未知花が料理できるのは本当だ。小学校高学年から中学まで父と二人暮らしだったのだから鍛えてある。
 台所を確認したら魚と野菜の買い置きがあったので、頭の中で夕飯の献立を考えた。なんとかなりそう。
 そこに顔を見せた祖父と一緒に、お茶漬けと漬物の軽い昼食をとる。志賀が台所についてきていなくてよかったと未知花は胸をなでおろした。

「おまえ、大学は決めたのか」

 食べながらボソ、と祖父に言われてむせそうになる。

「ん、ううん。まだ絞れなくて」
「勉強したいことはあるんだな」
「まあ……なんとなくは」

 未知花が興味を持っているのは、日本の伝統文化だった。祖父や母の影響をとても受けていると思う。恥ずかしいから面と向かっては言いにくいけど。

 でもそれって、どう学び、どう活かしていけばいいのだろう。
 美術工芸品を研究するのか。それとも民俗学? 文化人類学? はたまた文学や史学にも通じる気がする。
 だが祖父は深く追究しなかった。さっさと食器を台所にさげながら、つぶやく。

「神奈川の大学なら、ここから通ってもいいんだぞ」
「え」

 ぽかんとする未知花を残し、祖父は仕事に戻っていった。

 ――大学に、この〈宵待堂(よいまちどう)〉から?

 そうか、その手があった。
 首都圏以外の大学を選んで一人暮らしすることを考えていたけれど、それだと金銭的負担が大きい。
 遠方だとしても、その大学でしかできない学問があるなら頑張ってもいい。だけど義家族から逃げたいという理由は、ちょっと後ろ向きだ。
 だけど。今のまま暮らすのは、やっぱりつらいから。

「お祖父ちゃん……」

 孫娘に逃げ道を作ってくれる、ぶっきらぼうな心づかいに甘えてもいいだろうか。
 泣きそうになって、未知花は唇をかんだ。


 ✻ ✻ ✻


「――なあ未知花、この家、何かいるぞ」

 怖いことを志賀が言い出したのは、昼食の食器を洗い部屋に戻った時だった。座り込んだ志賀は耳をすまし気配を聞いているようだ。

「何かって何」
「何かは何かだ。わかってたら言うさ」

 ごもっともな言いぐさに未知花はため息をつく。

「付喪神じゃなく?」
「それもいると思う。だけど出てこねえんだよ」
「なんで? 嫌われてるの?」
「そんなわけないだろ、何もしてないんだからな。おおかた眠りこけてるだけさ」

 寝てるだけ。昼間なのに自由なことを言われたが、考えてみれば志賀の行動だって最初から今までずーっと勝手だった。
 あきれた未知花は開けっ放しのスーツケースに入っている木箱の一つを取り出した。

 これは信楽焼の茶碗。志賀の本体だ。
 箱から出し、包んでいる布をするりと取った。
 硬質な肌ざわりだけど、手にしっくりなじむ。鮮烈でいさぎよい焼き締め。

 手のひらにおさめていると、志賀が満足げに笑った。
 
「いや、俺自身ほれぼれするぜ」
「本人が言うと台なし……」
「そんなことないさ、いい物はいい。認めろよ」

 未知花だって本当は認めている。志賀の余裕の視線がなんとなく腹立たしいだけだ。でもそんな風に反抗するのは子どもっぽい気がして黙ってしまった。

 信楽焼といえば狸の置物が有名だけど、こうして普通に器だってある。
 炎に焼かれた地肌。うっすらと灰をかぶった窯変。
 その色合いが志賀のまとう着物と帯にそっくりで。
 やっぱりこの人は茶碗の付喪神なのか。とてもおかしなことなのに腑に落ちてしまう。茶碗をそっと置いて、未知花は訊いた。

「ねえ、何かいるって気配でもしたの?」
「――女のすすり泣きが聞こえる」
「え」

 ぞっとして鳥肌が立った。信じたくないけど、付喪神だから不思議なものを感じられるのか。

「……幽霊、とか?」
「かもな。店の品物に憑いてるんじゃないか」
「やだぁ……」

 ここにしばらく泊まるつもりなのに。それに、もしかしたら来春引っ越してくるかもしれない。それが幽霊付きの物件だなんて。
 不安げにした未知花に、志賀は微笑んだ。手を伸ばし、頭をなでてくれる。

