君の愛もいらない

 瀬凪が用意してくれていたのは、サンドウィッチだった。楕円形のパンに切り目を入れて、そこにレタスやハム、チーズ、そしてゆで卵を挟んだものが四つ平たいお皿の上に置いてある。

「これ、今作ったの?」

 あまりにも凝ったものがローテーブルに並べられていて、驚かずにはいられなかった。
 僕は餌に引き寄せられたみたいに、テーブルの傍に座る。

「まあ」
「すごいね、美味しそう!」
「大げさ」

 瀬凪はなんでもなさそうに言うけど、いつもお茶漬けとか納豆ご飯で終わらせている僕からしてみれば、本当にすごすぎる。
 というか、瀬凪がここまで料理ができるなんて、知らなかった。一人暮らしをきっかけに練習したのかな。
 でも聞きたいのはそれだけじゃない。もっと、空白の三年を埋められるくらい、質問攻めしたい。

「あ、でも、透愛って朝はご飯派なんだっけ」

 なにから聞こうかと考えていると、瀬凪が先に言った。
 そんな言葉が出てくると思っていなかった僕は、振り返り、数回瞬きをする。

「覚えてたの?」

 昔、瀬凪と朝ご飯はパンとご飯のどっちがいいかを言い合ったことがある。僕たちは見事に意見が対立して、お互いに納得しないままその議論を終わらせたっけ。

「忘れるかよ」

 瀬凪は優しく笑って、飲み物の用意をしている。香りからして、コーヒーを淹れているみたいだ。
 なんとなく気になって、僕は瀬凪の隣に立った。これだけおしゃれな空間で過ごしているから、本格的にコーヒーを淹れているのかと思ったけど、どうやら淹れていたのはお湯で溶かすだけのインスタントコーヒー。そのギャップに、つい口角が上がる。

「透愛は、なに飲む?」
「僕もコーヒー飲みたい」

 瀬凪を見上げると、目を丸くしている。
 そんなに驚かなくてもいいのに。僕だって、コーヒーくらい。
 ……あんまり飲んだことないけど。

「砂糖何個?」
「入れないよ! 子供じゃないんだから」

 瀬凪は、僕のことを子供と思ってるのだろうか。同い年なのに。
 そして瀬凪は「ごめんごめん」と心のこもっていない謝罪をしながら、僕のコーヒーも淹れてくれた。
 それをテーブルに並べ、僕たちは並んで座る。
 揃って「いただきます」と言うと、瀬凪が作ってくれたサンドウィッチを頬張る。

「ん……! 美味しい!」

 僕が一口食べて言うと、瀬凪がそっと手を伸ばして、僕の口元に触れた。

「本当、大げさだな」

 その微笑みには、僕を嘲笑するような意味は見えず、喜んでいるのが感じ取れた。だからか、僕も嬉しくなってくる。
 ちなみに、瀬凪は僕が口に付けたマヨネーズを取ってくれたらしい。テーブルの下に置いてあったティッシュで指を拭いている。
 これはさすがに、子供としか言えないな。
 同じことにならないように気を付けながら、サンドウィッチを食べ進める。

「瀬凪がこんなに料理上手だったなんて、知らなかったな」
「食べるなら、美味しいものが食べたくて、練習しただけだよ」

 やっぱり、一人暮らしがきっかけだったみたいだ。
 でも、僕も同じ状況だけど、練習しようとは思わなかった。あまり食に興味がないというのもある。
 それでも、練習すればこんなに美味しいものにたどり着けるのなら、こだわってみてもいいかもしれない。
 なんて思いながら、僕はあっという間にひとつを食べ終えた。
 少し喉が渇き、コーヒーを飲む。あまり飲み慣れていないブラックコーヒーを。
 とてつもなく苦かった記憶を思い出してしまい、警戒心から、ほんの少しだけ口に含んだ。
 記憶通り、苦い。

「やっぱり苦いんじゃん」

 顔に出てしまったのか、瀬凪にばれてしまった。
 瀬凪は立ち上がると、砂糖とミルクを持ってきてくれた。

「どれくらい入れる?」
「……いっぱい」

 もう見栄を張っても仕方ないという思いで言うと、瀬凪は本当におかしそうに笑った。
 真っ黒だった液体が、ミルクが加わったことでまろやかな色に変化していく。

「これでどう?」

 瀬凪に確認され、僕は改めてカップに口をつける。
 それは美味しく飲めるくらい、甘い飲み物に姿を変えていた。

「大丈夫そうだね」

 僕はなにも言っていないのに、瀬凪が先に言った。それくらい、顔に出ていたんだろう。
 ちょっとだけ恥ずかしく思いながら、僕は二個目に手を伸ばした。

「そういえば、瀬凪もH大学なの?」

 見栄を張るのをやめようと決めてから、僕の感覚は中学時代に引き戻されていた。
 だから、いろいろ難しく考えることもやめ、ただ気になったことを尋ねた。
 昨日開催された飲み会の会場は、僕たちの地元から離れている。
 それなのにこうして今一緒にいるということは、瀬凪も同じ大学なのかもしれないと考えたというわけだ。
 また同じ学校に通っているなら、あの楽しい日々が戻ってくるということ。
 そう思うと、嬉しいという気持ちが先走ってしまう。

