ちりん。
どこからともなく、おりんの音が聞こえることがあります。
それは、何かの警告かもしれません。
私の父方の祖父母の出身地は能登半島で、ちりん。の話は伝承として存在しているそうです。
どこからともなくおりんの音が聞こえたら――それは妖怪ちりん。の仕業だと言われています。
警告だったり呪いを示唆することもあるようです。
祖母が幼少期に聞いた話なので、今現在そんなことを言う人はいないのかもしれないし、身内だけの妖怪話だったのかもしれません。
妖怪の話が好きな曾祖母が話を大きくしていたのかもしれません。
私は祖母とはとても仲が良かったので、戦争の話など若い時の話を色々聞いていました。
「私が死んだらおりんで合図するから。音が鳴ったら、私は近くにいるよっていうことだからね」
祖母の母である曾祖母が言っていたらしいです。
たしかに、亡くなった人と接触する手段はあまりありません。
近くにいても私たちにはわからないでしょう。
音で合図するのは一番わかりやすい手段かもしれません。
その時は冗談だと思っていたそうです。
しかし、それはのちに事実となります。
祖母は時々ちりん。という音を聞いたことがあると言っていました。
その意味はわからなかったのですが、妖怪ちりん。は守護霊ではないかと言っていました。
亡くなった身内が自分の存在を知らせる手段がおりんの音だということでした。
おりんがない場所でおりんの音がするなんて、少し夢のある話であり、現実にはあり得ない話だと思いました。
あり得ないこと、その一言で片づけられてしまう話でした。
私の祖母も何年も前に亡くなり、誰もいない古い祖母家の片づけをしていた時のことです。
誰も住む予定がない、取り壊す予定の昭和の時代の家です。
仏壇がある部屋は薄暗く温度が少し低く感じます。
夏でもいつも涼しいなと住んでいた子ども時代に思ったものです。
この仏間で私は幼少期に黒い人を二回見ました。
一回目は、夜、習い事のバッグを取りに行くときに、すれ違ったのです。
黒い人は人間の大人の形をしており、洋服を着ている様子はなく、ただの影でした。
目鼻も見えず、行進しているかのように姿勢は良く、歩いていたような気がします。
規則的な動きでした。ただ、見たこともない存在に私はとても恐怖を感じました。
二回目は、昼間でした。
一人でいるときに、仏間を開けると、前回歩いて行ったほうから元の場所に戻るように歩いているようでした。
未だに黒い人の正体はわかりません。
黒い影なのかもやなのかよくわからない物体でした。
実害はありませんが、直感的に怖いと感じました。
子どもだったから見えないものが見えたのかもしれません。
恐怖故、あり得ないものが見えたのかは不明です。
私は霊感が強いわけではないので、大人となった今、いないはずの者を見ることは滅多にありません。
ちりん。
私の息子も幼少期に一度、この空き家となった古い家で黒い人を見ています。
おりんの音がしたそうです。
部屋から出てきて普通に自分の部屋に入っていったようです。
その場所は二階にある物置ですが、亡くなった私の弟の机が置いてあります。
狭い部屋なので、そこで座って作業をすることもありませんが、物置のなかにひっそり勉強机が置いてあります。
息子が見たのは、もしかしたら亡くなった弟でしょうか。
何かを伝えたかったのか、死んだことに気づかずにそのまま生活をしているのかもしれないし、彼だけ時間が止まっているのかもしれません。
ここに住んでいたあの時のまま時間が止まっていて、普通に生活をしているのかもしれません。
私たちには見えないだけで彼はそこにいるのでしょうか。
息子が黒い人を見た年齢は三歳。私が黒い人を見たのと同じ年齢だったと思います。
この三歳という年齢ですが、一番霊感が強い時期のような気がしています。
子ども時代にしか見えないものがあるように思います。
十八歳になった今でも黒い人のことは良く覚えているようです。
実は私の娘は、三歳の時にいないはずの子どもに会っています。
場所が場所なので、話を聞いた後に不思議な気持ちと背筋が凍る気持ちが混ざり合いました。
それは、私の夫の父親、つまり義理の父の葬儀会場でした。
娘にとっては祖父に当たるのですが、葬式のさなか、いないはずの子どもに会ったそうです。
幼児の記憶だから夢を見ていたのではないかと思いますが、現在十六歳となった今でもはっきりその子どものことを覚えているようです。聞いているこちらにも本当にいたと伝わるような話でした。
その男の子は普通にどこにでもいる子どもだったそうです。
チェックのシャツに半ズボン。
自分の母の車いすを押していた親戚のおばちゃんがいたのですが、ずっとおばちゃんの脇について歩いていたそうです。
そのおばちゃんは、三十代の息子さんがいて、孫もいます。
六十代くらいだったと思います。
三十代の息子さんは一緒に参加していましたので、その場にいました。
おばちゃんは、三歳くらいの子どもがいる年齢ではありません。
しかし、娘はなぜか直感的にその人の息子だと思ったそうです。
食事の時もずっとそばに座っていたそうです。
一度目が合ったのですが、知らない子どもなので目を逸らしたそうです。
子どもなのに静かで迷惑をかけることもなく、誰ともしゃべることもなくただ、そこにいたそうです。
ずっとおばちゃんに寄り添っていたそうです。
あまりにも自然体で、いるはずの子どもだと思い込んでいたそうです。
ちりん。
その時も音が鳴りました。
葬儀会場であれば鳴ってもおかしくないと思い、その時はあまり気にしていませんでしたが。
その会場に子どもは私の息子と娘しかいませんでした。
あとは全員大人です。
一時的に入ってきた子どももいませんでした。
もちろん、私の記憶では、食事中の席に子どもは座っていませんでした。
他の人にも聞きましたが、子どもはいなかったそうです。
車いすを押していた親戚のおばちゃんの孫は女の子なので、その会場に来たとしても、男の子のはずはありません。
実際確認しましたが、孫は来ていませんでした。
亡くなったお義父さんの若い頃の姿だったのか。
はたまた、別な葬儀の時の亡くなった子どもの魂が娘にだけ見えたのかはわかりません。
死んだことに気づきもせずにその場にいることはよくあるのかもしれません。
死んだ後も、不思議な力が私たちには宿っているのかもしれません。
