~*~*~
――ムームームームー。
スマートホンのバイブ音で花梨の意識は浮上するものの、まだ瞼と瞼はくっついていたいらしい。薄く目を開け、うるさいバイブ音を切って身体を起こす。
昨夜は変な夢をみたような気がする。そのためか、いつもより眠い。
だけど、少し肌寒くて目が覚めるのが常だというのに、今日はぬくぬくとしており、眠気も相まってもう一度横になりたい気分だ。
(って、え? ここ、どこ?)
慌てて首を振って周囲を確認すると、見覚えのない部屋だった。いつも使っている、ひんやりとした地下室とは違う。
「……何時だ?」
「は?」
声がしたほうに顔を向けると、こんもりとした布団の塊がある。
「おい、俺の声が聞こえていないのか? 今、何時だと聞いているんだ」
「あ、はい。朝の四時です」
「そんな時間にスマホを鳴らすな。切っておけ。六時になったら起こせ」
くぐもった声でありながらも、有無を言わせぬ迫力がある。
(誰? 私、服……着てる? けど、何? この服、私の服じゃない)
隣に寝ているのは見知らぬ男性。いや、昨夜、初めて顔を合わせたあの男性かもしれない。
(いったい、何があったの?)
服は着ているけれども、自分のものではないピンク色の可愛いルームウェア。
「……おい」
「はい」
「まだ、寝てろ」
「……はい」
そう言われたら従うしかない。
起こした身体をふたたび横たえ、目を閉じる。
だが、変に興奮していて二度寝どころではない。
まず、ここはどこだと考える。
(昨日は、夕飯の後に七菜香がアイスを食べたいと騒いだから……)
まだ八時くらいだったし、街灯や家々の灯りでじゅうぶんに明るいしと思い、薄手のパーカーを羽織って、自宅から近くのコンビニへと足を向けた。
それでもコンビニまでは五百メートルくらいはあり、その間には大きな公園がある。コンビニへ行くには、この公園を突っ切ったほうが早い。行きも帰りも公園を抜けたのだが。
(帰りに公園で、誰かに会って……あっ……)
コンビニの帰り、公園で会ったのが隣で眠っている火宮勇悟だ。彼は日光地区の神を守る火宮家の当主である。
この世界の秩序は三種の神によって保たれている。それらは火の神、水の神、土の神の三種であり、その神を守るのが、それぞれ日光、月光、星光地区に住む氏人と呼ばれる特別な力を扱う者たち。その中でも頂点に位置する氏人が当主と呼ばれる。
つまり、火宮勇悟は火の神を守る氏人の当主。この日光地区で一番偉い人なのだ。そんな彼が、一般人ともいえる花梨となぜ同衾しているのか。
(公園で会った後……)
勇悟の他にも、彼の娘と名乗った桃子もいた。火宮親子は、あの場で妖魔討伐を行っていたらしい。
妖魔は、こちらの世界とは異なる影の世界を拠点とする。こちらの世界と影の世界は井戸で繋がっており、その井戸を通じて妖魔たちはやってくるのだ。
それらの井戸を、影の世界の名にちなんで、日影の井戸、月影の井戸、星影の井戸と呼んでおり、その井戸を管理するのも各当主の役目。
つまり、当主は神を守り井戸を管理する必要があって、誰からも一目置かれる存在なのだ。新聞やニュースで名前を見るのはもちろんのこと、その顔写真だって掲載されることもある。
だから、花梨でさえ勇悟を知っていた。
そんな勇悟が公園で妖魔討伐を終えた後、花梨は彼と一緒に家に帰った。そう、一度は家に帰った。
だというのに、今は、見慣れぬ部屋で寝ていて、挙げ句、隣にいるのはその勇悟である。
(……あっ。結婚……?)
