週末、僕は蒼唯のお見舞いに行くことにした。
『長谷川蒼唯』
そのネームプレートを確認して、僕はドアを開ける。
そこは四人部屋で、ノックをしても誰のお見舞いに来た人なのかわからないから、ノックはしなくていいということだった。
左手前が蒼唯のベッドだった。
「……え、なんで……」
昼でも寝ている蒼唯に驚いたのではなく、ベッドのそばにある丸椅子に腰掛けているその人に、僕は驚きを隠せなかった。
「どうしてここにいるんですか……秋月先生」
僕が声をかけると、秋月先生は僕を一瞥した。
そして、眠ったままの蒼唯に視線を戻す。
「……私は、蒼唯の姉なので」
そのたった一言は、すべてを説明しているように感じた。
なぜ、先生があまり笑わなかったのか。
なぜ、蒼唯のプリントを整理しているときに、優しく微笑んでいたのか。
なぜ、あれほどまでに柿崎さんたちを憎んでいたのか。
そのすべてが、今、語られた気がした。
「……あれ? でも、苗字……」
「私は結婚して姓が変わったんですよ」
なるほど、それで僕は気付けなかったのか。
蒼唯から少し年の離れた姉がいるとは聞いていたけど、写真を見たことはなかったし。
「……先生がうちの学校に来たのは、蒼唯のため、ですか?」
「蒼唯のため……そう言ってしまうと、とても聞こえがいいですね……でもあれは、私のエゴです。弟を傷つけた人たちを許さない、という私の自分勝手な思いです」
どうして先生が暗い顔をしているのか、僕にはわからなかった。
それほど、冴木君の正論が効いているということなのだろうか。
「……蒼唯が心を壊してからようやく、私は蒼唯が苦しんでいることに気付いたんです」
秋月先生は、そっと蒼唯に触れる。
それでも蒼唯は目を覚まさない。
今日は眠る日なのかもしれない。
「それに気付けなかった私ももちろん許せませんでしたが、どうしても、蒼唯をここまで追い込んだ人たちが許せなくて……幸い教員免許を持っていたので、教員として乗り込むことにしたんですよ」
その行動力があれば。
その勇気があれば。
僕は、こんなことになる前に、蒼唯を守れただろうか。
「でもそれも、間違っていたのかもしれません。結局、なにひとつすっきりしなかったですから……」
冴木君たちは、蒼唯に対して謝罪の言葉を一度も述べなかった。
それどころか、覚えてもいなかった。
そうなれば、不完全燃焼となるのも無理ないだろう。
そもそも、先生は彼らに謝ってほしかったのだろうか。
蒼唯を苦しめたことに対しての謝罪を。
……でも、蒼唯を苦しめたのは、彼らだけじゃない。
「……先生は、僕のことをどう思っていますか」
ふと気になったことを、流れを気にせずに聞いてしまった。
先生が首を傾げているのを見て、僕は聞き方を間違えたことに気付いた。
「どう、とは?」
「許さない、とか……蒼唯の友達失格、とか……?」
自分で言っておきながら、苦しくなってしまった。
先生は、否定してくれるだろうか。
それとも、許せない、と怒りをぶつけられるだろうか。
いっそ、そうしてくれたほうが、すっきりするかもしれない。
「私はそう思っていませんが……どうしてですか?」
「だって、僕は……」
蒼唯の味方にならなかった。
我が身可愛さに、蒼唯を守れなかった。
「……蒼唯は、一度だって樋野君を責めませんでしたよ。むしろ、困らせてしまってごめん、と言っていました」
……なんだよ、それ。
そんなのありかよ……
蒼唯、君は僕を責めるべきだろ……
なんで蒼唯が謝るんだよ。
本当に、蒼唯は優しい奴だな。
やっぱり僕は、友達失格だ。
そんな優しい蒼唯の隣に、僕はいられない。
でも、最後くらい、君の友達らしいことをしよう。
友達だって胸を張れるようなことを。
「樋野君、大丈夫ですか?」
