第八話
 翌日の朝、私は少し早めに学校へ向かった。
 昨日カリンちゃんと約束した通り、教室で待ち合わせるためだ。

 校門をくぐる。
 校舎へ進みながら、いつもとは違う時間の学校を確認する。

 校舎の中へ入る生徒の数は、まだ少ない。
 だけど校庭では、朝の練習をしている部活の生徒が見えた。

 遠くで陸上部のユニホームを着た集団が見える。
 遠目で誰が誰だかまでは分からない。
 だけど、間違いなくヒナコちゃんもそこにいるだろう。
 そう思った。

 昇降口には人がいない。
 早く来る生徒と、普段通り来る生徒の狭間の時間みたいだ。
 私は遠くから聞こえる部活動をしている声を聴きながら、上履きに履き替えた。

 自分の教室に着くと、カリンちゃんはまだ来ていなかった。
 私は自分の席に荷物を置き、窓際に立って外を眺めることにした。
 
 ヒナコちゃんらしき人物を見る。
 走っている。
 周囲の集団と。
 陸上部、楽しいんだろうな。
 私はヒナコちゃんの心を予測する。

 そんなことをして待っていると。
 足音が聞こえた。
 そして、その足音が教室へ人が入ってくる気配がした。

 私が振り返ると、カリンちゃんが教室に入ってきていた。

「おはよう、カリンちゃん」

 私は柔らかく微笑みかけた。

「お、おはようございます、桔梗さん」

 カリンちゃんはかしこまった様子で返事をする。
 やっぱり、彼女は話をすることにまだ慣れていないのだ。

「早く来てくれてありがとう。準備を始めましょうか」

 私はそう言って、教卓の方へ歩み寄った。
 カリンちゃんも小さく頷いて、私の後に続いた。

 教卓にある引き出し、そこにはクラス委員用のファイルが入っていた。
 私はそれを取り出す。
 中身を確認する。

 ホームルームの進行を書いたファイル。
 どこまで仕事をしたかのチェックリスト、などなど。

 いくつかは綺麗にパウチをされて、ファイリングされている。
 これらは、前のクラス委員から引き継がれているのだろう。
 いや、前の前からか。

「これをもとにホームルームの進行役をするのね?」

 私は確認するように、わざとカリンちゃんの方を見る。
 カリンちゃんは黙って頷いている。

 それを確認した私は、教卓の上にそれらを並べる。
 
「昨日言ったように、今日はホームルームの進行を私がします。」
「はい。」

 そういうカリンちゃんは、無機質な感じがする。

「なにか?」
「あ、いえ。私、みんなの前で話すのが少し…」

 彼女の声は小さく、途切れてしまった。

「そうよね。こんなの私も初めてだし。でも、きっと何度かすれば慣れるわ。」

 悩みを共有するように、私は語った。
 白々しい言葉だ、と我ながら思う。
 とはいえ、そういう話の展開がよくあることだ、とも思った。

「そうですね。」

 カリンちゃんは簡潔に語る。

「ああ、そうだカリンちゃん。」
「なんですか?」
「黒板に書かないと。」

 そうだ。
 本来、昨日の放課後にするべきこと。
 だけど、昨日の私たちはクラス委員じゃない。

 だから、今する必要がある。
 簡単なことだ。

 黒板に今日の日付と予定を書くのだ。

「分かりました。」

 そういって、カリンちゃんは一人で黒板へと向かっていく。

「カリンちゃん。私もするわ。」
 
 私は、そういってカリンちゃんの後をついていく。
 そして、私たちは二人で黒板に今日の日付と予定を書き込みはじめた。