したかもしれない。
唐突ではあるが、花梨は勇悟と結婚した。それはもう、半分脅されるかのようにして。
両親の前で結婚届を書いた記憶がまざまざと蘇ってきた。
公園で勇悟と桃子と出会った後、「家はどこだ」とすごみをきかせた彼と共に、家族が待つ家に帰った気がする。
そして勇悟の姿を見て驚いた父親は、勇悟が「花梨さんと結婚させてください」と頭を下げたことでさらに驚き、コクコクと首をふる赤べこのように頷いていたのだ。
なぜ結婚届が彼の手にあったのか。
思い返せば、勇悟が公園で桃子を迎えにくるようにと誰かに連絡をし、迎えにきた眼鏡の男性が結婚届を勇悟に手渡した。
それを持った勇悟が花梨の家に乗り込んで有無を言わせぬ勢いで、結婚届に記入した。花梨は部屋から必要最小限の荷物だけ手にしてあの家を出て、途中で役場に結婚届を提出し、勇悟の家へとやってきたというわけだ。
これが花梨がここにいる理由である。
(……思い出したけれど)
つまり、たった一晩で園内花梨は火宮花梨になってしまった。
(あの家から出られたことは、よかったのかもしれない……)
ぬくぬくとした布団を肩まで引き寄せると、眠気が襲ってきた。
園内の家は商家だ。主に家具製品を扱っており、その質のよさに定評がある。氏人の屋敷にある家具は、園内の品が大半を占めるだろう。
そんな園内の商売人を父親とする花梨だが、母親は花梨が二歳になった年に流行り病によってあっけなく亡くなった。その流行り病だって人の命を奪うほどの恐ろしいものではなく、治療薬だってあったはずなのに、なぜか母親は死んでしまったのだ。
それから一年後に父親は再婚。そのときすでに七菜香がいた。
当時はそれが変だとかおかしいとか思わなかったが、花梨も成長し、家族からの仕打ちが酷くなるにつれ、変な疑いがひょっこりと顔を出すようになってきた。
だからといってそれを確かめることもできず、高校を卒業したあとは進学したいと思っていたところ、父親たちから大反対され、家事手伝いという今にいたる。むしろ手伝いではなく、家事がメインとなっているのだが。
その結果、妹の七菜香にこき使われる日々。
夢もあきらめ、あの家に囚われて生きていかねばならないのかと思い、半分、人生をあきらめたときに現れたのが勇悟だ。
いきなり結婚という形になったが、相手が日光地区の当主であれば、父親だって心の中では拍手喝采だろう。たんまりと結婚支度金というなの金額を提示されたのだから。
(でも、なぜ結婚したのかしら?)
勇悟が花梨に一目惚れしたとは考えにくい。花梨の見た目はいたって平凡だと思っているし、むしろ、心労のせいでそれ以下かもしれない。黒い髪はぱさぱさと乾いているし、髪を切る時間すら惜しく、背中までに無造作に伸ばしてある。それを一本の三つ編みにしているのが、いつもの花梨だ。昨日だって、その姿で彼と出会った。となれば、やはり一目惚れはあり得ないだろう。
結婚支度金として提示された額を花梨もちらっと目にしたが、ゼロが七個以上並んでいたのは確認したものの、具体的な数値は把握できなかった。
いったい、花梨のどこにそれだけの価値があるというのか。
(まさか、身体が目当て……のわけはないわね……)
今だって何事もなく、彼はすやすやと眠っているし、昨夜に何かがあったような形跡もない。
それに、花梨は顔は平凡だが、身体はより貧相だ。愛妾として侍らす価値もないだろう。
いろいろと考えても、昨夜、公園で初めて会った勇悟が、なぜ花梨と結婚しようと思ったのか、さっぱりとわからない。
そんなことを考えながら夢うつつの世界をいったりきたりする。
「……昨夜はお楽しみでしたか?」
はっとして花梨が目を開けると、そこに桃子の愛らしい顔があった。
「おはようございます、お母様。なかなか起きてこないから、起こしにきました
「お母様?」
桃子から母親と呼ばれる理由がぱっと出てこない。
「はい。お姉さんはユウゴと結婚したのでしょう? 佐伯が言っておりました」
「そのようですね」
「ユウゴはわたしの父なので、ユウゴと結婚したお姉さんはわたしのお母様になる。間違っておりませんよね?」
その理屈は合っている、ような気がする。
「そうですね」
その返事に桃子の顔がぱぁっと華やいだ。
花梨は少しだけぼんやりとする頭のまま身体を起こした。隣に視線を向けると、まだ布団の塊が静かに上下している。
慌ててスマートホンを手にすると、六時を少し過ぎた頃。勇悟からは、六時になったら起こせと言われたはず。
「あ、あの。起きてください。六時です」
花梨が声をかければ、勇悟はもぞりと動く。
「ユウゴ~起きろ~」
桃子が勇悟の耳元で騒げば、ガバリと身体を起こした。
「うるさい。おい、俺は六時に起こせと言ったよな?」
うるさい、は桃子に。そして後半は、花梨に向けられた言葉だ。
「は、はい。少し遅れましたが、声をおかけしたのですが」
「ユウゴは寝起き悪いから、耳元で言わないと起きないよ~。じゃ、ね~」
桃子が逃げるようにして部屋から出ていった。
「ちっ。俺が起きないと、ああやって桃子が起こしにくるからだ。最悪の目覚めだ」
「も、申し訳ございません。私も、寝過ごしてしまいまして」
「まぁ、いい。明日からは桃子が来る前に俺を起こせ」
つまり、今夜も同衾するということなのだろうか。仮にも夫婦なのだから、何も問題はない。多分。
――ムームームームー。
スマートホンのバイブ音で花梨の意識は浮上するものの、まだ瞼と瞼はくっついていたいらしい。薄く目を開け、うるさいバイブ音を切って身体を起こす。
昨夜は変な夢をみたような気がする。そのためか、いつもより眠い。
だけど、少し肌寒くて目が覚めるのが常だというのに、今日はぬくぬくとしており、眠気も相まってもう一度横になりたい気分だ。
(って、え? ここ、どこ?)