「いや、Y大」

 それは、僕が通う大学の近くにある、偏差値の高い大学。
 そこに合格している瀬凪をすごいと思うのに、同時に、違う大学ということを残念に思ってしまった。
 でも、高校が違って、連絡も取っていなかったのに、近場を選んでいたなんて、なんだか運命的だ。
 そう思ったけど、それを言えば、男同士でなにを言ってるんだとか、ロマンチストだとか言われてしまいそうだ。
 ……学校が近くて嬉しい、くらいは言ってもいいのかな。

「……透愛?」

 僕が黙って考えごとをしていたら、瀬凪が急に僕の顔を覗きこんできた。
 その近さに、思わず仰け反った。

「な、なに?」
「昨日のは彼女?って聞いたんだけど」

 僕が話を聞いていなかったからか、瀬凪はどこか不機嫌そうに見える。
 ……いや、待って。瀬凪、今、なんて言った?
 昨日のは? 彼女?

「……彼女!?」

 僕には無縁すぎる単語で、それこそ大げさに反応してしまった。
 そのせいで少しむせて、慌ててカフェオレを飲む。
 瀬凪は心配そうに背中をさすってくれた。

「違うの?」

 僕が落ち着きを取り戻すと、改めて聞いてきた。

「ち、違うよ! 僕に彼女なんていないよ……!」

 どうしてそんな勘違いを?と思ったけど、すぐに理解した。
 昨日の、あの先輩。
 あの距離の近さを、瀬凪は見ていたのかもしれない。
 たしかに、あれは恋人にしか許されていない距離感だ。勘違いするのも無理ない。

「そっか」

 瀬凪は囁くように言って、すぐにカップに口をつけてしまった。そのせいで、なにを思ってそう言ったのか、わからなかった。
 ただ、安心したかのように言ったのは、間違いないと思う。

「僕よりも、瀬凪のほうが居るんじゃないの? 恋人」

 昔から、僕は瀬凪のおまけみたいな扱いで。
 瀬凪くんに渡してほしい、と何度言われたことか。
 つまり、僕に恋人がいないことを、瀬凪が安心しているのが面白くなかった。嫌味のひとつでも言ってやりたくなるくらい。
 瀬凪はゆっくりカップをテーブルに置くと、妖艶に微笑んだ。
 ……いや、意地悪そうに、のほうが正しいのかもしれない。

「……いるって言ったら?」
「え」

 そんなふうに返されるなんて思っていなかったから、僕はわかりやすく戸惑ってしまった。
 僕の質問に返答するなら、イエスかノーしかないと思ってたのに。
 でも、そう言うってことは、やっぱりいるのだろう。

「えっと……さすが瀬凪だなって思うよ。瀬凪はかっこいいし、女の子が放っておかないだろうから」

 思ったことを正直に言うと、瀬凪の表情が一瞬固まった。
 そんな驚くようなことは言っていないと思うからこそ、その反応は予想外だ。

「……もっかい言って」
「え?」

 今のを、もう一回。
 瀬凪がなにを意図してそれ言ったのか、まったくもってわからない。
 いや、誉め言葉は何度でも聞きたいものなのかもしれない。
 瀬凪がそういうタイプだったなんて知らなかったけど。
 僕は疑問を抱きながら、最後の言葉を繰り返すことにした。

「女の子が」
「そこじゃなくて」

 しっかりと遮られ、僕は「え?」という顔になった。
 そここそ嬉しいものじゃないのか。

「俺のこと、なんて?」

 瀬凪のこと?
 なんて言ったっけ。
 ああ、そうだ。

「かっこいい……?」

 たしか、そう言ったはず。
 もはや当たり前の事実だし、今さら聞きたいものでもないだろうに。変な瀬凪。

「本当?」

 瀬凪はぐいっと僕に迫ってきた。

「え、うん……なんなら、前よりもうんとかっこよくなってるよ」

 困惑しつつも、嘘をつく必要もないため、僕は首を縦に振った。
 その瞬間、瀬凪は表情を和らげた。
 僕が知っている中で、一番嬉しそうに。

「……そっか」

 僕からの「かっこいい」がそんなに響くなんて。
 まあ、瀬凪が喜んでるならいいか。

「あ、恋人はいないから安心して」

 満足した瀬凪は、思い出したように言った。
 そういえば、そんな会話をしていたっけ。さっきの表情のインパクトが大きすぎて、ちょっと忘れていた。

「そうなんだ……って、安心ってなに!?」
「ん? 透愛を寂しくさせないから安心してって意味だけど」

 それはつまり、これからもこうして瀬凪と過ごせるということだろうか。

「嬉しい?」

 僕の考えていることを見透かしたような笑み。
 たしかに、ちょっと嬉しいかもって思ったけど……

「別に!?」

 僕は素直に嬉しいとは言えなかった。
 それすらも瀬凪には伝わってしまったのか、瀬凪は楽しそうに笑っていた。