「別に悪意は感じない。悲しくて泣いてるだけだ、怖がらなくていい」
「悲しくて……?」
「おう。未知花も聞いてみるか?」

 にっこり言われ、ぎょっとした。

「私にも聞こえちゃうの?」
「俺の力を少しわければ聞こえるぞ」
「力を……そんなことできるんだ」

 さすが付喪神だけど、幽霊の声は聞きたくないかな。そう思ったのに志賀はツイと未知花のあごに手をかけた。

「口づければ、おまえに力を吹き込める」
「――! けっこうです!」

 人が真面目に話していればこれだ。
 頬を赤くした未知花は志賀の手を振り払い、タブレットを取り出した。勉強しなくちゃ。ああそれよりも、ここから通える大学にどんな学部学科があるか調べるのが先かな。
 実家を出られるかもしれないという希望にワクワクする未知花の後ろで、肩をすくめた志賀はゴロリと横になる。でも昼寝するでもなく、薄目をあけて家の中の気配を探っていた。


 ✻ ✻ ✻


 夜になり、寝るしたくをすませても部屋でダラダラしている志賀に、未知花はなるべく冷静に確認した。

「あの、ね。もう寝ようかなって思うんだけど」
「おうそうか。じゃ俺も寝るわ」
「……一緒に寝るつもり?」
「あたぼうよ。布団が一組しかないが、仕方ないな」

 そんなことできるわけない。
 ドキドキを必死に押し隠して、未知花は出しっぱなしの信楽焼を指さした。

「姿を消してればいいでしょ、ハウス!」
「はうす……ああ、家って意味だった。なるほど、この器が俺の家ってことか、言い得て妙だ、家だけに」
「えええ……」

 犬のしつけの言い回しだと教えたら怒るだろうか。人間の冗談が付喪神に通じるのかわからない。志賀はダジャレのセンスも古い気がするけど、それを言うと傷つけそうな気がした。迷っていたら、志賀はさっさと布団の端に寄って寝る態勢になる。

「枕は俺が使うか。おまえには俺の腕を貸すからいいよな」
「ちょ、やだってば」
「つれないこと言うなよ。俺はおまえのものだ、腕枕でしびれるぐらい屁でもないさ」

 そう言って微笑むまなざしは、とてもやさしい。おかげで未知花の鼓動はますます早くなった。志賀は、見た目は格好いいのだ。
 だからって今日会ったばかりの人――じゃなくて付喪神と、ひとつの布団で寝るなんてありえない。こうなったら畳の上で寝てやろうかな。いっそ廊下とか。

「――信楽(しがらき)の。女の子を困らすもんじゃないよ」

 不意に後ろから声がして、未知花の心臓がとまりそうになった。悲鳴をのみ込んだのは我ながらあっぱれだと思う。ズザッと振り向くと、そこにニコニコ顔の男がいた。

「起きてきたか。ええと、おまえさん――根付(ねつけ)だな?」
「あたり」

 ふふ、と愛想よくうなずく若い男。
 大学生ぐらいに見えるけど、これも付喪神なのだろうか。でも志賀とは違いラフなパンツとTシャツ、それに黒髪は短くて今っぽい。
 その人は未知花の目の前に腰をおろしてきて、志賀が嫌そうにした。

「やあ、君はご店主のお孫さんだよね」
「はあ……」
「ちっちゃい頃から見ていたけど、綺麗になってきたなあ。でもこんな信楽焼を選ぶのかい? 僕と契約してもいいんだよ」
「こら、未知花は俺のもんだ」

 志賀がさっと飛んできて未知花を抱えこむ。その腕になんだか安心してしまって未知花はとまどった。知らない付喪神に距離を詰められ、ビクビクしていたからだろうか。

「あの、あなたも付喪神なんですか」
「そうだよ。僕は根付の付喪神。本体は店に並んでる」

 よろしく、と笑顔で言われ、未知花はさすがに志賀の手をそっと外した。あいさつするのには恥ずかしい。だけど志賀は不満げに口をへの字にした。

 根付とは、今でいうストラップのようなものだ。
 物を帯に挟んで吊るす時に使う道具で江戸時代が最盛期。端についている飾りが精巧なために明治になってからは美術品扱いになったのだそう。

「根付さん、なんですね」
「そうだけど……人の名まえっぽく根津(ねづ)とでも呼んでよ。ところで君は信楽のと契約するの? 僕に乗りかえない?」
「乗りかえ?」
「うるせえ、未知花に手ぇ出すな」

