僕がこの世界にやって来て、早くも1週間が経過した。ギルドから与えられたこの世界に慣れるまでの仕事は、簡単な薬草採集でマイケルと共にこなしていた。
「シルバ、そろそろお昼休憩にしよう」
「はい!」
僕達は森の木陰で昼食をとった。
「マイケルは今日のお昼何にしたの?」
「私は今朝ロゼッタが持たせてくれたスコーンだよ。
毎日が節約生活だからすごく助かっているんだ」
「いや、ロゼッタはそんなオシャレなもの作れないと思うんだけど……」
僕がその言葉を言い切る前に――バタッ――というマイケルがその場に倒れる音がした。
「マイケルー!」
僕が約30分間声をかけ続け、やっと目を覚ましたマイケルが憂いを帯びた表情で語る。
「これを食べると、嫌な事を全て忘れられるんだ……」
「もっと自分を大切にしなきゃ……」
「おっといけない」
そう言ってマイケルは上を向き、サングラスを召喚する。
その行為は溢れてきた涙を抑える為だったのか、僕に涙を見せない為だったのか、どちらにしても哀愁漂うその姿に僕まで泣きそうになった。
「マイケル。もうそのクッキーは食べないでね」
「これは、クッキーだったのか……」
その日のノルマの薬草を採り終えギルドへ戻っていると、小学校低学年くらいの幼い少女が泥だらけで倒れているのを発見した。
「マイケル! 子供が倒れてる!」
「本当だ。これはいけない」
そう言って近付くと、少女の茶色の頭部からは獣の耳が生えていた。
「見たところ獣人の子供のようだ。もしやハンターに追われているのかもしれない」
「やっぱりこの世界には獣人も居るんだね」
「あぁ。ヒューマンの中には獣人を奴隷として取引する悪い風習もまだ残っているんだ」
すると獣人の子供が目を開き、話し出した。
「お腹減った……」
「気がついたみたいだ!」
「そうだな。ではこのスコーンをあげよう」
「ダメだよ! なんでトドメ刺そうとするのさ! 僕が昼に残したパンがあるよ。水もあるからゆっくり飲んで」
「ありがとう……」
そう言って僕が差し出したパンを食べ始める獣人の少女。
「ねぇマイケル。この子をギルドで治療してあげようよ」
ギルドに戻った僕達は少女の傷の手当てをした。
「傷は大したことないわ。1週間もすれば治るでしょう」
少女の傷口に包帯を巻きながらロゼッタが言う。
「良かった……」
それを聞いた僕は安堵した。
「あなたのお名前は?」
ロゼッタが少女に尋ねる。
「スイ……」
少女は下を向いたまま答えた。
「スイはどこから来たの?」
「暗くて狭いところ……」
「そこにはヒューマンがいたかしら?」
「うん……」
「家族は?」
「もういない……」
それを聞いたロゼッタは僕に近づいて言う。
「たぶんこの子、ハンターに捕まって売られる前に逃げてきたんだわ」
「こんな小さい子を……」
「まだ追手が近くにいるかもしれない。これからどうするの?」
「どうするのって、ギルドで保護とか出来ないの?」
僕がそう尋ねるとロゼッタは悲しい表情で返す。
「ギルドは慈善団体じゃないの。厳しい言い方だけど、これに全て対応していたら私達が生活出来なくなる。でも一応、シンに話してみなさい」
その日シンさんが帰ってくると、僕は不本意だったが頭を下げて頼み込んだ。
「お願いします! しばらくこの子をここに置いてください」
「駄目だ」
「どうして!」
「もしそいつが原因でギルドのメンバーが危険に晒されたら、お前は責任取れるのか?」
「それは……」
「お前が思っているよりも、この世界の種族間には深い溝がある。もしかしたらそいつが原因で、獣人との戦争に発展したっておかしくない」
「でもこの子をこのまま放っておいたら、また悪いヒューマンに酷い事されちゃうよ!」
「それがこの世界の摂理だ」
話を聞いていたギルドのメンバーは皆、押し黙っていた。
「だからってこんな子供を見殺しにするだなんて、お前ら人間じゃねぇ!」