秋月先生に言われて、僕は自分が泣いていることに気付いた。
僕は慌てて、雑に涙を拭う。
「大丈夫です。あの、蒼唯にごめんって伝えてもらってもいいですか。あと、先生も。あのとき、違うって否定できなくて、すみませんでした」
頭を下げると、僕はそのまま病室を後にした。
秋月先生が学校に来なくなったことで、柿崎さんと仲原さんは元通りになった。
結局、先生の言葉は彼らには届いていなくて。
「あのセンセー、冬也に掴みかかったんでしょ? ヤバすぎ」
「顔も結構ヤバかったんだよな」
「えー、見たかったなあ。動画とか残ってないの?」
三人は、秋月先生に対する文句で盛り上がっている。
なんで先生が君たちの秘密を暴露していったのか。
冴木君に掴みかかったのか。
本当に、なにもわかっていない。
「……なに」
僕が彼らを見ていたことが気に入らなかったようで、仲原さんが僕を睨んできた。
今までなら、僕は目を逸らした。
彼らと関わらないようにしていた。
卑怯者で居続けた。
でも、もうそれはやめるんだ。
僕は蒼唯の友達として、最後の抵抗をするんだ。
「樋野君も混ざりたい? 樋野君も被害者だもんね。センセーに色目使われてさ、かわいそーに」
「……違う」
声が震える。
身体だって、恐怖で思うように動かない。
「なにか言った? 聞こえないんだけど」
柿崎さんが言えば、ますます身体が強ばる。
だけど、勇気を振り絞るって、決めたから。
「……あのとき、先生は蒼唯のプリントを拾ってくれた……あそこにいて写真を撮ったなら、会話くらい、聞こえたでしょ」
「あー……あれ? 撮ったのウチらじゃないんだよね」
……この人たちは、本当に同い年か?
人を陥れられたら、それでいいのか?
「そういやアイツ、長谷川のことでブチ切れてたよな。もしかして、お前じゃなくて長谷川のこと狙ってたとか?」
違うよ。
「えー!? じゃあじゃあ、長谷川君と学校生活送りたくて、ここに来たの? センセー健気すぎ!」
それも違う。
「でもあの人、恋愛対象女の子じゃなかったよね」
それは君たちが勝手に決めつけてるだけで、真実じゃない。
「なんにせよ叶わない恋じゃん! センセーかわいそー!」
言葉と声色、表情が一切合っていない。
被害者面するし、相変わらず見下してくるし。
その笑い声は耳を塞いで離れたくなってくる。
「……先生は、蒼唯のお姉さんだよ」
笑い声に掻き消されたかもしれないと思ったけど、どうやら彼らの耳に届いたらしい。
笑い声が止まり、僕はまた睨まれた。
それは鋭すぎて、心臓を刺されたような気分だ。
「……蒼唯のことも笑うな。なにも悪いこと、してないだろ……」
ずっと言いたくて、言えなかったこと。
僕の中にたくさんの言葉が閉じ込められて見失ってしまうんじゃないかと思っていたけど、ちゃんと、僕の言葉だ。
「でもさあ、不快なんだよね」
「わかる。気持ち悪いよね」
不快なのも、気持ち悪いのも。
全部全部、君たちのほうだよ。
「お前もそう思ったから、否定しなかったんだろ?」
「……違う。僕が弱かったから、否定できなかったんだ。君たちが怖くて、君たちに逆らう勇気がなくて、だから、僕はなにも言えなかったんだ」
初めは目を合わすのも怖くてできなかったけど、僕は最後に前を向くことができた。
そして、不機嫌一色な冴木君と目が合った。
気に入らない。
聞かずともそう語っていることがわかってしまった。
きっと、冴木君の中には僕にいろいろ言われたことによるストレス以外もあったと思う。
それこそ、先生に胸ぐらを掴まれたこと、とか。
タイミングが、良くて悪かったんだろう。
苛立ちの限界値に達したのか、冴木君は僕に殴りかかった。
抵抗する術なんて持ち合わせていないから、僕は一方的にやられるだけだった。
とてつもなく痛かったけれど、心は妙にすっきりしていた。
