特別ってなんだろう。
窓の外に目を向けながら思う。
昼休憩、グラウンドではサッカーをしている生徒たちがいる。その中には美島くんもいた。
誘われていつもの淡々とした顔で教室を出て行く瞬間も、いつも通り僕のほうを見ていた美島くんの顔を思い出す。
彼が言う特別がなにか。まだ、僕にはわからない。
「やっば! 今日、ゆんちゃん出るじゃん! 観なきゃ♪」
スマホ画面をなめるように見て、推しのテレビ出演に歓喜する吉太を眺めながら、僕は美島くんが吉太に燃やしていた嫉妬らしき感情を振り返る。
吉太は僕にとって特別なのだろうか?
そりゃあ幼馴染だし、他の友達とは少し違う。ただ、美島くんの言う特別には当てはまらない気がする。
「歩夢、なに見てんの?」
ひとしきり騒いで気が済んだのか、吉太が僕の横から首を伸ばし、窓の外を見る。別に、と適当に言って僕は窓から頭を引っ込めたけれど、吉太は丸い背中を伸ばすようにして、グラウンドに目を凝らしたままだ。
行くぞ〜、という声と共に、勢いよく蹴られるサッカーボールの音が、窓越しに響く。その音をバックに、そういえばさあ、と吉太が言った。
「歩夢、知ってた? 美島の話」
「ひ?」
吉太の口からその名前が出ると思わなくて、変な声が出てしまった。なんだよ、ひって、と吉太は可笑しそうに肩を揺らしてから、窓から頭を引っ込めてこちらを見た。
「なんか、大手芸能事務所からアイドルデビューすること決まったって話。すごくね? オーラあるなあとは思ってたんだけどさ、芸能人だよ! やっぱイケメンは違うなあ」
「え、そ、そうなの?」
全然聞いていない。目を剥く僕に、吉太は訳知り顔で頷いてくる。
「見たやついんの。オーディション番組とかでさ、よく出てくる事務所社長と美島がカフェで話してたって。なんか契約書みたいなのやり取りしてたとか」
吉太はまだ話を続けていたが、なんだかもやもやして僕は立ち上がってしまった。トイレ、と言い捨て、教室を出る。
昼休憩中の廊下はごった返している。その中を闇雲に歩く僕の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
美島くんは……目立つことが苦手だと言っていた。
僕とは反対のベクトルで顔で苦労してきたようで、だからこそ、当たり障りなく周りと接するように気を付けているようだった。ただ本心は、周りに気を遣いながら付き合うより、僕と漫画の話をしているほうがずっと楽しい、と笑っていた。
弟と妹の世話とバイトが忙しくて、休みの日はあんまりひとりでいる時間もないんだ、と苦笑してもいた。
僕と家庭環境が少しだけ似ていて、お母さんしかいなくて、親、面倒だけど、生んでもらったし、苦労させたくはないからバイト頑張ろうかなって思ってる、と、バイトで一緒になったとき、キューリくんの着ぐるみを着て語っていたこともある。
思い返してみれば、噂話を裏打ちする会話はたくさん転がっていた気がする。
目立つことは苦手なのかもしれない。けれど、アイドルになれば……バイトを頑張らなくてもお金は稼げるようになる。
彼の顔ならば、アイドルルートを選ぶことだって可能だと思う。
でも。
始業チャイムが鳴る。はっとして踵を返す。走って教室のドアを開けると先生はまだ来ていなかった。
息を整えながら席へと向かう。その僕を、美島くんはいつもの目で見ていた。
柔らかい光を宿した瞳が、僕を追いかける。
いつもなら……目が合ったら、挨拶代わりに微笑んでいた。
松尾のことが知りたい、と打ち明けられて、ふたりで話をするようになってからはずっと。
けれど、今日はそうしなかった。というか、できなかった。
ただ彼と目を合わせないように下を向き、着席した。
自分でもあからさまだとは思ったけれど、僕はどうしても納得ができなかったのだ。
美島くんが決めたことなら、僕にとやかく言えることじゃないのはわかっている。家の事情だってある。彼の考えだってある。
でも、彼は言ったのだから。
俺は、松尾の特別になりたいって。
それは……美島くんにとって僕は特別だって意味にも聞こえないだろうか。
その特別な僕に……彼はなんで、教えてくれなかったんだろう。
人生が変わっちゃうような大事なことを。
からり、と扉が滑り、先生が入ってくる。慌しく教科書を取り出す皆に手だけは倣いながら、僕は唇を噛みしめる。
授業が始まろうとしているのに、心の中は別のものでいっぱいだった。
科学室で食べたポテトチップスの味。
窓から入ってきた少し熱気を孕み始めた風。
そして。
――めっちゃ似合う、可愛い。
僕の髪に触れた美島くんの手の感触。
それらがごちゃ混ぜになって、僕の心に容赦なく迫ってくる。
さらに、追い打ちをかけるように、後ろの席からは、いつも通りの眼差しが注がれ続けている。
変わらず優しい、美島くんの視線が。
でも、その優しさが僕には意味不明で、苦しくて仕方なかった。
ねえ、美島くん。
美島くんにとっての特別ってなに?
なにも言ってくれなかったのはどうして?
俺が、君の特別ではなかったから?