親戚のおばちゃんの何か関係する子どもだったのかもしれない、そんな気もします。
ずっと子どものように横に寄り添っていた男の子。
私たちが知らないだけで、おばちゃんが産めなかったとか育てられなかった子どもなのかもしれません。
しかし、おばちゃんの事情を知る者はいません。
数年前に他界し、もうおばちゃんはこの世にいません。
真相は闇の中です。
昭和のような香りがする男の子の瞳は黒目が大きく、不気味だったそうです。
まばたきをしない無口な男の子。
ちりん。の正体なのかもしれません。
先日、古い数珠が私の祖母の家から見つかりました。
数珠はどう処分したらいいのでしょうか。
少しいわく付きの数珠のため慎重になっています。
もしかしたら曾祖母の数珠の可能性があります。
その数珠を所有すると死ぬという話を聞いたことがあります。
私の親戚にまつわる話をしたいと思います。
祖母が若い頃の話です。祖母の兄が戦死しました。
その時に、不思議な体験をしたそうです。
兄の葬儀のお通夜の時に、誰も鳴らさないおりんが深夜に鳴ったそうです。
ちりん。
おりんの音です。
そこにいるみんなが聞こえていたそうです。
祖母は五人姉妹でとても仲が良く、長女が先程のおばさんです。
亡くなった曾祖母が言っていた通りでした。
私はそばにいるよという合図でした。
戦死した兄は、亡くなった母の形見である数珠を持っていき、その後、亡くなったそうです。
もしかしたら、死んだお母さんに呼ばれてしまったのだろうかとも思います。
おりんを鳴らしたのは死んだお母さんだったのではないかと祖母は直感的に思ったそうです。
その数珠ですが、とてもいいものだったので、兄が亡くなった後に、親戚の女性がもらっていきました。
その後病気で親戚の女性は亡くなったそうです。
なんともいわくつきの数珠ですが、物のない時代だったため、長女であるおばさんがもらったそうです。
もしかしたら、今目の前にあるのが、その数珠かもしれないということがずっと頭から離れません。
ただ、祖母の買った数珠である可能性もあるため、警戒する必要はないかもしれません。
特別な宗派ではないため、祖母は市販の数珠を使っていたと記憶しています。
私の父は能登半島の出身で、中学生になる頃に東北地方に引っ越してきました。
父方の祖母の姉が能登にある田舎町に住んでいて、十五年ほど前に高齢のため亡くなりました。
その人が親戚の女性が亡くなった後に数珠をもらった人でした。
私はおばさんと呼んでいましたが、両親の兄弟ではなく、遠縁のおばさんです。
私の住んでいる地域とは遠い場所に住んでおり、実際に会ったことはないです。
しかし、祖母がよく連絡を取っていたため、節目節目に贈り物をしてくれるような親切なおばさんでした。
長年教師をやっており、若い頃何度も流産をしましたが、子どもが一人いたそうです。しかし、その子どもは幼くして病気で亡くなったと聞きました。夫は大学教授をしており、夫婦で仕事をしていたので、貯金はたくさんあり、生活には困らないようでした。老後は子どももいないため、夫が亡くなった後も一人暮らしをして、節約とは縁遠い生活をしているようでした。実際私が子どもを出産した時にも、遠縁にも関わらず、デパートで子供服を買って送ってくれたようです。
父の話のよると、おばさんの住む町は田舎の錆びれた町のようでした。電車で行くと、発展した町は隣町にあるそうでしたが、おばさんの家の隣には廃寺があり、少し不気味な場所だと言っていました。人はいずれ死ぬので、死人がいない場所を探す方が難しいと思いますが、おばさんの子どもは昭和初期だったこともあり、病気で死んだということでした。今、思えば、流産しやすい体質だったのかもしれないし、仕事柄動くので仕方がなかったのかもしれません。医療も今ほどの発展はないので、死が近い時代だったとは思います。
気になるのは、亡くなった子どもが男の子だったということです。
数珠が悪いのではないだろうかと大人になった私は考えるようになりました。
もう二十年前になるでしょうか。冬の寒い日に実の弟が突然死んでしまいました。
冬になると、遺骨をお墓に入れるときに大雪が降ったことを思い出します。
きっと亡くなった弟が、寒い土の中に入りたくなかったのではないかと思います。
母は霊感が強いタイプで、生霊を感じたりする人でした。
自分の親の葬儀で、お墓に納骨する時に、大雨を呼んでしまったこともありました。
車のタイヤが見えなくなるくらい道路に水が溢れていました。
強い雨が一時的に大量に降った記憶があります。
弟は、まだ高校生でした。その若さで亡くなるのは、普通はありえません。
事故ではなく病気で心臓が止まったのです。
弟は十八歳を迎える前に亡くなってしまいました。
まだ高校三年生でした。
若い時に病気を発生して帰らぬ人となりました。
能登では一般的である●●●宗●●●●派のお寺にお墓参りに行った時に、平成時代に死んでしまった若者がいないかと見たのですが、いませんでした。戦争時代ならばともかく、食事も豊富で物であふれた時代に十代で死んだ人は滅多にいません。
なぜうちだけがという気持ちになったのは本当です。
ちなみにこの宗派は私の住む東北地方にはあまりないため、祖母はお寺を探すときに苦労したそうです。
今思えば、数珠が祖母の手に渡っていたせいなのではないかと思います。
呪いが数珠つなぎに死をもたらしたのかもしれません。
両親と私は新しい家を建て、引っ越すことになりました。
祖母と父の弟であるおじが二人で古い家で暮らすこととなりました。
その数年後、高齢だった祖母が死にました。
九十歳くらいだったので、亡くなってもおかしくはない年齢でした。
祖母が亡くなり、変わり者のおじが一人暮らしをしていたのですが、五十代だったおじが突然亡くなってしまいました。
一人暮らしで、私たちとは連絡を取らず祖母の財産を独り占めしようとたくらんでいました。
新聞配達をしている人に知り合いがいて、気配がなく、新聞がそのままになっているという知らせを聞きました。
父は様子を見に行きましたが、普通にインターホンを鳴らしても、家に入れてくれる関係ではなくなっていたため、数日様子を見て気配がないので、死んでいるかもしれないと思いました。そこで、警察に連絡をして一緒にいったそうです。案の定おじは死んでいました。札束を部屋中にばらまいて一人暮らしの家は、荒れた状態になっており、真冬の時期にたばこを持ったまま死んでいたそうです。運よく火事にならずに寒い仏間で仰向けに死んでいたそうです。罰が当たったのでしょうか。
