◇
日が暮れてから、僕は中津くんに連れられて居酒屋にやってきた。僕たちみたいな大学生向けなのか、同年代らしき人たちがたくさんいる。ゆえに、賑やかな声があちこちから聞こえてくる。
それが大きくなればなるほど、場違い感が拭えない。
僕は席の隅っこで、初めに注文したウーロン茶を飲みながら、目の前にある料理に手を伸ばす。もちろん、誰とも話さず。
「楽しんでる?」
静かに料理を堪能していると、知らない女性が隣に座っていた。始まる前に軽く自己紹介をしたけど、思い出せない。でもたぶん、先輩だ。
「え……あ、はい……」
紅色の口元から視線を落とすと、首元が開いた服装であることに気付いてしまった。僕がそれを直視できず、たじろいでいるうちに、彼女はぐっと距離を近付けてきて、僕の太ももにそっと触れてきた。その瞬間、僕は身体をビクつかせる。
すると、彼女はニヤリと笑った。まるで、僕の反応がわかっていたみたいな妖艶な笑み。僕はますます彼女の目が見れなくなってしまった。
女経験のない僕が、この距離感に慣れているわけがない。だからこの反応になってしまうのも当然と言えば当然なのだけど、恥ずかしさが身体の奥底から込み上げてくる。
「君、一年生だっけ? こういうの、参加するの初めて?」
言葉が返せず、頷くと、ふと料理とは違う香りがした。彼女の香りだろうか。こんなにも甘い香りを、僕は知らない。
「そんな緊張しなくても大丈夫だよ」
彼女がくすくすと笑う声にとうとう耐えられなくなって、僕はグラスに手を伸ばした。物理的に冷たいものを飲めば、少しは頭が冷えるような気がして。
「あ、それ」
一気に飲み干したとき、彼女の少し戸惑った声が聞こえてきた。
烏龍茶って、こんなに苦かっただろうかと疑問を抱いているうちに、僕は意識を失ってしまった。
「またやったのかよ」
「違うって。今回は偶然だから!」
「狙ってるくせに」
「ちょっと、シー!」
近くで繰り広げられているであろう会話をぼんやりと聞きながら、僕は目を開いた。
ここは、どこだっただろうか。ああそうだ、中津くんに誘われて、居酒屋に来たんだ。そこで寝ちゃったのか……
「あ、気付いた? 君、私のお酒飲んじゃったの。覚えてる?」
彼女は僕の顔を除きこみながら言う。
お酒……そうか、あの苦さはアルコールだったからか……
「ごめんね……よかったら送っていこうか?」
「結構です」
彼女の提案を断ったのは、僕ではなかった。冷たい声が頭上から降ってきて、僕たちは顔を上げる。
「え……」
僕は、夢を見ているのだろうか。僕に都合のいい夢。
だって、そうじゃないと信じられない。彼が、目の前にいるなんて。
――ごめん。
そう言い残して去っていった彼、柊木瀬凪は、僕の幼なじみだ。
声も匂いも記憶の通りなのに、クールな雰囲気は昔とは違う。昔よりもかっこよくなっている瀬凪に、僕は声も出ない。
それは、隣にいる彼女もだった。むしろ、瀬凪のかっこよさに釘付けになっている。僕に見せていた表情よりも素な感じがする。
まあ、僕なんかよりも垢抜けてかっこいい瀬凪のほうがいいのはわかるけど。
「……帰るよ」
僕が勝手にもやもやしていると、瀬凪は僕の手を取って僕を立ち上がらせた。
「もう少しゆっくりしていってもいいんじゃない? ほら、彼もまだ酔いが覚めてないだろうし……」
彼女が慌てて引き止めてきたけど、その魂胆は見え見えだ。僕を利用して瀬凪のことを知ろうとするなんて。今も昔も、僕の扱いは変わらないらしい。
「いや、帰ります」
瀬凪はきっぱりと言い放つと、僕の足のスピードなんてお構いなしに歩き始めた。他のお客さんの間をぬってお店を出ると、街灯に照らされた道を進んでいく。
瀬凪だ。瀬凪が、目の前にいる。
でも、再会の感動に浸りたいところだけど、瀬凪との歩幅が違いすぎて、僕は引っ張られてみっともない歩き方になってしまっていた。
「ま、待って……」
昔よりも大きな背中に呼びかけるけど、瀬凪は歩くスピードを緩めてくれない。こんな意地悪をする人だっただろうか。いや、なにか怒ってる?