 志賀がかみつきそうな声を出した。根津の楽しそうな目は、からかっているのだと思う。でも志賀にはいなす余裕がなかった。

「こんな奴の言うこと聞くなよ未知花」
「え、だって。乗りかえとか契約とか、何? スマホじゃないでしょ」
「おやおや信楽の、何も言わずに縛ろうとしてたのか。性格悪いよ」

 縛る? 二年縛りとかそういう? ますますネットのプランか何かみたいだ。
 首をかしげている未知花に、根津は教えてくれた。

「契約を結べば、付喪神は強くなれるんだ」

 付喪神は、神と名がつくが弱い存在なのだそう。
 そもそも本体は物だ。物なので、もろい。年を経れば壊れることだってあるが、そうなると付喪神の存在も消えかねなかった。
 だが誰かと契りを結んでいれば、その絆でこの世にとどまることがてきる。

「本体がなくなるのは、かなりまずい状態だよね。そこで魂の紐づけ先が欲しいわけ。なので、」
「――ねえ志賀さん」

 根津の言葉をさえぎり、未知花はあらたまって志賀の名を呼んだ。

「つまり、私は都合のいい保険ってこと?」
「いや未知花」
「もういい」

 ぴしゃりと言い捨てて、未知花は布団の上の夏掛けを手にした。

「ぜったい一緒になんて寝ないんだから」

 未知花は部屋のすみっこに行くと、畳の上で掛け布団にくるまり背を向けた。なんだかとても悲しかった。
 背後で志賀が低くうなるのがわかった。根津の忍び笑いも。だけどもう、そんなの知らない。
 しばらくすると諦めたようなため息とともにパチンと電気が消された。人の気配も消える。
 外が暑すぎて消せないエアコンの稼働音だけが、夜に響いていた。


 ✻ ✻ ✻


 次の朝、未知花が起きたら布団の上だった。眠っている間に志賀が動かしてくれたのか、と思ったけど部屋に志賀の姿はない。
 付喪神だのなんだの、ぜんぶ夢だったのかと思って見たら、出しっぱなしだったはずの茶碗がきちんと箱にしまわれていた。胸がズキンとした。

「何よ……」

 志賀は、ちゃんといたのだ。
 たぶん未知花をそっと布団に寝かせ、それから自分は箱の中に帰った。未知花が拒否したから。

 もう出てこないのだろうか。
 そう考えたら、たまらなくなった。ちょっとの間しか一緒にいなかったけど、なんだか悪いことをしたような気分になる。
 だけどどうすればいいのかわからない。

 とりあえず着替えなくちゃ、と思った。でもそこにある信楽焼の箱が気になる。
 のぞき見たりしない、と志賀は言っていたけど。
 付喪神の矜持が、と言ったのはプライドにかけてという意味だと思う。そんな志賀の目の前で服を脱ぐような気分になるのは意識しすぎだろうか。だけど、こっちは女子高生だし。
 ……仕方なく箱に布団をかぶせ、着替えた。



 朝からずっと勉強していた未知花だったが、昼すぎにはさすがに疲れて店に下りてみた。
 この時間は暑すぎて観光客もあまり通らない。客がなく暇なので、伯母は家事をすませに自宅に戻ってしまっていた。

