この日大学が休みだった氷見子は、アルバイトに向かう前に浴槽に浸かり半身浴で日頃の疲れを癒していた。浴室にスマホを持ち込み、お気に入りの音楽を流しながら時折それを口ずさみ顔を緩ませている。
氷見子がこうもご機嫌だった理由は先ほど近所のコンビニへ寄った際、近頃若者の間で流行している少し値は張るが売り切れ続出のプリンを見つけて購入していた為だ。お風呂上がりにそれを食べる事を楽しみに優雅なひと時を過ごしていた。
浴室から出ると尚も上機嫌な氷見子はバスタオルに身を包み、鼻歌を歌いながら髪を乾かし終え着替えると、軽い足取りでキッチンへと向かう。
さぁご対面と意気揚々に冷蔵庫を開けた氷見子は発狂する。
「プリンがなーーーい!!」
氷見子は先ほど確かに冷蔵庫を開けてすぐ目に見える位置に置いた筈のプリンの姿がなくなっていたことに、体中に電気が走ったようなショックを受ける。
諦めきれるはずもなく、冷蔵庫の中をもう一度隅々まで漁るがその姿を見つける事は出来なかった。そしてその獲物を狙う視線は、この家にいた家族への疑いの視線へと変わった。
「誰か私のプリン食べたでしょ!」
キッチンの様子を一望できるリビングから弟の『翔』が、その怒りを含んだ大きな声に驚き声をかける。
「姉ちゃん、大声出して一体どうしたんだよ」
「私の楽しみにしてたプリンがないのよ! 私のプリン知らない?」
「知らねーよ」
「あ! あんたまた牛乳パック直飲みで飲んだのね! やめてって言ってるじゃない!」
「いつも飲み切ってるんだから別に良いじゃん。その方がエコだろ」
「じゃあせめて飲んだ後はちゃんと洗いなさいよ。いつもキッチンにそのまま置きっぱなしじゃない」
「うるさいなぁ。母ちゃんみたいなこと言うなよ」
翔は面倒くさそうに返す。
「今はそんな事よりプリンを食べた犯人を探さないと……あんたなんか知らない?」
「だからプリンなんか見てないって!」
「って事は犯人はお父さんかお母さん?」
「父ちゃんならさっき出かけたぞ」
「え……それじゃ聞けないじゃない……」
そこへ騒ぎを聞きつけた母がリビングへとやってきた。
「なんの騒ぎ? 一体どうしたの?」
「お母さん! 私のプリン食べた?」
「プリン? そんなの知らないわよ。お母さん今までずっと自分の部屋で撮り溜めてた刑事ドラマ観てたんだから」
「……そういえばさっき父ちゃんが出かける前にスプーンを洗っているのを見たような」
翔の証言を確かめるべく、氷見子はシンクの横にある洗い終えた食器を入れるカゴを見ると、そこには確かに水滴を帯びたスプーンが一つだけポツンと置かれていた。
「これは決定的な証拠ね……よくやったわ翔」
「証拠ってあんた。それだけじゃ分からないでしょう? プリンの空になった容器は見つけたの?」
先程まで刑事ドラマを見ていただけのことはあり母が鋭い意見を投げかけると、氷見子はハッとした顔でキッチンのゴミ箱を見る。
「……ない」
続けて家中のゴミ箱の中を漁ったが、プリンの亡骸を見つける事は出来なかった。
「なんで容器が見つからないの……」
「父ちゃんが持っていったんじゃねーの?」
翔が氷見子の疑問に答える。
「あの人がそんな回りくどい事するかしら……。それにそこまでするならスプーンも拭いて元の場所に戻すと思わない?」
と、母が冷静な意見を述べる。
「こういう時、社長なら――」
氷見子はいつも隣で見ている教助のように状況を整理する。
「――私がお風呂を沸かしてからコンビニに向かい、プリンを買って家に戻ったのが午後3時。そこから冷蔵庫にプリンを入れてお風呂に入って出てきたのが現在の午後4時……。2人の3時から4時までのアリバイを聞かせて!」
「アリバイってあんたねぇ……。私はその頃、2階の部屋で刑事ドラマを見てたわよ」
そう言った母に続いて翔が証言する。
「俺は3時半に部活から帰ってきた時に親父がスプーンを洗ってる所を見たんだ。それからリビングでテレビをみてた。そう言えば母ちゃん俺が帰ってきた時、一階の廊下に居たじゃん!」
それを聞いた氷見子が母に詰め寄る。
「お母さん! さっきはずっと部屋にいたって」
「あ、あれはトイレに降りただけよ! キッチンには入っていないわ」
母の言葉を聞いた氷見子は再度翔に尋ねる。
「翔、あんたがリビングにいる間にキッチンに入った人はいた?」
「いなかったよ。やっぱり父ちゃんなんじゃねーの? とにかく俺は知らねーからな」
そう言って翔は自室に戻ろうとした。