おじは少し異常な性格でした。
おじは私の子どもを殺すと言ったり、盗聴をしたり、死ねとひとりごとを毎日何回も言うような人でした。
勉強はでき、県内一の進学校、国立大を卒業して、大きな企業に就職していました。
家事を全て祖母にさせており、ばばあ死んでしまえというようなことを自室の壁に落書きするような人間でした。
祖母と私たち家族との同居生活が長く、結局家を出て家庭を築くことも、一人暮らしをすることもありませんでした。
結局五十代でリストラにあいました。生涯独身でした。
もしかしたら、発達障害のようなものを持っていたのかもしれません。
昭和の時代は勉強ができれば、多少の性格がどうというのはあまり考慮されなく優秀な子どもという認識だったようです。同居していても、話したことも、挨拶をしたこともありませんでした。
異常な家族だったと思いますが、我が家では普通の家族という扱いだったように思います。
その異常性の中で育った私は普通というものがあまりわかりませんでした。
今思えば、数珠を次女である祖母が長女であるおばさんからもらっていたとしたら、その呪いが蔓延しているのではないかと思ったのです。
しかし、曾祖母の数珠だということは、普通は守ってくれる存在ではないかと思うのです。
だから、お守り代わりに祖母の兄も数珠を戦地に持って行ったのでしょう。
霊感が強い一家ではありませんが、私の母は自分の母親の生霊を感じ取ることができたそうです。
母親が倒れそうなとき、右肩が重くなるそうです。
それは、助けての合図だそうです。
肩が重くなると母の母が倒れているそうです。
倒れた原因は心労なのか精神的なものなのかもしれません。
内科医に往診に来てもらっても、医者は何も言わないで帰宅してしまうそうです。
今でいうひどいモラハラやDVのような目にあっていたそうなので、その可能性も否定はできません。
父が言っていた廃寺という言葉が頭の隅に残っていました。
おばさんの自宅の隣にあったという廃寺が気になり、ネットで検索したところ、廃寺らしいものは見当たりませんでした。そのような土地だと、あまり買い手がいないかもしれないという話でした。
父に確認すると、今は分譲住宅になっているそうです。十年ほど前に旅行したときは寺はまだあったそうです。
おばさんは子どもがおらず、姪っ子や甥っ子が複数人います。
相続でもめており、土地は売ることができない状態のままになっています。
古い家にちりん。は住みつくことがあるらしいと昔祖母に聞いたことがあります。
もしかしたら、おばさんの家や祖母の家や廃寺に【ちりん。】が住みついているかもしれないのです。
とても不気味ですが、私の周囲には突然死した親戚が多いです。
おじが五十代で急に亡くなりました。
弟も十代の若さで急に亡くなりました。
おばさんの息子が赤子の頃に亡くなりました。
祖母の兄が若くして戦死しました。
戦死はその時代ならば、仕方ないとは思いますが、男が急に亡くなるということが、昭和、平成と時代を超えて続いていたのです。
男が弱い家系なのでしょうか。
もしかしたら、呪われているのではないか。
考えすぎかもしれませんが、そう感じるようになりました。
もしかしたら、私の先祖が何かをして私たちに末代までの呪いをかけているのかもしれません。
もしかしたら逆恨みのような理不尽な呪いが未だに生きているのかもしれません。
そんな恐怖を感じることがあります。
私が会ったことのない曾祖父と曾祖母。二人共教師で堅実に生活していたと聞いています。
もし、曾祖父か曾祖母が何かしらの理由で誰かに怨まれていたとしたら。
それが全くの逆恨みだったらと思ってしまいます。
人付き合いが苦手だったという曾祖父。
勉強ができたので東京大学で農学を学んだと言います。
たった一人の息子を戦争で亡くすという運命。
男は消えろ。とでも言っているかのような仕打ち。
父方の家系は多分、男はあまり生きられないのかもしれません。
生きても病気などで生き地獄を味わうことを強いられているようにも感じます。
何者かによって私たちは辛い世界を生きなければいけません。
この数珠は、曾祖母の数珠ではなく、元々は誰かからの贈り物だったとしたら、少し意味は変わるかもしれません。
仮説を立ててみました。
曾祖母が誰かに呪いをかけられた数珠をもらったとします。
所有権が送り主から曾祖母に移ります。
その後、曾祖母が病気で若くして亡くなりました。
その後、長男がもらい、戦死しました。
この時点で所有権は長男である祖母の兄にありました。
親戚の女性がもらい、所有権をもちましたが、結局病死してしまいました。
その後、長女であるおばさんが数珠をもらいました。
所有権がおばさんに移りました。
おばさんの一人息子である赤子が病気で亡くなりました。
私の祖母が数珠を譲ってもらうことになります。
つまり、所有権が祖母に移ります。
その後、昭和時代に祖母の夫であり私の祖父が亡くなります。
平成に入って、同居していた私の弟であり祖母の孫が十代の若さで病気で亡くなりました。
祖母が高齢のため心不全で亡くなりました。
所有権が同居していた祖母の息子である私のおじに移動します。
おじが五十代で突然死しました。
父は存命ですが、病気を抱え、週に何度も病院に行かなければ生きられず、母は病気を患って一生入院になりそうです。
人は死にますが、楽しい人生ではなく、苦しんで死ぬということが私たちには与えられているような気がしてなりません。
そして、数珠を見つけた私。
ちりん。というおりんの音が何かの合図だったのかもしれません。
長男の通夜の時に、亡くなったお母さんが何かを伝えたかったのかもしれません。
祖母は挨拶に来たと解釈していましたが、本当は、その数珠は捨ててと言いたかったのかもしれません。
しかし、私には真実を知ることは不可能です。
人が死ぬことは仕方がない事実です。
しかし、これは偶然で片づけていいのでしょうか。
もし、万が一数珠に何かしらの負の力、エネルギーが入っていたら、取り返しのつかないことになるかもしれません。
もし、一連の死が偶然ではなく必然だったらと思うと少し怖くなります。
簡単に大丈夫、無関係とは思えず、数珠について調べてみました。