「お店、見せてね、お祖父ちゃん」
「どうした未知花」
「気分転換。素敵な品物がいっぱいあるんだもん」
「ふん。気になる物があったら来歴でもなんでも訊け」

 祖父はそれきり黙ってしまう。でも居心地は悪くなかった。

 古びた品たちはきっと誰かに大切にされてきたのだ。
 そんな時の果て、今はここにある。未知花にも静かに寄り添ってくれるような気がして、とても心がやすまった。

「――あ」

 でもそうだ、誰かが泣いていると志賀が言っていたっけ。この中に悲しんでいる品物があるのかもしれない。

「どうした」
「――ううん」

 ここに幽霊って、出る? そんなこと祖父に言えない。
 そうだ、根付のことを訊いてみよう。根津の本体である根付。どんな物だか見てみたい。

「お祖父ちゃん、根付ってどれ?」
「そこの棚の、真ん中らへんだ。犬のがあるだろ」
「これか……」

 それは思ったより小さかった。愛らしく座る犬の形だ。くっついた組紐を帯の下に通すと、帯の上端に犬がちょこんと引っかかるという仕組みらしい。

「美術品として海外に流出したんで国内では良品が少ない。おまえ根付なんぞ、よく知ってたな」
「え、それは」

 付喪神から聞いたとも言えずに口ごもっていると、カランとドアチャイムか鳴った。伯母が戻ったのかと思ったが、開いた引き戸から顔をのぞかせたのは別の人だった。

「やあ未知花ちゃん」
「――根津さん」

 客のような顔で入ってきたのは、今まさに見ていた根付の付喪神。
 わざわざ外で姿をあらわしてから、ご来店したということだろうか。未知花と堂々と話すために。

「未知花の友だちか?」
「あ、うん……先、輩?」
「そう、先輩なんです。お祖父さんのお店にいるって聞いたので、来てみたんですよ。ここはいい品がありそうだ」

 根津は笑い含みにしれっと答えた。先輩でもなんでもないけど、未知花より年上に見えるのだからそう紹介するよりない。
 品物をお探しならと出てきそうになる祖父を、未知花は奥に追いやる。そして根津に小声で文句を言った。

「なんですか根津さん」
「いやあ。ゆうべは信楽のがショボンとしてて、おもしろかったね」
「性格わるっ」

 あきれてつぶやいたら眉を寄せられた。

「だけど、君も早とちりだったよ。僕の話をちゃんとお聞き」
「え?」
「契約は、一方的なものじゃない。あいつが君を選んだのと同じく、君からも選ばないと成り立たないんだ」

 根津が言うには、どうやら今の未知花と志賀は不完全な状態らしい。
 未知花が願った「そばにいて」という言葉は志賀だけに向けられたものではなかった。だからあらためて未知花からも志賀を選ぶ必要があるんだとか。

「そんなわけで、まだ乗りかえるとかそんな話ができるんだよね」
「契約完了してないってことですか」
「そう。それにね、二人が本当につながって縛りが生まれれば、君にも利点はある。ただの保険という言い方は、ちょっと信楽のに厳しいかな」
「え……そうなんだ」
「もちろん。あいつが君に心で話しかけたりするだろう? あれを逆に使えるようになるし」
「私から志賀さんに?」
「うん」
「……別にやりたくないかも」

 真剣に考えて言うと、根津はクスクス笑った。

「厳しいなぁ」
「だってそんな力、使いどころあります?」
「じゃあね、お互い以外でも不思議なものと通じられる、なんてのはどう?」
「あ」

 志賀は根津が出てくる前から、寝ている付喪神がいると言っていた。幽霊か何かの泣き声のことも。
 未知花にもそういう存在が感じられるようになるというのか。でもそれって楽しいよりも、怖いが勝つ気がする。

「この店で誰かが泣いてるって言われたんだけど、根津さんにも聞こえますか?」
「ああ、今はしないけど。たまにグスグス泣いてるね」
「たまに」
「だって僕、ここに住んでるから」

 そうだった、根津の本体はこの店の品物なのだ。小さいころの未知花を知っていると言っていたし、店の古株なのかもしれない。
 泣き声は、ここ二、三ヶ月ほどのものだそう。新しく入荷した品物に、想いを残す誰かが憑いているのだろうと根津は言った。

「根津さんなら、どの品物が泣いてるかわかるんじゃ。助けてあげないんですか」
「泣いてるのは、そこの皿だけど……僕はただの根付だ。本体のそばから離れられないし、何もできないよ」
「あ、そうか……」
「助けたいなら、信楽のに頼めばいい。あいつは茶碗を持ち歩けばどこにでも行けるだろうに」

 やわらかく試すような視線を向けられて、未知花は言葉に詰まった。志賀に、謝りなさいということか。
 困り果てる未知花をながめ、根津はひっそりと笑う。
 真面目な少女と不器用な付喪神がどうなるかなんて、とても面白い見ものだった。


