*

 石階段の両脇に立ち並ぶ篝火から飛んだ火の粉が、薄暗がりの空に溶けていく。

「駄目ではありませんか、巫女様。逢魔が時の前後半刻という約束でしたのに、遅刻なんぞされては。お陰で社に仕掛けた火計は失敗に終わりました」

 真人が言うや否や、石階段の上方から何かが崩れ落ちる轟音(ごうおん)が聞こえた。合わせて、乾いた音を立てて木片やら小石が転がってくる。

「約束を守れない悪い巫女様と闖入者(ちんにゅうしゃ)の方々には、少々痛い目を見ていただく必要があるようですね」

 真人は薄く口元を歪めると、徐に右手を挙げた。すると、茂みや木の上から弓やら刀を持った男たちが次々と姿を現す。その数は凡そ三十ほどもある。

「貴様、自分が何をしているのかわかっているのか?」

 紅葉は起き上がるや、自身の背に葉桜を隠す。それから、怒り心頭とばかりに真人を睨み付けた。
 しかし真人は全く物怖じする様子もなく、冷めた表情で紅葉たちを見下ろす。

「ええ、もちろん。嵩天宮紅葉様。貴方には、ここで死んでもらいます」
「その言葉、当家に対する敵対行為、宣戦布告と見ていいんだな」
「アハ、アハハハッ!」

 紅葉の言葉に、真人は不気味な笑い声をあげた。

「全く可笑しい。これだから妾腹(しょうふく)の忌み子は。いいですか、私は別に独断や憎悪で貴方を襲っているのではない。正式な、嵩天宮家からの依頼があって貴方を亡き者にすると言っているのです」
「なに?」
「おや、気づいておいででしょう? 天下の嵩天宮家と言えど、最早一枚岩ではない。庶子(しょし)である紅葉様より、嫡子(ちゃくし)である弟君の方が次期当主に相応しいという声は多い。なんでもあちこちを放浪しては、どこの誰かもわからない御子やら牢人やらを拾ってくるらしいではありませんか。理由は言えず、常に自分の近くに(はべ)らせていると聞く。ああそうそう、貴方の好きな噂では、各地にいる愛人の子供だとか流れ者の盗賊だとか言われているようですね。大方、そちらの巫女様も同じように自分の手元に置いて愛でておきたいのでしょう。全く、所詮は妾の子だ。放蕩(ほうとう)若君も甚だしい」

 侮辱の言葉を並べ立てると、再び真人は高らかに笑った。紅葉は唇を噛み締め、何も言わない。

「さて、冥土の土産話はこのくらいでいいでしょう。そろそろ貴方には死んでもらいます。その後ろにいる巫女様は捕らえて、折檻(せっかん)の後再建した社でもう一度務めを果たしてもらいます。大丈夫。前と同様厚く遇して差し上げますから。心配はご無用――」
「ふざけないでください!」

 真人の言葉を遮るように、葉桜の一喝が響いた。

「紅葉様を侮辱しないでくださいっ! 紅葉様は、先ほど私に言ってくださった。辛い思いをしてきた私を、これ以上ここに留めることができなかったのだと。君は、君が歩みたい道を進めと。君らしく生きろと、そう言ってくださった!」

 葉桜は立ち尽くす紅葉を押しのけて、真人の前へと進み出た。

「紅葉様は、貴方とは違います。紅葉様は、人の心の痛みが分かる御方です。きっと、その拾ってこられた方々に対しても同じ理由のはずです。どうしようもなく苦しみ、助けを求めることすら叶わない暗闇の中にある者を、どうにかして助け出したいと、そう思ってのことのはずです。紅葉様は、貴方のように、自分のことばかり考えている御方では、断じてありませんっ!」
「ほう? 言うじゃないか、小娘。僅かな時間に絆されたか。邪気を引き寄せることしか能のない浮浪児如きが。せっかくお前の両親に毒を盛り、殺して手に入れたというのに」
「え……」

 真人が唾棄(だき)するように言い放ったのは、耳を塞ぎたくなるほどの内容であった。

「教えてやろう、小娘。あの時、お前のいた村には流行り病が蔓延していただろう。あの流行り病は、私たちが広めた毒が原因だ。巡錫僧から邪気を自身の身に引き寄せる娘があの村にいることを聞いてから、少しずつ進めてきた計画だったのだ。そして計画通り、お前の両親はもがき苦しみ、呆気なく死に絶えた。お前は邪気に対する耐性があったからな、邪気を身体に巡らせて弱らせ殺す毒は殆ど効かなかったというわけだ。結果、あの村にいたお前以外の村民は全滅し、晴れてお前は天涯孤独の身の上となったわけだ」
「そ、それじゃあ……父上と、母上は……貴方が……?」
「さて、本質的にはどうだろうな。むしろ、お前の不幸を引き寄せる体質が、大好きだった両親や村の人たちを殺したと言った方がいいんじゃないか」

 葉桜の問いかけに、真人は卑しい笑みで応えた。
 葉桜は動けないでいた。
 薄く歪んだ口の端がさらに歪み、ぐにゃりと曲がって誰かの顔になる。
 葉桜は、村の中に立っていた。
 家の中には、既に息絶えた両親が転がっていた。
 外にも、道の端々に人が倒れていた。
 よく芋や葱を分けてくれた隣人のお爺さんが、
 よく一緒に野山を登って山菜を採りに行っていた同い年の友が、
 よく葉桜に甘え、無邪気な笑顔を向けてくれていた幼子が、
 皆が皆、青白く苦悶に満ちた表情で、彼方此方(あちらこちら)に伏せっていた。