数珠は念珠とも言われています。
実はこの言葉、非常に不思議なのですが、私の息子が話し始めた頃に「ねんじゅー」と口癖のように言っていたのです。これも赤子が話し始める言葉のトレーニングの一つなのかもしれません。偶然なのかもしれませんが、それに気づいた瞬間私の背筋は凍りました。誰も教えていないのに、なぜそんな言葉をしゃべっていたのだろう。母子手帳に記録としてよく話していた言葉を書いていました。母子手帳に書いている話した言葉はそれほど多くはありません。
珠の数は百八個。これは煩悩の数と同じとされているそうです。
私が所有者とならないように、住んでいる家には持ち帰らないことにしました。
ネットで処分方法を調べたところ、自分でゴミに捨てる。
塩で清めて捨てる。
自宅の庭に埋める。
お寺や神社に引き取ってもらう。
購入した店や仏具店、不要回収業者に引き取ってもらう。
というようなことが書いてありました。
現実的なのは自分でゴミとして処分することでした。
しかし、普通の数珠でなければ、お寺や神社に収めるのがいいのかもしれません。
しかし、これは私の数珠ではありません。
つまり故人の数珠となっています。
更にネットで調べてみました。
葬儀の時に一緒に燃やすというものもありました。
葬儀の時に処分するというのは、うちの場合は葬儀が終わっているので現実的ではありません。
遺品整理会社というのも、もう遺品整理は終わっているため難しいです。
結局自分で清めて処分するか、お寺や神社に引き取ってもらうしかないということです。
これは、私の個人的な話になりますが、先日知人が病気で急に亡くなりました。
まだ五十歳くらいではないかと思いますが、あんなに元気で笑顔だったのに、もうこの世界にはいないという事実を受け入れられないでいます。
今でも声もよく覚えています。
人は音として人の存在を認識しているのかもしれません。
今は会わない人や亡くなった人の声は意外と鮮明に覚えているものです。
最近まで元気に仕事をしていました。
その事実に背筋がぞわっとしました。
明日、知っている人がこの世界からいなくなることもあるかもしれません。
元気に生きていることはあたりまえだけど、あたりまえではないのです。
身近な人の死は一番怖い、そう思うのです。
数珠つなぎのように不幸になりませんように。
予期せぬ時に、恐怖はやってきます。
音が時として恐怖をあおります。
ちりん。
どこからともなくおりんの音がしました。
嫌なことが起こる予感がします。
仏間には幼少の頃もらった人形があります。
私は人形がとても苦手です。
動かないのに、動きそうな気がしていたのです。
もらった人形はしゃべる女の子の人形でした。
昭和の時代にはしゃべる人形というものが売っていて、まばたきもします。
より人間に近い人形を作っていた時代だったようです。
女の子が喜ぶように開発されたようですが、私は触ることも見ることもできず、しまってもらいました。
女の子の人形は話します。
「私マーガレットちゃん。友達になってね」
おはなしマーガレットちゃんという人形でした。
その台詞と声はよく覚えています。
小さなレコードが何枚か入っており、お腹に入れて声を聞くというものでした。
台詞は二つか三つくらいのバージョンがありました。
赤い服を着た黒髪の長髪の人形はとてもリアルで大きく感じました。
人形の視線がとても怖かったことを思い出します。
音も色も時として恐怖の対象となります。
人は五感で恐怖を感じているのだと思いました。
ずっとしまわれていた人形が仏間のひきだしから少し見えます。
出した記憶はないのに。
視線を感じました。
もう壊れているはずの四十年も前の人形から声が聞こえます。
ノイズのような音がします。
耳障りな嫌な音でした。
音が悪くて、ちゃんとセリフは聞こえません。
とても不気味で体感時間はとても長かったと思います。
あぁ、やっぱり今日は悪いことが起きたと思いました。
ふりむくと仏間に男の子がいました。
あまりに自然すぎてその存在を普通に認識していました。
初めて見たのに、既視感のある風貌のように思えました。
昭和にいそうな髪の毛で、チェックのシャツに半ズボンの姿の少年がこちらを見ています。
まばたきをしないので、余計不気味な感じがします。
なんとなく娘が見た男の子だということが直感でわかりました。
あの男の子の想いがこの数珠に込められているのかもしれない。
刺すようなまっすぐな視線に目を逸らさずにじっとこちらを見ています。
まばたきをしていないせいなのか、ひどく人間らしさが感じられません。
黒目が以上に大きいので、普通の人間ではないと直感でわかりました。
妖怪ちりん。なのかもしれません。
いわくつきの数珠を探していたのか、男の子は数珠を見つけると、それを手に取り、外に出ていきました。
その子どもの目的はわかりません。
でも、あの子には、あの数珠が必要だったのかもしれないと思いました。
もう、私には不要なので、負の連鎖は断ち切りたいと思うのです。
黒い人もいないはずの子どもも古い仏間ももう私には関係ないのです。
近々祖母の家を取り壊します。
手元に残った数珠の古い箱を見ました。
二重底になっており、何かに引き寄せられるように、二重になった箱の底を見てみました。
しかし、簡単には開かなくなっていたため、はさみで切って中を見ました。
どうしても気になったのです。
人は見てはいけないものを見たくなるものなのかもしれません。
案の定、切り取った底には「呪」という古い文字が書いてありました。
悪い感情が籠もったものだと感じました。
血のような赤黒い色の字です。
やっぱりな。
きっと誰かが呪いをかけてこの数珠を渡したのでしょう。
それが率直な感想でした。
曾祖母の大正時代なら男子が家督として跡を継ぐのが普通でした。だから、あの数珠を持った者は跡継ぎが途絶えるという怨念が入っていたのかもしれません。ちなみに私の旧姓を継ぐ者は今は誰もいません。
ちりん。かもしれない男の子がいわくつきの数珠を持ち出してくれたおかげで、私は数珠の呪いから逃れられそうです。ちりん。が守護霊かもしれないというのは本当だったのかもしれません。
多分、ちりん。は姿を変えて現れるのでしょう。時に黒い影のような形になったり、音だけだったり。
きっとどこかで私たちを守ってくれているのかもしれません。
