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 島にフェリーが到着して軽トラに乗り込んだ潮に、茉里乃は外から声をかけた。

「おねえちゃん、ちょっと神社に行ってくる」

 いつになく真剣なまなざしを向けてくる妹に、姉は軽くたずねた。

「もう頭痛は大丈夫なの」

「うん、そのまま裏道から帰るから」

 潮は何も言わずに軽トラで去っていった。

 港の集落の奥に石段下の鳥居がある。

 茉里乃は鳥居をくぐる前に階段を見上げた。

 垂直の絶壁を見上げるような急傾斜に一瞬ひるんでしまうが、気を取り直して手すりにつかまりながら一段一段足を踏みしめて上がっていく。

 ――ナーオ。

 ふと見ると、ポムが着いてきていた。

「さっき、学校でおねえちゃんに見つからなくて良かったね」

 ナーオ。

「保健室のドアを開けたらポムがいたからびっくりしたよ」

 ナーオ。

「学校の探検してたの?」

 飽きたのか、猫は返事をしない。

 茉里乃にしても、しゃべりながら上がるには階段がきつすぎる。

 すぐに息が上がって汗が額から流れ落ちた。

 だが、戻るわけにはいかない。

 時折立ち止まって汗を拭きながら、茉里乃はなんとか上の鳥居までたどり着いた。

 鳥居をくぐって石畳の上に立ち、くるりと踵で振り返る。

 ――ああ。

 こんなにも広かったんだ。

 その瞬間、空いていたパズルの穴に最後のピースがカチリと音を立ててはまった。

 ほんの小さな一つのピースに、忘れていたすべての情景が描き込まれていた。

 まだ幼くて、ぼんやりしているけれど、たしかに懐かしい記憶がよみがえる。

 青い海、広い空、光、風、穏やかな波の音。

 何もない島のすべてが凝縮された最初の記憶。

 色鮮やかにかたどられた記憶の断片が影を埋めた瞬間、茉里乃は叫び出したい衝動に駆られ、手を組んで腕を突き上げ、思いっきり背伸びをすると、振り向いて祠に向かって大きく足を踏み出した。

 コツコツと石畳の感触を確かめながら歩み寄り、屋根に草の生えた祠の前に立ち、目を閉じて手を合わせる。

「お父さん、お母さん、私、ここに来たよね。一緒に」

 ――思い出したの?

 目を開けると、祠の横にこの前見かけた若い女性が立っていた。

「はい」と、茉里乃の返事が境内に響く。

 驚いたポムが足元で飛び跳ねる。

 若い女性は太った茶トラの猫を軽々と抱き上げると、首筋を撫で始めた。

 あっという間に目を閉じておとなしくなる。

 かすかにコロコロと喉を鳴らしてもっと撫でろとせがんでいるようだ。

 ふてぶてしい普段の態度とは正反対で、思わず笑みがこぼれてしまう。

「あとはよろしく」と、若い女性が茉里乃にポムをわたす。

 ――重たいなあ。

 肩に担いであたりを見回すと、もう若い女性の姿はどこにもなかった。

 もたれかかって居眠りをしているポムを抱いたまま、茉里乃は神社の裏口を抜けて白い壁のカフェに向かって歩き出した。

 ミカン畑の葉が風にそよぐ。

 そのリズムに合わせて、茉里乃はいつか聴いた子守歌を口ずさんでいた。