「……瀬凪?」
恐る恐る名前を呼ぶと、瀬凪の足がピタリと止まった。それは急だったから、僕は瀬凪の背中に顔をぶつけた。
そして振り返った瀬凪は、にやりと笑う。なんだか嬉しそうで、怒っているのは気のせいだったみたいだ。
「へえ、覚えてたんだ」
「忘れるわけないよ……」
楽しい記憶も、苦い記憶も、全部。瀬凪のことを忘れたことなんてない。
忘れたいと思ったこともあるけど、忘れられなかったくらいだ。
もう、会えないと思ってたのに。やっぱり僕は、夢を見ているのかな……
「って、なんで泣いてんだよ」
瀬凪は困った様子で僕の涙を拭ってくれた。
よかった。瀬凪はまだ、僕に優しくしてくれるんだ。
僕は、瀬凪に嫌われていたんじゃないんだ。
「え、ちょっと、透愛?」
瀬凪の戸惑う声がどこか遠くで聞こえた気がした。
そして、僕の名前を呼んでくれたような。
瀬凪に呼ばれることが、こんなに嬉しいなんて知らなかった。
聞き慣れた言葉のはずなのに、まるで初めて聞いたみたいに、それは熱を持って、僕の心を優しく温めていく。
僕にとって、瀬凪は特別な存在なんだ。
そんなことをぼんやりと思いながら、僕は瀬凪にもたれかかるようにして眠ってしまった。
日が暮れてから、僕は中津くんに連れられて居酒屋にやってきた。僕たちみたいな大学生向けなのか、同年代らしき人たちがたくさんいる。ゆえに、賑やかな声があちこちから聞こえてくる。
それが大きくなればなるほど、場違い感が拭えない。
僕は席の隅っこで、初めに注文したウーロン茶を飲みながら、目の前にある料理に手を伸ばす。もちろん、誰とも話さず。
「楽しんでる?」
静かに料理を堪能していると、知らない女性が隣に座っていた。始まる前に軽く自己紹介をしたけど、思い出せない。でもたぶん、先輩だ。
「え……あ、はい……」
紅色の口元から視線を落とすと、首元が開いた服装であることに気付いてしまった。僕がそれを直視できず、たじろいでいるうちに、彼女はぐっと距離を近付けてきて、僕の太ももにそっと触れてきた。その瞬間、僕は身体をビクつかせる。
すると、彼女はニヤリと笑った。まるで、僕の反応がわかっていたみたいな妖艶な笑み。僕はますます彼女の目が見れなくなってしまった。
女経験のない僕が、この距離感に慣れているわけがない。だからこの反応になってしまうのも当然と言えば当然なのだけど、恥ずかしさが身体の奥底から込み上げてくる。
「君、一年生だっけ? こういうの、参加するの初めて?」
言葉が返せず、頷くと、ふと料理とは違う香りがした。彼女の香りだろうか。こんなにも甘い香りを、僕は知らない。
「そんな緊張しなくても大丈夫だよ」
彼女がくすくすと笑う声にとうとう耐えられなくなって、僕はグラスに手を伸ばした。物理的に冷たいものを飲めば、少しは頭が冷えるような気がして。
「あ、それ」
一気に飲み干したとき、彼女の少し戸惑った声が聞こえてきた。
烏龍茶って、こんなに苦かっただろうかと疑問を抱いているうちに、僕は意識を失ってしまった。
「またやったのかよ」
「違うって。今回は偶然だから!」
「狙ってるくせに」
「ちょっと、シー!」
近くで繰り広げられているであろう会話をぼんやりと聞きながら、僕は目を開いた。