どこからともなく、おりんの音が聞こえることがあります。
それは、何かの警告かもしれません。
私の父方の祖父母の出身地は能登半島で、ちりん。の話は伝承として存在しているそうです。
どこからともなくおりんの音が聞こえたら――それは妖怪ちりん。の仕業だと言われています。
警告だったり呪いを示唆することもあるようです。
祖母が幼少期に聞いた話なので、今現在そんなことを言う人はいないのかもしれないし、身内だけの妖怪話だったのかもしれません。
妖怪の話が好きな曾祖母が話を大きくしていたのかもしれません。
私は祖母とはとても仲が良かったので、戦争の話など若い時の話を色々聞いていました。
「私が死んだらおりんで合図するから。音が鳴ったら、私は近くにいるよっていうことだからね」
祖母の母である曾祖母が言っていたらしいです。
たしかに、亡くなった人と接触する手段はあまりありません。
近くにいても私たちにはわからないでしょう。
音で合図するのは一番わかりやすい手段かもしれません。
その時は冗談だと思っていたそうです。
しかし、それはのちに事実となります。
祖母は時々ちりん。という音を聞いたことがあると言っていました。
その意味はわからなかったのですが、妖怪ちりん。は守護霊ではないかと言っていました。
亡くなった身内が自分の存在を知らせる手段がおりんの音だということでした。
おりんがない場所でおりんの音がするなんて、少し夢のある話であり、現実にはあり得ない話だと思いました。
あり得ないこと、その一言で片づけられてしまう話でした。
私の祖母も何年も前に亡くなり、誰もいない古い祖母家の片づけをしていた時のことです。
誰も住む予定がない、取り壊す予定の昭和の時代の家です。
仏壇がある部屋は薄暗く温度が少し低く感じます。
夏でもいつも涼しいなと住んでいた子ども時代に思ったものです。
この仏間で私は幼少期に黒い人を二回見ました。
一回目は、夜、習い事のバッグを取りに行くときに、すれ違ったのです。
黒い人は人間の大人の形をしており、洋服を着ている様子はなく、ただの影でした。
目鼻も見えず、行進しているかのように姿勢は良く、歩いていたような気がします。
規則的な動きでした。ただ、見たこともない存在に私はとても恐怖を感じました。
二回目は、昼間でした。
一人でいるときに、仏間を開けると、前回歩いて行ったほうから元の場所に戻るように歩いているようでした。
未だに黒い人の正体はわかりません。
黒い影なのかもやなのかよくわからない物体でした。
実害はありませんが、直感的に怖いと感じました。
子どもだったから見えないものが見えたのかもしれません。
恐怖故、あり得ないものが見えたのかは不明です。
私は霊感が強いわけではないので、大人となった今、いないはずの者を見ることは滅多にありません。
ちりん。
私の息子も幼少期に一度、この空き家となった古い家で黒い人を見ています。
おりんの音がしたそうです。
部屋から出てきて普通に自分の部屋に入っていったようです。
その場所は二階にある物置ですが、亡くなった私の弟の机が置いてあります。
狭い部屋なので、そこで座って作業をすることもありませんが、物置のなかにひっそり勉強机が置いてあります。
息子が見たのは、もしかしたら亡くなった弟でしょうか。
何かを伝えたかったのか、死んだことに気づかずにそのまま生活をしているのかもしれないし、彼だけ時間が止まっているのかもしれません。
ここに住んでいたあの時のまま時間が止まっていて、普通に生活をしているのかもしれません。
私たちには見えないだけで彼はそこにいるのでしょうか。
息子が黒い人を見た年齢は三歳。私が黒い人を見たのと同じ年齢だったと思います。
この三歳という年齢ですが、一番霊感が強い時期のような気がしています。
子ども時代にしか見えないものがあるように思います。
十八歳になった今でも黒い人のことは良く覚えているようです。
実は私の娘は、三歳の時にいないはずの子どもに会っています。
場所が場所なので、話を聞いた後に不思議な気持ちと背筋が凍る気持ちが混ざり合いました。
それは、私の夫の父親、つまり義理の父の葬儀会場でした。
娘にとっては祖父に当たるのですが、葬式のさなか、いないはずの子どもに会ったそうです。
幼児の記憶だから夢を見ていたのではないかと思いますが、現在十六歳となった今でもはっきりその子どものことを覚えているようです。聞いているこちらにも本当にいたと伝わるような話でした。
その男の子は普通にどこにでもいる子どもだったそうです。
チェックのシャツに半ズボン。
自分の母の車いすを押していた親戚のおばちゃんがいたのですが、ずっとおばちゃんの脇について歩いていたそうです。
そのおばちゃんは、三十代の息子さんがいて、孫もいます。
六十代くらいだったと思います。
三十代の息子さんは一緒に参加していましたので、その場にいました。
おばちゃんは、三歳くらいの子どもがいる年齢ではありません。
しかし、娘はなぜか直感的にその人の息子だと思ったそうです。
食事の時もずっとそばに座っていたそうです。
一度目が合ったのですが、知らない子どもなので目を逸らしたそうです。
子どもなのに静かで迷惑をかけることもなく、誰ともしゃべることもなくただ、そこにいたそうです。
ずっとおばちゃんに寄り添っていたそうです。
あまりにも自然体で、いるはずの子どもだと思い込んでいたそうです。
ちりん。
その時も音が鳴りました。
葬儀会場であれば鳴ってもおかしくないと思い、その時はあまり気にしていませんでしたが。
その会場に子どもは私の息子と娘しかいませんでした。
あとは全員大人です。
一時的に入ってきた子どももいませんでした。
もちろん、私の記憶では、食事中の席に子どもは座っていませんでした。
他の人にも聞きましたが、子どもはいなかったそうです。
車いすを押していた親戚のおばちゃんの孫は女の子なので、その会場に来たとしても、男の子のはずはありません。
実際確認しましたが、孫は来ていませんでした。
亡くなったお義父さんの若い頃の姿だったのか。
はたまた、別な葬儀の時の亡くなった子どもの魂が娘にだけ見えたのかはわかりません。
死んだことに気づきもせずにその場にいることはよくあるのかもしれません。
死んだ後も、不思議な力が私たちには宿っているのかもしれません。
