翌日も発熱が下がらずに会社を休んだ。とはいえ、昨日よりはだいぶマシになっていて体温計で計測したところ、37.5度だった。明日には下がっていそうだと安心すると同時に、体調の方も、昨日に比べたらよっぽど身体が楽になっていた。
 ベッドから這い上がり、お茶漬けのような消化に良いものぐらいは食べられるようになり、良かったと胸を撫で下ろす。

 ご飯を食べながら、昨日の午前中ぶりにメールフォルダを開いた。
 新着メールはいつ登録したのかも忘れた懸賞サイトのお知らせメールや、広告プロモーションばかりだ。ノベマ!からのメールも、新しいものは来ていない。返信をしていないのだから当然と言えば当然だろう。

 それにしても……と、ノベマ!で起こっている一連の事件について考えてしまう。
 最初は「69,」の単なるいたずらかと思っていた。だが、調査に乗り出した編集部員が一人失踪しているとなれば、話は一気に事件性を帯びてくる。警察沙汰になるのだろうか。そうなれば、今後ノベマ!で活動ができなくなるかもしれないな……。

 そこまで思い至った時、私はふとあることを思い出す。
 そうだ、ノベマ!と言えば()も投稿をしているんじゃなかったっけ。
 ある人物のことを頭の中に思い浮かべてはっとする。
 最近は忙しくてめっきり連絡を取ることができていなかった。私が、というよりは、彼の方が仕事が詰まっているのだ。なんとなく他愛もないことで連絡を入れるのが申し訳なくて、世間話をしたいと思っても遠慮していたのだけれど。

「事が事だし、彼にも共有してみようかな」

 思い立ったが吉日、とでも言おうか。
 私は、実に3ヶ月ぶりに彼——神谷結人(かみやゆいと)に連絡を入れることにした。

 SNSの連絡先を開くと、彼のアカウントはトーク画面の中ほどより下のほうにあった。プロフィール画像は夏の海の写真で、ここ数年更新されていない。彼とのトーク画面を開くと、前回話したのは5月の半ば頃になっている。ちょうど私の誕生日に、彼がメッセージをくれた時だ。

『お久しぶりです。仕事は順調? 実はノベマ!のことで相談があって連絡しました。時間がある時に返信をくれたら嬉しいです』

 それだけのシンプルな文面を、思い切って送信する。「既読」はすぐにつかない。
 忙しい人だから気長に待とう——そう思っていた。

 ここで、彼について少しご紹介を。
 彼、神谷結人は私が地元福岡に住んでいた頃に知り合った、高校時代・大学時代の友人である。大学まで同じ京都の国立大学に入れたのは幸運だった。私たちは7年もの間、学び舎を共にしていた。

 神谷結人というのはペンネームだ。彼は6年前に光風社という大手出版社が主催する某有名小説新人賞の大賞を受賞し、華々しくデビューした。その後も様々な著書を出版し、今ではベストセラー作家と呼ばれている。

 私は彼と高校の同級生であるが、その時からペンネームの下の名前で彼のことを呼んでいた。高校時代、同じ文芸部に所属していたこともあり、お互いに遊び感覚でペンネーム呼びをしていたのが定着してしまったのだ。だから、彼の方も私のことを「萌生」と呼ぶ。幸い、二人ともあの頃からペンネームを変えずに活動しているので、呼び方を変更する必要もない。——まあ、私の方は結人から「萌生」と呼ばれるのが嬉しくて、ペンネームを変更しなかったんだけど。そんなこと、恥ずかしくてとても本人の前で口にすることはできなかった。

 そんな友人の彼だが、今は東京の墨田区で専業作家として暮らしている。
 光風社をはじめ、出版社の多くは東京に本社を構えている。何かと東京に暮らすのが便利だということだが、本人としては本当は大学時代を過ごした京都に住み続けたかったと、常日頃からぼやいている。私だって同じだ。京都は学生の街と呼ばれるほど学生が多く、住み心地がとても良かった。京都市内を南北に流れる鴨川の景色も最高だし、京都という古く良き日本を代表する街の中で執筆活動をするということ自体、価値のあることだった。

 だから、私も彼も仕事の関係で京都を離れざるを得なかったことは今でも悔いている。仕事をリタイアしたらまた京都で互いに生活しよう、なんていつ実現するかも分からない話を今でもしているほどだ。結人なんて、京都に別荘を買おうとしているほど、京都狂いだった。3ヶ月に一回ほどは気晴らしに京都にやって来るというので、時々私は京都で彼と落ち合っている。実を言うと、高校生の頃から彼のことが気になっていたのだけれど、彼はどう思っているのだろう。小説と結婚しているような男だから、私を女として見てくれている可能性は低いように思われた。

 と、少し紹介するどころか彼のこととなると口が達者になってしまい、お恥ずかしい。
 とにかく彼に、誕生日ぶりに連絡を入れたのだが、「既読」がつき、返信が来たのはそれから3時間後、午後1時のことだった。