた、無機質な声。
 その声は、スマホの受話口より放たれているようだった。
 液晶画面に目をやるといつもの待機画面ではなく、見たこともない赤色の三日月が映し出されていた。数々に起こる非日常の数々にパニック状態になっていた生徒達による悲鳴に包まれ、暑い廊下がよりむさ苦しくなっていく。

『これは失礼しました。私のことは主催者とでも呼んでください。これより説明を行います。二年一組に来てください』
 呼び出されたのは、俺達のクラスだった。
 教室をそっと覗き込むと机と椅子が通常時の半数しかなく、前方の物はなくなっていた。

『皆さんは、カップルで並んで座ってください』
「この丸いのは?」
 震える誰かの声に『ああ。カメラなのでご心配なく』と軽く返答する。
 やっぱり、そうだった。

『これより皆さんには、カップルデスゲームをしてもらいます』
「は?」
 どこかから漏れた声は、次第に大きな騒めきへと変わっていった。
『それでは基本ルールから説明します。皆さんの左手薬指に装着されてある、死の指輪。それは以下のルール違反を起こすと爆発します』
「爆発!」
 その言葉が出た途端ざわつきは悲鳴へと変わり、教室中に殺伐とした空気が包み込む。
 額から汗が流れたのは、暑さのせいだけではない。

 次に聞こえてきたのは、オルゴールの音色。しかし癒しとかはなく、耳がざわつく不協和音だった。
 スマホを手に取った生徒達の、ざらついた声が飛び交う。次に映し出されたのは、横文字で並べられた文面だった。

【指輪が爆発するルール違反】
1.学校の校舎外に出ること
2.自分の指輪を外すこと
3.他人の指輪を外すこと
4.
5.
※その他二つのルール違反は、各々で考えてください。

【ゲーム説明】
1.このゲームはカップル対抗戦です。
2.これから一時間毎に、一組ずつカップルを指名します。呼び出された二人は教室の前方に立ち、死の指輪を互いに外してもらいます。
3.呼ばれなかった皆さんは、立会人になってもらいます。教室の後方で着席してください。指定されたカップルの行く末を見守っていただきます。
4.無事に死の指輪を外せたらカップルは永遠の愛で繋がり、二人は校舎から出られます。

【特記事項】
1.指定した時間、指定したカップル以外が相手の指輪を抜くと、ルール違反により指輪が爆発します。指輪を抜けるのは主催者の指定があった時のみ。くれぐれも、お忘れなく。
2.カップルの指定順は、主催者の独断と偏見で選出しております。苦情は一切受け入れておりませんので、悪しからず。
3.立会人の皆さんの中で、このカップルは永遠の愛で繋がるべきではないと思われる方がいれば、その理由を主催者に告げてください。その内容が受理された際はそれは暴露となり、お相手に伝えさせていただきます。

【密告のやり方】
1.情報提供は専用アプリのみで受け付けています。ただ情報だけでは信憑性に欠ける為、必ず証拠も送付してください。
2.一組のカップルに対して情報提供が出来るのは、一回のみです。カップルの指定は、直前の発表とさせていただいております。その為、情報提供はカップルの順番を予想して行いましょう。
3.情報提供者は匿名です。これを機に、気に入らないカップルの秘密を告げ口してください。


 全ての説明が終わるが、生徒全てが静止画のように固まってしまった。【指輪が爆発するルール違反】が怖くて、身動きも発言も何も出来なくなった。

『残り二つは、「指輪を外す時に関係すること」です。ですから校舎外に出ず、指輪を外さなければ問題ありません。ところで、一回目のカップルが気になりませんか? 予想もつくでしょうし、初回だけ発表しましょう! 先手を飾るのはあの有名なカップルミーチューバ、神宮寺 翼くんと西条寺愛莉さんです! では皆さん、一時間後にお会いしましょう』
 プツンと映像が消えたかと思えば、いつもの待機画面に戻っていた。

「大丈夫?」
 小春に声をかけてきたのは、大林 凛。制服を緩く着こなし、ベリーショートと呼ばれる黒髪が似合う、陸上部女子だ。身長は百六十五センチの俺と目線が丁度合うぐらいであり、キリッとした目に、整った鼻筋、艶のある唇。女子のことに疎い俺でも、顔立ちが綺麗だということが分かる。明るくて、ハッキリとした性格で、曲がったことが嫌い。正義感溢れる彼女は、俺の理想だ。

「廊下で話そう」
 陰湿な空気に、より気分が悪くなりそうになった俺達四人は教室を後にした。