『長谷川蒼唯』
そのネームプレートを確認して、僕はドアを開ける。
そこは四人部屋で、ノックをしても誰のお見舞いに来た人なのかわからないから、ノックはしなくていいということだった。
左手前が蒼唯のベッドだった。
「……え、なんで……」
昼でも寝ている蒼唯に驚いたのではなく、ベッドのそばにある丸椅子に腰掛けているその人に、僕は驚きを隠せなかった。
「どうしてここにいるんですか……秋月先生」
僕が声をかけると、秋月先生は僕を一瞥した。
そして、眠ったままの蒼唯に視線を戻す。
「……私は、蒼唯の姉なので」
そのたった一言は、すべてを説明しているように感じた。
なぜ、先生があまり笑わなかったのか。
なぜ、蒼唯のプリントを整理しているときに、優しく微笑んでいたのか。
なぜ、あれほどまでに柿崎さんたちを憎んでいたのか。
そのすべてが、今、語られた気がした。
「……あれ? でも、苗字……」
「私は結婚して姓が変わったんですよ」
なるほど、それで僕は気付けなかったのか。
蒼唯から少し年の離れた姉がいるとは聞いていたけど、写真を見たことはなかったし。
「……先生がうちの学校に来たのは、蒼唯のため、ですか?」
「蒼唯のため……そう言ってしまうと、とても聞こえがいいですね……でもあれは、私のエゴです。弟を傷つけた人たちを許さない、という私の自分勝手な思いです」
どうして先生が暗い顔をしているのか、僕にはわからなかった。
それほど、冴木君の正論が効いているということなのだろうか。
「……蒼唯が心を壊してからようやく、私は蒼唯が苦しんでいることに気付いたんです」
秋月先生は、そっと蒼唯に触れる。
それでも蒼唯は目を覚まさない。
今日は眠る日なのかもしれない。
「それに気付けなかった私ももちろん許せませんでしたが、どうしても、蒼唯をここまで追い込んだ人たちが許せなくて……幸い教員免許を持っていたので、教員として乗り込むことにしたんですよ」
その行動力があれば。
その勇気があれば。
僕は、こんなことになる前に、蒼唯を守れただろうか。
「でもそれも、間違っていたのかもしれません。結局、なにひとつすっきりしなかったですから……」
冴木君たちは、蒼唯に対して謝罪の言葉を一度も述べなかった。
それどころか、覚えてもいなかった。
そうなれば、不完全燃焼となるのも無理ないだろう。
そもそも、先生は彼らに謝ってほしかったのだろうか。
蒼唯を苦しめたことに対しての謝罪を。
……でも、蒼唯を苦しめたのは、彼らだけじゃない。
「……先生は、僕のことをどう思っていますか」
ふと気になったことを、流れを気にせずに聞いてしまった。
先生が首を傾げているのを見て、僕は聞き方を間違えたことに気付いた。
「どう、とは?」
「許さない、とか……蒼唯の友達失格、とか……?」
自分で言っておきながら、苦しくなってしまった。
先生は、否定してくれるだろうか。
それとも、許せない、と怒りをぶつけられるだろうか。
いっそ、そうしてくれたほうが、すっきりするかもしれない。
「私はそう思っていませんが……どうしてですか?」
「だって、僕は……」
蒼唯の味方にならなかった。
我が身可愛さに、蒼唯を守れなかった。
「……蒼唯は、一度だって樋野君を責めませんでしたよ。むしろ、困らせてしまってごめん、と言っていました」
……なんだよ、それ。
そんなのありかよ……
蒼唯、君は僕を責めるべきだろ……
なんで蒼唯が謝るんだよ。
本当に、蒼唯は優しい奴だな。
やっぱり僕は、友達失格だ。
そんな優しい蒼唯の隣に、僕はいられない。
でも、最後くらい、君の友達らしいことをしよう。
友達だって胸を張れるようなことを。
「樋野君、大丈夫ですか?」
秋月先生に言われて、僕は自分が泣いていることに気付いた。