親戚のおばちゃんの何か関係する子どもだったのかもしれない、そんな気もします。
ずっと子どものように横に寄り添っていた男の子。
私たちが知らないだけで、おばちゃんが産めなかったとか育てられなかった子どもなのかもしれません。
しかし、おばちゃんの事情を知る者はいません。
数年前に他界し、もうおばちゃんはこの世にいません。
真相は闇の中です。
昭和のような香りがする男の子の瞳は黒目が大きく、不気味だったそうです。
まばたきをしない無口な男の子。
ちりん。の正体なのかもしれません。
先日、古い数珠が私の祖母の家から見つかりました。
数珠はどう処分したらいいのでしょうか。
少しいわく付きの数珠のため慎重になっています。
もしかしたら曾祖母の数珠の可能性があります。
その数珠を所有すると死ぬという話を聞いたことがあります。
私の親戚にまつわる話をしたいと思います。
祖母が若い頃の話です。祖母の兄が戦死しました。
その時に、不思議な体験をしたそうです。
兄の葬儀のお通夜の時に、誰も鳴らさないおりんが深夜に鳴ったそうです。
ちりん。
おりんの音です。
そこにいるみんなが聞こえていたそうです。
祖母は五人姉妹でとても仲が良く、長女が先程のおばさんです。
亡くなった曾祖母が言っていた通りでした。
私はそばにいるよという合図でした。
戦死した兄は、亡くなった母の形見である数珠を持っていき、その後、亡くなったそうです。
もしかしたら、死んだお母さんに呼ばれてしまったのだろうかとも思います。
おりんを鳴らしたのは死んだお母さんだったのではないかと祖母は直感的に思ったそうです。
その数珠ですが、とてもいいものだったので、兄が亡くなった後に、親戚の女性がもらっていきました。
その後病気で親戚の女性は亡くなったそうです。
なんともいわくつきの数珠ですが、物のない時代だったため、長女であるおばさんがもらったそうです。
もしかしたら、今目の前にあるのが、その数珠かもしれないということがずっと頭から離れません。
ただ、祖母の買った数珠である可能性もあるため、警戒する必要はないかもしれません。
特別な宗派ではないため、祖母は市販の数珠を使っていたと記憶しています。
私の父は能登半島の出身で、中学生になる頃に東北地方に引っ越してきました。
父方の祖母の姉が能登にある田舎町に住んでいて、十五年ほど前に高齢のため亡くなりました。
その人が親戚の女性が亡くなった後に数珠をもらった人でした。
私はおばさんと呼んでいましたが、両親の兄弟ではなく、遠縁のおばさんです。
私の住んでいる地域とは遠い場所に住んでおり、実際に会ったことはないです。
しかし、祖母がよく連絡を取っていたため、節目節目に贈り物をしてくれるような親切なおばさんでした。
長年教師をやっており、若い頃何度も流産をしましたが、子どもが一人いたそうです。しかし、その子どもは幼くして病気で亡くなったと聞きました。夫は大学教授をしており、夫婦で仕事をしていたので、貯金はたくさんあり、生活には困らないようでした。老後は子どももいないため、夫が亡くなった後も一人暮らしをして、節約とは縁遠い生活をしているようでした。実際私が子どもを出産した時にも、遠縁にも関わらず、デパートで子供服を買って送ってくれたようです。
父の話のよると、おばさんの住む町は田舎の錆びれた町のようでした。電車で行くと、発展した町は隣町にあるそうでしたが、おばさんの家の隣には廃寺があり、少し不気味な場所だと言っていました。人はいずれ死ぬので、死人がいない場所を探す方が難しいと思いますが、おばさんの子どもは昭和初期だったこともあり、病気で死んだということでした。今、思えば、流産しやすい体質だったのかもしれないし、仕事柄動くので仕方がなかったのかもしれません。医療も今ほどの発展はないので、死が近い時代だったとは思います。
気になるのは、亡くなった子どもが男の子だったということです。
数珠が悪いのではないだろうかと大人になった私は考えるようになりました。
もう二十年前になるでしょうか。冬の寒い日に実の弟が突然死んでしまいました。
冬になると、遺骨をお墓に入れるときに大雪が降ったことを思い出します。
きっと亡くなった弟が、寒い土の中に入りたくなかったのではないかと思います。
母は霊感が強いタイプで、生霊を感じたりする人でした。
自分の親の葬儀で、お墓に納骨する時に、大雨を呼んでしまったこともありました。
車のタイヤが見えなくなるくらい道路に水が溢れていました。
強い雨が一時的に大量に降った記憶があります。
弟は、まだ高校生でした。その若さで亡くなるのは、普通はありえません。
事故ではなく病気で心臓が止まったのです。
弟は十八歳を迎える前に亡くなってしまいました。
まだ高校三年生でした。
若い時に病気を発生して帰らぬ人となりました。
能登では一般的である●●●宗●●●●派のお寺にお墓参りに行った時に、平成時代に死んでしまった若者がいないかと見たのですが、いませんでした。戦争時代ならばともかく、食事も豊富で物であふれた時代に十代で死んだ人は滅多にいません。
なぜうちだけがという気持ちになったのは本当です。
ちなみにこの宗派は私の住む東北地方にはあまりないため、祖母はお寺を探すときに苦労したそうです。
今思えば、数珠が祖母の手に渡っていたせいなのではないかと思います。
呪いが数珠つなぎに死をもたらしたのかもしれません。
両親と私は新しい家を建て、引っ越すことになりました。
祖母と父の弟であるおじが二人で古い家で暮らすこととなりました。
その数年後、高齢だった祖母が死にました。
九十歳くらいだったので、亡くなってもおかしくはない年齢でした。
祖母が亡くなり、変わり者のおじが一人暮らしをしていたのですが、五十代だったおじが突然亡くなってしまいました。
一人暮らしで、私たちとは連絡を取らず祖母の財産を独り占めしようとたくらんでいました。
新聞配達をしている人に知り合いがいて、気配がなく、新聞がそのままになっているという知らせを聞きました。
父は様子を見に行きましたが、普通にインターホンを鳴らしても、家に入れてくれる関係ではなくなっていたため、数日様子を見て気配がないので、死んでいるかもしれないと思いました。そこで、警察に連絡をして一緒にいったそうです。案の定おじは死んでいました。札束を部屋中にばらまいて一人暮らしの家は、荒れた状態になっており、真冬の時期にたばこを持ったまま死んでいたそうです。運よく火事にならずに寒い仏間で仰向けに死んでいたそうです。罰が当たったのでしょうか。
