いつの間にか、朝蝉の大合唱を聞いて目を覚ますようになった。7月半ばに差し掛かり、当然のように気温がどんどん上昇して、30度を超える日が連日続いている。事務所の冷房の設定温度が一度、また一度と低くなる度に、8月の夏季合宿のことが頭にちらつくから落ち着かなかった。

「夏季合宿の企画ですが、合宿所に問い合わせたところ近所の公園で手持ち花火ができるそうなので、花火にしようと思います」

「お、花火、ええな! 企画ありがとう」

 数学科の前原(まえはら)先生が会議の場で企画についてそう宣言した。塾長の青木先生がパッと拍手をする。以前、青木先生から私を企画立案の担当から外す話を聞いてから、企画の話は事務所で出ていなかった。私はめげずに他の企画を考えていたところだったので、前原先生からの突然の宣言に、驚いてしまう。

「すみません、ちょっと待ってもらえませんか? 私もいくつか案を考えていたところなんです。花火は事故が起きる可能性もありますし、他にも色々な案を比較検討した方が……」

 全員の顔が視線が一気にこちらに向けられた。
 私が自ら手を挙げて発言をしたことに、誰もが驚きを隠せない様子だった。いい感じに企画が決まりかけたのに面倒なことを言いやがって、とでも言いたげな顔をしている人もいる。私は、刺すようなみんなの視線に負けじと発言を続ける。

「そもそも、ホラーがダメな理由はなんでしたっけ? どうしてもホラー企画がしたいというわけではないんですが、今後の企画立案の際の参考に、教えていただきたくて。あと、私的には他にもカラオケ大会やビンゴ大会なんかも考えていました。生徒の自主性を重んじるということなら、生徒たちによる出し物なんかも面白いと思うのですが。その辺に関してはいかがでしょう?」

 新人が横からうるせえよ、という幻聴が聞こえてきそうになった。だが、最初に企画立案を任された身としては、こうして自分の意見が蔑ろにされてあっさりと他の人の意見に決まってしまうのが、どうしても納得いかない。
 まとまりかけた意見に口を出すのは確かに勇気がいることだった。全員が私の意見を聞いて何か言いたげな顔で沈黙している。背中に少しの汗が伝う。冷房をガンガンに入れているのに汗が垂れる経験は初めてだ。

「雪村さん、悪いけど企画の担当は前原先生になってん。納得いかん気持ちは分かるけど、合宿の本来の目的は勉強やし、これ以上議論する暇もないねん。カラオケもビンゴも過去に何回かやったことあるしな。それと、ホラー企画については俺の方からはなんとも、ねえ……」

 青木先生が周囲の先生を見ながら何やら目配せをする。みんな、ホラー企画については自分の口からは何も言いたくない、という気持ちが見え隠れしていた。
 なんだろう……この感じ。
 まるで自分だけがのけ者にされているかのような感覚に、背中がゾクリと震えた。

「……そうですか。分かりました。もうこの話は口にしません。失礼しました」

 あくまでも会議の場で、自分一人の意見を押し通すわけにはいかない。議論すべきことは他にもある。夏季合宿の余興企画についてあまり熱心に考えている暇がないというのは、新人の自分にもさすがに理解することはできた。

 結局会議の場では、それ以上夏季合宿の企画の件について話し合われることはなかった。新しく企画担当になった前原先生は企画以外にも通常の講師としても仕事を抱えている。私がでしゃばってあれこれ口出しをするのも憚られた。

 煮え切らない気持ちを抱えたまま会議室を後にする私。
 その後、いつものように問い合わせメールを確認しようと自分の席についたところで、「雪村さん」と声をかけられた。

立花(たちばな)先生、どうかされましたか?」

 振り返った先にいたのは、国語科の立花美織(みおり)先生だ。年齢は私より一つ年上で、職場では一番歳が近く、面倒見もいい。何か困ったことがあれば、いつも彼女を頼りにしていた。生徒からの信頼も厚く、美人なので人気もある。立花先生に想いを寄せているという上司がちらほらいることも知っていた。

 そんな彼女から話しかけられて、悪い気は全くしない。よく仕事の相談にも乗ってもらっていて、信頼している先輩だった。

「あのね、さっきの会議のことでちょっと話があるんだ。今大丈夫? あっちの部屋に行かへん?」

 立花先生は、周りの人たちに聞こえないくらいの小さな声量でそう言った。

「は、はい。大丈夫です」

 さっと周りを見回したが、誰も私たちの動向を見ている様子はない。そもそも、仕事についての話をするのに後ろめたいことはないはずなのに、なんとなく周囲を気にしてしまう自分が嫌だった。

 立花先生について、事務所を出てから隣の空き教室に向かう。比較的小さな教室で、少人数で話をする時なんかによく利用している。

「そこ座って」

「はい」

 一番前の席に腰掛けた私と、私の前の机を反対向きにして、正面に座る立花先生。
 こうして別室で二人きりで話すのは久しぶりだったので、なんとなく緊張してしまう。

「そんなに畏まらんでええよ。説教するわけじゃないんやし」

「はあ、分かりました」

 そうは言うものの、立花先生の表情はどこか硬く、これから重要な話をしようとしていることが窺えた。やはり、反射的に身体が固くなる。ふう、と息を吐いてから、彼女は語り始めた。