ここは、どこだっただろうか。ああそうだ、中津くんに誘われて、居酒屋に来たんだ。そこで寝ちゃったのか……
「あ、気付いた? 君、私のお酒飲んじゃったの。覚えてる?」
彼女は僕の顔を除きこみながら言う。
お酒……そうか、あの苦さはアルコールだったからか……
「ごめんね……よかったら送っていこうか?」
「結構です」
彼女の提案を断ったのは、僕ではなかった。冷たい声が頭上から降ってきて、僕たちは顔を上げる。
「え……」
僕は、夢を見ているのだろうか。僕に都合のいい夢。
だって、そうじゃないと信じられない。彼が、目の前にいるなんて。
――ごめん。
そう言い残して去っていった彼、柊木瀬凪は、僕の幼なじみだ。
声も匂いも記憶の通りなのに、クールな雰囲気は昔とは違う。昔よりもかっこよくなっている瀬凪に、僕は声も出ない。
それは、隣にいる彼女もだった。むしろ、瀬凪のかっこよさに釘付けになっている。僕に見せていた表情よりも素な感じがする。
まあ、僕なんかよりも垢抜けてかっこいい瀬凪のほうがいいのはわかるけど。
「……帰るよ」
僕が勝手にもやもやしていると、瀬凪は僕の手を取って僕を立ち上がらせた。
「もう少しゆっくりしていってもいいんじゃない? ほら、彼もまだ酔いが覚めてないだろうし……」
彼女が慌てて引き止めてきたけど、その魂胆は見え見えだ。僕を利用して瀬凪のことを知ろうとするなんて。今も昔も、僕の扱いは変わらないらしい。
「いや、帰ります」
瀬凪はきっぱりと言い放つと、僕の足のスピードなんてお構いなしに歩き始めた。他のお客さんの間をぬってお店を出ると、街灯に照らされた道を進んでいく。
瀬凪だ。瀬凪が、目の前にいる。
でも、再会の感動に浸りたいところだけど、瀬凪との歩幅が違いすぎて、僕は引っ張られてみっともない歩き方になってしまっていた。
「ま、待って……」
昔よりも大きな背中に呼びかけるけど、瀬凪は歩くスピードを緩めてくれない。こんな意地悪をする人だっただろうか。いや、なにか怒ってる?
「……瀬凪?」
恐る恐る名前を呼ぶと、瀬凪の足がピタリと止まった。それは急だったから、僕は瀬凪の背中に顔をぶつけた。
そして振り返った瀬凪は、にやりと笑う。なんだか嬉しそうで、怒っているのは気のせいだったみたいだ。
「へえ、覚えてたんだ」
「忘れるわけないよ……」
楽しい記憶も、苦い記憶も、全部。瀬凪のことを忘れたことなんてない。
忘れたいと思ったこともあるけど、忘れられなかったくらいだ。
もう、会えないと思ってたのに。やっぱり僕は、夢を見ているのかな……
「って、なんで泣いてんだよ」
瀬凪は困った様子で僕の涙を拭ってくれた。
よかった。瀬凪はまだ、僕に優しくしてくれるんだ。
僕は、瀬凪に嫌われていたんじゃないんだ。
「え、ちょっと、透愛?」
瀬凪の戸惑う声がどこか遠くで聞こえた気がした。
そして、僕の名前を呼んでくれたような。
瀬凪に呼ばれることが、こんなに嬉しいなんて知らなかった。
聞き慣れた言葉のはずなのに、まるで初めて聞いたみたいに、それは熱を持って、僕の心を優しく温めていく。
僕にとって、瀬凪は特別な存在なんだ。
そんなことをぼんやりと思いながら、僕は瀬凪にもたれかかるようにして眠ってしまった。