 まあ、実際のところ。
 大した雑用ではない。
 こんな作業に二人もいらないだろう。

 しかし、先生の目的はカリンちゃんがクラスから浮かないようにすること。
 それを踏まえると、ここは仲良く一緒に作業をするべきだ。

「カリンちゃん、私が書くから。教科を言って?」

 私は、チョークを手に持った。

「分かりました。」

 カリンちゃんが私に従う。
 私は、今日の日付を書いていた。
 そのまま、二人で作業を始めていた。

「カリンちゃん。次の科目は何?」
「数学です。」

 私は、1時限目を数学と書いた。

「次は?」
「英語です。」

 カリンに言われたように、黒板に書いていく。

 そうやって、私たちは協力しながら黒板に時間割を書き込んでいった。

「カリンちゃんは、朝は早い方?」

 ふと、私は何気なく尋ねてみた。

「あまり…得意ではないです。」
「そう?私も実は苦手なの。でも、こうやって早く来ると新鮮な感じがするわね。」
「そう…ですね。」

 カリンちゃんはそれだけ言った。
 その後、私がカリンちゃんに話を振りながらも、作業は続いた。

「終わったわ。」

 私がそういうと、カリンちゃんも小さく頷いた。
 周囲を見ると、少しずつクラスメイトたちが教室に入ってきている。

「カリンちゃん。じゃあ。これから、頑張りましょう。」
「こちらこそよろしくお願いします。」

 カリンちゃんは礼儀正しく、あるいは、他人行儀にそういった。
 そんなカリンちゃんへ私は微笑んでから、自分の席へと戻ろうとする。

 カリンちゃんも、私を見ているのか、どこかへ向かおうとしていた。
 彼女はいったん、教室から出るみたいだ。

 特に引き留めるようなこともせず、私はなんとなくそれを見ながら進んだ。

 そして、私が自分の席についていると
 ガヤガヤとした声が聞こえた。

 たぶん、ハナちゃんだ。
 そして、ヒナコちゃんもいるみたい。

 その予想は当たった。
 すぐ廊下に、ハナちゃんとヒナコちゃんの姿も見え始める。

 二人は私たちに気づくと、笑顔で手を振ってくれた。

「おはよう、アイリちゃん!」

 ハナちゃんの元気な声が教室に響いた。
 そして、ヒナコちゃんを引っ張って私の方へ向かってきた。

 二人が私の席の前に来た。

「アイリ、おはよう。」

 ヒナコちゃんが私に挨拶をした。
 私は二人に笑顔で応えた。

「おい、ハナ。荷物、荷物。」
「あはは、ごめん!ヒナコちゃん。」

 そういって、二人はいったん自分の机へ戻っていく。

 その後、私は荷物を置いた二人とクラス委員の話をした。
 もちろん、カリンちゃんの話も、だ。
 そうしていると、チャイムが鳴り、ホームルームの時間になった。

 担任の先生が入ってくる。

「さて、ホームルームを始めます。クラス委員の方?」

 先生は、そう言った。
 私は、自分の役割を果たすために席から立った。
 教室内は、シーンと静まり返っていた。

 緊張するが、仕方ない。

「起立」

 私は発音した。
 その私の声に合わせて、クラスメイトたちが立ち上がる。

「礼」

 全員で先生に向かってお辞儀をする。

「着席」

 私の声に従って、教室にいる全員が席に着いた。

 ちらっと私は、本人には分からないようにカリンちゃんを見た。
 彼女は、ぼーっとしている様子だ。
 どちらかというと、ハナちゃんがニコニコとこちらを見ているのが目立った。