慌てて首を振って周囲を確認すると、見覚えのない部屋だった。いつも使っている、ひんやりとした地下室とは違う。
「……何時だ?」
「は?」
声がしたほうに顔を向けると、こんもりとした布団の塊がある。
「おい、俺の声が聞こえていないのか? 今、何時だと聞いているんだ」
「あ、はい。朝の四時です」
「そんな時間にスマホを鳴らすな。切っておけ。六時になったら起こせ」
くぐもった声でありながらも、有無を言わせぬ迫力がある。
(誰? 私、服……着てる? けど、何? この服、私の服じゃない)
隣に寝ているのは見知らぬ男性。いや、昨夜、初めて顔を合わせたあの男性かもしれない。
(いったい、何があったの?)
服は着ているけれども、自分のものではないピンク色の可愛いルームウェア。
「……おい」
「はい」
「まだ、寝てろ」
「……はい」
そう言われたら従うしかない。
起こした身体をふたたび横たえ、目を閉じる。
だが、変に興奮していて二度寝どころではない。
まず、ここはどこだと考える。
(昨日は、夕飯の後に七菜香がアイスを食べたいと騒いだから……)
まだ八時くらいだったし、街灯や家々の灯りでじゅうぶんに明るいしと思い、薄手のパーカーを羽織って、自宅から近くのコンビニへと足を向けた。
それでもコンビニまでは五百メートルくらいはあり、その間には大きな公園がある。コンビニへ行くには、この公園を突っ切ったほうが早い。行きも帰りも公園を抜けたのだが。
(帰りに公園で、誰かに会って……あっ……)
コンビニの帰り、公園で会ったのが隣で眠っている火宮勇悟だ。彼は日光地区の神を守る火宮家の当主である。
この世界の秩序は三種の神によって保たれている。それらは火の神、水の神、土の神の三種であり、その神を守るのが、それぞれ日光、月光、星光地区に住む氏人と呼ばれる特別な力を扱う者たち。その中でも頂点に位置する氏人が当主と呼ばれる。
つまり、火宮勇悟は火の神を守る氏人の当主。この日光地区で一番偉い人なのだ。そんな彼が、一般人ともいえる花梨となぜ同衾しているのか。
(公園で会った後……)
勇悟の他にも、彼の娘と名乗った桃子もいた。火宮親子は、あの場で妖魔討伐を行っていたらしい。
妖魔は、こちらの世界とは異なる影の世界を拠点とする。こちらの世界と影の世界は井戸で繋がっており、その井戸を通じて妖魔たちはやってくるのだ。
それらの井戸を、影の世界の名にちなんで、日影の井戸、月影の井戸、星影の井戸と呼んでおり、その井戸を管理するのも各当主の役目。
つまり、当主は神を守り井戸を管理する必要があって、誰からも一目置かれる存在なのだ。新聞やニュースで名前を見るのはもちろんのこと、その顔写真だって掲載されることもある。
だから、花梨でさえ勇悟を知っていた。
そんな勇悟が公園で妖魔討伐を終えた後、花梨は彼と一緒に家に帰った。そう、一度は家に帰った。
だというのに、今は、見慣れぬ部屋で寝ていて、挙げ句、隣にいるのはその勇悟である。
(……あっ。結婚……?)