おじは少し異常な性格でした。
おじは私の子どもを殺すと言ったり、盗聴をしたり、死ねとひとりごとを毎日何回も言うような人でした。
勉強はでき、県内一の進学校、国立大を卒業して、大きな企業に就職していました。
家事を全て祖母にさせており、ばばあ死んでしまえというようなことを自室の壁に落書きするような人間でした。
祖母と私たち家族との同居生活が長く、結局家を出て家庭を築くことも、一人暮らしをすることもありませんでした。
結局五十代でリストラにあいました。生涯独身でした。
もしかしたら、発達障害のようなものを持っていたのかもしれません。
昭和の時代は勉強ができれば、多少の性格がどうというのはあまり考慮されなく優秀な子どもという認識だったようです。同居していても、話したことも、挨拶をしたこともありませんでした。
異常な家族だったと思いますが、我が家では普通の家族という扱いだったように思います。
その異常性の中で育った私は普通というものがあまりわかりませんでした。
今思えば、数珠を次女である祖母が長女であるおばさんからもらっていたとしたら、その呪いが蔓延しているのではないかと思ったのです。
しかし、曾祖母の数珠だということは、普通は守ってくれる存在ではないかと思うのです。
だから、お守り代わりに祖母の兄も数珠を戦地に持って行ったのでしょう。
霊感が強い一家ではありませんが、私の母は自分の母親の生霊を感じ取ることができたそうです。
母親が倒れそうなとき、右肩が重くなるそうです。
それは、助けての合図だそうです。
肩が重くなると母の母が倒れているそうです。
倒れた原因は心労なのか精神的なものなのかもしれません。
内科医に往診に来てもらっても、医者は何も言わないで帰宅してしまうそうです。
今でいうひどいモラハラやDVのような目にあっていたそうなので、その可能性も否定はできません。
父が言っていた廃寺という言葉が頭の隅に残っていました。
おばさんの自宅の隣にあったという廃寺が気になり、ネットで検索したところ、廃寺らしいものは見当たりませんでした。そのような土地だと、あまり買い手がいないかもしれないという話でした。
父に確認すると、今は分譲住宅になっているそうです。十年ほど前に旅行したときは寺はまだあったそうです。
おばさんは子どもがおらず、姪っ子や甥っ子が複数人います。
相続でもめており、土地は売ることができない状態のままになっています。
古い家にちりん。は住みつくことがあるらしいと昔祖母に聞いたことがあります。
もしかしたら、おばさんの家や祖母の家や廃寺に【ちりん。】が住みついているかもしれないのです。
とても不気味ですが、私の周囲には突然死した親戚が多いです。
おじが五十代で急に亡くなりました。
弟も十代の若さで急に亡くなりました。
おばさんの息子が赤子の頃に亡くなりました。
祖母の兄が若くして戦死しました。
戦死はその時代ならば、仕方ないとは思いますが、男が急に亡くなるということが、昭和、平成と時代を超えて続いていたのです。
男が弱い家系なのでしょうか。
もしかしたら、呪われているのではないか。
考えすぎかもしれませんが、そう感じるようになりました。
もしかしたら、私の先祖が何かをして私たちに末代までの呪いをかけているのかもしれません。
もしかしたら逆恨みのような理不尽な呪いが未だに生きているのかもしれません。
そんな恐怖を感じることがあります。
私が会ったことのない曾祖父と曾祖母。二人共教師で堅実に生活していたと聞いています。
もし、曾祖父か曾祖母が何かしらの理由で誰かに怨まれていたとしたら。
それが全くの逆恨みだったらと思ってしまいます。
人付き合いが苦手だったという曾祖父。
勉強ができたので東京大学で農学を学んだと言います。
たった一人の息子を戦争で亡くすという運命。
男は消えろ。とでも言っているかのような仕打ち。
父方の家系は多分、男はあまり生きられないのかもしれません。
生きても病気などで生き地獄を味わうことを強いられているようにも感じます。
何者かによって私たちは辛い世界を生きなければいけません。
この数珠は、曾祖母の数珠ではなく、元々は誰かからの贈り物だったとしたら、少し意味は変わるかもしれません。
仮説を立ててみました。
曾祖母が誰かに呪いをかけられた数珠をもらったとします。
所有権が送り主から曾祖母に移ります。
その後、曾祖母が病気で若くして亡くなりました。
その後、長男がもらい、戦死しました。
この時点で所有権は長男である祖母の兄にありました。
親戚の女性がもらい、所有権をもちましたが、結局病死してしまいました。
その後、長女であるおばさんが数珠をもらいました。
所有権がおばさんに移りました。
おばさんの一人息子である赤子が病気で亡くなりました。
私の祖母が数珠を譲ってもらうことになります。
つまり、所有権が祖母に移ります。
その後、昭和時代に祖母の夫であり私の祖父が亡くなります。
平成に入って、同居していた私の弟であり祖母の孫が十代の若さで病気で亡くなりました。
祖母が高齢のため心不全で亡くなりました。
所有権が同居していた祖母の息子である私のおじに移動します。
おじが五十代で突然死しました。
父は存命ですが、病気を抱え、週に何度も病院に行かなければ生きられず、母は病気を患って一生入院になりそうです。
人は死にますが、楽しい人生ではなく、苦しんで死ぬということが私たちには与えられているような気がしてなりません。
そして、数珠を見つけた私。
ちりん。というおりんの音が何かの合図だったのかもしれません。
長男の通夜の時に、亡くなったお母さんが何かを伝えたかったのかもしれません。
祖母は挨拶に来たと解釈していましたが、本当は、その数珠は捨ててと言いたかったのかもしれません。
しかし、私には真実を知ることは不可能です。
人が死ぬことは仕方がない事実です。
しかし、これは偶然で片づけていいのでしょうか。
もし、万が一数珠に何かしらの負の力、エネルギーが入っていたら、取り返しのつかないことになるかもしれません。
もし、一連の死が偶然ではなく必然だったらと思うと少し怖くなります。
簡単に大丈夫、無関係とは思えず、数珠について調べてみました。