「では、先生からのお知らせです」

 私は落ち着いた声でホームルームの進行を進めた。

「はい。桔梗さん。ありがとう。」

 そう言ってから、先生が話を始めた。
 内容は、校外学習についてだった。
 場所や持ち物、集合時間などを先生はみんなに伝えていく。

 そして、ホームルームが終わった。
 そのまま、私たちは席について、1時限の教師が教室に入ってくるのを待っている。

 どこか、私はほっとした気持ちになった。
 初めてのクラス委員の仕事を、なんとかこなせたという感じだ。

 私が、そんなことを考えている間にも、目の前の日常が何事もなく進んでいた。
 やがて、教師が教室へ来た。
 授業が始まる。

 そして、気がつくと。
 授業も終わって、休み時間になった。

「アイリちゃん、クラス委員みたいだったよ!」

 ハナちゃんが興奮気味に言った。

「ハナ。アイリはクラス委員だ。」
「あっ、そうだった。」

 二人は、いつも通りのコンビを見せていた。

「そうだな。アイリ、落ち着いていて良かったぞ。」

 ヒナコちゃんは、私にそういった。

「ありがとう。でも、緊張したわ。」

 私は正直に答えた。

 二人の様子から、ヒナコちゃんもハナちゃんも私のことを心配してくれているのが分かった。
 友達がいることに、私は心の中で感謝した。

 そのまま、私の日常を過ごしていると、チャイムが鳴った。
 次の授業が始まるのだ。

「じゃね、アイリちゃん。」
「アイリ、またな。」

 ハナちゃんとヒナコちゃんは、それぞれの席に戻っていった。

 私も授業の準備をする。

 そして、次の授業が始まった。
 黒板に向かって先生が何かを書いている。
 その背中を見つめながら、私は授業とは別のことを考えていた。

 ふと、カリンちゃんの方を見る。
 彼女は真剣な表情で授業を聞いていた。
 いつもと変わらない姿を見て、私は少し安心した。

 いつの間にか、昼休みになった。
 そして気がつけば…。
 いつものように、ハナちゃんとヒナコちゃんと一緒にお弁当を食べている、私がそこにいた。

「ねえねえ、アイリちゃん」

 ハナちゃんが、いつもの明るい声で話しかけてきた。

「何かしら?」
「クラス委員って、他にどんなお仕事があるの?」

 私は少し考えてから答えた。

「そうね。ホームルームの進行以外にも、放課後に教室の整理整頓をしたりするのよ。」
「へぇー、大変そう。」

 ハナちゃんは感心したように言った。

「なにかあれば、手伝うからな、アイリ?」

 ヒナコちゃんが、私にそう言ってくれる。

「ありがとう。」

 私は微笑んで答えた。
 お弁当を食べ終わると、ハナちゃんが突然立ち上がった。

「そうだ!アイリちゃん、今日の放課後、手芸部に来れるの?」
「大丈夫よ。クラス委員の仕事が終わったら、すぐに行くわ。」

 そう言ってから、私は付け加えた。

「ハナちゃんは、先に部室へ行ってて?」
「うん!分かった!先に待ってるね!」

 ハナちゃんはいい笑顔でそう言った。
 そんなことを話していると、いつもの昼休みが終わる。
 
 午後の授業が始まった。
 食後の眠さがあり、それに耐えながら授業を受ける。
 それに特筆すべきことはない。

 時間が経過していく。

 そして、最後の授業が終わり、チャイムが鳴る。
 周囲が部活へと向かう中、私はカリンちゃんの方を見た。

「カリンちゃん、始めましょうか」
「はい、桔梗さん」

 私たちは教室の掃除から始めた。
 黒板を消し、机を整頓する。
 黙々と作業を進めていく中で、私はカリンちゃんに話しかけてみることにした。

「ところでカリンちゃん、どう思ったかしら?」

 私は、わざと主語のない言葉をかけた。
 彼女が今、考えていることを引き出そうと思ったのだ。

「えっと?」

 カリンちゃんは戸惑ったように答えている。

「…いえ、ね。」

 私は言葉を続ける。

「?」

 カリンちゃんは首を傾げた。
 かなり彼女は受動的なようだ。
 これ以上は不自然な会話になってしまう。
 だから、私は続きを適当な話とすることにした。

「そのカリンさん。私も慣れていないものだから。私のホームルームの進行はどうだったかしら?」

 不自然にならないように、そういった。

「いえ。桔梗さんは適切に進めていたと思います。」
「でも、私もまだ慣れないわ。明日はカリンちゃん。頑張ってね。」

 私は励ますように言った。

「はい。頑張ります。」

 カリンちゃんは少し驚いたような顔をしたが、すぐに小さく頷いた。

 仕事を終えて、私たちは教室を出た。
 廊下で、カリンちゃんが私に向かって言った。

「桔梗さん、ありがとうございました。」
「こちらこそ、ありがとう。明日もよろしくお願いするわ、カリンちゃん?」

 そう言って私はカリンちゃんと別れた。

 手芸部の部室へ向かった。
 部室のドアを開けると、ハナちゃんが笑顔で迎えてくれた。

「アイリちゃん!」
「ハナちゃん。待たせてごめんなさい。」
「そんなことないよ?私が思ったよりも早く来たよ、アイリちゃん。」
「そう?良かった。」

 私の作業環境は、すでにハナちゃんによって準備されていた。
 私は、その準備された席に着いた。
 ハナちゃんの近くの席だ。

「ハナちゃん、ありがとう。」

 自分の刺繍を手に取ってそう言った。

「どういたしまして!」

 ハナちゃんは元気にそう答える。
 
 作業を始めた。
 針を動かしながら、今日一日のことを思い返す。
 クラス委員としての初日。
 緊張もしたけれど、なんとかやり遂げられた。

 そして、カリンちゃんのこと。
 まだぎこちない関係だけど、少しずつ近づけているような気がした。

 私は、ハナちゃんと話しながら、針を進めた。