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卯月の下旬、群青色に溶け込みそうな空に半分の月が浮かぶ。

懐中時計を眼前にぶらつかせ、針が進むのを眺めてみる。

ようやく空っぽだった自分に慣れてきて、ぼんやりとだが記憶が戻ることもあった。

とはいえ決定的な記憶は戻らず、貝殻の片面だけがバラバラと増えていくだけだった。


「以前の私って、緋月さんにはどう見えていましたか?」

目的地らしいお屋敷を目指して、川沿いの砂利道を歩く。

記憶を繋いでいけば私が彼を特別に想っていたことは明白だ。

私の問いに彼はフッとおだやかに微笑み、夜空の月を見上げた。


「好奇心旺盛で、やさしくて……自己犠牲の塊みたいな人でした」

それは矛盾している発言に思えた。

やさしさで自己犠牲になりがちだったとしたら、私はきっと消極的な人だった。

好奇心旺盛だったと語ってもらえるのは、私の知らない”私”の仮面か、それとも単に無邪気だったのか。


「もう誰も時羽様を傷つけませんから」

「それって……」

「時羽様はこの時代で、平穏に暮らしてください。俺の望みはそれだけです」

「……イヤ」


――ざわざわ。

不穏な風が吹き、私の消え入りそうな声をかき消した。

最初は薄紅色の花びらが多かったが、今は葉桜になって落ちた花びらは茶色く染まっている。


「時羽様?」

「ううん、なんでもないです」


”一か月”が経ったとき、私はどこにいるの?

彼は私の前からいなくなり、それで私は笑っていられるの?



(私は緋月さんをどう想ってた? 今の私は”私”と何が違うの?)


彼への想いを自覚しつつ、私は答えを出すことに怯えてしまう。

以前の私の考えていたことを知りたくなるが、その領域に踏み込むことは彼が許してくれない。

言葉にならない拒絶が私の声を奪った。