僕は慌てて、雑に涙を拭う。
「大丈夫です。あの、蒼唯にごめんって伝えてもらってもいいですか。あと、先生も。あのとき、違うって否定できなくて、すみませんでした」
頭を下げると、僕はそのまま病室を後にした。
秋月先生が学校に来なくなったことで、柿崎さんと仲原さんは元通りになった。
結局、先生の言葉は彼らには届いていなくて。
「あのセンセー、冬也に掴みかかったんでしょ? ヤバすぎ」
「顔も結構ヤバかったんだよな」
「えー、見たかったなあ。動画とか残ってないの?」
三人は、秋月先生に対する文句で盛り上がっている。
なんで先生が君たちの秘密を暴露していったのか。
冴木君に掴みかかったのか。
本当に、なにもわかっていない。
「……なに」
僕が彼らを見ていたことが気に入らなかったようで、仲原さんが僕を睨んできた。
今までなら、僕は目を逸らした。
彼らと関わらないようにしていた。
卑怯者で居続けた。
でも、もうそれはやめるんだ。
僕は蒼唯の友達として、最後の抵抗をするんだ。
「樋野君も混ざりたい? 樋野君も被害者だもんね。センセーに色目使われてさ、かわいそーに」
「……違う」
声が震える。
身体だって、恐怖で思うように動かない。
「なにか言った? 聞こえないんだけど」
柿崎さんが言えば、ますます身体が強ばる。
だけど、勇気を振り絞るって、決めたから。
「……あのとき、先生は蒼唯のプリントを拾ってくれた……あそこにいて写真を撮ったなら、会話くらい、聞こえたでしょ」
「あー……あれ? 撮ったのウチらじゃないんだよね」
……この人たちは、本当に同い年か?
人を陥れられたら、それでいいのか?
「そういやアイツ、長谷川のことでブチ切れてたよな。もしかして、お前じゃなくて長谷川のこと狙ってたとか?」
違うよ。
「えー!? じゃあじゃあ、長谷川君と学校生活送りたくて、ここに来たの? センセー健気すぎ!」
それも違う。
「でもあの人、恋愛対象女の子じゃなかったよね」
それは君たちが勝手に決めつけてるだけで、真実じゃない。
「なんにせよ叶わない恋じゃん! センセーかわいそー!」
言葉と声色、表情が一切合っていない。
被害者面するし、相変わらず見下してくるし。
その笑い声は耳を塞いで離れたくなってくる。
「……先生は、蒼唯のお姉さんだよ」
笑い声に掻き消されたかもしれないと思ったけど、どうやら彼らの耳に届いたらしい。
笑い声が止まり、僕はまた睨まれた。
それは鋭すぎて、心臓を刺されたような気分だ。
「……蒼唯のことも笑うな。なにも悪いこと、してないだろ……」
ずっと言いたくて、言えなかったこと。
僕の中にたくさんの言葉が閉じ込められて見失ってしまうんじゃないかと思っていたけど、ちゃんと、僕の言葉だ。
「でもさあ、不快なんだよね」
「わかる。気持ち悪いよね」
不快なのも、気持ち悪いのも。
全部全部、君たちのほうだよ。
「お前もそう思ったから、否定しなかったんだろ?」
「……違う。僕が弱かったから、否定できなかったんだ。君たちが怖くて、君たちに逆らう勇気がなくて、だから、僕はなにも言えなかったんだ」
初めは目を合わすのも怖くてできなかったけど、僕は最後に前を向くことができた。
そして、不機嫌一色な冴木君と目が合った。
気に入らない。
聞かずともそう語っていることがわかってしまった。
きっと、冴木君の中には僕にいろいろ言われたことによるストレス以外もあったと思う。
それこそ、先生に胸ぐらを掴まれたこと、とか。
タイミングが、良くて悪かったんだろう。
苛立ちの限界値に達したのか、冴木君は僕に殴りかかった。
抵抗する術なんて持ち合わせていないから、僕は一方的にやられるだけだった。
とてつもなく痛かったけれど、心は妙にすっきりしていた。