数珠は念珠とも言われています。
実はこの言葉、非常に不思議なのですが、私の息子が話し始めた頃に「ねんじゅー」と口癖のように言っていたのです。これも赤子が話し始める言葉のトレーニングの一つなのかもしれません。偶然なのかもしれませんが、それに気づいた瞬間私の背筋は凍りました。誰も教えていないのに、なぜそんな言葉をしゃべっていたのだろう。母子手帳に記録としてよく話していた言葉を書いていました。母子手帳に書いている話した言葉はそれほど多くはありません。
珠の数は百八個。これは煩悩の数と同じとされているそうです。
私が所有者とならないように、住んでいる家には持ち帰らないことにしました。
ネットで処分方法を調べたところ、自分でゴミに捨てる。
塩で清めて捨てる。
自宅の庭に埋める。
お寺や神社に引き取ってもらう。
購入した店や仏具店、不要回収業者に引き取ってもらう。
というようなことが書いてありました。
現実的なのは自分でゴミとして処分することでした。
しかし、普通の数珠でなければ、お寺や神社に収めるのがいいのかもしれません。
しかし、これは私の数珠ではありません。
つまり故人の数珠となっています。
更にネットで調べてみました。
葬儀の時に一緒に燃やすというものもありました。
葬儀の時に処分するというのは、うちの場合は葬儀が終わっているので現実的ではありません。
遺品整理会社というのも、もう遺品整理は終わっているため難しいです。
結局自分で清めて処分するか、お寺や神社に引き取ってもらうしかないということです。
これは、私の個人的な話になりますが、先日知人が病気で急に亡くなりました。
まだ五十歳くらいではないかと思いますが、あんなに元気で笑顔だったのに、もうこの世界にはいないという事実を受け入れられないでいます。
今でも声もよく覚えています。
人は音として人の存在を認識しているのかもしれません。
今は会わない人や亡くなった人の声は意外と鮮明に覚えているものです。
最近まで元気に仕事をしていました。
その事実に背筋がぞわっとしました。
明日、知っている人がこの世界からいなくなることもあるかもしれません。
元気に生きていることはあたりまえだけど、あたりまえではないのです。
身近な人の死は一番怖い、そう思うのです。
数珠つなぎのように不幸になりませんように。
予期せぬ時に、恐怖はやってきます。
音が時として恐怖をあおります。
ちりん。
どこからともなくおりんの音がしました。
嫌なことが起こる予感がします。
仏間には幼少の頃もらった人形があります。
私は人形がとても苦手です。
動かないのに、動きそうな気がしていたのです。
もらった人形はしゃべる女の子の人形でした。
昭和の時代にはしゃべる人形というものが売っていて、まばたきもします。
より人間に近い人形を作っていた時代だったようです。
女の子が喜ぶように開発されたようですが、私は触ることも見ることもできず、しまってもらいました。
女の子の人形は話します。
「私マーガレットちゃん。友達になってね」
おはなしマーガレットちゃんという人形でした。
その台詞と声はよく覚えています。
小さなレコードが何枚か入っており、お腹に入れて声を聞くというものでした。
台詞は二つか三つくらいのバージョンがありました。
赤い服を着た黒髪の長髪の人形はとてもリアルで大きく感じました。
人形の視線がとても怖かったことを思い出します。
音も色も時として恐怖の対象となります。
人は五感で恐怖を感じているのだと思いました。
ずっとしまわれていた人形が仏間のひきだしから少し見えます。
出した記憶はないのに。
視線を感じました。
もう壊れているはずの四十年も前の人形から声が聞こえます。
ノイズのような音がします。
耳障りな嫌な音でした。
音が悪くて、ちゃんとセリフは聞こえません。
とても不気味で体感時間はとても長かったと思います。
あぁ、やっぱり今日は悪いことが起きたと思いました。
ふりむくと仏間に男の子がいました。
あまりに自然すぎてその存在を普通に認識していました。
初めて見たのに、既視感のある風貌のように思えました。
昭和にいそうな髪の毛で、チェックのシャツに半ズボンの姿の少年がこちらを見ています。
まばたきをしないので、余計不気味な感じがします。
なんとなく娘が見た男の子だということが直感でわかりました。
あの男の子の想いがこの数珠に込められているのかもしれない。
刺すようなまっすぐな視線に目を逸らさずにじっとこちらを見ています。
まばたきをしていないせいなのか、ひどく人間らしさが感じられません。
黒目が以上に大きいので、普通の人間ではないと直感でわかりました。
妖怪ちりん。なのかもしれません。
いわくつきの数珠を探していたのか、男の子は数珠を見つけると、それを手に取り、外に出ていきました。
その子どもの目的はわかりません。
でも、あの子には、あの数珠が必要だったのかもしれないと思いました。
もう、私には不要なので、負の連鎖は断ち切りたいと思うのです。
黒い人もいないはずの子どもも古い仏間ももう私には関係ないのです。
近々祖母の家を取り壊します。
手元に残った数珠の古い箱を見ました。
二重底になっており、何かに引き寄せられるように、二重になった箱の底を見てみました。
しかし、簡単には開かなくなっていたため、はさみで切って中を見ました。
どうしても気になったのです。
人は見てはいけないものを見たくなるものなのかもしれません。
案の定、切り取った底には「呪」という古い文字が書いてありました。
悪い感情が籠もったものだと感じました。
血のような赤黒い色の字です。
やっぱりな。
きっと誰かが呪いをかけてこの数珠を渡したのでしょう。
それが率直な感想でした。
曾祖母の大正時代なら男子が家督として跡を継ぐのが普通でした。だから、あの数珠を持った者は跡継ぎが途絶えるという怨念が入っていたのかもしれません。ちなみに私の旧姓を継ぐ者は今は誰もいません。
ちりん。かもしれない男の子がいわくつきの数珠を持ち出してくれたおかげで、私は数珠の呪いから逃れられそうです。ちりん。が守護霊かもしれないというのは本当だったのかもしれません。
多分、ちりん。は姿を変えて現れるのでしょう。時に黒い影のような形になったり、音だけだったり。
きっとどこかで私たちを守ってくれているのかもしれません。