僕は思わず声を荒げ暴言を吐く。
シンは厳しい目線を送りながら言う。
「そこまで言うなら、俺と賭けをしろクソガキ」
「内容は?」
「そいつの怪我が治るまでの1週間、それまでならお前の部屋にでも泊めてやれよ。だがその間、そいつを常に側においてお前1人で守りきれ。それが出来たらいつまででも置いてやるよ。出来なければ、お前は一生俺の労働力だ」
「分かりました」
これに即答した事に後になって自分でも驚いた。
「少しはマシな顔になったじゃねぇか。まぁせいぜい頑張れや」
シンはそう言い残し自室へと戻っていった。
「お兄ちゃんはなんでスイに優しいの?」
部屋に戻るとスイが僕に尋ねた。
「僕には昔――スイくらいの妹がいたんだ……」
「その子は今どこにいるの?」
「たぶん、空の上かな……」
「死んじゃったの?」
「うん。病気だったんだ……」
「スイのママも死んじゃった……」
「スイはすごいよ……。たった1人でここまで逃げてきた。
これからは僕がスイを守るから……もう大丈夫だよ」
僕がそう言うと、スイは今まで堪えていたであろう大粒の涙を流し、その日は一晩中泣いた。
翌日からスイは薬草採集を手伝ってくれ、鼻の利くスイは相棒としてとても心強かった。
そしてシンとの約束の日まで、残り2日に迫った。
「にぃに! あっちからワスレナ草の匂いがする!」
いつの間にかスイは僕の事を『にぃに』と呼ぶようになり、僕はそれに対して満更でもなかった。
「暗くなってきたけど、今日はもう少し頑張ろう。晩御飯はシェリーがシチューを持ってきてくれるって言ってたから、お腹空かせておかないと」
「シチュー楽しみだね」
と、スイは僕に笑いかけた。この笑顔を守りたいと――心から思ったその時だった。
どこからかナイフが飛んできて、僕の足元へ刺さる。すぐに僕はスイに覆い被さって辺りを見渡す。すると1人の男が近付いてきた。
「やっと見つけた。手間かけさせやがって。おいお前、そこをどけ」
「どくわけないだろ!」
「それは俺が先に目をつけてた獲物だ。横取りしようってんなら容赦はしねーぞ?」
「スイ、あの大きな木の後ろまで走って隠れるんだ」
「うん。でもにぃには?」
「僕は大丈夫。アイツと少し話をするだけだから……。ほら、今だ!」
僕が男に石を投げて牽制すると、その隙にスイは木陰に隠れた。
「見たところ大した武器も持ってないお前が俺とやろうってのか?」
男は腰に差していた剣を抜きながら言う。
「そうだよ……」
「足、震えてるぞ?」
「……武者震いだよ」
「あの世で後悔しな」
その言葉と同時に男が僕に切りかかる。僕はそれをなんとか避け、予め用意していた目潰し用の砂袋を男の顔めがけて投げつけた。
「くぁっ、目潰しとはなんと卑怯な……」
「僕は何をしてでもスイを守るんだ!」
僕が人生で初めて人を殴ると、男はその場に倒れた。拳がジンジンと疼くが、アドレナリンが出ているからか痛みはまだ感じない。
この機を逃さないように追い討ちをかけ何度も蹴るが、男が剣をブンブンと振り回し抵抗した為、距離をとらざるを得なくなった。
そして眼を真っ赤にさせた男は立ち上がってしまった。
「貴様、もう許さんぞ……」
男が振った剣が頬を掠め、シルバはバランスを崩して片膝をつく。すると男の強烈な蹴りが、もろに溝落ちに入る。
「うがぁっ……」
「死ね」
と、蹲るシルバめがけて剣が振り下ろされたが、間一髪のところで木陰から飛び出してきたスイの体当たりによって、その剣は空を切った。
「にぃにをいじめないで!」
「このクソガキが……」
九死に一生を得た僕はすぐに起き上がりスイを抱えて走り出すと、前々から考えていたものを能力で生み出し、木陰へ隠れた。
「痛っ……」
やはりまだ突き指の感覚には慣れない。
「おい、それで隠れたつもりかよ」
と、男が近づいてくる。
僕はすかさず安全ピンを口で外し、男に向かってそれを投げつけるとスイの耳を塞いだ――。