第十二話

 翌日の朝。
 私は少し早めに学校へ向かった。
 理由はもちろん、カリンちゃんと話をする機会を作るためだ。

 校門をくぐり、昇降口へ向かう。
 この朝の時間、校舎の外からは朝練をしている生徒たちの声が聞こえてくる。
 私はそれらを聞きながら、上履きに履き替えた。

 さて、どうなるかな…。

 私は思考を深めながら、廊下を進んでいた。
 するといつの間にか、教室の前にいた。
 私はそこで思考を止めて、気持ちを落ち着かせた。

 教室のドアを開けると、誰もいない。
 周囲を見回して、自席に座る。
 私は、カリンちゃんを待つことにした。

 そして、席について、これからをあれこれと考えていると。

 教室に誰かが近づいてきた。
 誰だろう?
 私がそう思っていると、教室の扉が開いた。

 カリンちゃんの姿が目に入る。
 そうだ、クラス委員になってから、彼女はこのくらいの時間に来ているのだった。
 私は自席から立ち上がり、カリンちゃんに自然な様子を心掛けつつも近づく。

「おはよう、カリンちゃん。」

 私は、できるだけ明るく声をかけた。
 しかし、カリンちゃんの反応は昨日と変わらなかった。
 彼女は一瞬だけ冷たい目線を向けると、すぐに顔を背ける。

 ここで、引くと悪化するだけだ。
 そう思った私は、カリンちゃんの席に近づいた。

「カリンちゃん、少し話せないかしら?」

 私がそう言っても、カリンちゃんは依然として無視を続けている。
 しかし、私はめげずに話し続けた。

「何か、私が悪いことをしたのなら謝るわ。だから、教えて?



