「社長! 今日は星がとっても綺麗ですよ?」
 
あまりのやる事のなさに窓から星を見上げる氷見子。
「優雅に星を眺めて給料が貰えるとは、君は素晴らしい仕事を手に入れたものだな」
「じゃあお仕事下さいよ社長」
「グラスは磨いたのか?」
「全部磨きすぎてこれ以上やったら摩擦で溶けちゃいます」
 
「冷蔵庫の掃除は?」
「これ以上やったら温度が上がりっぱなしで、電気代ばかりかかりますよ?」
「君はよくやってくれているな……」
教助はとうとう諦めた模様だ。
「「はぁ…」」
2人揃ってため息をつく。


その日も静かな夜だったが、22時頃その静寂はこの男によって破られた。

「新田さん! ちょっと助けてくれませんか?」
1人の男が店に入ってくるなり教助に助けを求める。
「赤石君どうしたのだ? そんなに慌てて」
「実はうちの雀荘でトラブルが起きちゃいまして……」
 
彼はこの雑居ビル『葉戸メゾン』の4階にある麻雀店『嶺上開花(リンシャンカイホウ)』の店主『赤石一平(あかいしいっぺい)』(29歳独身)である。

「トラブルって喧嘩とかですか? 社長は頭はいいですけど腕っぷしはめっぽう弱いですよ?」
氷見子がそう言うと教助もそれに続く。
「彼女の言ったとおり、私に喧嘩の仲裁などは向いていないぞ?」
 
「いえ、喧嘩と言えば喧嘩なのですが、暴力沙汰ではなくて、牌が1つ行方不明になってしまったんです!」
「ちゃんと探したのか?」
「はい。床や点棒ケース等も探して、その卓に座っていた4人の体を触ってボディチェックを念入りにしても見つからずでして……」

「それは妙だな」

「私、麻雀やった事ないから分からないんですけど、牌が1つなくなるのってそんなにまずい事なんですか?」
氷見子が疑問をぶつける。
 
「対局中に手牌が1つなくなれば、その牌を無くした人はそのゲームでは上がる事が出来ない、つまり勝てなくなってしまうんだ」
「なるほど、それでその牌をなくした人が、誰かが盗ったに違いないとトラブルに発展した訳ですか!」
氷見子がそれを聞いて納得する。

「更にもう1つ気がかりなことがあるんです」
赤石はさらに付け加える。

「ほぅ。それはなんだね?」

「実はその牌を無くした人の左隣にいた『井笠直人(いかさまひと)』というお客さんの居た卓で、以前にも牌が1つなくなった事があったんです」

「なるほど。その人物が同じ席に座った時に、また同じ事件が起きた。そういう事だな」

「はい。その時は見間違いだったのだろうとトラブルにはならなかったのですが、これも妙な話で、その卓の皆さんが帰られてから卓上の牌を片付けていると、なくなったと思われていた牌がそこに混ざっていたんです!」

「ゲーム中に牌が消えて、ゲームが終わると戻ってきたか……」

「前回のこともあり、牌を無くしたお客さんが怒ってしまい、牌が見つかるまで対戦相手の全員がここから動くことを許さないと言ってまして……」

「ではその前後のことを詳しく聞こうか」

「その卓は夕方6時くらいから動いていました。メンバーはずっとその4人で、井笠はかなり負けている様子でした。そして井笠の右隣には『持田虎雄(もちだとらお)』さんが座っていました。
 
持田はかなり今日ツイていたらしく、ずっとトップだったそうです。そして先ほど9時45分頃、持田が※役満の牌を揃えたそうなんです。ですが、その時テレビでドラマの最終回のラストシーンが流れ、皆さん一瞬だけテレビの方を向いたそうです。そしてもう一度牌に目をやると、持田の牌が1つ消えていたということなんです」

※麻雀で最も良い上がり手のこと

「その後すぐにボディチェックまでしたが、何も出てこなかったと……」
「そうです」
「ま、まさか牌を飲み込んだなんて事は?」
氷見子が恐る恐る尋ねる。
「それだと以前牌が戻ってきたというのが引っかかる。まさかその井笠が人間ポンプなんてことあるまい」
「確かにそうですね。そんな派手な事したら流石に誰かに見られちゃいますもんね……」