「いや、そんな……いや、いや……いやあぁぁっ!」
 
 葉桜の慟哭(どうこく)が篝火を揺らした。それを合図ととってか、真人は右手を挙げる。

「フハハハッ! 愉快、愉快だ! 年下の小娘に(へりくだ)る日々は屈辱だったからな。せめてもの意趣返しというやつだ。さて、そろそろ頃合いだな。殺れ」
「させるかぁ!」

 真人が右手を下ろそうとした刹那、銀杏の頭上から巨体が降ってきた。地響きを鳴らして、その巨体は葉桜の前に降り立ち、石階段を砕く。

「な、なんだ……こいつは……」

 絶句した真人の視線の先。葉桜と紅葉を庇うように佇んでいるのは、九尺を超えるフードを被った大男だった。

「漸く来たか、牛鬼」
「待たせたな、主よ。視てはいたんだが、道中に雑魚どもがいて遅くなった」
「何、構わん。間に合ったんだからな」

 紅葉は大男と手短に言葉を交わすと、射竦(いすく)める眼光を閃かせて真人を見やった。

「よくもまあ、言いたい放題言ってくれたな、卑賎(ひせん)の若君。どうやら貴様は想像以上の(クズ)だったらしい。その罪、万死に値する」
「こいつは……まさか、妖か……!?」

 それまで余裕の笑みを崩さなかった真人が一歩引いた。同時に、紅葉の近くにまたひとつ、ふたつと影が現れる。

「主様。遅くなりました。こちらを」

 影のうちのひとつが、紅葉の傍に進んで太刀(たち)を手渡した。韓紅(からくれない)の鞘が、篝火に照らされて淡く光る。

「な、成程な……邪妖と繋がりがあるという話も聞いていたが、真だったということか。ならば此方も、切り札を切るまでのこと……!」

 真人は焦りの色を濃くしつつも、懐から真っ赤に染まった珠玉(しゅぎょく)を取り出した。

「うぬ……あれは」
「特定の妖を引き寄せ、操る遺物ですね。おそらく本家の差し金かと。来ます」

 牛鬼と影は小さく呻くと、周囲に視線を走らせる。すると忽ち、杉や銀杏の葉が燃え出し、狭間から炎を纏った狼が次々と姿を現した。

「炎狼か。小物だが、数が多いな」
「はい、主様。しかもここは山林。逃げるとなると此方が不利です。ご決断を」
「ちっ」

 紅葉は舌打ちをすると、しゃがみ込んでいる葉桜を左肩に担ぎ上げた。

「ひゃ……こ、紅葉様……何を……」
「悪い、今は悲しんでる場合じゃない。一刻も早く、ここから逃げる必要がある」
「でも私は……みんなを、父上を、母上を、不幸に……」
「君のせいじゃないっ!」

 紅葉は大きく叫ぶと、そのまま石階段を走り下りた。

「葉桜、君の父君と母君が亡くなったのは紛れもない、紫鶴宮家のせいだ! 君じゃない!」

 石階段の下には、刀を構えた牢人と思われる二人組がいた。紅葉は空いている右手で帯刀していた韓紅の鞘から太刀を引き抜く。

「でも、私の体質は……みんなを、不幸にして」
「さっきも言ったが、君の体質は邪気を引き寄せるものだ!」

 鞘の色と同じ色の刀身が閃くや、闇夜を真一文字に切り裂き、二人の牢人は地に伏した。紅葉の足は止まらない。

「邪気が濃くなると、物を無くしたり怪我をしたりといったことは往々にして起こる。だが、それまでだ。毒を以て殺す者を近づけるなどという力はない。紛れもなく、あの紫鶴宮家の狡猾な企みが原因だ」

 飛び石を踏み越え、篝火に照らされた中庭を駆けていく。途中、炎狼が二匹飛びかかってきたが、付き従っていたひとつの影が爪を振り上げ後方へ投げ飛ばした。

「け、けれど……こんな体質を持った私がいなければ、紫鶴宮の人は来なくて、村のみんなも死ななくて、みんなが幸せに笑えていた……それなのに……」
「そんな悲しいことは、言うな」

 屋敷の表門が見えてきた。しかし、その前には弓や刀を持った牢人に加え、炎狼も数匹辺りを警戒していた。

「その体質を持って生まれた君を、両親は蔑んだか。疎んだか。村の人たちは虐げ、辛く当たったのか?」
「そんなこと、ないです!」

 牢人と炎狼が紅葉たちの姿を捉えた。真っ直ぐに、咆哮を上げて向かってくる。

「父上は、母上は、みんなは、私にとても良くしてくれた……! だからこそ、私は……!」
「だからこそ君は、君らしく生きるべきだろう!」

 紅葉は吠えると、つと方向を変えた。向かうは長屋の壁際に積み上げられた木箱。葉桜を担いでいるとは思えない身軽さで、素早く木箱を伝い、屋根に上る。

「君の父上も、母上も、村民たちも、君のことが大好きだったはずだろう! ならば、君はいなければ良かったなんて言うな! 君のことを大切にしていた人たちの気持ちを、無下にするな!」

 射かけられた矢を躱し、紅葉は屋根の上に素早く陣取った一際大きな炎狼を横一閃に両断した。炎狼は煙となって、夜の闇に消えていく。

「もう一度言う。君は、君らしく生きろ。それが君を愛した者たちの願いのはずだ」

 長屋の屋根から跳び下りた紅葉は、そのまま夜の闇に紛れて紫鶴宮の屋敷から逃走した。
 見張りや雇われた牢人たちが付近を探し回ったが、終ぞ見つけることはできなかった。
 その夜、紫鶴宮の屋敷は焼失した。