 ✻ ✻ ✻


「……ねえ」

 未知花は畳に正座し呼びかけた。信楽焼の木箱に、だ。
 もう夜。あたりは静かで、遠くを通過する電車の音だけがたまに響く。

「ごめんね。ちょっとキツく言いすぎたかも」

 ただの箱に語りかける未知花は、普通に考えればかなりおかしな人かもしれない。

「話をちゃんと聞きなさい、て根津さんに叱られちゃった。契約どうこうのことも説明されて」
「叱った? 未知花を?」
「きゃ!」

 唐突に背後に気配があらわれて、未知花は悲鳴をあげた。
 自分の声に驚き、あわてて口を押さえようとしたが、腕が上がらない。志賀に後ろから抱きしめられたせいだ。

「根付の野郎、未知花に馴れ馴れしくしやがって」
「あなたが言う!?」

 いちばん馴れ馴れしい人に文句を言われてあきれた。
 だが志賀は大切に未知花の頭をなで、髪に顔をうずめてくる。

「未知花……もう怒ってないか?」
「や、ん。やめてくんなきゃ怒る、かも」
「何をやめろって」
「さわら、ないで、よ!」

 もがいた未知花は前にのめって逃げた。もう頬がホテホテだ。いちおうスポーツブラはしているけど、パジャマって防御力が低いような気がする。

「あのね、人間の女の子には気安くさわっちゃいけないの!」
「そうなのか?」

 志賀は驚いた顔をする。本気でわかっていなかったらしい。

「いやだって、おまえも俺のこと手のひらにすっぽり包んだりするし」
「茶碗を持ってるだけでしょ」

 物と志賀本人は違うじゃないか。
 耳までほんのり赤くして目をそらしている未知花の様子を見て、志賀はなんとなく理解してくれたようだ。気まずそうに頭をかく。

「いや悪い……好きな女には行動で示すもんだと」
「それはそうかもしれないけど、両想いとか夫婦とかでしかやっちゃ駄目なことがあるんだってば」
「……未知花、俺のこと嫌いなのか?」

 両想いではない、と宣言する未知花の言い方に志賀は引っかかったようだ。
 いや、むしろなんで両想いだと思うのか。未知花は肩を落とす。

「嫌いってわけじゃ……でも会ったばかりだし」
「ずっと一緒にいたろ」
「茶碗は所有してたけど、あなたのことなんて知らなかったもん」
「そんな……!」

 志賀は傷ついた顔でしょんぼりすると、「……わかった」とつぶやく。そしてフイと姿を消した。

「え、ちょっと」

 取り残されて未知花はぼうぜんとした。

 謝って仲直りしようと思ったのに、どうしてこうなった。未知花が悪いのだろうか。
 いや、どう考えても違う。勘違いしていたあげくに拗ねた志賀に非があると結論づけて、未知花は寝ることにした。
 ……だけどなんだか、よく眠れなかった。


 ✻ ✻ ✻


 それから何日も、志賀はあらわれなかった。
 部屋に木箱は置いてある。でもコトリと音がするでもなく、いきなり話しかけてきたりもしない。
 静かで勉強がはかどるのだが、未知花はたまにチラチラと信楽焼を気にしていた。志賀はいつまでこうしているつもりなんだろう。

 ううん、出てこないならそれでいいじゃないの。自分に言い聞かせた。
 ずっと付喪神なんかと縁のない生活をしていたのだし、母の形見としての茶碗はちゃんとここにある。何も問題ない。
 なのに、どうしてか落ち着かなかった。

「ああもう……」

 未知花はため息をつき、店に顔を出した。祖父はチラと目をあげたが何も言わない。店からは一組の夫婦が出ていくところだった。

「ありがとうございました」

 送り出した伯母が苦笑いしていて、未知花は首をかしげる。

「お客さん、どうかしたの?」
「ううん。お猪口(ちょこ)をお買い上げだったんだけど」
「うん」
「一緒に買うか悩んでらしたお皿、やっぱり売れなかった。お手頃な品だし、すぐ出ちゃうだろうと思ってたのに全然なの。これなんだけど」

 伯母が示した皿を見て、ゾッとした。
 それは根津が「泣いているのは、これ」と教えてくれた品だったのだ。

 陳列台の上でシンと黙って見えるのは、小ぶりな皿だった。
 白い地肌のふちに紅葉が散っている。余白のある控えめな絵柄だ。

 もしや、売れたくないのだろうか。
 元の持ち主のところに帰りたくて。

「これ……どこから仕入れたの?」
「高校生だという男が売りに来た」

 答えたのは祖父だった。

「うちは質屋じゃないと言ったんだがな」

 お金にならなくていい、誰か良い人に使ってもらえれば。そう言って頭を下げていたそうだ。さすがにワケアリっぽくて覚えていると首を振る。

「案の定、売れん」
「いわくつき、だったんだね……」
「未知花もそれが気になってたのか?」
「あ、ええと……このあいだ来た先輩、霊感があるんだって。このお皿が泣いてるって教えてくれて」

 適当にごまかした。言ったことは、あんまり嘘ではないけど。

「あらあ……なんだか可哀想ねえ」

 伯母がいたましげに微笑む。未知花もしげしげと皿をながめた。
 この皿と、それを売った人。
 どんな関係で、そこに何があったのだろう。