 教助は更なる手掛かりを求め赤石に質問する。
「その2人の人物の特徴を聞こうか」
「持田は50代前半、かなりのヘビースモーカーです。体格はふくよかで身長は160後半といったところでしょうか。そして井笠は30代前半、こちらは煙草は吸わず対局中はいつもガムを噛んでいます。体格は痩せ型で身長は170後半です」

「なるほど……」
教助がそれを聞いてしばし目を瞑る。
「何か分かったことありませんか?」
「では本日は特別に4階へと出張する事にしようか」
「まさか、牌の行方が分かったんですか?」
「まぁ先ずはそのお客さん達と乾杯をしようじゃないか」

こうして教助はシェイカーを振り6つのグラスを並べた。
それを見た氷見子が質問をする。
「あの……社長、そのグラスって私の分は入ってませんよね?」
「当たり前だ」
「社長のケチ! 給料から引いても良いですから私にもカクテル飲ませて下さい!」
「君は本当に仕方のないやつだな」
そう言って教助はグラスを6つから7つに増やした。

そして一同はカクテルを※トレンチに乗せて4階の麻雀店までやってきた。
 
※丸いお盆のこと

驚いた様子の客達に教助はカクテルを提供する。
「本日のカクテルは『キューバン』。ブランデーをベースに、アプリコットブランデーとライムジュースを使用したカクテルで、程良い甘さは誰にでも親しみのある味わいだ。砂糖と煙草、そしてラム酒の産地であるキューバの国名から名付けられた」

「すごく甘い香りで、杏仁豆腐の味に似ています!」
氷見子がそう言うと、教助がその理由を答える。
「それは杏を原料にブランデーに浸して造られたアプリコット・ブランデーの甘味と香りによるものだ」
赤石も一口味わい、感想を述べる。
「それに甘いだけでなく、どこか大人の風味を最後に残していく、そんな感じがします」

「そちらの皆様は、お味のほどはいかがだろうか?」
麻雀店の客にも感想を求める教助。
「俺はあんまり甘い酒は飲まないが、悪くないな」
と、持田はガブガブとすぐに飲み干した。
 それに続き、井笠もグラスを傾ける。
「うん。お、美味しいよ」

「ところで井笠さん。カクテルを飲む前にいつも噛んでいるガムを吐き出さなくてよかったですかな?」
「い、今は噛んでないんだ……」
教助が尋ねると井笠が見るからに動揺している。
「そう言えばお前さっきまでガムを噛んでいたじゃないか! どこに吐いたんだ!」
持田がそう言って井笠の周りを見るが、吐いたガムはどこにも見当たらない。
「ま、間違えて飲み込んでしまったんだ!」

「いや。それは違う。あなたは噛んでいたガムを犯行に利用したんだ。今回の事件はそこにあるはずが無いと思わせる心理トリックを用いた単純な仕掛けだ」

「ま、まさか!」
そう言った赤石は麻雀卓の裏側をかがみ込んで見上げる。
「あ、あった!」
そこにはガムによって貼り付けられた麻雀牌があった。

「井笠さん、あなたは以前も同じ方法で牌を貼り付け、帰り際にそれを卓の上に戻した。まさか麻雀牌がそんな所に貼り付いている訳がないという思い込みが今回の事件の真相だ」

「す、すみませんでしたぁ…」
そう言って井笠は対戦相手達に謝り、この麻雀店を出入り禁止になった。

そして店に戻った2人は今日の事件について振り返る。
「そう言えば『キューバン』のカクテル言葉はなんだったんですか?」
「キューバンのカクテル言葉は『隠し事』。一度で辞めておけばバレなかったかもしれないが、欲を出したのがいけなかったな」

氷見子がそれを聞いて何かを思いついたような顔で言う。
「あ! もしかして社長、麻雀卓の裏に吸盤(キューバン)のように張り付いていた牌に掛けちゃったりしてます?」
「わ、私がそのような安っぽい冗談を言う訳がないだろう……」
珍しく動揺している教助を見て、氷見子はおちょくったような顔で返す。
「あ! その顔は絶対そうですよー! 社長も冗談とか言う事あるんですねー?」
「ふざけていないで、ほらさっさと洗い物だ!」
「はーい!」

そして今日も平和に1日が終わる。