したかもしれない。
唐突ではあるが、花梨は勇悟と結婚した。それはもう、半分脅されるかのようにして。
両親の前で結婚届を書いた記憶がまざまざと蘇ってきた。
公園で勇悟と桃子と出会った後、「家はどこだ」とすごみをきかせた彼と共に、家族が待つ家に帰った気がする。
そして勇悟の姿を見て驚いた父親は、勇悟が「花梨さんと結婚させてください」と頭を下げたことでさらに驚き、コクコクと首をふる赤べこのように頷いていたのだ。
なぜ結婚届が彼の手にあったのか。
思い返せば、勇悟が公園で桃子を迎えにくるようにと誰かに連絡をし、迎えにきた眼鏡の男性が結婚届を勇悟に手渡した。
それを持った勇悟が花梨の家に乗り込んで有無を言わせぬ勢いで、結婚届に記入した。花梨は部屋から必要最小限の荷物だけ手にしてあの家を出て、途中で役場に結婚届を提出し、勇悟の家へとやってきたというわけだ。
これが花梨がここにいる理由である。
(……思い出したけれど)
つまり、たった一晩で園内花梨は火宮花梨になってしまった。
(あの家から出られたことは、よかったのかもしれない……)
ぬくぬくとした布団を肩まで引き寄せると、眠気が襲ってきた。
園内の家は商家だ。主に家具製品を扱っており、その質のよさに定評がある。氏人の屋敷にある家具は、園内の品が大半を占めるだろう。
そんな園内の商売人を父親とする花梨だが、母親は花梨が二歳になった年に流行り病によってあっけなく亡くなった。その流行り病だって人の命を奪うほどの恐ろしいものではなく、治療薬だってあったはずなのに、なぜか母親は死んでしまったのだ。
それから一年後に父親は再婚。そのときすでに七菜香がいた。
当時はそれが変だとかおかしいとか思わなかったが、花梨も成長し、家族からの仕打ちが酷くなるにつれ、変な疑いがひょっこりと顔を出すようになってきた。
だからといってそれを確かめることもできず、高校を卒業したあとは進学したいと思っていたところ、父親たちから大反対され、家事手伝いという今にいたる。むしろ手伝いではなく、家事がメインとなっているのだが。
その結果、妹の七菜香にこき使われる日々。
夢もあきらめ、あの家に囚われて生きていかねばならないのかと思い、半分、人生をあきらめたときに現れたのが勇悟だ。
いきなり結婚という形になったが、相手が日光地区の当主であれば、父親だって心の中では拍手喝采だろう。たんまりと結婚支度金というなの金額を提示されたのだから。
(でも、なぜ結婚したのかしら?)
勇悟が花梨に一目惚れしたとは考えにくい。花梨の見た目はいたって平凡だと思っているし、むしろ、心労のせいでそれ以下かもしれない。黒い髪はぱさぱさと乾いているし、髪を切る時間すら惜しく、背中までに無造作に伸ばしてある。それを一本の三つ編みにしているのが、いつもの花梨だ。昨日だって、その姿で彼と出会った。となれば、やはり一目惚れはあり得ないだろう。
結婚支度金として提示された額を花梨もちらっと目にしたが、ゼロが七個以上並んでいたのは確認したものの、具体的な数値は把握できなかった。
いったい、花梨のどこにそれだけの価値があるというのか。
(まさか、身体が目当て……のわけはないわね……)
今だって何事もなく、彼はすやすやと眠っているし、昨夜に何かがあったような形跡もない。
それに、花梨は顔は平凡だが、身体はより貧相だ。愛妾として侍らす価値もないだろう。
いろいろと考えても、昨夜、公園で初めて会った勇悟が、なぜ花梨と結婚しようと思ったのか、さっぱりとわからない。
そんなことを考えながら夢うつつの世界をいったりきたりする。
「……昨夜はお楽しみでしたか?」
はっとして花梨が目を開けると、そこに桃子の愛らしい顔があった。
「おはようございます、お母様。なかなか起きてこないから、起こしにきました
「お母様?」
桃子から母親と呼ばれる理由がぱっと出てこない。
「はい。お姉さんはユウゴと結婚したのでしょう? 佐伯が言っておりました」
「そのようですね」
「ユウゴはわたしの父なので、ユウゴと結婚したお姉さんはわたしのお母様になる。間違っておりませんよね?」
その理屈は合っている、ような気がする。
「そうですね」
その返事に桃子の顔がぱぁっと華やいだ。
花梨は少しだけぼんやりとする頭のまま身体を起こした。隣に視線を向けると、まだ布団の塊が静かに上下している。
慌ててスマートホンを手にすると、六時を少し過ぎた頃。勇悟からは、六時になったら起こせと言われたはず。
「あ、あの。起きてください。六時です」
花梨が声をかければ、勇悟はもぞりと動く。
「ユウゴ~起きろ~」
桃子が勇悟の耳元で騒げば、ガバリと身体を起こした。
「うるさい。おい、俺は六時に起こせと言ったよな?」
うるさい、は桃子に。そして後半は、花梨に向けられた言葉だ。
「は、はい。少し遅れましたが、声をおかけしたのですが」
「ユウゴは寝起き悪いから、耳元で言わないと起きないよ~。じゃ、ね~」
桃子が逃げるようにして部屋から出ていった。
「ちっ。俺が起きないと、ああやって桃子が起こしにくるからだ。最悪の目覚めだ」
「も、申し訳ございません。私も、寝過ごしてしまいまして」
「まぁ、いい。明日からは桃子が来る前に俺を起こせ」
つまり、今夜も同衾するということなのだろうか。仮にも夫婦なのだから、何も問題はない。多分。