「それ飲み終わったらちゃんと洗いなさいよ?」
母に先ほどの氷見子と同じことを言われ苛立った様子の翔は怪訝な顔で答える。
「何回も言われなくても分かってるよ!」
「……何回もって、まだ1回目じゃない」
先程の出来事を知らない母はキョトンとしていた。
「本当に食べたのかお父さんに電話で聞いてみたら?」
母に言われるまま氷見子は父に電話をかける。
「もしもしお父さん? 私のプリン食べた?」
「あぁ冷蔵庫に入ってたやつだね。僕は食べてないよ」
「じゃああのスプーンは何?」
「あれはキウイフルーツを食べたんだよ」
キッチンのゴミ箱を見ると、確かにキウイフルーツの皮が捨てられていた。
「分かった。ありがとお父さん……」
結局犯人が分からずに肩を落としながらふと時計を見ると、アルバイトの時間が近づいており氷見子はすぐに支度をして家を出たのだった。
「――という事があったんですよ! プリンが神隠しにあっちゃいました!」
氷見子は店に着くなり教助にその話をした。
「君は……毎日が楽しそうだな」
「楽しくなんてありませんよ! せっかく楽しみにしてたのに!」
「今頃その証拠は隠滅され完全犯罪が成立してしまっただろうな」
「え? もしかして社長には犯人が分かっているんですか?」
「大体検討はついている」
「お願いします! 教えてください! プリンの仇を討ちたいんです!」
「本日も暇だな……」
教助がおもむろに店内を見渡す。
「わ、分かりましたよ! カクテル注文しますから!」
教助は「フッ」と笑ったような表情をすると氷見子へカクテルを提供する。
「本日のカクテルは『イスラデピノス』。ホワイトラム、グレープフルーツジュース、グレナデンシロップ、砂糖というのが一般的なレシピだ」
「南国感のある味がしますね。美味しいです!」
「そのカクテル言葉は『無防備』。そんなにも大切なプリンを誰にでも見つけやすい場所に置いてしまった君にも原因があったという教訓と皮肉を込めた」
「確かに防犯も大事ですよね……。でも人の物を勝手にとる方が悪いに決まっています! それで肝心の犯人は?」
「君の弟でまず間違いないだろう」
「じゃあプリンの容器はどこに?」
「君の弟が飲んでいたという牛乳パックの中に隠していたのだろうな。空になった容器とそれを食べるのに使ったスプーンを。それが理由で君の弟は恐らくすでに飲みきっていたであろう牛乳パックを自室まで持っていったのだ」
「なるほど! あの時はまだ飲みきっていなかっただけなのかと思ってました。でも……それだけじゃただの仮説にすぎませんか?」
「もし容疑者三名の証言を全て信じるのならば、君のプリンを最後に見た者は君の父親という事になる。ならば次に冷蔵庫を開けた者は必ずそのプリンを目にした筈だ。だが君の弟は牛乳を取り出す際に冷蔵庫を開けている筈なのにプリンを見ていないと証言している為、父か弟のどちらかが嘘をついていた可能性が高まる」
「そうか! もし父が嘘をついているのなら、分かりやすくスプーンを残していく訳ないですもんね!」
「冷蔵庫を開けてプリンを見つけた君の弟は、父が残した洗い物を見てこの計画を思いついたのだろうな」
「どういう事ですか?」
「君の父がキウイフルーツをスプーンで食べたのなら、スプーン以外にも洗い物が出るはずだ」
「そうか! 包丁とまな板ですね!」
「その通り。もし君の父が包丁とまな板を拭いて元の場所に戻したのなら、当然スプーンも同様にするはずだ。だがスプーンだけが残されていたという事は、包丁とまな板を拭いて片付けた人物が別にいるということ」
「なるほど……父に罪を被せる為に、包丁とまな板だけを片付けて状況証拠をでっちあげたってことですね!」
「君の弟は大層悪知恵が働くらしい。ぜひ一度会ってみたいものだ」
「犯人に感心しないでくださいよ! もし今頃プリンの容器をどこかに捨てられちゃってたら、もうどうしようもないですよね?」
「いや、方法はある――」
仕事が終わり家に帰った氷見子は翔の部屋に突撃した。
「翔! やっぱりプリンを食べたのはあんただったのね! 証拠を見つけたわよ!」
氷見子は手に持っていた空の容器を突き出す。
「はぁ? なんのことだよ」
「とぼけないで! もう分かってるんだから」
「食べてねーって。しかもそれ、どこにでも売ってる安物のプリンじゃんか。デタラメ言うなよ」
「なんで私が買ったプリンがこれじゃないって分かるの?」
「あ……」