俺にはさ、君がまったくわかんないよ。
わかんなくて……苦しいよ。
教科書のページを握りしめ、胸の内で叫んだけれど、もちろん答える声なんてなくて、僕はただ美島くんの前で背筋を丸めることしかできないでいた。
窓の外に目を向けながら思う。
昼休憩、グラウンドではサッカーをしている生徒たちがいる。その中には美島くんもいた。
誘われていつもの淡々とした顔で教室を出て行く瞬間も、いつも通り僕のほうを見ていた美島くんの顔を思い出す。
彼が言う特別がなにか。まだ、僕にはわからない。
「やっば! 今日、ゆんちゃん出るじゃん! 観なきゃ♪」
スマホ画面をなめるように見て、推しのテレビ出演に歓喜する吉太を眺めながら、僕は美島くんが吉太に燃やしていた嫉妬らしき感情を振り返る。
吉太は僕にとって特別なのだろうか?
そりゃあ幼馴染だし、他の友達とは少し違う。ただ、美島くんの言う特別には当てはまらない気がする。
「歩夢、なに見てんの?」
ひとしきり騒いで気が済んだのか、吉太が僕の横から首を伸ばし、窓の外を見る。別に、と適当に言って僕は窓から頭を引っ込めたけれど、吉太は丸い背中を伸ばすようにして、グラウンドに目を凝らしたままだ。
行くぞ〜、という声と共に、勢いよく蹴られるサッカーボールの音が、窓越しに響く。その音をバックに、そういえばさあ、と吉太が言った。
「歩夢、知ってた? 美島の話」
「ひ?」
吉太の口からその名前が出ると思わなくて、変な声が出てしまった。なんだよ、ひって、と吉太は可笑しそうに肩を揺らしてから、窓から頭を引っ込めてこちらを見た。
「なんか、大手芸能事務所からアイドルデビューすること決まったって話。すごくね? オーラあるなあとは思ってたんだけどさ、芸能人だよ! やっぱイケメンは違うなあ」
「え、そ、そうなの?」
全然聞いていない。目を剥く僕に、吉太は訳知り顔で頷いてくる。
「見たやついんの。オーディション番組とかでさ、よく出てくる事務所社長と美島がカフェで話してたって。なんか契約書みたいなのやり取りしてたとか」
吉太はまだ話を続けていたが、なんだかもやもやして僕は立ち上がってしまった。トイレ、と言い捨て、教室を出る。
昼休憩中の廊下はごった返している。その中を闇雲に歩く僕の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
美島くんは……目立つことが苦手だと言っていた。
僕とは反対のベクトルで顔で苦労してきたようで、だからこそ、当たり障りなく周りと接するように気を付けているようだった。ただ本心は、周りに気を遣いながら付き合うより、僕と漫画の話をしているほうがずっと楽しい、と笑っていた。
弟と妹の世話とバイトが忙しくて、休みの日はあんまりひとりでいる時間もないんだ、と苦笑してもいた。
僕と家庭環境が少しだけ似ていて、お母さんしかいなくて、親、面倒だけど、生んでもらったし、苦労させたくはないからバイト頑張ろうかなって思ってる、と、バイトで一緒になったとき、キューリくんの着ぐるみを着て語っていたこともある。
思い返してみれば、噂話を裏打ちする会話はたくさん転がっていた気がする。
目立つことは苦手なのかもしれない。けれど、アイドルになれば……バイトを頑張らなくてもお金は稼げるようになる。
彼の顔ならば、アイドルルートを選ぶことだって可能だと思う。
でも。
始業チャイムが鳴る。はっとして踵を返す。走って教室のドアを開けると先生はまだ来ていなかった。
息を整えながら席へと向かう。その僕を、美島くんはいつもの目で見ていた。
柔らかい光を宿した瞳が、僕を追いかける。
いつもなら……目が合ったら、挨拶代わりに微笑んでいた。
松尾のことが知りたい、と打ち明けられて、ふたりで話をするようになってからはずっと。
けれど、今日はそうしなかった。というか、できなかった。
ただ彼と目を合わせないように下を向き、着席した。
自分でもあからさまだとは思ったけれど、僕はどうしても納得ができなかったのだ。
美島くんが決めたことなら、僕にとやかく言えることじゃないのはわかっている。家の事情だってある。彼の考えだってある。
でも、彼は言ったのだから。
俺は、松尾の特別になりたいって。
それは……美島くんにとって僕は特別だって意味にも聞こえないだろうか。
その特別な僕に……彼はなんで、教えてくれなかったんだろう。
人生が変わっちゃうような大事なことを。
からり、と扉が滑り、先生が入ってくる。慌しく教科書を取り出す皆に手だけは倣いながら、僕は唇を噛みしめる。
授業が始まろうとしているのに、心の中は別のものでいっぱいだった。
科学室で食べたポテトチップスの味。
窓から入ってきた少し熱気を孕み始めた風。
そして。
――めっちゃ似合う、可愛い。
僕の髪に触れた美島くんの手の感触。
それらがごちゃ混ぜになって、僕の心に容赦なく迫ってくる。
さらに、追い打ちをかけるように、後ろの席からは、いつも通りの眼差しが注がれ続けている。
変わらず優しい、美島くんの視線が。
でも、その優しさが僕には意味不明で、苦しくて仕方なかった。
ねえ、美島くん。
美島くんにとっての特別ってなに?
なにも言ってくれなかったのはどうして?
俺が、君の特別ではなかったから?
俺にはさ、君がまったくわかんないよ。
わかんなくて……苦しいよ。
教科書のページを握りしめ、胸の内で叫んだけれど、もちろん答える声なんてなくて、僕はただ美島くんの前で背筋を丸めることしかできないでいた。