 私の言葉に、カリンちゃんがようやく顔を上げた。
 その目には、怒りの感情が宿っていた。

「…うるさい。」

 カリンちゃんは、ポツリとそう言った。
 その声からは、憎しみが感じられる。

「でも、カリンちゃん。私たち、一緒にクラス委員をしているでしょう?何か問題があるなら…」

 私の言葉を遮るように、カリンちゃんが立ち上がった。

「うるさい!偽善者!」

 大声。
 感情的なカリンちゃんの声が教室中に響き渡る。
 突然の大声に、私は思わず後ずさりした。

 ちょうどその時、教室のドアが開いた。
 ヒナコちゃんが入ってきたのだ。

「おい、何があったんだ?」

 ヒナコちゃんが、驚いた様子で近づいてきた。

「ヒナコちゃん…」

 私は、言葉につまった。
 カリンちゃんは、ヒナコちゃんを一瞥すると、さっと教室を出て行った。

「アイリ、大丈夫か?」

 ヒナコちゃんが、優しく私の肩に手を置いた。

「ええ…大丈夫よ。ヒナコちゃんこそ、朝は部の練習じゃないの?」
「いや、アイリが心配だから、ちょっと早めに抜けて来た。」

 どうやらヒナコちゃんは、心配してくれているらしい。

「ヒナコちゃん、ありがとう。」
「アイリ、別に礼はいい。それより、説明してくれ。さっき、何があったんだ?」

 ヒナコちゃんが、真剣な様子で尋ねてきた。

「カリンちゃんと話そうとしたの。でも…」

 私は、今さっき起こったことを、簡単に説明した。
 ヒナコちゃんは、黙って聞いていた。

「そうか…」

 ヒナコちゃんが、深刻な表情で頷きながら、この状況についてを考えている。

「ヒナコちゃん、どうすればいいのかしら?」

 ヒナコちゃんは、しばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。

「アイリ、お前は何も悪くのなら、カリンの方に何か理由があるだろう。」

 ヒナコちゃんの言葉に、私は小さく頷いた。
 しかし、あそこまでの憎しみ。
 カリンちゃん…。
 私は、会話すらままならない彼女のことを想像するほかにない。

 そのとき、教室のドアが再び開いた。
 今度は、ハナちゃんだった。

「おはよう、アイリちゃん、ヒナコちゃん!」

 ハナちゃんが、いつもの明るい声で挨拶してきた。
 でも、私とヒナコちゃんの表情を見て、すぐに笑顔が消えた。

「え?どうしたの?二人とも?」

 ハナちゃんも、心配そうに尋ねてきた。

「実は…」

 私は、もう一度さっきの出来事を説明した。
 ハナちゃんは、とても真剣な表情で聞いていた。

「そっか…。カリンちゃん、どうしちゃったんだろうね?」

 ハナちゃんは、彼女なりに考えながら、そう言った。

「アイリちゃん、私がカリンちゃんと話してみようか?」

 ハナちゃんが、突然提案してきた。

「えっ?」

 私は、驚いて声を上げた。

「でも、ハナちゃん。カリンちゃんは今、誰とも話したくないみたいよ。」

 私は、ハナちゃんの親切心に感謝しつつも、慎重に答えた。

「そうだな。今は刺激しない方がいいかもしれない。」

 ヒナコちゃんも、同意した。

 そうしていると、次々に生徒が入ってきていた。
 教室がいつもの喧騒に包まれ始める。

「とりあえず、様子を見よう」

 ヒナコちゃんが、最後にそう言った。
 私とハナちゃんは頷いて、それから全く違う話を始めた。

 いつものメンバーで、どうでもいいことを話す。
 すると、少しづつ、私も緊張が解けてきた気がした。

 そんな調子で、私たちが時間を過ごしていると、いつの間にか予鈴がなった。
 ホームルームの時間だ。

「じゃ、アイリ。」
「アイリちゃん、またね。」

 二人はそう言って、自分の席へ戻る。
 私も、クラス委員としてホームルームの進行をしなければならない。
 そう、また、今日が始まるのだ。

 ふと、後ろを振り返ると、カリンちゃんが教室に戻ってきていた。
 彼女は、無表情で前を向いている。
 まるで、さっきのことなど何もなかったかのようだ。

 私は、再び前を向いた。
 そして、思考の渦へと、私は飲み込まれていった。

 私の世界に入ってしまった時間の経過は早い。
 いつの間にか、時間は過ぎて、昼休みとなった。
 例のごとく、私たちは三人で昼食を食べていた。

 そのとき、ふとカリンちゃんの姿が目に入る。
 彼女は一人で教室の隅に座り、弁当を食べていた。
 その姿には、いつもとは違う雰囲気だ。
 私への強い憎しみ。怒り。

 思わず、私はため息をついた。

「どうしたの、アイリちゃん?」

 ハナちゃんが、心配そうに聞いてきた。

「ううん、なんでもないわ。」

 私は、首を横に振った。
 でも、私の視線の先を追ったのか、ハナちゃんもカリンちゃんの方を見た。

「カリンちゃん、一人なんだね。」

 ハナちゃんの声には、どこか悲しみの音色があった。

「ああ、そうだな。」

 ヒナコちゃんも、何かを思うように同調する。

 私は、黙ってうなずいた。
 そう、カリンちゃんはいつも一人だった。
 だからこそ、私たちは一緒にクラス委員をすることになったのに。
 その結果が、今の状態なんだ、と。

 私たちの世界に、カリンちゃんの話題が入り込んでいく。
 その話題を中心とした、昼休みが終わる。

 そして、何事もないかのようにに、いつものように午後の授業は始まった。
 私は、ふとしたときに、カリンちゃんの方を見てしまう。

 彼女は、相変わらず無表情で前を向いていた。
 まるで、周りの世界から完全に切り離されているかのよう。
 それを確認した私は、慌てて視線の向きを変えた。


 そんなことをしていると、最後の授業も終わる。
 ということは、私とカリンちゃんがクラス委員の仕事をする時間だ。

 私は、少し緊張しながらカリンちゃんの席に近づいた。

「カリンちゃん、今日の仕事を…」

 私の言葉が途中で止まった。
 カリンちゃんが、突然立ち上がったのだ。

「私に構わないで!」

 カリンちゃんの声が、教室に響いた。
 周りにいた数人の生徒が、驚いて私たちの方を見た。

 私は、続く言葉を失った。
 硬直している私を横に、カリンちゃんは、そのまま教室を出て行った。

「アイリ!」

 ヒナコちゃんが、駆け寄ってきた。

「大丈夫か?」

 ヒナコちゃんの声には、心配をしている様子が伺えた。
 と、同時に、どこか怒りの感情もあるようだ。

「ええ…大丈夫よ。」

 私は、なんとか答えた。

「さっきのカリンは、明らかにおかしいぞ。」

 ヒナコちゃんは、何か気に入らないモノを見たかのような口調で語る。
 どうやら、怒りの感情が勝っているらしい。

「私にも原因が分からないのよ。」

 私は、ヒナコちゃんにそういう他にない。
 ヒナコちゃんは、しばらく黙っていた。
 そして、ふと何かを思いついたように顔を上げた。

「アイリ、先生に相談してみようか?」

 ヒナコちゃんの提案に、私は少し驚いた。

「え?でも…」

 私は、迷った。
 先生に相談するのは、少し大げさな気がする。
 でも、このままでは状況が良くならないのも分かっていた。

「アイリ、このままじゃダメだ。明らかにカリンの様子も、おかしいしな」

 ヒナコちゃんの言葉に、私は小さく頷いた。

「ありがとう…ヒナコちゃん、ごめんなさい。お願いできる?」

 私は、ヒナコちゃんに頼んだ。

「ああ、私に任せとけ。」

 ヒナコちゃんが、力強く言った。
 彼女のその言葉から、なんとも言いようのない感情を感じた。